“kouchan ”の Web Diary 

園芸・趣味・リハビリなどを綴る

避難して2週間が経ってしまった。

2011-03-31 14:03:58 | 出来事

長女の家に避難して早くも2週間が経過してしまった。昨日郡山市の自宅のお隣さんから電話があり、“郡山市のガソリン、水、食品も少しずつ良いほうに変わってきているようだ”と現状の報告をいただいた。当初、1週間もすれば郡山市も流通、水道水も落ちつくだろうと着の身着のままで出てきたので、お隣さんには、簡単に挨拶して来ただけだったが、気を使って庭の植木鉢に3日おきぐらいに水を与えてくれているという。私も庭の植木鉢には心配していて、枯れる植木もあるだろうと諦めかけていたが、とても感謝している。

明日ぐらいには次女親子を残して、夫婦だけ自宅に戻ろうと思っていたが、長女の長男が4月6日に「入学式」、次男が4月3日に「入園式」。普段ならお祝いのためにわざわざ東京に来ることはないが、これも何かの縁。私は4週間リハビリを休むことになるので辛いが、もう一週間延ばして孫達のお祝いに立ち会うことに決めた。次女の赤ちゃんもちょうど生後90日が経ち、祝う時期が生後100日前後であることから少し早いが、遠方なだけに正式なことは出来ないが、ただかたちだけの「お食い初め」を行う事にした。自宅はもう少しお隣さんに甘えることにして・・・。


小名浜港にもガソリンが届いた。

2011-03-29 17:23:03 | 出来事

二日前のニュースで日本海側の新潟から鉄道を使った貨物で、ガソリンを郡山市に運びいれ始めたとあった。昨日は東北新幹線が4月中旬に郡山まで通りそうだと、今日は太平洋側の小名浜港にもタンカーでガソリンが初めて到着したと明るいニュースが入ってきて、これで郡山市のガソリン不足はどうにか解消できそうだ。あとは大きな問題の福島第一原発の放射能漏れだが、原発から58kmしか離れていない郡山でも水道水も放射能測定値(暫定値)も数値が下がってきているので、このままうまく収まればと思うが、一刻も油断が出来ないのは全く変わっていない。今日は、往路は町の中を歩いてみたが、町の中は「原発事故」とはまるで縁がない雰囲気、復路は昨日に続いて多摩川の河川敷を歩いて2時間ほどかけて帰った。


避難先で2度目の日曜日

2011-03-27 14:58:40 | 出来事

今日は東京に避難して11日目、2度目の日曜日、いろんな事があって順延された孫の卒園式でもあった。私も午後から今日で4回目の多摩川べりのロードにウォーキングに出かけた。日曜日だということで多摩川河川敷のグランドでソフトボールやラグビーの試合をやっていた。ソフトや野球は普通だが、ラグビーのゴールポストまである河川敷のグランドはなかなか珍しい。まして選手の中に外人の選手までいた。郊外といってもやはり東京なのかなと思った。   

しかし気になるのは郡山市の今の状態。放射能測定値(暫定値)は、廻りの町よりも少し高いし、スーパーは相変わらず欲しい物がなかなか手に入らないみたい。東北自動車道は大丈夫だが、東北本線、新幹線とも全線開通していないし、太平洋側の小名浜港が復旧されていないせいかガソリンも手に入らないのは合い変わらずみたい、だが、今日のニュースでは日本海側の新潟から磐越西線を使って鉄道でガソリン、軽油を乗せた貨物が郡山に着いたとの事。今後も毎日運行するとのなので、これは明るいニュース。とにかく急いで避難したので、いろんな意味で一度郡山に戻りたいと思っている。

 


久しぶりに“ウォーキング”

2011-03-24 18:00:47 | ヘルス・リハビリ

大地震以来、歩くことが無かったが、2週間ぶりに時間を作って近くの多摩川沿いのロードを歩いてみた。初めての場所なので地図上で稲城大橋から多摩川原橋までの距離を測り、往復約2.6kmを1.2時間ぐらいかけてゆっくりと歩いた。

散歩、ウォーキング、ランニングする人などロードで行き交う人は、とても放射能のことなどまるで関心ないみたいに振舞っている。昨日の“水”事件などまるで感じられない。

稲城市で使う上水道水は放射能汚染の数値が高く、多摩川のむこう側は水源地が違うということでまだ大丈夫。

今日の午後、娘が多摩川の向こう側の調布に住む友達の家に、20リットル容器に3杯の水をもらいに行ってくれた。


赤ちゃんのミルクの水が・・・

2011-03-23 20:32:14 | 出来事

今日2時ごろいきなり、“東京23区と多摩地区の5市を対象に乳児に水道水を与えるのを控えるように”とテレビで呼びかけがあった。その5市の中に私達の避難先が入っていた。大人だけなら問題ないが、2.5ヶ月の乳児を抱えているので、とにかく明日のミルクを溶かす水がないと困るので、直ちに購入に走った。スーパーはもちろんドラッグストアー、ホームセンターと何箇所も回った。あげくのはては自販機の500ペットボトルまでも何本も買ってきた。これで何とか息がつけそうだ。


スーパーでの食品調達は?

2011-03-19 16:24:27 | 出来事

東京在住3日目の土曜日は娘家族と食品調達に出かけた。家の隣を流れる多摩川沿いのスーパーとすぐ隣の神奈川県に足をのばした。

途中の道路では閉じているガソリンスタンドが多い中で、僅かに開いているスタンドにガソリンを入れようと順番を待つ車で左側車線は何百メートルと並んでいる。車の通行量はとても少ない。

        食品スーパーでは、牛乳、食パン類、米、卵などの棚は空っぽ。でもそのほかの商品は結構出回っているようだ。次の神奈川県のドラックストアーでもやはり牛乳、食パンは棚に空っぽ。でも娘家族はガソリンを車に満タンにし、パンも米も牛乳も、そして赤ちゃんのミルク・オムツなども用意していてくれたようで直ぐに困ることはなかった。非常にありがたいことだ。

 


とうとう"被災地”から脱出!

2011-03-17 22:47:16 | 出来事

東日本大地震から1週間が経過しても、東京電力福島第一原発からの放射線量が、東京電力、自衛隊などの努力にもかかわらず思いように減らない。私達夫婦の兄弟が住む愛知県や長女が住む東京からも早くこちらに来るようにと心配の電話を毎日くれる。私達夫婦だけならこのまま郡山で頑張るつもりでいたが、次女と昨年末生まれたばかりの生後2.5ヶ月の孫にとっては、このままではとても心配。とうとう今日4人で娘のいる東京に脱出した。

車のガソリンも思うように手に入らず、車で東京まではとても無理。愛知まで行こうとしても東北新幹線は那須塩原からしか動いていない。飛行機においても福島空港からは通常は愛知・東京とも離発着していない。しかし地震後、臨時便が羽田空港、中部国際空港に飛んでいることを聞いた。さっそく福島空港に何度も電話をしてみるが全然繋がらない。インターネットでもチケット予約を試みるが直ちに売り切れてしまう。ところが昨日東京の長女がインターネットで羽田便のキャンセルを抑えることができたと連絡があり、4人は踏ん切りがつき今日の行動になった。

福島空港には駐車場が空いているか心配だったので飛行機出発時刻の6時間前の10時30分ごろ家を出た。空港までの道路もスムーズ。2300台収容の駐車場も7~8割がた埋まっていた。しかし運よく空港玄関前の障害者の駐車場が一台分空いていた。空港に入ると小さな幼児や高齢者の人を連れた人たちでいっぱい。キャンセル待ち整理券を持った人もいっぱい。こんなに人がいっぱいの福島空港をいまだかって見たことが無い。今日は気流が悪く、殆どの飛行機の到着が遅れ、出発も当然30分~1時間の遅れ。私達の16時10分発も75分ほど遅れた。羽田に着いたのは18時ちょうど。その後はモノレールで浜松町まで行って、そこから仕事の帰りに迎えに来てくれた婿さんの案内で家に行く予定だった。しかし夕方に、今晩は東京大停電になるかもしれないという大臣のコメントから、会社員の帰宅で電車が大混雑する可能性があるという長女のメールで、急きょ羽田空港から出ているリムジンバスで調布駅まで、そうして調布駅に迎えに来てくれた娘の車で21時過ぎに家に到着。

今日は私達4人にとってとても長い一日になった。皆とても冷静に頑張ってくれた。とくに生後2.5ヶ月の孫には感謝!朝、家を出発してから車の中、福島空港での出発までの長い待ち時間、そして初めて体験する飛行機、リムジンバス乗車と、その間「グズリ」もせずに親を安心させてくれた、これが私達大人の一番の喜びであった。

いまから長女家族には無期限のお世話になるが、一日も早く郡山に帰ることが出来ることを願うばかりだ。。でも、家を無くして避難所生活をしいらげられている人たちの事を思ったら私達は比べものにならないほど幸せである。ただ、次女の婿さんが自衛隊員として被災地へ災害派遣されて、不眠不休で頑張っている事を思うと、怪我しないようにと祈るばかりである。

今日に至るまで、愛知、大阪に住む私達夫婦の兄弟や親戚、埼玉、宮城に住む長女・次女の婿さんの親御さんから、心配やあたたかいお話を頂戴したが、当分の間は長女の家でお世話になることにしました。どうかひとまずは安心してください。

どうもありがとうございました。(東京より)


“大地震!!”

2011-03-11 20:50:00 | 出来事

“午後2時46分リハビリホームで最後の個別訓練のとき、グラ!グラ!グラ!もう終わるだろうと思っても終わらない。かえってどんどん大きくなるみたいだ!1分ぐらい続いたのだろうか!こんなに大きな地震は生まれて初めてだ!家に帰宅すると、これがびっくり!庭の鉢物が落ち、家の中では寝室のテレビ、ビデオが落ち、

キッチンではレンジが落ち、食器戸棚から食器のほとんどが飛び出してほとんどが割れた。

でも女房も、娘と孫も怪我が無かった。良かった!

今も余震で“グラグラ” 今日は寝られないだろう!


34年ぶりの誕生日に行なう“誕生祝”

2011-03-04 21:33:37 | 出来事
長女の初節句以来34年の間、3月4日に生まれたにもかかわらず私の誕生祝は昨日の3月3日にひな祭りと一緒にお祝いをされてきた。
だから3月4日に誕生祝をしてもらうのは独身時代を除き、結婚した最初の年の一度だけ、34年間を挟んで今日は二度目になる。
今日の二人だけの晩餐は、近くの焼肉店で無料の乾杯生中を2杯いただき、
おりしも3周年記念の
 ①グランドメニューよりドリンク全品半額!
 ②3周年記念盛り合わせ福島牛300g{サーロイン(100g)・特上カルビ(100g)・肩バラう  す切り(100g)}
を注文し、その後の追加メニューでおなか満腹。
久しぶりの焼肉で誕生祝の食事となった。
 “美味しかった!”

お雛様のいない“ひなまつり”

2011-03-03 16:10:27 | 出来事
長女の初節句以来34年の間、毎年お雛様を飾って“ひな祭り”をお祝いしてきたが、今年からお雛様のいないひな祭りの日になってしまった。
昨年までは次女のためにお雛様を飾って、また嫁ぐのが遅れないようにと早く片付けることを心掛けてきたクインだが、とうとうその楽しみも、またその心配も無くなってしまった。
今日は夫婦だけのお雛様の飾られない“ひなまつり”の日になった。

昨年12月6日に球根を植えた「黄色カタクリ」に芽が出てきた