カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

偉くなってロクでもない人間にならないために

2017-03-24 | ことば

 落語は好きで時々聞くが、落語界に対していいとばかり思っている訳では無い。例えば東京の落語家が真打になると「師匠」と呼ばれる。それそのものはいいのだが、それが業界外に聞こえてくると、なんとなく恰好が悪いのではないか。業界の風習だから自分らで何とかするよう考えるべき問題であると思う。特に業界以外の人間が、これを真似て「師匠」という言葉を使うのが良くないのである。近頃は芸人が司会を務めている番組も多いので、その人が業界にならっている場合なら仕方がない。しかし一緒にいる局のアナウンサーなら、業界外の人なのだから、さん付けにした方が自然だろう。医師がテレビに出ている時は、テレビは普通にさん付けを採用しているように見えるので、出来ないことは無かろう。楽屋内の様子でそのような言葉遣いが飛ぶのは分からないではないが、楽屋から普通の芸能世界に移ったのなら、常識が変化して当然ではなかろうか。
 漫画家も、業界的には先生と呼ばれる存在であるらしい。漫画雑誌には、作家はすべて丁寧に先生として呼ばれている。だから雑誌だけでなく、表のレポートを受ける場面などにおいても、漫画家は普通に先生として敬称が消えないまま出てくるというのが多い。編集者などは飯の種の人だからそのように呼んでいるのだろうと思うが、漫画家を志さない多くの一般人が、漫画家を先生として対峙している姿は、やはり無理があるだろう。これは当然使い分けが必要で、今は混在して必ずしもうまくいっていない現場があるにせよ、もう少し整理し直して紹介できる場を提供していく努力が必要なのではあるまいか。先生と呼ばせているヤクザな世界を、あまり表に出さない方が健全である。
 外食などに行くと、もう完全に「様」付けが定着してしまった。これは本当に残念なことだと思う。お客様は神様だったことは歴史上一度も無い。人間は得体のしれないものにはなれない。もちろん人間でも様付されるような偉い人はおられるのだろうけれど、相対的に頻繁に様にのし上がるのはどうしたものか。さん付けで呼んでくれるような店が増えると、精神的にはずいぶんハッピーなんだけどな、と思うのだけど。
 ということで、あんまり予約は取らずふらりと寄っても空いてるような、流行らないところを探して歩くより無いのかもしれません。
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