東日本大地震から1週間が経過しても、東京電力福島第一原発からの放射線量が、東京電力、自衛隊などの努力にもかかわらず思いように減らない。私達夫婦の兄弟が住む愛知県や長女が住む東京からも早くこちらに来るようにと心配の電話を毎日くれる。私達夫婦だけならこのまま郡山で頑張るつもりでいたが、次女と昨年末生まれたばかりの生後2.5ヶ月の孫にとっては、このままではとても心配。とうとう今日4人で娘のいる東京に脱出した。
車のガソリンも思うように手に入らず、車で東京まではとても無理。愛知まで行こうとしても東北新幹線は那須塩原からしか動いていない。飛行機においても福島空港からは通常は愛知・東京とも離発着していない。しかし地震後、臨時便が羽田空港、中部国際空港に飛んでいることを聞いた。さっそく福島空港に何度も電話をしてみるが全然繋がらない。インターネットでもチケット予約を試みるが直ちに売り切れてしまう。ところが昨日東京の長女がインターネットで羽田便のキャンセルを抑えることができたと連絡があり、4人は踏ん切りがつき今日の行動になった。
福島空港には駐車場が空いているか心配だったので飛行機出発時刻の6時間前の10時30分ごろ家を出た。空港までの道路もスムーズ。2300台収容の駐車場も7~8割がた埋まっていた。しかし運よく空港玄関前の障害者の駐車場が一台分空いていた。空港に入ると小さな幼児や高齢者の人を連れた人たちでいっぱい。キャンセル待ち整理券を持った人もいっぱい。こんなに人がいっぱいの福島空港をいまだかって見たことが無い。今日は気流が悪く、殆どの飛行機の到着が遅れ、出発も当然30分~1時間の遅れ。私達の16時10分発も75分ほど遅れた。羽田に着いたのは18時ちょうど。その後はモノレールで浜松町まで行って、そこから仕事の帰りに迎えに来てくれた婿さんの案内で家に行く予定だった。しかし夕方に、今晩は東京大停電になるかもしれないという大臣のコメントから、会社員の帰宅で電車が大混雑する可能性があるという長女のメールで、急きょ羽田空港から出ているリムジンバスで調布駅まで、そうして調布駅に迎えに来てくれた娘の車で21時過ぎに家に到着。
今日は私達4人にとってとても長い一日になった。皆とても冷静に頑張ってくれた。とくに生後2.5ヶ月の孫には感謝!朝、家を出発してから車の中、福島空港での出発までの長い待ち時間、そして初めて体験する飛行機、リムジンバス乗車と、その間「グズリ」もせずに親を安心させてくれた、これが私達大人の一番の喜びであった。
いまから長女家族には無期限のお世話になるが、一日も早く郡山に帰ることが出来ることを願うばかりだ。。でも、家を無くして避難所生活をしいらげられている人たちの事を思ったら私達は比べものにならないほど幸せである。ただ、次女の婿さんが自衛隊員として被災地へ災害派遣されて、不眠不休で頑張っている事を思うと、怪我しないようにと祈るばかりである。
今日に至るまで、愛知、大阪に住む私達夫婦の兄弟や親戚、埼玉、宮城に住む長女・次女の婿さんの親御さんから、心配やあたたかいお話を頂戴したが、当分の間は長女の家でお世話になることにしました。どうかひとまずは安心してください。
どうもありがとうございました。(東京より)