ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

更新されるはずの日々

2019年03月31日 23時41分38秒 | Weblog
洗濯物を干そうとすると、近所の公園の方向から何やら賑々しげな
音が聞こえてきたので、散歩がてら見に行ってみる。
少し前から改装中だったそこは、いつの間にかある程度整備され、
フリマや消防車や野外炊具などが並んだ、ちょっとした祭の様相を
呈していた。
まず驚いたのが、子供の数である。近所に住まう人の多くは老人
ばかりで、並ぶ家の多くも昨年の地震と台風で結構な数が空き家と
化したと思っていたが、どこにこれほどの数の子供がいたのかという
ほどの賑わいであった。

と言うか、この手の情報を住民はどこから仕入れてくるというのか。
この点に関しては個人的に浮世離れした生活を送っているために、
とやかく言えた立場ではないが、それにしても浮世離れした生活を
送っているのだと実感する。
『しばらく何かしていない』という感覚における"しばらく"の
期間が気を抜くとすぐに年単位になるあたり、時間の流れの感覚が
世間とかなりずれている感がある。さりとて、それをすぐにどうにか
出来る術もなし。知っていたら既にやってる。

ともあれ、フリマは定期的にやって欲しい。個人的にあの手のものを
見て回るのは結構好き。
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何かがあれば

2019年03月28日 23時00分50秒 | Weblog
新元号の発表を間近に控えて、世間の一部では半ば大喜利のような予想
レースが行われているが、別に何かもらえる訳でも無いので、ひどく
無益な行動のように思えてならない。
仮に当てたとして、称賛や注目を浴びることは確かであろうが、それこそ
空しいと感じてしまう。占い師や拝み屋のような、オカルト系の能力で
食っている人達であれば、それによって箔が付くので納得できるが、
この手の話は仲間内の世間話程度に留めておくのが妥当と言えよう。

ともあれ、生活にかかわることでもあるので、新元号が何になるのか、
それ自体は注目せざるを得ない。なお、今年が平成何年かを素で忘れて
いて、友人から『40目前の良い年こいた大人が…』というような目で
見られたので、元号リセットはその点でも有り難い。

とりあえず、発表から数か月は一部の『新元号気に入らない勢』が
色々と駄々をこねてきたり、署名を募ったりするが一蹴されて、
一年後くらいには何もなかったかのように浸透する、という流れを
予想したい。と言うか、最近こんなのばっかり。
注目されたいという気持ちは分からなくもないが、手段が中学生並み。
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煮え切らない年度末

2019年03月26日 23時10分57秒 | Weblog
四月も近づいて、体が冬を脱出しようとしているのが分かる。
つまりやたらに眠気に苛まれる春眠モードである。
この時期は他にも代謝が急に良くなる関係で、体から発せられる
においがこれまでと変わったり、食欲が増進したり、むやみに
エロ関連の欲求が高じたりで、人間の体のサイクルは均一ではなく、
植物の成長のようにムラがあるということを実感する。

こういった時期は体調を崩しがちでもあり、実際月曜には明け方に
急な腹痛に目を覚まさせられたりもした。暖かかったり、寒かったり、
雨だったり晴れだったり、とかく気候も不安定ではあるが、ともかく
さっさと暖かくなって欲しいと願うばかりである。

そろそろ敷布団をカラリと干したいとか、窓全開にして部屋の掃除を
したいとか、そういう要求を叶えて欲しい。
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出来ないことは人任せ

2019年03月24日 23時15分41秒 | Weblog
折り紙の件からふと思い立ち、正方形の折り紙から正五角形を
作るにはどうすれば良いのかを軽く考えてみたが、とんだドツボで
吐き気を催す頭痛に襲われるほど訳が分からなくなった。
思えばこの手の数学的思考は、十代の初めから既に苦手としており、
ましてや衰えかけのこの頭で考えるには荷が重すぎた。

結局こういう時にウェブは便利と痛感するばかりで、驚くほど簡単な
作図法が山ほど出てきて、ついでに折り紙から正五角形を作るという
のは数学的にもテーマの一つとして取り上げられるものと知り、
迂闊に手を出すべきではなかったと反省する。

余談ながら、個人的に正五角形という形は、形としてのストライク
ゾーンがひどく狭いという認識がある。その形を構成する辺や角度が
ほんのごくわずかに狂うだけでも、すぐに『何かおかしいぞ』という
気持ちが湧いてくる。五角形以上の正奇数角形はずっと見ていると
何だか不安な気持ちになるのも合わせて、とにかく五角形に対しては
不思議なものという思いがある。

ともあれ、数学的思考と言うか、幾何形体をアレコレするセンスが
絶望的に無いということを痛感したので、今後はこの手の問題に
直面したら素直にウェブやツールに頼ると心に誓う。
出来た方が良いとは思うが、生死にかかわるような状況でなければ
身に付けられないと思うので、その時が来たら頑張る。

他に身に付けた方が良いことが山積み状態ということもあり、
何でもかんでも出来るようになれればよかろうという思想は本当に良くない。

思えば小学校の時から"優"の数が多いほど良かろうという環境で、
学校のテストでも総合点で順位が付いたりしていたが、もういい加減に
こういった万能主義的な教育は止めた方が良い。
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休日の手慰み

2019年03月21日 23時14分20秒 | Weblog
地続きではない祝日は久し振りのようだと感じつつ、手持無沙汰の
休日を過ごす。外は妙に暖かく、散歩に出てしばらくすると汗ばむほどだ。

明日は仕事があるという感覚は普段の土曜と違って、酒を飲んだり夜更かし
したり、存分に休んでやろうという踏ん切りがつかず、せっせと家で
折り紙折ったり気の向くままネット見たりと、とにかく中途半端であった。

折り紙は今でも半端に時間が空いた時などにやっているが、同じものを
気が済むまで何度も作るという気質があるようで、最近のお気に入りは
ある折り紙教本に載っている『箱ティッシュ』である。
題材のシュールさは言わずもがなであるが、折っていく過程が、
予め折り目をつけて、ある程度の段階になったら一気にたたむ、というのを
何度か繰り返すようなもので、非常にカタルシスがあり折っていて楽しい。

件の作品は箱部分が紙の表の色で、ティッシュ部分には裏面の色が出る
設計であるが、敢えて裏と表を入れ替えたりして、変な色のティッシュを
作るのもまた良い。ともかく、何度も作ったので、そろそろ本を見ずに
折れそうである。

ちなみに、我が家には本物の箱ティッシュは無い。
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いじめっ子は消えず、ただ隠れるだけ

2019年03月19日 23時45分41秒 | Weblog
『子供部屋おじさん』なる語がやにわに広まってきた感じであるが、
なぜ『おじさん』なのかが気になる。『おばさん』は居ないのか。
この手の実家暮らしニートの男性比率が仮に高かったとしても、
この手のニートは男しか居ないというような先入観ないしは偏見を
もたらすような響きで、綺麗な言葉とは到底言い難い。

もしこれが仮に『子供部屋おばさん』だったら、方々から非難の
嵐が来るであろうが、その辺も含めて、とにかく男だったら何を
しても良かろうという風潮が強まってきているように感じられて
ならない。

有り体に言って、こういった言葉を発信する側が、悪い意味での
女性的な感覚に寄り過ぎているのではないか、と思う。
もっと言えば、僻みと虚栄心に溺れた一部の層に阿った動き
なのではないかと邪推する。

詰まる所、この手の語はスポンサー様へのおだて口上と同義と言って
も良かろう。この語の逆の立場の人間を持ち上げるための言葉と
考えれば、なぜわざわざ『おじさん』という語を選択したのかも
見えてくるように思える。
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大人のひと味

2019年03月17日 23時32分06秒 | Weblog
洗うのを忘れて、水を張ったまま放置したコップに数日程度で
カビの島が出来るのを見るにつけ、春の接近を感じ取る今日この頃。

それはそれとして、18禁フィギュアに陰毛デカールをせっせと張る
雨の休日。
デカールとはプラモデルとかではおなじみの、水転写式シールで、
極薄、かつ位置決めするまでの時間的猶予が長いため、昔から
今に至るまで広く使用されている。あらかじめ印刷された物という
特性上、文字やロゴ、計器盤、ライン模様など、手描きでは難しい
所で特に効果を発揮する。

1/6スケール前後の人形の陰毛程度であれば手描きが困難という
程ではなく、米粒に『米』と書ける技量と道具があれば余裕ではある
が、完成品フィギュアに手を入れるのが躊躇われることや、デカールの
もう一つの特性である"除去が手軽"という点が優位性を高くしている。

その気になれば気分次第で色々な形状のものに張り替えていくことが
出来るという、中々にオツなアイテムであると言えよう。
ただ、悲しいことに件の陰毛デカールは大手のメーカーでは市販されて
おらず、もっぱら一部のフィギュアのおまけか、個人販売での入手に
限られているという点で、さらに悲しいことに個人的に好みの"生え具合"
のものが無いと言うか、表現的に今一つのものばかりという現状である。
毛の集まりが即ち線の集まりだと思っているような表現ばかりで、
実に物足りない。毛にはテカリもあれば影も落とす。そこを表現して欲しい。

最近のフィギュア界隈では1/12スケールのものを中心に、アダルト的な
小道具が展開されつつある状況で、おそらくアクションフィギュアとの
組み合わせを狙ったものと思われるが、そのつながりで、アダルト的な
"ディティールアップ"アイテムが盛んに出るようになってくれると
個人的にはとてもありがたい。※淫紋デカールというのが出ている
らしく、個人的には趣味ではないが、その方面でもっと色々出して欲しい。

昨今フィギュアの値段は上がる一方で、新しいものをそうあれもこれもと
買うことは出来なくなってきている。
そこで、既に手元にあるフィギュアをメイクアップする要領で、あれや
これやと手を入れられるようにすれば、少しばかりは一体あたりの
プレイバリューが上がり、数を買えない無聊を慰め得るのではなかろうか。

今後のエロフィギュア系アクセサリグッズの発展に期待。
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防災処置

2019年03月14日 23時40分47秒 | Weblog
有名人が薬物所持の件で色々と大変なことになっているが、
現在出演しているものが取り止めになるのは致し方ないとして、
それまでに出ていたものとか作品が抹殺されていくのはさすがに
少々やり過ぎなのではないかと感じる。
『やっては駄目なこと』の広告塔として世間に悪影響を与えるのを
抑えるのが目的であろうが、もはや存在を無かったことにする
勢いで、過去まで遡り封印していく必要性は果たしてあるのだろうか。

と言うか抹殺の手管が鮮やか過ぎて怖い。
おそらく"見せしめ"の側面も多分にあるのだろうその様は、古代に
しばしば行われた記憶の破壊(当人の遺したあらゆる記録や記された
名前を徹底的に抹消すること)を彷彿とさせる。

無論、やったことを擁護する気はさらさらないが、とにかくこの
一連の騒ぎの中で関係各所が"無かったことにした"までの手際の良さが
空恐ろしく感じるという、そんな話。

広く世に何かを発している企業は、もはやいつ何時、誰かがやらかして
世間からから矛先を向けられたりするか分からない状態で、かかる
事態に備えての防災マニュアルのようなものが整備されていても何の
不思議もない。この手際の良さも、それらが上手く働いた結果なのだろうか。
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そのまま更新

2019年03月12日 23時47分51秒 | Weblog
新しい携帯の契約から二年が経過し、契約更新が無料になる時期が
迫ってきたが、そこまで値上がりする訳でもないという事実と、
手続きの面倒さから。もうこのままでいいやというような気分になる。
ご丁寧に携帯購入時に、二年後にお知らせを出すように設定していたが、
結局普通に通知が来たので取り越し苦労であった。

基本的に携帯、と言うかスマホに関して、通話はほとんどせず、ウェブも
マップ程度しか観ず、動画とかは観ず、ゲームやその他諸々のアプリも
ほぼ入れておらず、満足に使えているのか非常に疑わしい状態であるが、
ラインとかでのやり取りはたまにあるし、メールも利用しているし、
電子書籍のリーダーとしてそれなりに利用しているので、無ければ無いで
困る程度には頼りにしている。

それがもう二年経ったということが結構な驚きであったが、ひとまず
重いとか、バッテリーがすぐに切れるとか、色々具合が悪いとか、そういう
症状が見られないので、ひとまず続投。
思えば、自宅で使用しているタブレット端末も随分長い期間使ってきている。
PC系の持ちは、近年かなり良くなってきた感じで、技術革新の波が少し
和らいだためなのかも知れないが、とにかく不精な身空には有り難い。
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所々なればこそ

2019年03月10日 23時42分37秒 | Weblog
土曜日はゲームにはまり、日曜日は雨と風で外出できない、
そんな休日。特に日曜日の悪天候率の高さには不満しかない。
一応週末に食料等は買い込んであったので、ひもじい思いを
することは無かったが、一歩も外出できないというのは、何か
ひどく休日を浪費したように思われるので、個人的な精神
衛生の観点からしてもあまり好ましくない。

話は変わり、齢40をそろそろ数えようという時期で、かなり
白髪が目立つようになってきた身空で、年齢とともに抗わずに
受け入れる立場と心に決めているが、鼻毛と縮れたそれは
どうにも受け入れがたい。何とも嫌な目立ち方をするのだ。

少ない内は抜いたり(白いのはなぜか抜きにくい)切ったりで
対処したいが、それが追い付かなくなって来る時もいずれ来る
であろう。先の事を心配してばかりいても仕方がないが、
何と言うか、気が付いたらずいぶん遠くまで来ていたものだ
という感覚。
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