カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

決意のための力を借りる

2012-04-30 | 読書

そろそろ本気で継続力をモノにする!/大橋悦夫著(JMAM)

 こういう本を手にしてしまうのは、ほかならぬ継続力に自信が無いからだ。いわゆる三日坊主のような気がするし、そうして続けることによる成果があまり無いように思える。まあ、書いてあることは類書もけっこう読んでいる方なので個人的には目新しいことはあんまり無いんだけど、それでも一定期間はやる気になれるということはあるのだろうと思う。平易に書いてあるのでサラサラと読んでしまえるだろうし。
 三日坊主とはいえ、特に欠勤すること無く仕事には行っているし、特に遅刻をすることも無い(これは家人のおかげだが)。散歩も必ず毎日とはいえないがするし、ほぼ毎日何か活字は読んだりする。ブログだって書き溜めてるから可能だとはいえ、ほぼ毎日はアップしている。酒も休肝日が無ければ間違いなく飲めるし、そんなことを言い出したら、毎日運転したり飯を食ったりは平気だ。段々変なことを言い出しているがつまり、続けられることは続けることは本来可能なはずなのだ。
 ところが続けられないことがあるということがあって、それは何故かということになると、それはたぶん自分に嘘をついて自分には無理なことを目標にしてしまうためなんだと思う。そうありたいという自分の理想のようなものと、現実の自分とは別の人間に違いないのである。
 何かをやり始めるためには、恐らくそれまでやっていた何かをやらなくなる訳で、何にもしていなかったという印象があったとしても、その何もしていなかった本来の自分を変える必要がある訳だ。時間配分を変えるということは、自分の生き方そのものを変えるということになり、今の生き方を変えるというのは、恐らく明日の将来の自分自身を変えるということにつながるのである。
 今の自分であり続けられないということを目標にしている訳だから、習慣を変えるのは実際に大変なのだ。それくらいの大事業に取り組むということになると、やはりそれなりの覚悟と計画と準備が必要になるということになる。
 しかしながら例えそうであっても、つまりその最初の一歩であるやり始めるということが、実は一番大切だったりする。続くか続かないかというのは、大局的なメタ視点から自分を鏡みて、あとから実感すればいいということになるだろう。ひょっとすると最初は上手くいかないという手痛い失敗がある方が、後の大きな成功のカギを掴むことになるかもしれない。
 いろいろ考えてみても最初の一歩さえ踏み出さない目標のいかに多いことか。しかしながら全部何もかも実行できるはずなどはやはり無くて、自分の身の丈を少しずつ伸ばしていくような事をしていくよりほかに無いのであろう。
 以上、分かっちゃいるけど、しかし実際にやれないという強大な壁の存在と戦う決意のための備忘である。そしてそういう精神を鍛えるためにも、時々啓蒙本の力を借りるという訳なのであろう。
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