続・中岳龍頭望

脱力系から熱血系へ。ま、志はということで…

死も恐ろしくないし、幸福も手に入る本   「死ぬのが怖い」とはどういうことか

2017-05-16 | 読書

「死ぬのが怖い」とはどういうことか/前野隆司著(講談社)

 題名の通りのことを考えてみるとどうなるか。感情的に自明のようである。しかし、それが何故かということや、死そのものの感覚というものを知ろうとするのは困難だ。だから科学的な思考法をもって考えを進めていっても、死というものは考えても意味が無いということに到達する。何故なら死という現象自体は、客観的にならいくらでも分析できるけれど、自分の感覚としての死は、体験したら終わりなので、どこまで分析したとしても分かりようがないからだ。それでもその分かりようのない死を、もっとつきつめて論理的に考えていくと、分かり得ないだけでなく幻想のようなものだということが分かってくる。そうしてそのような死というものを考えている自分自身の意識というものさえ、やはり捉えどころのない幻想だと解釈するより無い、という結論が正しそうだと分かっていく。実際に科学者の多くは、そのように推論しているらしいことも分かる。それはまだ実証的に解明されている訳では無いが、無いものを研究したとしても、だからそれは既に意味のないことになるかもしれない。自分で分かっていると思っているものを相手が同じように分かっているということでさえ、証明するのは極めて困難だ。感覚的には、自分が思っているので、相手も思っていると勝手に解釈しているということにはなるんだろうが。
 なんだか哲学めいているようだが、しかし科学は哲学より少なくとも先を考えて、既に多くのことを証明したり考え抜いたりもしている。そのような科学的な思考法自体を学ぶこともできる。そうしてコンピュータのプログラムを突き詰めて作って行ったとしても、それはつまるところ人間の持っている幻想的な意識というものには到達しない。それはまだ機械自体が幻想を持つに至る段階にないからかもしれない。しかしそれでも人間は、基本的には機械(コンピュータ)と同じようなプログラムに従っているということも分かっている。その上で、そもそも自由に考えているはずの自分自身の意思自体が、脳が作り出している幻想に過ぎないと推論できていく。そこのあたりはこの本でそれなりに丁寧に説明されているので読んだらいいと思うが、人によってはとても受け入れがたい感覚かもしれない。しかし、死のことを考えたり、自分の幸福のことを考えていく上でそのように推論した事実らしいことを受け入れることで、今度は仏教の悟りに似た境地を得られる道筋が見えてくる。そうしてそれは仏教徒が修行を積んで会得する悟りのようなものを、うまく説明できるだけでなく、簡単に自分自身の考えの中に取り込むことを可能にしていく。
 これは科学的な推論を理解しながら、合理的に幸福に至る考えを受け入れるために書かれた本だと言える。理解できる人がどれほどいるのかは分からないが、考え方としては有りである。多少言いたいことも無いではないが、論理的に考えて死を恐れなくなるばかりか、自分がしあわせになれるということが理解できるならもうけものである。それは宗教的なものを信じているとか、考え方を無理やりに受け入れているということでは無くて、合理的に判断して、実際的な問題として、そうなるということなのだ。簡単に言ってしまうと、ちょっとのんびり風呂にでも浸かってみようかなと真面目に考えるようになると思う(これが答えです)。死が恐ろしくて仕方のない人は、合理的にこの本を読んでみるべきであろう。
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