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14  堀川一条界隈 地区 寺社記事検索一覧

2019年07月31日 17時47分19秒 | 寺社数々

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浄福寺  ➔ 浄福寺 赤門、違法建築 泣き龍、洛陽48願所で有名です  その壱

       浄福寺 赤門、違法建築 泣き龍、洛陽48願所で有名です  その弐

       浄福寺 赤門、違法建築 泣き龍、洛陽48願所で有名です  その参

       浄福寺 赤門 天狗が主役  その四・最終

       浄福寺の狛犬 猫そっくり

智恵光院  ➔ 平等寺 智恵光院 洛陽48願所  六臂(ろっぴ)地蔵尊が有名

名和長年遺蹟参考地 ➔ 史跡上012  名和長年 戦没地  

聚楽第址  ➔ 聚楽第  松永稲荷  鵲橋(かささぎばし)

晴明神社  ➔ 人気の晴明神社です

        晴明神社の狛犬  

福大明神社

西陣織会館 ➔ 石碑6 ジャガード渡来100年記念碑  西陣織会館

        西陣織会館の着物ショー

        西陣織会館の石碑 西陣と村雲御所

 

堀川

戻橋  ➔  一条戻橋に関する話・伝説 

 

小町草子洗ノ井址  ➔ えっ 知らなかった 小野小町・・・

            小町通  いきな通り名です

 

大峰殿   ➔ 大峰寺跡

武者小路千家官休庵  ➔ 官休庵 

霊光殿天満宮  ➔ 霊光殿天満宮 

福長神社  ➔  福長神社 

富岡鉄斎旧宅 ➔  富岡鉄斎 旧宅跡

京都府庁

伊藤仁斎宅址  ➔  蔵のある風景 65回 伊藤仁斎邸

              伊藤仁斎宅(古義堂)跡  家は燃え再建だが蔵は当時のまま残る

 

滋野井址  ➔  新滋野井

                          名水上007  滋野井 古くは平安時代から

護王神社 ➔ 護王神社 イノシシがシンボル  その1

       護王神社  末社のかずかず  その2 

       護王神社  イノシシで足腰をまもる その3

       護王神社の狛犬は イノシシです

 猪像

菅原院天満宮  ➔ 菅原院天満宮 道真公が使った産湯の井戸、愛用の燈籠

 

彗光寺 (すいこうじ)

長圓寺

正賢寺

長源寺

興徳寺  浄土真宗 本願寺派

真敬寺・・・玉の輿の桂昌院の菩提寺

仙宗寺  真宗 大谷派

蔵林寺  高野山 堀川別院

等観寺  真宗 大谷派

了信寺  真宗 大谷派

勝福寺 上京区・中立売通り 浄土真宗 本願寺派

長徳寺

正覚寺

法林寺  浄土真宗 本願寺派

法光寺  真宗 大谷派

正念寺  一心山

昌福寺  乾三十三所 第七番

安養寺

長栄寺  千体の仏像

乾向地蔵尊

桜宮神社

無名の小さな堂・祠

まち歩き上1061 滋野中学校 統合記念碑 校歌

 


まち歩き上1061 滋野中学校 統合記念碑 校歌

2019年07月31日 17時44分13秒 | まち歩き

 

 

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き向日1060 御塔道(おとうみち) 

関連記事 ⇒ 14 堀川一条界隈

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まち歩き中0001 今はなき橋の銘 綾小路

2019年07月31日 14時42分03秒 | まち歩き

2018年4月8日 撮影

堀川橋 と 綾小路橋 の親柱 が集められています





2015年3月25日 の記事

京都市内の堀川通り四条あたりは堀川は埋め立てられ 暗渠になっています 昔あった橋の銘が交差点の歩道に残されていました

四条より1つ南の通りの橋です 綾小路

 まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き向日1060 御塔道(おとうみち) 

関連記事 ⇒ 15 中京界隈地区  寺社等 検索一覧

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15 中京界隈地区  寺社等 検索一覧

2019年07月31日 14時40分30秒 | 寺社数々

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下御霊神社 ➔ 下御霊神社  無実の罪で非業の死を遂げた人たちを祀る

        茅の輪くぐりの準備中  下御霊神社

        下御霊神社 例祭 8月18日 

        表門

行願寺(革堂)  ➔ 革堂 (こうどう)

  幽霊絵馬

  加茂明神塔

白山神社  ➔ 白山神社

本能寺  ➔   本能寺

天性寺  ➔ 天性寺 浄土宗  真鍮の始祖墓所・顔の形が端正な子供を授かる信仰がある

 

矢田寺  ➔ 矢田寺  西山浄土宗

 

  送り鐘

弁慶石  ➔  弁慶石 

法雲寺

善導寺  ➔ 善導寺

 

  石燈籠

  釈迦三尊石仏

  地蔵六面石幢

木屋町

高瀬川

高瀬川一之船入 ➔ 高瀬川一之船入り

 

先斗町

鴨川をどり

三条大橋

三条小橋

池田屋騒動址

瑞泉寺   ➔ 寺院中0018  瑞泉寺  関白秀次を弔う

 

河原町三条

新京極

誓願寺  ➔ 寺院中0067  誓願寺  浄土宗西山深草派 

 

誠心院  ➔ 和泉式部 誠心院 真言宗泉涌寺派

 

蛸薬師

安養寺  ➔ 安養寺 ( 倒蓮華寺・さかれんげじ )

 

善長寺  ➔ 善長寺  くさよけ地蔵  浄土宗西山禅林寺派

 

錦天満宮 ➔ 錦天満宮

 

染殿地蔵 ➔ 染殿院

長仙院  ➔ 長仙院 浄土宗西山深草派

 

六角堂(頂法寺)  ➔ 六角堂 頂法寺 

  へそ石

  太子浴水池址

  池坊

愛染院    ➔

平安博物館

御所八幡宮社  ➔ 御所八幡宮 戦争中の強制疎開でここに移転

高松神明神社  ➔ 高松神明神社  平清盛・源義朝の陣地 

空也堂     ➔ 空也堂  空也上人ゆかりの寺

中山神社    ➔ 中山神社 平安時代初期に建立 1200年前

          中山神社の狛犬

武信稲荷神社  ➔ 武信稲荷神社 坂本竜馬も登場

二条城     ➔ 地下鉄 二条城駅のポスターです

          朝の二条城前の様子  紀元2600年追加 

             風景  二条城の北

  唐門

  二の丸御殿

  車寄

  遠侍

  式台

  大広間

  黒書院

  白書院

  二の丸庭園

  本丸

  本丸御殿

  台所

  御清所

  米藏

  清流園

神泉苑   ➔ 神泉苑

  恵方社

  神泉苑狂言

二条陣屋  ➔ 文化財中003  二条陣屋は迷路のよう

 

  大広間

  お能の間

  皆如庵

  湯殿

  釣階段

  井戸

出世稲荷神社  移転した

壬生寺  ➔   壬生寺

  本堂

  壬生塚

  壬生狂言

梛神社  ➔  ポスター0001  梛神社 神幸祭

        夏越祓 茅の輪くぐり 嵐電沿線で

        梛神社

  隼神社

  御供石

新選組屯所址 

光縁寺    ➔  光縁寺  新選組墓所

高山寺    ➔  高山寺  日野富子が祈願成就・男児出産

春日神社   ➔  西院 春日神社  落ち着いた 雰囲気でした 

  本殿

  還来神社

  梛石

  猿田彦社

  西院宮

野々宮神社  ➔ 西院野々宮神社  女人守護・心願成就・家内安全

 

角坊別院

薬祖神祠

 

念佛寺  1200年前、伝教大師の母がこの地で過ごし亡くなる

教宣寺

教信寺 

三寶寺  

来迎寺  

蓮光院  北向不動明王  

如来寺  

妙泉寺                                    

成圓寺  地蔵尊 正観音

円龍寺

休務寺  画家 石田幽汀 墓所

満福寺

光明院

専應寺 浄土宗 西本願寺派

真蓮寺 真宗 大谷派

誓弘寺

正運寺  11面観世音

欣浄寺

専徳寺  浄土宗

善想寺  泥足地蔵

猿田彦神社  京都・三条天神川

八坂神社御供社

杉春稲荷・杉春大神  

民家の谷間にある 三森稲荷大神    

長野弁財天・福丸大明神・春吉大明神      

薬師院  黄檗宗

菊野さん  女性に人気の縁切り寺

明善寺  浄土真宗 本願寺派

西福寺 真宗 大谷派

洛陽 照円寺  浄土真宗 本願寺派

廣誠院  臨済宗

大福寺  大福帳 梅田雲浜 寓居

浄光寺    浄土真宗 本願寺派

願照寺  真宗 大谷派

浄慶寺  ぶっちゃけ・問答 の幟旗

明福寺 浄土真宗  本願寺派

泉龍寺

東漸寺 浄土真宗 大谷派

龍田稲荷神社  狐さんがいない

吉川大明神  どんな神様なのか

 


史跡向日047  長岡宮 跡

2019年07月31日 05時53分57秒 | 史跡・旧跡

 

 

国家の制度が整えられた奈良時代(8世紀)以来、大極殿及び朝堂院では元旦に「朝賀の儀式」が盛大にとり行われました。

この時、大極殿の前に7本の宝幢が建てられます。宝幢とは、古代中国伝来の儀式用旗飾りで、

長さ約9メートルの太柱の上に、青龍・朱雀・白虎・玄武の四神の絵がはためき、

烏・日・月の飾り物が華やかに揺れました。

1997年の発掘調査で、この宝幢を建てた柱の堀形が発見されました。

長さ3m、幅約1.2m、深さ約0.8mの楕円形をした大きな掘方で、

中央に大柱、両側に添え柱の痕跡がありました。

柱堀形は三期あり、大極殿の前約百尺(29.6)の位置に、東西方向へ3mごとに並んでいます。

宝幢は大極殿の中軸線上を中心に左右に計7本建てられるものですから、

発見された柱堀形は東の3本に相当します。同様な遺構は1983年に平城宮の大極殿前でも発見されています。

宝幢は天皇の権威を象徴し、即位式と元旦にのみ建てられる特別な装飾具です。

しかし長岡宮で天皇の即位はありません。

そこでこの宝幢は朝賀の儀式の際に用いられたものと判断されます。

 

史跡前回の記事 ⇒ 史跡八幡046 西山廃寺(足立寺跡) 三重塔

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寺院向日0601 南真経寺 日蓮宗

2019年07月30日 06時41分40秒 | 寺院

 

東西2ケ寺にわかれている

ここは西にある鶏冠山南真経寺といい、西山方面の京都六檀林の1つとして知られた名刹です。

はじめ真言宗に属し、真言寺といっていたが、徳治2年(1307)ときの住職実賢律師が日像上人の教化に信服して日蓮宗に改宗し、寺名も真経寺と改めた。日像上人にとっては関西における日蓮宗弘通(ぐずう)最初の寺であり、その後の布教活動の拠点となった由緒ある寺。

江戸初期の承応3年(1654)、通明院日祥は教学研究のために檀林を設け、寺を南北に分かち、北真経寺は宗内僧徒の講学所とし、南真経寺は鶏冠井村村民の信仰の場とした。明治初年に檀林は廃され、建物の多くを失った。現在の北真経寺は開山堂、三宝堂(本堂)、をはじめ経蔵、鐘楼、庫裏等がある。

南真経寺は開山堂、三宝堂(本堂)、鐘楼、客殿、庫裏等がある。深草宝塔寺らつぐ古い日蓮宗寺院の仏堂として貴重。寺宝として「版本法華経」十巻(重文・鎌倉)がある。

毎年8月盂蘭盆会には、地区の人々によって「題目踊り」が行われる。

 

 

 

 

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院向日0606  石塔寺 日蓮宗

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寺院向日0606  石塔寺 日蓮宗

2019年07月29日 17時39分48秒 | 寺院

 

法性山と号する本化日蓮宗の本山で、日蓮上人の孫弟子の日像上人を開山としている。日像上人は他宗の迫害を冒して教化につとめ、朝廷から洛外追放の法難にあい、京都七口に法華題目の石塔婆を建てようとして、まず向日神社の社頭に建立した 「鶏冠井(かいで)法華」の始まりとされる、その後、文明年間(146987)日成上人がその近くに一宇を建てて石塔寺と名づけたのが、当寺のおこり。のちに勧修寺宮の殿舎を賜わって本堂を再建するなど栄えたが、日蓮宗以外の人からは布施を受けない不受不施の禁制にあって幕府の方針に合わないとして、弾圧を受け衰退した。明治維新後、付近にあった興隆寺の建物を移し、現在の地に再興された。境内には寺名の起こりとなった日像上人筆の題目石塔婆を安置した塔堂があり、草花が多い。

今も周辺に「御塔屋敷」「御塔下」「御塔道」などの地名が残っていて、往時の伽藍の壮大さをしのばせている。

日像菩薩御石像

本堂

 

 

 

 

 

 

 

本堂は1969年に建て替えられたが、毎年5月3日には花祭りのあと、この本堂で「鶏冠井題目踊り」が披露されている。日像上人に差し出したご飯の湯気が「南無妙法蓮華経」の文字を描いたのを見た村人が歓喜して踊りだしたのが始まりとされている。庶民的な法華信仰の発露といえる貴重なもので、府の無形文化財に指定されている。

鶏冠井題目踊りは、京都洛北の松ヶ崎や修学院の題目踊りと並び全国に3ケ所のみに残る特異な民俗芸能です。この中でも、鶏冠井題目踊りは本尊に向かい位置を変えず、音頭の切れ目ごとに「南無妙法蓮華経」の題目が唱えられるもので、輪になって踊る盆踊り形式の念仏踊りが松ヶ崎などに伝わるのに対し、より古い形式を残していると考えられています。鶏冠井町は、西日本ではじめて日蓮宗が広く普及した地としても知られ、住民のすべてが法華の信徒という地域でもありました。鶏冠井町の伝承によると、この踊りの起源は鎌倉時代の末頃といわれています。

寺院 前回の記事  寺院八幡0605 宝青庵 

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祠向日051  鈴吉大明神

2019年07月29日 11時15分19秒 | 町内の小さな祠

 

 

 

 

 

祠 前回の記事 ⇒ 祠八幡050  荒鈴龍王

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39 乙訓の里  地区 寺社記事検索一覧

2019年07月28日 17時18分50秒 | 寺社数々

 

乙訓

向日神社

向日神社・元稲荷古墳

向日神社・増井

向日山

真経寺  寺院向日0601 南真経寺 日蓮宗

石塔寺  寺院向日0606  石塔寺 日蓮宗

長岡宮大極殿址

     史跡向日047  長岡宮 跡

     史跡向014  長岡宮大極殿跡  石碑・行幸啓地

     

桓武天皇皇后高畠陵

物集女車塚古墳

角宮神社

来迎寺

来迎寺・両部曼荼羅板碑

乙訓寺

光明寺

光明寺・御影堂

光明寺・阿弥陀堂

光明寺・法然上人石棺

光明寺・開山廟

光明寺・釈迦堂

光明寺・紫雲松

長法寺

今里大塚古墳

長法寺・三重石塔

長法寺・溺水

長岡天満宮

寂照院

走田神社

乗願寺

乗願寺・御谷神社

土御門天皇金原陵

御谷神社

乗願寺・あかねの井

柳谷観音

楊枝谷

神足神社

勝竜寺城址

独鈷水・楊谷寺

楊枝谷・独鈷水

恵解山古墳

勝竜寺

大山崎

離宮八幡宮

河陽離宮址

離宮八幡宮・竹林公園

関戸神社

妙喜庵

天王山

妙喜庵・書院

妙喜庵・待庵茶室

大念寺

宝積寺

宝積寺・仁王門

宝積寺・三重塔

宝積寺・本堂

宝積寺・閻魔堂

宝積寺・十九所明神社

宝積寺・小槌の宮

宝積寺・九重石塔

鬼くすべ

酒解神社

宝積寺・待宵の鐘

宝積寺・鬼くすべ

観音寺

酒解神社・神輿倉

酒解神社・真木保臣等十七士墓

小倉神社

1   まち歩き向日1058 家にくいこむ 街路樹 

2  まち歩き向日1059 大日如来 琴の橋 由来 応仁の乱

3     まち歩き向日1060 御塔道(おとうみち) 

4  ポスター0103  向日市 桜まつり

5  祠向日051  鈴吉大明神 



まち歩き向日1060 御塔道(おとうみち) 

2019年07月28日 17時17分15秒 | まち歩き

上植野町 御塔道(おとうみち)

石塔寺は関西に初めて日蓮宗を布教した日像上人が建てたと伝える石塔を由緒に創立された。この石塔(お塔さん)は御塔堂に安置されていたため堂前の参道を「御塔道」と呼ぶようになった。

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き向日1059 大日如来 琴の橋 由来 応仁の乱

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まち歩き向日1059 大日如来 琴の橋 由来 応仁の乱

2019年07月28日 13時21分09秒 | 地蔵尊

 

琴の橋 大日如来由来記

応仁元年(1467)以来11年間世にいう応仁の乱により家屋敷を焼き払われた民、公家は暗夜に乗じてある者は裸同然の姿でわれもわれもと都落ちしていった。都からさほど遠くないこの乙訓の村々にも都落ちしてきた人々が数多くみられた。ある夜のこと暗い野良道を急ぐ数人連れがあった。長い布で身を隠した一人の娘を取り囲むかの様に急ぎ足で行く刀を差した小者がいたわる様に、月明かりに照らされた姫の美しいほおに涙がキラリと走る。「都の父は如何されたであるか。」ちょうど桂(京都市右京区)から寺戸村(向日市寺戸町)へ入る所だった道が川に行き当った。幅が2メートル近くあり深く橋が下り、か弱い姫を守っての逃避行渡れそうにない「せっかくここまで逃げ延びてきたのに」姫と小者も途方に暮れてしまった。身の不運とあきらめかかったその時、川べりに「お前の供がもつ琴を橋のかわりにしてかけなさい。」姫はハッとした「その声は」なんと日頃から信仰している大日如来のものだった。姫はすぐに小者に命じて愛用の琴を川にかけさせ無事に逃げ延びた。そしてあとから追ってきた父と再会安らかな生涯を送ったという。その姫の名、氏、素性もさだかでない。その後この場所に石橋がかけられ琴の橋と呼ばれて永年親しまれていた。その地より今は故人となられた永井、土谷両氏のご努力により当地に安置し琴の橋大日如来と呼び子供たちの身を守り続けている。

向日市寺戸町三ノ坪第4向陽校前市道を南へ50m下がった農業用水路にかかるコンクリート橋

 

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き向日1058 家にくいこむ 街路樹

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まち歩き向日1058 家にくいこむ 街路樹

2019年07月28日 08時22分24秒 | まち歩き

 

 

 

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き右1057 広沢の池 石仏

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まち歩き右1057 広沢の池 石仏

2019年07月27日 17時35分45秒 | まち歩き

 

 

洛西屈指の大池で、周囲は約1キロ、伝説によるとこの池は寛朝(かんじょう)僧正が遍照寺を建立するにあたって作ったといわれるが、先住民が灌漑用の池として造ったものを寛朝が境内の一部に採り入れたもの、寛朝は早くからこの池畔に山荘を構えていたが、永祚(えいそ)元年(989)10月、山荘を寺とし遍照寺と号した。寺は真言宗広沢流として栄えたが、長徳4年(998)寛朝の没後は衰微した。この池は、時代の推移によって変わらず残っているから。数々の歌に詠まれている。

 

 

 

観音島の観音石仏

頭上に11面の化仏をあらわし、両脇に千手をもつ丸彫りの石仏。背面に寛永18年(1641)樋口平太夫が願主となり、但称上人によって造られた銘がある。もと鳴滝の五智山にあった石仏群中5体の一体をこの地に移したもの。明治時代に蓮華寺から借り出したもので、寺に借用状が保存されているという。

他の4仏はいずれも市中に搬出されてしまった。

毘沙門天、金剛夜叉明王は平等寺へ  ⇒  平等寺・因幡薬師  真言宗智山派 

11面観音、勢至菩薩は本圀寺へ搬出された。⇒  琵琶湖疏水  朱塗りの橋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近では毎年8月に灯籠流しが行われている。

12月には鯉揚げが行われる

関連記事 ⇒ 寺社検索05   太秦・嵯峨野  

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神社右0181 阿刀神社

2019年07月27日 14時38分38秒 | 神社

 

 

 

 

阿刀神社

小さな社殿と石鳥居があるだけ、神社としてはすごく古い。貞観8(866)には従五位下を授けられ、延喜の制には小社に列せられ、国家の祭祀にあずかった格式高い神社です。

祭神は阿刀家の祖神味饒田命(うましにぎたのみこと)とし、同家が平安遷都に際し、河内国渋川郡跡部(大阪府八尾市)よりこの地へ移住したとき、併せて祖神を勧請したもの。弘法大師の母は阿刀家の出身といわれ、大師は幼時同家について学問を修めた。大師が東寺を賜わるや、阿刀家は東寺執行(しゅぎょう)の職を相伝したという家柄で、子孫は今なお健在とのこと。

阿刀氏は物部氏の支族で石上氏(いそのかみ)と同祖といわれ、延喜23(804)25日に、両氏の祖神を祀る大和国石上神宮の器仗を、この地に遷座したことがみえる。そこは嵯峨新宮町で、明治維新まで「維新の森」とよぶ森の中に小祠があったが今は面影もない。

 

 

 

 

 

 

 

神社 前回の記事 ⇒ 神社八幡0180 春日神社

関連記事 ⇒ 寺社検索05   太秦・嵯峨野 

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