ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

修羅の国

2018年10月30日 23時08分35秒 | Weblog
『Red Dead Redemption2』でうっかり操作ミスをして指名手配を食らったが、
ウェブの記事とかを見たら同じようなことをしている人がそれなりにいて
少し安心する。その他にも操作表示に目を取られて人物の会話や相関関係が
良く分からなかったり、未だにどの人が誰なのかがあまり分からないという
体たらく。ちなみに主人公の名前と人相もプレイして30分くらい経ってから
ようやく理解した。
海外ドラマとかを日常的に見ている人ならば、こういうのは比較的容易に
頭に入るものなのだろうか。我ながら読解力とか理解力の低さが恨めしい。

ひとまずプレイして、操作の快適さとかとっつきやすさというような、
その辺りのプレイ感覚が日本のゲームの最大の武器だったのではなかろうかと、
ぼんやり思った。その辺りも『God of War』で既に追いつかれていると
感じているが、ともかく件のゲームの操作性というか操作系統はもう少し
何とかして欲しい。

ちょっとした行動如何で指名手配になるとか、自他共に命の危機に晒されるという
緊張感自体は良いのだが、それがプレイヤーの意図しない、うっかりで出てしまう
上に取り返しがつかないというのは、自己責任というにはあまりにも
投げっ放し過ぎる。もう少し進めば、その辺を気にしなくて済むくらいに
なるのだろうか。ひとまず、今しばらくプレイしてみないことには、真価は
問えそうにない。

そんなアレコレも吹き飛ぶくらいに馬に乗っている時は楽しい。そこがかなりの救い。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薄まっていってる

2018年10月28日 22時57分54秒 | Weblog
『Red Dead Redemption2』を購入したものの、想像以上にダウンロードの
ための時間がかかるため、折よく放映していた『もののけ姫』を久し振りに観る。
改めて観てみると、よくもこんなに多量の要素を詰め込んで、しかもしっかり
畳んだものだと感嘆を禁じ得ない。正直少し詰め込み過ぎな感があり、もうあと
30分ほどあっても良かったのではなかろうかと思うほどである。

物語の始まりから理不尽と不幸に苛まれて、基本的にどこからも歓迎はされず、
問題の解決を試みても基本的に手遅れで、人並み以上の力を発揮すれば命を削り、
大小の傷が絶えないという、そんなアシタカはジブリアニメには珍しい、
ボロボロのヒーロー像であるが、個人的にはそこで全く弱音を吐かないあたりが
実に格好良いと思ってやまない。若干辛気臭い所があるものの、もう少し歳を
取ればルパンや冴羽リョウのような大人の余裕も出てくるのであろう。多分。

話は変わり、本屋で色々と漫画やラノベの表紙を見ていて思ったこと。
デザインが似通った感じで、遠くから見るとあまり区別がつかず、目当ての本を
探すのに難儀するが、じつはこれ、わざとやっているのではなかろうか。

今日日、欲しい本が初めから分かっているのであれば、Amazonとかで買えば良く、
本屋は"ついでに良さそうなものがあれば買う"ための役割が強まっていると考える。
つまりお目当ての本を敢えてなかなか見つけさせず、その過程で別の本を買わせよう
という算段なのではなかろうか、ということ。
とりあえず、個性的な表紙デザインの漫画は以前に比べて随分減ったとは感じる。

個性的でないにしても、うっかり既に買っていたものをもう一回買ってしまいそうに
なるくらい印象の弱い表紙は勘弁して欲しいので、周りに埋もれてもいいから、
前後の巻の判別ははっきり付くようにして欲しい。

表紙にでかでかとキャラの顔だけ載せるというスタイルは分かりやすいが、顔の
描き分けがしっかりできる人がやらないと逆効果なので、『へうげもの』のように
色である程度はっきり見せるというやり方も良いと思う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実行力

2018年10月25日 23時13分55秒 | Weblog
エアブラシでも買えばプラモ作りの情熱が復活するかと思い、
結局未だに買わずにいたり、Z-Brushでも買えば造形への情熱が
復活するかと思い、結局これも買わずにいたりと、とかく二の足を
踏むことの多い性格である。

上のようにああだこうだと検討をしている間に、避けられない出費が
発生してうやむやになるのがおおよそ一連の流れで、さりとて
貯金がカツカツというような状況でもないので、機を見る目もなく
投資をするとか、時間や鮮度は金であるとか、知識よりも経験であるとか
そういった概念が分かってはいるが理解できていないという、色々残念な
感じである。

上に書いたエアブラシのセットやそれに伴う塗料や道具の一式は決して
安いものではないし、Z-Brushもはっきり言って高い。
昔は何かを買うに際して、安いと思えるほどに情熱が高まっている事が
結構な頻度であったが、今はそうでもない。
そう考えると、いつ起こるか分からないような、情熱の回復を待つ
よりも、金の力にあかせてまずは勢いで買って、そこから回復を促す
というほうが、いくらか望みがあるのではないかとも思えてくる。

ただ、これ以前に、ひとまず買ってしまえと勢いで購入したものの、
ほぼ使われずお蔵入りというものも相当量存在しているので、何か
もう一つくらいは決め手が欲しいと感じているのも実情。
それこそ二割引きセールとか、その程度でも良いので、誰かしら何かしら
背中を押して欲しい。

欲しいと思った時点で購入は既に完了している…そんなタフな精神に憧れる。
似たような趣旨の言葉がそろそろジョジョで出てくるであろうが、
どんな感じになるのか、その辺も含めて楽しみである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

対虫格闘術

2018年10月23日 23時33分58秒 | Weblog
夜中に部屋に入ってきた蚊をしっかり仕留めることに成功すると
とても気分が良い。しかし、かねがね思っていたことであるが、
蚊程度の飛んでいる虫を捕まえる際に、片手で掴むようにするのは、
思いの外失策であるということ。

そこいらを飛んでいる虫に対して、半ば反射的に手で掴みかかり、
そのまま握り潰そうとするのであるが、実際に潰せていることは
ほとんど無く、"やったか…?"とばかりに手を広げた所から飛んで
逃げられるということを何度となく繰り返している。

手を握る動作は言うまでもなく力が大きく発揮されるもので、その手の
内にはそのイメージ通りに満遍なく力がかかっていると思いがちで
あるが、実際のところはかなりムラがあり、特に中指、薬指の付け根
あたりには殆ど力が加わらないようだ。
そのために手でつかんだ虫の生還を往々にして許してしまうのであろう。

なので、何だかんだ言って動作が比較的大きく、音も出るものの、
両手で挟み込んで圧殺するのが一番確実である。
攻撃側の体勢や、周囲の環境によっては平手で叩き落とした後に
止めを刺すというやり方も成功率が高い。
ハエくらいの大きさから上のものに関しては特に叩き落すのが有効。
というか、手で挟むのに色々と抵抗がある。

これから季節的に虫がどんどん減っていくので、こんなことを考えるのも
今更であるが、ともかく、蚊と格闘するのはこれが今年最後であって欲しい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

答えは所詮答え

2018年10月21日 23時43分50秒 | Weblog
久し振りに友人からの便りがあったが、差出元が病院だった。
とは言え、命にかかわるようなものではないとのことなので、少し安心する。
近く東京方面への用事があるので、差し支えなければ見舞いでもと
思い、場所を調べてみると妙に低いレビューの星が目に入る。
何か問題でもあるのかと思い内容を見てみると、何か書き手の精神の摩耗が
見て取れるような意見が評価を押し下げており、色々察する。

誰も彼もがウェブに己の意見を発信できるようになり、それは誰かからの
目に常に晒されることでもある訳であるが、そんな環境の影響からか、
ネット世界で精神的に疲れ気味の人をやたらに見かけるようになった。
一口に言って、全体的に神経質が行き過ぎた感じだ。
人の目に付きづらいところや、発言における責任が比較的軽い場所で
彼らが発言する分にはまだ良かったが、最近はその辺の垣根が曖昧になり、
業務妨害レベルにまで発展することも珍しくない。

ウェブ上に数多の情報が散らばっている現状は、無限にも等しい可能性と
選択肢をもたらすものであるはずであるが、それを理解できない人たちに
とっては、世の中の数多の物事に"正解"という箍をはめ、可能性や
選択肢といった心の自由を制限するものになってしまっている。

答えとは別に正しいものではないし、一つでもないし、順守すべきものでもない。
どこかの誰かはそうだった。しかし自分はどうなのか。環境も状況も
価値観も思想も同じではないのだから、その時の答えがあり、そのために
判断がいる。そういった判断の力が弱い、もしくは弱まってしまった人々が
ウェブ上で神経質に正しさを主張する手合いなのではないかと思われてならない。

ネットで得る情報は、答えではなくやり方、考え方であると心得てかかった
方が良い。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつものアレがない

2018年10月18日 23時13分53秒 | Weblog
長年神羅万象チョコを買い続けてきたせいか、弾毎の間隔が半年に
なった今回の章での手持無沙汰感がひどい。
カード自体はあと一枚で全種揃う状態で、コンプリートはしていないものの、
あまりにも手持無沙汰過ぎてカードフォルダへの整理を行ってしまう始末。
やはり年に二回しか出ないのは間が空きすぎる。

イラストメインの人の負担が重すぎることが新弾を出す間隔が変わった
一因だと思われるが、二人体制を布くとか一弾あたりの枚数を減らすとか、
代わりに差分で水増しするとか、とんちを使ってでも、せめて年三回は
新しい弾を出して欲しいと願ってやまない。

『FGO』とか『シャドウバース』とかその他のカードもスーパーで見かけては
摘まんでみてはいるが、どうにも心が落ち着かない。
やはりあの手のカードには、そのサイズにあった線の太さであったり、
頭身のバランスや色の使い方というものがあって、いくら繊細で美麗であっても
そこが外れてしまっていては、"ただの縮小された絵"でしかなく、本来の絵の
魅力から価値をマイナスされただけにしか感じない。
そういう観点もあってか『モンスターストライク』のカードは結構良かった。

なお、半ば定例化している○○マンチョコに関しては、イラストの質は高いが、
シールの高級感というか、揃える嬉しさが弱いという問題があり、ついでに
ロッテのあくどい売り方に心底失望と憎しみを覚えているために、よほどの
ことがない限り買いたくないというめんどくさい問題を個人的に抱えている。
その辺は『神ビックリマン』という存在が全てを物語るのでもうそれで充分。

ともかく、神羅万象チョコの存在がいかに偉大であるかということを、
切実に感じている今日この頃。なればこそ長く続いて欲しくはあるが、無理を
して欲しくもないし、某ロッテのような阿漕な売り方をして欲しくもない。
実に悩ましい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寝るのも楽しい季節

2018年10月16日 23時33分25秒 | Weblog
帰宅してからおもむろに漫画が読みたくなり、amazonの全巻セールの
めぼしいものを購入し、いざ読もうとしたら端末の容量が一杯で、
それらの整理をしながら何巻か読んだところで、気が付けば深夜の三時。

次の日の仕事さえなければこれほど満たされた時間はそうそうないのに、
平日の時間の無さが悔やまれる。さりとて休日のように仕事という箍が
ない状態だと、それはそれでひどく締まりがなくなるので、楽しみが
延びたことにしておいて、限られた時間を楽しむのがより有意義というか、
幸福感をより濃く味わえる手段であると思うに至る。

そしてそろそろ夜に窓を開けていると寒い季節になり、布団のもたらす
魔力が強くなったり、風呂に浸かるのが楽しみになる頃合いでもある。
何かをやったり、作ったりする事だけが楽しみのすべてではなく、休んだり
眠ったりするのも楽しみのうちであると言え、この季節はとくにそれを実感
できる時期と言えよう。

かように色々な楽しみが目白押しで、あれもこれもと手が回らない。
中断、再開が容易で分割や蓄積が可能な類の楽しみであればいくらか融通が
利くが、悲しいことに睡眠はそのどれも無効である。
その他の諸々の楽しみにおいても、そういった制約がいくつかあるので、
計画的にやらねばならぬ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

結局地が出る

2018年10月14日 23時19分22秒 | Weblog
気が付くと鼻の角栓抜いたり、耳垢の大物をぶっこぬく動画を見ている
今日この頃。さすがにそればかりを見ている訳ではないが、ウェブの記事やら
動画などを観て休日の大半は過ぎ去っている。
プラモを作っていると時間の流れは比較的遅く感じるが、絵を描くとあっと
いう間に時間が過ぎて、辺りが暗くなっていたりもする。
もう少し頭にあるものを手っ取り早くアウトプットしたいが、ああでもない
こうでもないと揉んだり、ああしてみよう、こうしてみたい等々色々なものが
湧いてきてどうにも割り切れず、結局時間ばかりが食い潰されていく。

さりとて時間ばかり食ってもいけないという思いから、途中で切り上げて
先へ進むため、八割程度出来上がったものがどんどん溜まっていく始末。
これが良いことなのか悪いことなのか、正直良く分からない。
特に人に見せるようなものでも無く、完全に趣味であるから、無理に急くのは
良くなかろうとは思うが、満足している訳ではないので、停滞しないための
工夫は欲しい。

何はともあれ、四の五の言わずに描く。描くことの楽しみが味わえる部分にまで
到達して、そこが過ぎたら次の絵を描く。やっているうちに回転も上がるだろう。

ふと振り返った時に、どことなく似たような構図がチラホラあっても気にしない。
次の絵に入って三日したら、前の絵には余程でない限り手を入れない。
部分替えや差分絵はあまり描かない。(個人的にそこまで楽しくない)
ひとまずこんな感じで良かろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彩りに添える

2018年10月11日 23時17分41秒 | Weblog
エロ漫画における、男の方の存在について少し考えてみる。
雑誌の方向性にもよるが、基本的に大学生から30間近のサラリーマン
くらいの年齢層が最も多く、高校生も割と多めで40超えたおっさんは
少なく、老人は殆ど出ない。

社会的な地位としては学生、サラリーマン、アルバイト、ニート、
ファンタジー世界の勇者などかなり多彩で、肉体労働、知的労働の
割合的にもあまり偏りのない印象であるが、仕事に就いている主人公は
概して疲れているという共通点がある。
なお、警察官、自衛官、裁判官といった社会的な信用が命とも言うべき
職業の人々は全く登場しない。

性格面もまた、尖った所の無い草食系から鬼畜までこれまた多彩で
あるが、一話完結の関係からか、社交的(友人が多い)という性格は
かなり少ない。エロコメにおける性格的テンプレートである、妄想が
暴走しがちな性格もいまだ健在で、若い人向けのエロ漫画では少ない
ものの、安定した登場率を誇る。

エロ漫画を読む過程で、相手役である男への感情移入は絵柄の好みと
ヒロインのデザインの次くらいには重要な要素であると考える。
単純にヒロインを前面に押し出すために、男の方を徹底して没個性に
する場合もあり、その際は感情移入とは逆に、現実味はあるものの
具体的には想像がつかないキャラ性が求められる。
いずれにしても、なればこそこれだけ多彩でありながら、どこか
偏った分布になるのではなかろうか。

そしてさらにここまで書いていて思ったことは、相手役の男への感情
移入に際して、現在の年齢や職業と一致している必要は必ずしもないと
いうことである。
思うに、感情移入の度合いは、読む人にとって一番華があった時期と
合致している場合に最大に高まる。
高校生や大学生が多いのは多分このためで、さらには先に述べた、
現実味はあるが実態が良く分からない存在としても大学生は有効である。

とは言え、相手役の男のデザインがエロ漫画の良し悪しを決定的に
するものではあまりないので、結局のところ空気のような存在である。
以前にエロ漫画における相手の男は背景と同格という旨を述べたことが
あるが、概ねそういうことで変わらない。

ただし個人的には、作中で折に触れて発せられる男の快哉が奇妙過ぎて
笑えるレベルのものになると少し萎える。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

結局同じであっても

2018年10月09日 23時15分29秒 | Weblog
何かしらの感想を述べる際に、ひとまず否定から入る手合いがいるが、
親切心からくる本当の警告ならまだしも、『私は違いが分かる人間です』を
遠回しに言っているようなものは害悪でしかないと考える。

例えば『○○は不味い』というような旨の発言をするとして、それを
受け取った側の人間としては、○○は不味いのか。だったら店とかで見かけても
敬遠しようという発想に偏る。本当にこれはやめておけ、という類のものも
あるが、先に書いたような挨拶代わりに発せられたものの方が圧倒的に多い。
そして、質の悪いことにその両者を識別するのが少々面倒で、発言の出所を
辿ったり、同じようなことを言っている人をある程度探さないといけない。

なので、あれは不味いとか、あれは最悪だとか、あれは面白くないとか、
そういった発言は安易にするべきではなく、感想を述べるにしても、個人的な
好みと照らし合わせた上でどうだったのかを(そしてできるだけポジティブに)
述べるのが建設的であると考える。

ここ最近と言わず、情報が氾濫するこのご時世、とかく内容をまとめようと
しがちで、ついでにそれで衆目の関心を惹くべく誇張やツッコミ待ちの文面も
また氾濫状態にあるが、一口に言って俗悪に偏り過ぎているような印象。
綺麗ばかりも胡散臭いが、斜に構えて文句ばかりも醜悪である。

○○が嫌いだと言いそうになったら、似たような□□の方が好みだったのだが、
という風に改めるだけでも大分違うと思う。
本質的には双方に大した違いはないが、冷たい水とお湯くらいには違う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする