西陣の碑 これのもとになった石碑が考古資料館にある
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西陣の由緒
西陣の地名は,応仁の乱の際,西軍方の陣が敷かれたことに由来する。
平安時代にはこの地に織部司がおかれ,
中世にはその流れを汲む大舎人座が機業に携わっていた。
応仁の乱で織工は一時疎開していたが,乱後再び復興した。
近世以降,西陣織の生産地として,
日本を代表する高級織物業の中心地となり現在に至る。
東は堀川通,西は七本松通,北は今宮神社御旅所,
南は一条通または中立売通で囲む一帯を西陣と呼ぶ。
昭和3年11月 ちょうど 昭和の御大典の年月が一致しています
村雲御所跡
村雲御所は,瑞竜院日秀(1533~1625)が,
豊臣秀吉(1536~98)に追放され自害した豊臣秀次(1568~95)
を追善するため建立した寺院。
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この附近を村雲と称し,宮家や摂関家からの入寺があったため村雲御所と呼ぶ。
日蓮宗唯一の尼門跡寺院。
昭和38(1963)年近江八幡市に移転した。
この石標は瑞竜寺跡を示すものである。