気が付けば休日をまるまるモンハンに費やしていた。
おかけでラスボスも倒し、多分件のゲーム的にはここからが本番のエンド
コンテンツが始まった辺りまで進んだが、ラスボスまでのストーリー的に
主人公(プレイヤー)が持ち上げられ過ぎで違和感を覚える。
と言うか突発的かつヤバいのが目に見えているラスボス線でも3回死亡で
ゲームオーバーなのは甚だ納得がいかない。
設定的にはギルドから発行されたクエスト以外は報奨金が出ず、一回死亡で
報奨金の三分の一を復活やキャンプ運搬費用として猫たちが持っていき、
それが尽きた段階でクエストとして収支が成り立たなくなるから失敗という
設定を昔見た気がしたのだが、その辺はどうなっているのか。
それでもクエストにするというのであれば、支給品に目一杯の補助アイテムを
てんこ盛りにしておいて欲しかったが、当たり前のようにそんなものはなく、
そんな適当な状況下で『アイツしかやれる奴はいませんから』というノリを
出されても、体よくはしごを外されたようにか感じない。
多分ゲームに出てくる主要NPC達は主人公の事を『天変地異クラスのモンスター
も討ち果たすヤベー奴をどう始末するんだコレ』と腹の中で思っていることで
あろう。それであれば、キャンプの支給品の貧弱さにも納得がいく。
とりあえず、NPCの面々が所々で何かうまいことを言ってるつもりが、実際に
プレイしてきている立場からすると微妙にずれている場面が多く、これらの
テキストを書いた人は実際にプレイしたのだろうかという疑惑すら沸いてくる。
個人的にはストーリーはこのシリーズにおいて、ゲームを進める上での原動力に
はなっていないと感じるので、正直お使いだけでいい。
そして進行上のキーとなるクエストは三回やられてもゲームオーバーにならないか、
敵に与えたダメージがいくらか引き継がれるとか、根気があれば誰でもクリアできる
ようにしておくのが良いと感じる。
以前にも書いたかも知れないが、クリアできるゲームというのはそれだけで一定の価値がある。
良く出来たゲームだけどクリアできなかったゲームより、多少お粗末でもクリア
できたゲームの方がやる側としては価値が高いのではないかと思う。
"クリアする"という概念のないゲームが最近は主流のような動きがあるが、
ちょっと承服しかねる部分がある。
おかけでラスボスも倒し、多分件のゲーム的にはここからが本番のエンド
コンテンツが始まった辺りまで進んだが、ラスボスまでのストーリー的に
主人公(プレイヤー)が持ち上げられ過ぎで違和感を覚える。
と言うか突発的かつヤバいのが目に見えているラスボス線でも3回死亡で
ゲームオーバーなのは甚だ納得がいかない。
設定的にはギルドから発行されたクエスト以外は報奨金が出ず、一回死亡で
報奨金の三分の一を復活やキャンプ運搬費用として猫たちが持っていき、
それが尽きた段階でクエストとして収支が成り立たなくなるから失敗という
設定を昔見た気がしたのだが、その辺はどうなっているのか。
それでもクエストにするというのであれば、支給品に目一杯の補助アイテムを
てんこ盛りにしておいて欲しかったが、当たり前のようにそんなものはなく、
そんな適当な状況下で『アイツしかやれる奴はいませんから』というノリを
出されても、体よくはしごを外されたようにか感じない。
多分ゲームに出てくる主要NPC達は主人公の事を『天変地異クラスのモンスター
も討ち果たすヤベー奴をどう始末するんだコレ』と腹の中で思っていることで
あろう。それであれば、キャンプの支給品の貧弱さにも納得がいく。
とりあえず、NPCの面々が所々で何かうまいことを言ってるつもりが、実際に
プレイしてきている立場からすると微妙にずれている場面が多く、これらの
テキストを書いた人は実際にプレイしたのだろうかという疑惑すら沸いてくる。
個人的にはストーリーはこのシリーズにおいて、ゲームを進める上での原動力に
はなっていないと感じるので、正直お使いだけでいい。
そして進行上のキーとなるクエストは三回やられてもゲームオーバーにならないか、
敵に与えたダメージがいくらか引き継がれるとか、根気があれば誰でもクリアできる
ようにしておくのが良いと感じる。
以前にも書いたかも知れないが、クリアできるゲームというのはそれだけで一定の価値がある。
良く出来たゲームだけどクリアできなかったゲームより、多少お粗末でもクリア
できたゲームの方がやる側としては価値が高いのではないかと思う。
"クリアする"という概念のないゲームが最近は主流のような動きがあるが、
ちょっと承服しかねる部分がある。