ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

目の前の次

2018年11月29日 23時30分17秒 | Weblog
気が付けば12月という、ちょっとした恐怖。
来年の祝日を確認しようとして、カレンダーを見つつ、そういえば
来年で平成が終わるという話を思い出し、不思議な気持ちになる。
当初は随分先の話と思っていたが、今こうして間近にあるのを感じる
につけ、時の流れの速さを実感してやまない。
この調子だと大阪の次の万博もきっとすぐだろう。

いつ全巻揃うのかと思っていた『金子一馬画集』もついに7巻が出て、
ついに終わりが見えてきた。本当に全巻揃えた特典をちゃんとやるのかが
気になる所ではあるが、本棚の収まり的にもしっかり完走するつもり。

世の中の一部では永遠に不変のまま続くを良しとする価値観があるが、
個人的には勿体つけてグダグダと荘厳めいて終わらないよりも、多少ずっこけて
情けなくても、しっかり終わる方が立派であると感じる。

終わった次には何が来るのか。
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力の解決はならず

2018年11月27日 23時40分36秒 | Weblog
コンビニ受け取りにしていた荷物を取りに、意気揚々と向かったら
受け取り処理用の機械が故障しており、残念な気持ちで帰途に就く。

以前にもそんなことがあり、あの機械は故障が多過ぎだと思う。前は
直るまでに数日かかっていたが、今回はどれくらいで復帰するのか。
と言うか、あの手のものはシステム再起動で大方改善するものでは
ないのだろうか。それともタッチパネルの反応の悪さに業を煮やして
物理アタックをかました不逞の輩でも出たとでもいうのか。
印字用のトナーや用紙が切れたとしても、さすがにその程度であれば
店員で対処可能であろうから、やはり誰かが物理アタックをかけた線が
濃厚なのか。

そういえば駅の券売機でも、タッチパネル式の券売機の使い方をわざわざ
駅員に訪ねている人をそれなりの割合で見かけるし、電車の中のノブに
触れると開くタイプのドアをどう頑張っても開けられない人がいるのを
見かけるにつけ、この手の接触感知式ツールに対しての力加減が
苦手な人の存在を認めずにはいられない。

概してそういった手合いはやたらに力を込める傾向があるので、強く
押したり握ったりすると痛いくらいの凹凸をつけたりした方が良いのでは
ないかと思う。
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山場人間

2018年11月25日 23時15分18秒 | Weblog
漫画で度々登場する『天才キャラ』であるが、個人的には思いの外
使いづらいキャラ性なのではないかと考える。
なお、余談ながら単体の絵がやたらに上手い作家は、天才を含む"才能"を
テーマないしは重要な要素に据えた作品を取り扱う傾向が強い気がする。

話を戻すと、概して才能というものは、何かを切磋琢磨する環境下でなければ
あまり体感することは無く、多くの人にとっては縁がない、さながら別世界の
ようなものである。そして、当の才を持つ人は往々にしてその才を自覚して
いないことが多く、『誰でもちょっと頑張れば出来るのでは』くらいの感覚か
まるで他人に興味がなくひたすらに己が道を行くだけという感じで、
凡人や一般人にはまるで理解の及ばない存在であったりする。

さながら生まれつき目の見えない人に空の青を説くようなもので、才ある人に
とっての当たり前である能力を嫌みなく読者に伝えるのには、結構な気遣いが
必要になってくる。

重要と感じるのは、天才キャラを感情において超人にすることで、喜怒哀楽に
乏しいか、チャンネルが極度にずれているという点で、とにかく共感を
得難い性格付けにすることである。
過去編とか、モノローグを入れるのはアリでも、とにかく迷ったり躊躇ったり、
感情的な揺らぎを生じさせるのは悪手である。少なくとも才を発揮する分野に
おいて、それを行うのはやってはいけない。
また、才ある人にとってその能力は特に普通と認識していることが自然なので、
『俺の能力は○○だ』というように自分の才を説明するのも良くない。
ひどく小物臭を帯びてくることもあり、どうにか自然な流れで他人に説明させる
のが良い。

というように、とかく天才キャラは読み手の理解の外にある必要があり、いきおい
共感も生まないため、物語の中心に据えて話を回してもそこに魅力が生じない。
さりとて、半端に努力描写や迷いを持った天才キャラを描くのは良くなく、いっそ
100%努力キャラに仕立ててしまった方が余程良いと感じる。

なので、序盤から中盤にかけての山場で登場するボス格のキャラに割り当てるのが
妥当なのではなかろうか。終盤に直接介入させるには手に余り、そのあたりで
『あいつ(天才キャラ)はもっと強かった』とか言わせておけば格が下がることもない。
味方にいても良いが、その場合も途中退場させるのが妥当と言えよう。

そういう意味では物語の流れにおける『天災』と言って差し支えなかろう。
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ここで来る

2018年11月21日 23時35分00秒 | Weblog
来るだろうなと思っているタイミングで、しっかりやってくる、
毎月恒例のフィギュア発売延期のお知らせ。
分かっていても、仮に来たとして一番心が弾むのが段ボール箱を開ける
時なのだと知っていても、それでもなお気持ちが沈むのはなぜなのか。

先日探すといっていた小さめの卓上時計であるが、某家電量販店のウェブ
ショップを見てみたら思いの外数が無く、車内用の時計を当たってみた方が
早そうだということに気付く。たまたま取り扱いが少ないだけだったのか、
それとも皆スマホで済ますから斜陽なのか。その辺りは分からないが、
とりあえずもう少し探してみる。ついでにフィギュア延期の無聊を慰める
ため、他にめぼしいもの(プラモとか)を見つけ次第購入することにする。

そしてそろそろ欲しいなと思うタイミングで折よくやってくるのが祝日。
先の祝日は土曜に吸われてしまったので、特にありがたい。
というか、土曜に祝日が重なっても振り替え休日出るようにして欲しい。
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結局情熱という話

2018年11月20日 23時39分54秒 | Weblog
個人的にエロ漫画の質の高さ(好みや嗜好を抜いた良し悪し)は、人物の
表情の多彩さと構図の多彩さに依ると思っている。

さておき、一般の漫画でも『画力』『構図、構成力』『ストーリー能力』
『キャラ生成能力』の四つがその質の高さに影響すると考える。

画力は色々な捉え方があるが、主としてストーリーや流れが求める絵面を
不足や破綻なく描写できる能力で、必ずしもデッサン力とか描き込みとか
技術的、技巧的なものばかりではない。

構図は迫力ある一瞬をしっかり収め、コマの連続、かつページの読み進める
流れなどを考慮しつつ、リズムやテンポも感じさせるように構成していく
能力で、個人的には一番センスが要求される分野と考える。

ストーリー能力は、物語を作っていく能力であるが、週刊連載とかスパンの
短い作品の場合は適度にヤマを持ってくることを考慮せねばならないので、
一筋縄では行かない。

キャラ生成能力は魅力的なキャラクターを生み出す能力で、無論単に絵が
上手いだけでは務まらないし、ストーリーの進行上、思いもかけず魅力を
帯びてくることもあるので、狙って魅力を持たせるのは難しい。


これら四つの要素であるが、一線級のプロであってもこれら全てを高い次元で
兼ね備えている人は少ない。裏を返せば別に全部兼ね備えていなくても
面白い作品はあるし、不足分を他人や他の作品から補う形でもいい。

最近ではストーリーとキャラがすでに用意されている若い人向け小説を
土台にして、あとは絵を描く人さえいれば…というような形式が増えてきて
おり、そこから若手の作家がどんどん育ってくれれば、と思う。

ただ、原作付きの場合どういう訳か、作家のリビドー的な"匂い"が
薄まってしまう傾向が強く※、結局上の要素のいくつかが決定的に欠けていた
としても、個人作品の、匂いの強い作品に惹かれるのだろうと考える。
※『野望の王国』のように原作者のアクが強すぎる場合はその限りではない。
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実は無防備

2018年11月18日 23時41分23秒 | Weblog
休日中『RDR2』ばかりを遊んでいたが、比較的淡々とした進行であるにも
かかわらず、肉体的にも神経的にも結構疲労が激しいようで、プレイ後に
酒を飲んだら猛烈な眠気に襲われ、一時間程度と思ったら数時間寝ていた。

件のゲームは海外のゲームにありがちな、気が付くと時間がゴッソリ持って
行かれている類のものなので、単純にプレイ時間が相当蓄積していたのであろう。
思えば、前作も一時間程度遊ぶつもりが、芋づる式に発生する突発的なイベント
のために気が付けば数時間経っており、次の日の仕事が危うくなるということも
あった。

ともあれ、かような状態であるせいか、夕方から深夜にかけての急激な気温の
下降にも気が付かず、寒気を覚えた時には風邪の一歩手前まで来ていたり、
足が冷えるからと椅子の上に胡坐をかいていたら、しばらくして歩行がおぼつ
かなくなるほどに痺れと痛みに苛まれたりもした。

長時間プレイが当たり前という環境下において、モニタと自身の位置関係だけでは
なく、姿勢や寒さ対策等の快適性も今一度考え直さねばならぬ、と感じた。
あと、プレイ中に時計が見えるようにすることも結構重要。
気になったら手近にあるスマホで確認、などと考えていたが、それでは甘すぎた。
常に時間が表示されているものがモニタと共に視界に入る場所に無いと、すぐに
時間を持ってかれていることを忘れてしまうし、そういう時は概して手が
塞がっている。
適当な時計を一個増やせば良いだけなのであるから、ここでケチっても仕方がない。
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スッキリしない感じ

2018年11月15日 23時15分55秒 | Weblog
朝起きてもどうにも眠いという日々が続いている。
未だ季節の変わり目ではあるものの、寒さで目が覚めるというようなことは
なく、普段通りの時間に寝て起きているつもりであるが、一体何が悪いのか。
仕事に支障が出るには至っていないが、会議中にどうでも良い内容になった
時や、単純作業の積み重ねになった時はかなり危険状態に陥る。

成果の上では問題ないはずであるが、舟を漕いだり突っ伏した状態を
晒してしまうと色々と終わるので、そういう所は本当に気をつけねばならない。
気をつける所が違うような気がしてならないが、病気とかでない以上
いくら弁明してもどうにもならないので粛々と自衛の技を磨くのみである。

そしてゲームをやるとさらに寝付きが悪くなりそうとの理由から『RDR2』も
ほとんど進めていない。Youtubeでプラモの作成講座の動画を見て、その他動画
等を見てから本を読んで眠る。そんな日常。
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面倒症

2018年11月13日 23時25分24秒 | Weblog
先日洗濯をしていて、ふとベランダから階下を眺めたら、自分のものと
思われる洗濯物が風で落下していて、しかもそれに一週間以上気がつかなかった
事に少々落ち込む。

言っても相当に着古したものだし、別に高い服でもない。何の変哲もない
普通のユニクロのTシャツである。
しかしこの長年愛用してきたものが不意に壊れたような、何とも言えないもの
寂しさを覚える。単に年来の貧乏性のせいとも言えるし、今までにかような
ヘマをやらかしたことがないので、それで殊更に心に来ているのかも知れない。

長いものでは10年以上使い続けてきている服もあるし、襟がよれて人前で着れなく
なった服でも部屋着として使ったり、枕カバー代わりに使ったりしているので、
貧乏性という線は大いにあり得る。この他、いい加減に新しい服を買えという
お告げのようなものととらえることも出来よう。

そういえば、夏でも冬でも構わず着続けてきている半纏がそろそろまずい。
具体的には腋の下あたりからほつれて破れて、この度それがめでたく開通して
しまった。何かあるたびに修繕しようと思ってきてはいたものの、面倒だからと
それをせずに放置してきた結果がこれである。

裁縫道具は一人暮らしの際に小学生の家庭科の授業で使った一式を持ってきて
おり、引っ越しの時にもそれなりにアクセスしやすい場所に置いたはずであったが、
引っ張り出すのも億劫で、ついでに修繕のやり方も忘れて久しい。

その気になれば裁縫道具などネットで買えるし、方法もウェブで調べられる
はずであるから、やはりやる気の問題であろう。
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用法用量を守ることが最良の薬

2018年11月11日 23時37分10秒 | Weblog
同年代の友人から『来年は厄年(前厄)』との話をされ、多分一緒に
お祓い行こうぜということだろうと判断し、興味もあったので承諾する。

厄年というものを調べてみると、男性の場合は概ね何かに一段落つく時期
であったり、脂がのってきていると言われているような時期で、
『好事魔多し』という言葉があるように、色々な物事に慣れてきた頃が
危険であるから、つまりは油断はするなよ、という戒めとして設定した
ものではなかろうかと考える。

非常に穿った考え方をするならば、神社や寺が需要を自ら生み出すべく
用意したある種の呪いという見方もできる。なまじ知ってしまっているから、
何かあった時に"これは○○のせいだ"と思ってしまう。
昔の都市伝説にあった『紫の鏡』と似たような仕組みの、言葉とそれに
付随する知識により心身に作用する"情報の毒"といえよう。

つまりは、呪いとはこういった"情報の毒"と考える。
毒とは絶対的に害になるものもあるが、多くは用法と用量を適切にすれば
薬になるものであり、薬になる情報(言葉)も同様に存在すると思われる。

人間は一度知ってしまったことを意識から消し去ることがほぼ出来ない。
頭の中では忘れていても、別のイメージや物事に関連した形で残り続け、
しつこく残り続けるから、根源的な感覚に作用するような情報に毒を
仕込まれると、事実上一生消去不可で大変にたちが悪い。
なればこそ、お祓いという行為で上書きできるよという、少々強引ともとれる
対抗措置が用意されたのではなかろうかと考える。実際この情報のせいで
心身を害した人が相当数いたのではなかろうか。

しかしそれにしても、情報化社会で情報が氾濫している昨今、水やら塩の
ような欠くべからざるものであっても過剰摂取では毒になる如く、
情報の摂り過ぎで中毒を起こしている物やら人が増えてきていると感じてやまない。

『気にするな』という言葉は少しばかりは薄める効能があるが、薬にはならぬ。
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ぶらり修羅の旅

2018年11月08日 23時41分03秒 | Weblog
だいたい一日おきくらいに『Red Dead Redemption2』をプレイしている。
基本は敵対されたらデスマッチの修羅の国であるとか、多少死んだり
恨まれても気にしないの精神で臨むべきとか、ようやくルール的なものが
飲み込めてきたという所。疲れたら馬に乗って適当に野生生物を狩る。

しかしながら、未だに自分の所属する集団のボスと肉担当の人以外の名前と
顔と主人公との関係が把握できていない。これから話を進めていけば、
徐々に明らかになってくるのかも知れないが。

そして相変わらず時間の溶け方が半端ではないので、休日にじっくり進める
ことにする。これの前にやっていた『モンハン』と比べるのもアレであるが、
件の作品のような爽快感や達成感は無いが、底意地の悪さのようなものが
見えるような場面がなく、あまり感情に波風を立たせずに遊べるという印象。
もしかしたら、案外対照的なのかも知れぬ。 
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