物事は、信じなければ進まない。疑わなければ変わらない。
ふと、そんな気がした。
考えてみると、やはり疑うのは苦手のようだ。さりとて信じ続けるのも
また苦手である。つまり、『信じない』のが得意なのだ。
疑うことと信じないことは、似ているようだが全然違う行動である。
疑うということは、その物事が正しくないという前提で、積極的に調べ
あげ改めていくことであるが、信じないという事は、あらゆる物事に
知らんぷりをするか、それは嘘だろう?と言うようなことである。
疑うことも信じることも、かなりのエネルギーを使うものである。
それを持続させるとなると、並大抵の苦労ではない。
散発的に信じたり疑うことは出来るかも知れないが、持続的というのは
気力がもたない。
ふと、そんな気がした。
考えてみると、やはり疑うのは苦手のようだ。さりとて信じ続けるのも
また苦手である。つまり、『信じない』のが得意なのだ。
疑うことと信じないことは、似ているようだが全然違う行動である。
疑うということは、その物事が正しくないという前提で、積極的に調べ
あげ改めていくことであるが、信じないという事は、あらゆる物事に
知らんぷりをするか、それは嘘だろう?と言うようなことである。
疑うことも信じることも、かなりのエネルギーを使うものである。
それを持続させるとなると、並大抵の苦労ではない。
散発的に信じたり疑うことは出来るかも知れないが、持続的というのは
気力がもたない。