カワセミ側溝から (旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

人気は白人女性

2018-02-18 | 境界線

 インドでは代理母は合法で、ビジネスになっている。為替に差のある国の子供を代理で出産すると、4年分の年収になるという。これを人身売買であるとか人体搾取であるという批判は当然ある。が現実として需要と供給が成り立っているということのようだ。
 文化的な側面もあるとは思うが、しかしインドであるというのは限りなくグレーであるとは思える。米国内でも代理母は可能なようだが、やはりディスカウントされているということになるだろう。日本人である場合はどうなのか。実際に利用している人はそれなりにあるのだろう。

 ↑というのを半年ほど前に書いていた。需要と供給でビジネスが成り立つとはいえ、倫理問題という気分があったのだと思う。
 ところが最近別のドキュメンタリーを観ていると、米国女性の代理母の需要が高まっている、というレポートがあった。依頼主はアジアから。それも圧倒的に中国からだという。米国は多民族国家ではあるが、代理母のほとんどは白人女性であるという。必ずしも受精するとは限らず、米国の代理母の料金は非常に割高であるとされるが(失敗しても試みたという事で料金は発生する)、数百万単位での依頼は殺到しているという。米国の取次会社の信用ということもあるのと、やはり白人女性を代理母とすることにステータスのようなものがあるのかもしれない。もちろん依頼している中国人は、富裕層である。
 代理母には、実際に出産後に訴訟になったりするなどという事が、以前は話題の中心だった。倫理問題もあるにせよ、不妊の問題は深刻であり、夫婦として自分たちの子供を残したいという欲求は、理屈を超えるものがあるのかもしれない。しかしながら合理性を越えての需要がインドより米国の選択をさせるということに、より現代性を感じる。いや、不合理は慣習的な感情の方かもしれない。風水のようなものと生活が結びついているような文化と、関連があるのだろうか。もちろん日本人でも代理母を利用する人もいるとは思うが、表に出したがらないのではないかと勝手に想像する(もちろん有名人のニュースはあるが、これは後に知られるよりも自ら公表した方が良いという判断があったのだろう。有名人でなければ、秘密裏に実行する選択をしたのではないか)。
 代理母は、お金が無ければ選択できない。そもそもこれは格差問題なのかもしれない。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2月17日(土)のつぶやき

2018-02-18 | 時事
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

惹かれあったら悲しい思い出   百年恋歌

2018-02-17 | 映画

百年恋歌/ホウ・シャオシェン監督

 3話オムニバスのようになっている。最初は60年代台湾。ビリヤードしてタバコ吸って、手紙を読んで人を探している。二番目は清の終わり。おそらく遊郭のようなところで、お茶を飲んで枇杷を食べたりしている。義妹が身売りされたりする。三番目は2000年代の現代。オートバイに乗って、写真撮ったりセックスしたりする。みんな不良ばかり出ている感じもする。三つの話は独立しているとしてもいいのかもしれないが、当然関連している。演じている男女が同じで、時を越えて通じ合っている様子という意味かもしれない。しかしながら最初はともかく、結局行き違っている二人という感じはする。何しろ僕にはよく分からないのだから、退屈しながらいろいろ考えなければならない。途中であきらめて早送りしてみても、ぜんぜん話は進まないような物語だった。ちょっと自己中心的な作家作品である。
 さまざまな状況下におかれて、二人の仲は仕方ない困った状況にありながら、惹かれあうんだからしょうがないじゃないか、という事かもしれないし、やっぱり悲しいという事かもしれない。最後はお互いに恋人がいて、共にその関係を捨ててまではどうなのか、という感じはある。恋人を捨てると、捨てられた方が悲惨である。そうまでして自分たちの恋愛を選ぶべきなのか。そんなことは彼らが考えたらいいことなので、僕には何にも言うことは出来ない。悲恋というのであれば、それを大切に生きて行ったらいいだろう。
 時にはつまらなくても映画を観て、まあ、無駄な時間を浪費する。少なくともこういうものを撮りたかった監督さんがいて、少なからぬ人がこれを良いという。そういうことが人間社会の面白さである。この監督さんの他の作品はそんなに嫌いでは無かったので、今は僕が大人になりすぎたか、体調が悪かったのかもしれない。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2月16日(金)のつぶやき

2018-02-17 | 時事
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ニュートンの猫の扉

2018-02-16 | Science

 万有引力の法則などで知られるアイザック・ニュートンは、錬金術など発明に関しても様々研究をしていたと言われる。実際にいろいろなものを実験的に先駆的に作ったらしい。
 その中には扉のついていないシンプルな猫の扉というのがある。部屋のドアの下のところに猫の通り道として穴があけられていたらしい。それも親猫と子猫用の二つ(大小)。
 ニュートンはたいへんに頭の良い人と思われている訳だが、こんなことをしたために多くの人が、実は大変に頭が悪いか、頓馬な人ではないかと疑いをもつことになった。その為か、これは事実か否かという議論もある(穴の開いた扉が存在したことは事実らしい)。まったくニュートンともあろう人が、あり得ないミスではないか。
 もちろん子猫は、親猫のとおる大きめの穴であっても通り抜けることが可能だ。要するに小さい穴は無駄なはずである。だからそんなことに気づかない人間は、考えが足りない人のように思える。
 しかしながら実際に猫の扉としての穴が二つあけられたというのは、本当に考えが足りない所為だったのだろうか。最初にあけた穴が小さすぎて、大きい猫のために新しい穴をあけたとも考えられる。しかしその場合なら小さい穴を、大きくサイズアップしてもいいはずだ。もしくは最初の大きな穴をあけたけれど、特定の猫しか通らなかった。それで少し小さいサイズの穴をあけたところ、そちらを通る猫がいたとは考えられないか。
 現代でも猫の通り道としての扉を作っている家はたくさんあると思われる。やはりいくつもあけているような頓馬な人は少ないようだ。何事もパイオニアの人は、ちょっと考えすぎて失敗した痕跡なのかもしれない。もちろん考えが足りな過ぎて、という疑いは晴れない訳だが。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2月15日(木)のつぶやき

2018-02-16 | 時事
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

数の魔力と永遠の偉大さのために   数学者たちの楽園:「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち

2018-02-15 | 読書

数学者たちの楽園:「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち/サイモン・シン著(新潮社)

 黄色い顔したデフォルメ・アニメとして米国では有名らしい「ザ・シンプソンズ」。この内容において、いかに数学的なアプローチが重要なものとして使われているかの解説本である。いかに高度な数学が使われているのかというのをこの本で知り、驚愕すること必至である。アメリカの数学オタクが寄り集まって、もの凄くくだらない意味不明とも思える数学ギャグをアニメに投入しているという事実があることに、そしてそれがやはりそれなりにウケているらしいことに驚いてしまう訳だ。さらにこのような解説無しにこのような高度な数学が理解できる人が、本当に視聴者にいるんだろうか。まあ、まず居ないだろうが、そのことに気づいて数学の楽しさを紹介したという功績は、たぶん随分あるんだろうと思われる。解説されてもよく分からないところはたくさんあったのだが、それでも基礎的な数のことをいろいろと考えることが出来て、楽しい読書体験ができる。数学に魅せられた人々の、ある意味壮絶で幸福な気分というものも、なんとなくは理解できることだろう。
 アニメのシンプソンズがそれなりに素晴らしいという話は、聞いたことが無いでは無かったが、日本と比べると米国のアニメというのは、いかにも洗練されてなくて、なおかつ動きも良くない。内容がどうなのかという事までも考えたことは無かったし、米国人向けに楽しい話が、日本人に面白いかどうかというのはよく分からない話だ。この本であの黄色い人たちが、実は四本指である事など初めて知ったし、またあのようなアニメであっても、綿密に計算された脚本が練られ、一流の賞を受賞するなど評価の高いことも知った。さらに非常に長寿番組らしい。米国での影響力は、決して小さくは無いのだろう。
 サイモン・シンの著作は、もの凄く高度な内容でありながら一般の人の読み物として優れていることに定評がある。何より読んでいて非常に楽しい訳だが、数学のオタクたちが、何を考えて面白がっているのかというのが、オタクで無い人々にも分かるというのは、非常に困難なことだったはずである。何しろ分かったとしても、それなりにくだらないし、実際にはその計算のやり方なんてほとんどやっぱり理解できない。ただしその恐怖の世界だった数学が、実はやはりオタクたちを引き込んでしまう魔力があるらしいことくらいは、理解できるようになっている。数学は苦行として学ぶために存在している訳では無くて、人間が生きている喜びと永遠の真理として結びついていることが理解できるだけでも、なるほど素晴らしいことなのではないか。少なくとも僕自身、素数という数字の魅力というものが、なんとなく伝わって感動的だった。漠然とラッキーセブンだとか数字が揃ったりすることで喜んでいた次元から、その数の持つ自然の力のようなものを理解できるという事自体が、人間が生きて行くうえで喜びに繋がる事だったなんて、何とも不思議なことである。嘘だと思ったら手に取って読んでもらうだけで、即理解可能だろう。まったく偉大な本というのは、ギャグと連動して偉いのである。得するので特に買うべき本だろう。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2月14日(水)のつぶやき

2018-02-15 | 時事
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

においトラブル

2018-02-14 | culture

 においトラブルというのがあるらしい。体臭を気にすることも指すし、柔軟剤や芳香剤などの科学的な匂いに拒絶反応を示すような人も多いという(それで日常生活に支障をきたすような人も)。接客で体臭の指導をする企業もあるらしい。
 都市部は人が多いので、密集しやすいとか、一定の場所とも関係があるのかもしれない。電車はエレベータなど、人が近づきすぎなければならない場面も多いだろう。体臭だけとは限らないが、化粧などいろいろな匂いが混ざって、むせるような体験をした人も多いことだろう。これが逆に他人への配慮を必要とするのではないか、という不安にもつながるのかもしれない。
 日本には、特に匂いなどを取る商品なども多数売られている。宣伝だからマナーめいた脅迫のような表現も見られるように感じる。注意喚起されて、改めて気になる人もいるのではないか。それというのも、諸外国では、ここまで気にしているとは考えにくいからだ。
 でもまあ柔道の抑え込みなんかを見ていると、気の毒になる場合も無いではない。まあ、とりあえず頑張っているし仕方ないけど。
 僕もまあ発生源の方だとは思うが、そこまでは気にしてない。ひとと会う約束があってもニンニク料理を食べることに躊躇は無い。迷惑かも知れないが、距離というのはあるし、それになんといっても、ひとよりニンニクとの付き合いの方が、歴史もあるし今後のつきあいも長くなるだろう。まったく、ごめんなさい。
 また、クサいと言われたところで、とりあえずはその場はどうしようもない。ああ、そうなのかすいません、以外に何ができるというのか。一種の開き直りだが、家に帰ってシャワーを浴び直すわけにもいかないだろう。あまりにも強烈過ぎるのは確かに事前に考えるべきなのかもしれないが、取り返しがつかないものを考えても仕方ないようにも思う。気にする人は、だからその前に気にしているという事なんだろうけど。
 嫌われるかもしれないという恐怖感は、ムラ社会と関係があるかもしれない。今後も関係を続けなければならない相手と、出来る限りトラブルを避けるという考えもあるんだろう。それは分かるが、クサいときもあってそうでない時もあるというは、その人のあってもいいことのようにも思う。まあ、毎回注意されたら考えるかもしれないが。
 しかしもう元には戻らない感覚が、世間では、すでに定着しているのかもしれない。それを知らないは僕のみという事に、ひょっとしたらなっているのだろうか。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2月13日(火)のつぶやき

2018-02-14 | 時事
コメント
この記事をはてなブックマークに追加