ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

日常を乱さないための

2018年09月30日 23時14分34秒 | Weblog
また台風が来るということで、かなり身構えていたが、これを書いている
時点で大阪を通過し、ひとまず明日を普通に迎えられそうな気配である。
時折強い風が叩きつけるような音が聞こえてくるが、前のように家が揺れる
程ではないので、いくらか安心。

心配と言えば部屋干しの洗濯物が明日までに乾くかどうかという点。
何かと後回しにしがちな性格のために、土曜に洗濯をしておかなかったのが
良くなかった。明日乾かなかったとして、全く着ていく服が無いわけでは
ないが、ひとまずエアコンを除湿モードにして一晩回すだけ回す。

話は遡ること土曜、半日雨降りであったが、雨の合間を縫って散歩がてら
備蓄品の買い出しに赴く。今回は金曜の時点で来ることが分かっていたためか
スーパーは少し人が少ない程度で、品物も普通に並んでいる状態であった。
その帰りに本屋で『衛府の七忍』の最新巻を購入する。
そろそろ出るかと思っていた矢先に本屋に置いてあると少し嬉しい。

先週は晩酌の後に急に眠気を催して、仮眠をとるつもりがそのまま寝入って
しまい、生活リズムが崩れてしまったが、今週はそうならないように注意したい。
酒が入ると眠くなるものの、睡眠の質がいまいち良くないようなので、
寝酒は個人的な体質的に避けた方が良さそうである。
普通にいつも通り軽く体をほぐしてから寝るのが一番。
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祭の種

2018年09月26日 23時32分06秒 | Weblog
おもむろにPixivを見ていたら『クッパ姫』なるものが流行のようで、
多分すぐに忘れ去られるのだろうなと思いつつも、こういった一瞬の
瞬きの如き流行りものをまとめた年代記のようなものがあったら
面白そうだなあと考える。
結局のところ、ネタの内容如何よりも、いかに皆で盛り上がって、
その瞬間を楽しむかというような、半ば祭のようなそんな感じで、
今は共感の時代だと誰かが言ったその言葉にむべなりと頷くばかりである。

それにしても、既存キャラの性転換、とりわけ女体化というのは、
思う以上に需要があるというか、絵描きの心を刺激する題材のように感じる。
昔の格闘ゲームでも相手を女体化させる技があるキャラがいたが、
それにより女体化されたキャラにファンが付くような有様で、おそらく
それ以前からも何かしらでキャラの性転換は行われ、愛好されていたのでは
ないかと思われる。

ただ、おそらくそれはあくまで同人的な、やや趣味の悪い遊びのような、
個人の嗜好を前面に押し出すことが許される場においてのみ可能なもので、
あまり公式が大々的に押し出して良いものではない。
ファンの活動であるからこそ存在を許されているというような、非常に
危ういバランスの中でしか存在できない、そういうものであると思う。

よしんば市民権を得たとしても、往時の魅力はもはやほとんど無く
なっているであろう。なぜならば、その魅力の大半は新鮮さと不安定性に
あった訳なのだから。
祭は祭。日常は日常。祭の時のことを日常に持ち込んではならないし、
日常の事を祭に持ち込んでもいけない。
割り切って楽しみ切って、後には引かないのが作法ではなかろうか。
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意思伝達手段

2018年09月24日 22時24分52秒 | Weblog
ウェブ通販の品物を受け取りにコンビニに行ったら、結構な老人が
レジあたりで怒声をあげていた。ただ、店員が何かやらかしたという
感じではなく、手続き的な所に不満があるような雰囲気で、電話を
しながらその向こうにいる相手に怒りを発している様子であった。

とは言え、かなりの勢いの怒声で、さらには台を叩いたりしながらで
あったので、まともに買い物をするような気持ちになれず、早々に
立ち去ることにした。 店員の"もう迷惑だからよそでやってくれ"と
言わんばかりのうんざりした表情が印象的であった。

度々思うことであるが、あの手の、怒りを必要以上に露にする手合いは
一体どういう考えでそれを行っているのか。
怒声をあげたり暴れたりして、ごねた所でそれが事態を好転させる
ことにはならないということは、子供の頃に散々教え込まれることで、
それどころかむしろ事態を悪化させるということを学習するのが
多くの人の通る道だと考えていたが、その環境に恵まれなかったという
ことなのだろうか。

怒りを発してもそれを諭す人もなく、ある程度の年齢になってからは
『何か言ったところで無駄だから適当に躱しておけ』と対応され、結果
無駄だという自覚のないまま、さりとて効果的に事を解決に導く方法も
分からないまま、結構な歳になってしまったということなのだろうか。

憤りを覚えるような場面は、生活していればいくらでもあるものであるが、
最近は伝えるべき所に、しっかりと正しく伝えればそれなりに対応して
くれることが増えた。なので尚更、必要以上に無関係な所に当たり散らす
事が無駄に感じられてならない。

そもそも、怒声を上げたり台をバンバン叩くのは場の空気が非常に
悪くなるので、不特定多数の人が集まるような場所では止めて欲しい。
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どどめ色も花の色と変ずるか

2018年09月20日 23時18分04秒 | Weblog
職場の若手女性陣の話を聞いていると、普通に好みのアニメのキャラの
フェチについて、まるで隠すようなそぶりもなく朗々としており、
若さの凄みであったり、世代的な価値観の差であったりを思い知らされる
心地で、軽く眩暈がする。

知りたいような知りたくないような、そもそも砕けた話に至れるのか、
気持ちは尻込みするばかりで、世代間の意識的な溝はこうして育まれるのでは
なかろうかとぼんやり思う。そもそも、自分たちより上の世代がどうして
いたとか、何を考えていたとか、そういうことを興味の対象としていなかった
割合は我々の世代から既に一定以上あったし、おそらくずっと昔からそうで
あったのではないかと考える。

であれば、特に若手に対して能動的に語るようなことはせず、ましてや説教
じみた発言もせず、お節介も焼かず、無論負けてられぬと燃やすライバル心など
おくびにも出さず、元気だなアと思いつつ温めに接していくのが身の丈に
合った接し方であると思えてきた。

いずれ世の中がこういう開放的な雰囲気に満ちたものになるのか、それは
少し楽しみである。今はあまり公共の場で発言するのが憚られるような、個人的な
趣味嗜好について、後ろめたさを持つ必要がなくなるのであれば、それは
とても素晴らしいことだと思う。
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教本の質と量

2018年09月18日 23時34分23秒 | Weblog
本屋に行った際に絵関係の教本コーナーに立ち寄るのが半ば
趣味のようになりつつあるが、『○○の描き方』というタイトルの
教本はあまりためにならないものが多い印象。
以前、表紙がイラストの教本(ポーズ集)は地雷率が高いということを
書いたが、それも未だ健在で、玉石混交極まる絵関係の教本において、
もはや死活問題と言える質の見極めの一助となれば幸いである。

大体教本を必要とする対象は学生や、これから本格的に絵を志そうと
している人たちで、彼らは概してお金がない。ただでさえデジタルで絵を
描こうと思ったならば機材で相当持ってかれる状況下において、安からぬ
教本に地雷が混ざっているのは、良心を疑いたくなる。

いきなり全部を理解できなくても、時代や流行りに左右されずに長く手元に
置いておけて、おさらいのつもりで読んだら新しい発見があるような、
そんな良質な教本こそ初心者には必要であると考える。
そうでないのならば、いっその事割り切って、現在の流行りや特徴的な
記号だけを辞書的に網羅し羅列したパーツカタログ○○年度版のようなもの
を出せば良かろうと思う。

また、ニッチな方面の資料は良いが、例えば『中年男性の描き方』のような、
応用が効きそうで効かないものはどうかと思う。
イラスト的な絵は初めに写実ありきで、そこから記号化してイラスト的なものに
落していくのが良いと考えているので、いきなり記号的な、絵描き歌のような
入り方というのは後々のためにならない。描き方というと、とかく技法的な
所から始まる印象であるが、まずは観察の仕方と、情報の取捨選択、自分の
引き出しにあるものから再構築するやり方など、より根本のところから
始めないと、どこまで行っても良く出来た塗り絵の域を出ないということに
なりかねない。

とはいえ、そんな中でも総じて凄く上手い人は増加傾向にあるので、教本は
一定の成果をもたらしているのかも知れない。
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青いドット

2018年09月16日 22時43分38秒 | Weblog
近所を散歩していると、いくつかの家で屋根にブルーシートがかかっており、
未だにこの前の台風の影響を伝えている。
見た所瓦屋根の家のブルーシート率が高く、地震で横に揺すられるよりも
断続的に軒をあおられる方が瓦屋根的にはダメージがでかいということを知る。

思い返せば、台風の暴風はずっと吹き続けるものではなく、波のように
間を置きつつ叩きつけるようなものであった。風に押された物が、ちょうど
元に戻るかくらいのタイミングで次の波が来る。このサイクルがうまく
噛みあってしまえば、結構大きな木でも根こそぎ倒れるのはむべなりと言え、
家もまたただでは済まないことが想像できる。
屋根瓦を直接吹き飛ばす力はさすがにあの暴風にもないが、家の軒をしつこく
下から突き上げるようなことを数時間続ければ、甍の波も砕けよう。

そしてひどい有様になりつつも放置されている家が結構残っている状態で、
近所の空き家率の高さも知ることとなる。ブルーシートは現在市が貸与している
ので、家主がある程度壮健であれば対策出来るはずである。

ここ最近では潰された家の後に駐車場すらできない有様で、家の周りには
現在でも空き地がいくつか点在しているが、それがまたさらに増えそうな予感。
無論、そんな空き地で遊ぶ子供もいない。と言うか、我々が小学生の時分から
空き地は遊び場では無くて危険地帯という認識だったので、そこは気にしていない。

空き地は遊び場という感覚は、もはやドラえもんやサザエさんのような昭和
ファンタジーのもので、ゲームにおいて他人の家の宝箱を開けても可というアレ
と近しいものであろう。

ともかく、概ね元に戻って来てはいるものの、一部の先行きは未だ不安である。
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体にアメを与えるべからず

2018年09月13日 23時17分48秒 | Weblog
欧米系の人は正座が苦手という話を耳にするが、久し振りに硬い床の
上で正座をした時に、むべなりと感じる。
しばらく椅子主軸の生活だったために、足首が強く伸ばされる感じに
加え、腿への圧迫感がかなりしんどく、五分程度正座するだけで、
ちょっとしたストレッチの代用になるのではなかろうかと思ったほどである。

特に最近では年のせいなのか、しばらく体の姿勢を固定させていると、
すぐに体がそれに適応し、省エネルギー化を図ろうとするので、とかく鈍る
のが早い。一息入れる度に体の要所を伸ばしたりほぐしたりしないと、
しまいには鈍るのを通り越して体が痛くなってくる。
その他、寝る前にも体をほぐしておかないと、どうにも寝覚めが悪くなる。

そのような状態であるために、自前であれやこれやとストレッチの方法を
編み出したり改良したりしているのであるが、そのメニューに正座を加えても
良いかも知れないと思った次第である。
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なおも求める人々

2018年09月11日 23時04分55秒 | Weblog
『世界樹の迷宮』シリーズの定番アイテムとして、裏ボス撃破で手に入る
最強武器がある。とは言え、その武器を使って倒すものが特にないという、
制作者からの問いかけのような存在であるが、今回は裏ボスの後にさらに
もう一体裏ボスがいて、ついでに定番最強アイテムの名前のネタの回収も
行っているという、まさにシリーズの締めにふさわしい仕様である。
…まだ裏ボスが倒せていないが。

とは言え、裏ボスと隠しボス以外はあらかた倒すところまでは進んでいる。
そこまでやっていても、未だにすれ違い件数が片手で数える程度なのは正直
解せない。毎日通勤時のカバンに潜ませているにも拘らずである。

早い所区切りをつけて、巷で話題の『スパイダーマン』に切り替えるか。
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そんな人も居る

2018年09月09日 23時20分57秒 | Weblog
コンビニで『拝啓ガキの頃の俺』的な旨の歌が流れてきていたが、
これだけ短いワードでダメ男を表現できている事に感心する。

まず、子供の頃の自分に物申したいと思っている時点で、現状に
不満があり、その源として後悔がある。
当然過去になど戻れないし、よしんば戻って当人があれやこれやと
助言した所で、今の自分が変わるはずもない。
結局どうにもできない何かのせいにして同じことを繰り返すだけだ。
だいたい、子供の事を『ガキ』などと粋がった呼び方をしている時点で
根っこの部分が駄目である。

先のワードからざっとこれだけの情報を引き出せる。見事なダメ男である。

過去の事に必要以上に執着せず、粋がって斜に構えた姿勢を改めることが、
何よりも現状を変え得る手段であろうに、とぼんやり思う。
仕事でも過去の自分を殴りたい、と思うことはしばしばあるが、そんな
ことを深く考えたり、犯人を捜したりするのは無駄どころか傷を広げる
だけなので、原因を追究する程度にして基本的には未来の傷を減らしつつ
前に進むことを考えるようにしている。

しかし、この手の不完全人間紹介ソングはここ最近定期的に流れてきて
いる気がする。まともが正義でそれ以外は異端で排斥すべしというような、
変に潔癖な風潮の世にあって、こんな人たちが一定数以上いるのだから、
そんなにカリカリせずにもっとおおらかに生きようぜ、というメッセージで
あるのならば、個人的には歓迎したい。
次はどんなネタで来るのか。少し気になる所である。
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色々来る

2018年09月06日 23時20分08秒 | Weblog
それにしても今年は災害が多い気がする。寒かったり暑かったり、地震に
台風に水害に、それ自体は毎年のようにどこかで起きていることであるが、
それらの規模がことごとくでかい。
この勢いでどこかの火山が大噴火して、日射が遮られて寒冷化するとか、
隕石が降ってくるとか、そのレベルの天災が起きても納得してしまう流れである。

災害は自然の営みの一環であるから、大なり小なり避けては通れないものでは
あるだろうが、あまりにも連発されたり、重大なものが身に降りかかってくると、
当分立ち直れないほどの精神的、肉体的ダメージを負うことになるので、
叶うならば災害もこれにてしばらく打ち止め、という状態になって欲しい。
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