ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

物欲解放期

2018年06月28日 23時40分47秒 | Weblog
サラリーマンをやっていて、少しばかりの潤いの時。
それが賞与である。六月は祝日が無いので特にありがたい。

今から何を買おうかアレコレ考えているが、賞与とか関係なしに
日頃からそれなりにお金を使っている(例えば少し前に高い
椅子を買った)ので、普段の買い物に勢いをつけるきっかけと
捉えた方が良いのかも知れない。

かと言って半ば勢いで普段買わないようなフィギュアを買って
しまうような事態は避けたい。奇しくもそんなフィギュアが近日
届く予定で、前回の賞与時の浮かれっぷりを見せつけられるような
思いである。ただ反省あるのみ。反省しつつ物欲を甘やかすのみ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

服残量僅か

2018年06月26日 23時42分57秒 | Weblog
急に暑くなり、シャツ一枚でも汗ばむような季節になり、
インドア生活が極まっている身空にも夏の存在を感じさせる。
そのような中で、いい加減にTシャツのストックがかなり古くなって
いることに気付く。
襟首の部分がよれていたり、ボロボロになったものは部屋着や
枕カバーとして余生を送るのが、我が家におけるTシャツの生涯で
あるが、現役のものがギリギリ一週間分あるかないかという状態で
そろそろ買い足さねばならないという状況。

思えば、洗濯の際に柔軟剤を入れるようになってからシャツの寿命は
延びたようにも感じる。元々タオルが洗濯によってカチカチになるのが
嫌で始めたものであったが、かような副次的効果があるとは思わなかった。
ただそれが原因で買い足しのタイミングを逃しかけたとも言える。

とは言え、別にお洒落とかそういうのには興味がないので、適当に
そこいらのユニクロで無地の廉価品を買うだけの話である。
ついでなので多少余分に買っておくか…。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

趣味の休日

2018年06月24日 23時21分38秒 | Weblog
休日はプラモをつくって過ごすことが増えた。
引越しの時に実家から持ってきた道具やら塗料の一式を
引っ張り出してきたが、未だに塗料のビンを開ける勇気がない。
缶スプレーとかも持ってきており、未使用のものもあったが、
現在どれくらい生き残っているのであろうか。
大阪に越してきて間もなく買ったエアブラシセットについてきた
エアーカンは完全に死んでいたが、他の缶スプレーもそうなっていない
ことを願うばかりである。

プラモをつくっている割に塗装(塗料を使う)にまで至っていない
のは、未だに下地処理が終わっていないためである。
それも今日で一段落。ようやく塗装が出来る…はずであるが、まずは
塗料の乗りを良くするためにざっくり洗わねばならない。
こんなに手間のかかる趣味が衰退したのもむべなりと思えるくらい、
正直面倒の塊であるが、手を動かしている間は無心になれるので
精神修養の一つと言えば納得できなくもない。

パッと見旨そうなご褒美をちらつかせて、ストレスずくめの試練を
与えてくるゲームとかよりは、いくらか建設的でもある。

それにしても、近所に模型店がない環境は少しつらい。
塗料が欲しいとか、機材が足りないという時にちょっと買いに行くと
いうことが出来ない。

近所の、ちょっとした死角的なところに模型店があった、という夢を
たまに見るが、実現して欲しいと願ってやまない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こじつけかも知れない

2018年06月21日 23時16分51秒 | Weblog
月曜に地震があったことがすでに遠い日のように感じる
今日この頃。思えばあれが何かの前兆だったのかも知れない、
という出来事がいくつかあったので、以下に記しておく。
なお、科学的根拠は一切なく、こじつけや思い込み、オカルトの
色の濃いものであるということを予めご理解頂きたい。

・変な雲を見た
前日の夕方に散歩した際に西の空に煙突から登る煙のような
雲を見た。その時はどこかの煙突から登る煙かと思ったが、周囲では
それなりに風が吹いていたために妙だと感じ、後から調べてみると
地震雲というものに酷似していた。
なお、地震雲に根拠は無いとのこと。

・部屋で大きなクモを見た
ダジャレではない。大きな、といっても普段の生活において見かける
それよりも大振りというだけで、クモとしては普通のサイズである。
種類はおそらくG退治の専門家として名を馳せているものの小型版で、
それがいるということはつまりはGの字がいるということで、見た
時にはそっちの方にばかり気が行って仕方がなかった。

・周囲にGの字を見かけなかった
この季節になると例年Gの字がそこいらの道という道で水を飲んでいたり
するものであるが、今年はまだほとんど見かけていない。
上の事象と関連があるのかも知れないが、単にセミのような発生周期の
ようなものがあるとか、そもそも単なる偶然という可能性もある。

ここからは地震後の現象
・カラスが騒いでいた
何かしらの天変地異があった際に動物が騒ぐのは至極自然な出来事であるが、
カラスが人間がするような安否を確認する世間話的なイントネーションで
鳴き合っていた。これも個人的な思い込みがもたらしたものかも知れないが、
カラスは横のつながりが結構強いという印象。近所の主婦みたいである。

この手の出来事は時間が経つことで急速に忘れていくものであるから、
駄文であることは承知の上として、ひとまず書き留めておくこととする。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

揺れる朝

2018年06月18日 22時59分13秒 | Weblog
朝、いつも通り身支度をしていると、少し揺れたかなと思った
その直後にすごい音を立てて家が揺さぶられた。
まず音に驚いてしまい、混乱している中、うねくるように揺れる
本棚やフィギュア棚を支えまいかと一瞬考えたが、これは無理だと
判断し、揺れが収まるまで壁を支えに身を固くする他なかった。

その後大阪を中心に最大震度六弱の揺れが襲ったことを知る。
思えば阪神大震災も、東日本大震災も経験しておらず、震度5以上の
揺れは人生初で、改めて家具を支えようとしなくて良かったと、
肝を冷やす。

一応近隣ではそこまでひどい状態ではなさそうだったので、ひとまず
出社するために駅に向かう。電車が止まっていたら休みを入れる腹積もり
ではあったが、実際見てみないことには何とも言えぬ。
果たして電車は地下鉄含め止まっており、駅の周辺には避難した人や
電車を待つ人で溢れかえっていた。これまで見てきた中で、かように
人でごった返しているのは初めてである。
現状は把握できたので、ひとまず午後から出社の報を入れ、自宅に
戻る。道すがら寄ったコンビニでは陳列していた物やビン類が落ちて割れた
跡があり、店内はひどくワイン臭かったが、ここでようやく地震の被害
らしきものを見た思いになる。

昼過ぎても電車は動いておらず、会社からも自宅待機の命が出たので
駅前で昼食を買って引き返す。見れば朝からずっと同じ場所にいる人も結構
いる。高校生と思しき集団もずっと駅に座り込んだままだ。
最近の学校では携帯電話などによる緊急連絡網とかそういうものが
あると思っていたが、そんなことは無いらしい。少々気の毒になる。

自宅で改めて状況を確認する。曰くまだ余震とかあるために油断は出来ない
とのことで、ひとまず念のために湯船に水だけ張っておくことにした。

家の中はフィギュアが数体倒れた程度で、本棚から本は落ちておらず、
その他の器物も全て無事であった。念のため耐震用の突っ張り棒や、細かい
フィギュア固定用のジェルを使用していたのが幸いしたと思われる。
地域的にも揺れが比較的弱い地域だったこともあるだろう。
本格的な揺れが来たらと思うと、冷や汗が出るが、ひとまずは備えをしつつ
油断せずに過ごしたい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近すぎて見えない

2018年06月17日 23時22分37秒 | Weblog
休日の少々手持無沙汰になった時には、プラモデルをちまちま
進めるようにしているが、下地の処理が一向に終わらない。

そして作業をしている際に、何やら手元が良く見えないことに気付く。
20cmくらい目の前に近づけたものでもピントを合わせるのに苦労する。
目に近づけ過ぎたら見えなくなるのは道理であるが、それでも昔は
10cmくらいまで近づけても見えていた気がする。

もしやと思い調べてみたら『老眼』の可能性であった。
この間39歳になり、実年齢と精神年齢の乖離がいよいよ洒落にならなく
なってきたと感じる昨今、追い打ちのようなこの現実。
一応眼鏡やルーペで何とかできる程度の問題ではあるが、老眼の"老"
あたりのもたらす負のイメージが殊更に心を苛み悲しい気持ちにさせる。

ついでに長時間作業していると次の日筋肉痛になる。
普段の仕事やPCやスマホの閲覧、ゲームでは全く使わない所を使っている
せいなのであろう。思えばブランクも10年を超える勢いである。
昔取った杵柄、という言葉もあるが、腕を磨くどころか全く動かさない
ままで10年も時間を置いたならば、初心者と同列とみたほうが良かろう。

ひとまず、まだ手元があまり狂わないだけマシとみるべきであろうか。
パーツの細かいモールドを切り飛ばしてしまったり、自分の指を切ったり
とかは無いので、何とか矜持を保っていられる。
ただ、結構神経使う上に、持続力が落ちているので長時間持たないが。
今のプラモが完成するのに、あとどれぐらいかかることやら。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好き嫌いの激しい部分

2018年06月14日 23時38分22秒 | Weblog
以前にも書いたかも知れないが、実家からわざわざ持ってくる程度に
『悪魔城伝説』が好きなので、『Bloodstained: Curse of the Moon』は
迷わずに即購入した。
PSストアを利用するのが初めてで、その点だけ少々戸惑ったが、
コンビニでプリペイドカードを購入して、あとは滞りなく進められた。

件のゲームはレトロスタイルアクションを謳う通り、かなり先に挙げた
悪魔城伝説に近い作りのものである。グラフィックも後期ファミコンを
思わせるような絵作りで、システム面もほとんど悪魔城シリーズのそれで
あるが、操作感に関してだけはやや軽い(良く言えば軽快)と感じた。

もっと具体的に言うとジャンプの挙動なのであるが、それが軽い。
思い出補正で悪魔城や忍者龍剣伝におけるジャンプ時のフィーリングに
色が付いている可能性もあり、些細ではあるが、そこだけが少し気になった。

個人的に横スクロール系のアクションで、肌に合うか合わないかを
決定づける大きな要素の一つとして『ジャンプ時の感覚』がある。
そのお陰でマリオやロックマンが肌に合わずに今に至っており、
我ながらひどくストライクゾーンの狭い好みのツボであると感じる。

とは言え、その好みも長く遊ぶ際に効いてくる要素であって、軽く遊ぶ分には
気にならないし、他に楽しい部分があれば慣れて気にならなくなる程度の
ものである。有り難いことに件の作品には低難易度モードが搭載されて
いるので、ゲーム的な壁にぶち当たる(そして嫌になったり飽きたりする)
機会がかなり減らされている。

また、DL版のゲームでもあるのでわざわざディスクを入れ替える必要もなく、
ちょっと遊びたくなった時にすぐ起動できるというのも良い。
まだまだプレイの途中であるが、じっくり遊んでいきたい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一番先のすぐ後ろ

2018年06月12日 23時26分24秒 | Weblog
39歳になった。
会社員になってから、記憶に残るような誕生日を迎えておらず、
一番最後に心に残った誕生日の記憶は実に学生時代にまで遡る。
かような状態なので、もはや取り立てて感慨が沸くということもない。

自分へのご褒美的なものも結構定期的にやっているので、今更
与える必要もない。そもそも自分から自分へ与えるものというのも
おかしな話で、俺のものは俺のもの。

ともかく、誕生日というととかく過去に思いを馳せがちで、そこには
反省とかそういったものは無いので、何はともあれ前だけ見て進む
くらいが丁度良いのではないかと思うに至る。

母親からの誕生日祝いのメールに『そろそろいい人を見つけては如何か』
という旨の行があり、前を見て進むとはおそらくそういうことなので
あろうが、前にあるものを選ぶくらいは許されていると思いたい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作品として特殊であるということ

2018年06月10日 23時24分08秒 | Weblog
ふとエロ漫画を読んでいて思ったことであるが、エロ漫画作家の
多く、特に人気作家は皆"人型のアバター"を持っていない。

少年漫画などでは表紙の折り返しなどに度々描かれているもので
あった(それでも近年かなり減った気がする)が、エロ漫画においては
対談とかの自己画像であっても、人型であることは殆ど無く、
せいぜい犬や猫などの他の動物、大体は生物ですらないものを
アバターとして用いている。

巻末で読者サービスのために色々と語ったり、人物設定などの補足を
行うのはエロ漫画においても比較的定番のスタイルであるが、そこで
作者自身が出ている例は少なく、実際読んでみた際の正直な感想として、
読後感に雑味をもたらすだけなのであまり嬉しくないというのが
本音である。

エロ漫画は読む以上に使うものであるから、描き手の顔が浮かぶと
台無しであるというのは理に適っている。
これはエロに限らず多くの漫画のジャンルにおいて共通と言えることで、
実際の効果が改めて吟味されず、半ば慣例のように今まで来てしまった
ものなのではないかと考える。

しかしそれにも例外はあり、ギャグマンガであるか、作者自身が漫画の
キャラ並みに個性的な場合は、アバターが雑味をもたらさず、作品と
馴染むと考える。
その場合は、いずれもコメディリリーフとしての扱いとなるので、
シリアスな内容であったり、エロ系の漫画においては相当のセンスが
要求されると思われる。

ましてや昨今では、僅かでも叩かれ得る余地のありそうな要素は
排除される傾向があるので、作者が顔を出さないということが当たり前に
なりつつある。顔やアバターを出す事は、作者をして作品に対しての
品質責任の表明であったり、読者へのサービスという意味合いも
依然十分にあるだろうが、とりあえずエロに関しては、作者の嗜好や
人となりは見えても良いが、どんな人かは見えなくていい。

なので、サイン会とかそういうのもしない方が良いと考える。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつの間にか爆弾化

2018年06月07日 23時31分55秒 | Weblog
最近買ったエロ漫画単行本であるが、少し前に比べて消しの濃さが
少々緩和されたような気がする。10年近く前のエロ漫画単行本に
至っては、出版社にもよるが消しすらないものもあったが、ソレは
所持していても大丈夫な類のものなのか、少々気になる。

法律により規制が敷かれて、ある時までは大丈夫だったものが、
急に大丈夫ではなくなるという状況は、いくらか仕方のないものとは
言え、かなりの恐怖である。性善説的に運用がなされなければ
冤罪やら別件逮捕やらの温床となる事は必至と言えよう。

とは言え、かかる爆弾を抱え込むような事態になろうと、やはり
エロは最終的には無修正であって欲しいと願ってやまない。
(性的に)生きている内に実現乞う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする