10/6に足の装具も完成し、一本杖を使って本格的な歩行訓練に移ることになったが、病室と同階の廊下を一周するだけで、後半には疲れてしまった。しかし少しふらつくものの、まもなく少しの距離なら杖を使わずに歩るく事もできるようになり、入院以来初の外泊許可が出たのもこの頃だった。
ひましに歩行数は増え、10月の半ばには独り歩きの許可も出て、杖を突きながらも3,500歩ぐらい歩く事が日課となり、そのうちに夕食後、隣のベッドの(G)さんと2人で1階廊下の夜間歩行訓練を開始したら、いつのまにか女性も含め8~10人が集まっての「夜の大行進」となり、看護婦さん達の間でもしばらくは噂にもなった(この時の仲間を中心に退院後、○○の会結成となる)。
その後杖なしでも5,000~6,000歩程歩く事を私のノルマにするのにはたいして時間はかからなかった。とにかく、患者仲間の間では“歩いて、歩いて、歩いて”おりさえすれば、快方に向かうと信じて疑う事はなかったので、同室、隣室の仲間は、過去には、珍しいぐらい仲間意識があり皆お互いに励ましあっていたものだ。
ひましに歩行数は増え、10月の半ばには独り歩きの許可も出て、杖を突きながらも3,500歩ぐらい歩く事が日課となり、そのうちに夕食後、隣のベッドの(G)さんと2人で1階廊下の夜間歩行訓練を開始したら、いつのまにか女性も含め8~10人が集まっての「夜の大行進」となり、看護婦さん達の間でもしばらくは噂にもなった(この時の仲間を中心に退院後、○○の会結成となる)。
その後杖なしでも5,000~6,000歩程歩く事を私のノルマにするのにはたいして時間はかからなかった。とにかく、患者仲間の間では“歩いて、歩いて、歩いて”おりさえすれば、快方に向かうと信じて疑う事はなかったので、同室、隣室の仲間は、過去には、珍しいぐらい仲間意識があり皆お互いに励ましあっていたものだ。