ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

透明人間という存在

2016年07月31日 23時28分22秒 | Weblog
SF系の物語などでよく登場する"透明人間"であるが、よくよく
考えてみると案外考察の余地のある存在だということに気付く。
そのせいか、物語によっても解釈や性質が異なっていたりして、
作家毎に苦慮の跡がうかがえる。
ともあれ、透明人間がどうやって透明になっているのかに
ついて、考えてみたことを以下に記したい。

◆実体がある系
構造自体は普通の人間や生物として特に変哲の無い存在がこれ。
見えないだけで、体温や呼吸や行動に伴う音は生じる。
ものによっては影だけは落ちるというケースもあるが、この場合
屈折率がゼロでないことになる。ともあれ理屈は不明。
それはさておき、諸々のパターンを挙げてみる
●光学的トリック型 ガラスのように本当に透明なもの。
 原則として屈折・反射率はほぼゼロであるが、水中でも不可視になる理由は不明。
 ・体組織が完全に透明→飲んだり食べたものは見える。
  ※体に入ったものがどの段階から透明化する(馴染む)のかは不明
  ※抜け落ちた毛や流れた血なども不可視の場合がある。

 ・体表に光を歪曲する何かがあって、背景を透過する。
  →体内に入れたものは透けない。また、"体表"の範囲によっては着ている
   ものも透明化する場合もある。そして、体表から離れたものは透過しない。

●感覚的トリック型
 周囲の人間の感覚に働きかけ"いないもの"として認識させる。
 程度によっては、体温や音なども消去できるが、足跡などの間接的なものは
 消去できない場合がある。
 ・視覚のみを騙し、認識されない場合。
 ・存在そのものを認識の外に追いやる場合。→触れていたとしても気付かれない

なお、光学的トリック型の場合、当の本人が視覚により外界を認識することは
理屈の上では不可能である。つまり、このパターンの透明人間は"何も見えてない"。
エコーロケーションや嗅覚といった、視覚に依らない外界認知の手段を獲得
していると考えるのが妥当であろう。

◆実体が(ほぼ)ない系
構造がすでに人間ではなく、幽体や霊体、もしくはごく小さい粒子の集合体(煙)
のような存在がこれ。壁とか物質を透過できるが、反面こちらから物質を持ったり
干渉することが出来ない、もしくは干渉可能なものがごく限られているものが多い。

●幽体型 いわゆる幽霊。限られた人しか認識することが出来ない。
 なぜか大体の場合において、家を揺らすとか大雑把な行動しかできない。
 物質の透過は出来るが、家屋には許可がないと入れないとか、流れる水を
 越えられないなどの、特有のルールに縛られる場合もある。

 幽体型亜流・陰に潜む型
 暗闇に文字通り溶け込んだり、相手の影の中に潜り込んだりする。
 全くもって理屈は不明である。暗闇に溶け込むのは、後述の群体で可能か。

●粒子型 煙や小動物(虫)の群体。 厳密には透明ではないが、粒子径によっては
 ほぼ不可視と言えるレベルにまで達することは可能。ただし、一体一体が小さい
 せいか、知能はおしなべて低い傾向があったり、本体が別の場所にいる場合が多い。
 重いものを動かしたりすることは出来ないが、えげつない攻撃が可能。
 性質上強い風に弱い。

ざっと考えてみたが、やはり理屈では説明しきれない所が多く、ファンタジーの
存在であることがむしろ強調されたような結果であった。
"こうありたい""こうだったらいいのになァ"というような、(どちらかと
いうと負の)願望がこういった存在を生み出すのであろう。
ある種根源的願望の現れとして、普遍的な存在の一つ(例えば人造人間のような)
なのかも知れない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

データはモノか否か

2016年07月28日 23時23分49秒 | Weblog
例えばあと10年後とかに、今出ているスマホのゲームを懐かしさに
駆られてプレイしようとした際に、おそらく相当に苦労するのだろうな
と、ふと思う。OSはすぐに更新され、しかも自動なので、動作する
バージョンを留めておかねばならないし、大元のデータがサーバー側に
あった場合は、残っているかどうか怪しく、かなり絶望的なことになる。

ゲームに限らず、肝となる部分がデジタルに置き換えられたものに
関して、それを後の時代に再現させようとした場合、非常な困難を伴う
ことが予想され、マイナーなタイトルなどは完全に消滅してしまうことも
あるだろう。アナログな要素が少しでも入っているのであれば(例えば
外箱などの付属品があるだけでも)いくらか風化は防げるが、それなりに
大がかりな製作物がものの何年かで完全消滅する可能性があるという
現状は、冷静に考えてみるとうすら寒い心地を禁じ得ない。

というようなことを説いても、多くの人は恐らくピンと来ないと思われる
のがむべなりと言えるほどに、現在はあらゆる制作物が世に氾濫している。
誰かが必死で、生涯に一度生み出せるかというようなレベルのものですら
いともたやすく消費され、流され、忘れられ、そして消滅するのである。
このような状況下で、例えば最低限度の形として、一つでも残るので
あれば、後世においてそれが再評価されたり、記憶や遺物として残されて、
"報われる"結果もあり得るだろうが、完全消滅したり、修復不能な
レベルで他のものに変わってしまった場合は、もはやどうしようもない。

卑しくもものを作る事に手を染めている身として、何も残せない、何も
残らないということは、ひどく恐ろしいことと感じる。
こういうものがかつてあった、という記録が残れば幾分マシであるが、
やはり作った時の意図が伝わるレベルには残って欲しい。
その点、前提や条件が厳密に要求されるゲームというのは複雑に過ぎた。

古いおもちゃやゲーム、シールやカードの類を身銭を切ってかき集める人
の多くは昔、子供だった頃に手に入れられなかったものを取り返している
ような所があるだろう。 それから時代が進んで、1から10までデジタルに
なった時に、そういったコレクターは何を収集するのだろうか。
その辺のエミュレートの技術が発達して、残せるようになるのか。
興味深く見守りたい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海外旅行気分

2016年07月26日 23時34分48秒 | Weblog
間近に迫るあの日(世界樹の迷宮発売日)までに『ウィッチャー3』を
出来るだけ進めようとする。とは言え、この手のゲームをプレイすると
疲労の蓄積と時間の経過速度がおかしなことになるので、休息日や
メインクエストをやらない日などを定めつつ進行することにする。

まだまだ序盤ではあるが、日本のRPGと違い、強敵や身の丈に合わない
クエストに挑んでも良い事があまりないこととか、攻撃魔法が弱いとか、
矢が弱いとか、幻惑して後ろからバッサリやるのが一番効率が良いとか、
各所に思想の違いや意見のようなものが見られ、それだけでも面白いと
うならさせられる。後は18禁のZ指定なので、描写や展開が基本的に
容赦なく、その容赦の無さも日本の倫理観や道徳観念とはまた違う所を
突いてきており、面白い。

しかし、今までやったいわゆる洋ゲーにおいて、ゲームを進める動機が
殆ど家族(しかも大体子供が絡む)関係というのは、いささか
ワンパターンとも感じ、"またか"という気持ちにさせられる。
おそらくは王道的、なのだろう。確かに考えてみると、万人をして
納得しうる、主人公と感情を同期させるきっかけとして、最適なものは
親や子を探すとか、それらを奪われた復讐だとか、そういうものなの
だろう。

少し前から日本では"絆"という概念を強く推しでいるように感じ、
いきおいゲームの中にもそれが反映されているようにも思う。
しかし、そこでは親と子の絆はどういう訳かあまり出てこない。
往々にして友人や仲間、恋人とかその辺の、有り体に言うと下世話な
繋がりが大体を占めている。
あまり受けが良くないというのは分からなくもないが、なればこそ
ゲームで(後から思い出して、これはこういうことだったのかと
気が付く程度にでも)描けば良いのに、とも思う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一芸を生かす編成

2016年07月24日 23時34分33秒 | Weblog
道行く人が、皆スマホを眺めつつ歩いているように見えてしまう
今日この頃であるが、実際のところはきっとそこまででもあるまい。
つまりは気のせいというやつであろう。なお、ポケモンは嗜んで
いない上に端末のバージョンも古いので、件の波に乗る気はない。

話は変わるが、某料理漫画で料理対決のようなものをやっているが、
対決している側はほとんどプロデューサーのような立ち位置なので、
純粋に料理の旨い不味いで勝敗を付けるのはお門違いだとふと思った。
どこで、誰に、いくらで、どれくらい用意するのかというような、
数多の条件がそこに加わってくるものであろうから、評価も
一筋縄では行かないはずである。

往々にして芸術家や職人というものは、プレゼンや交渉事が下手
だったり、コネや人脈が乏しかったりするので、プロデューサーと
言う存在はその不足を補うために大きな役割を果たすものである。
これで、さらにマネージャーがつけば、仕事の内外の管理や調整が
お任せ状態になるので鬼に金棒であるのだが、そこまでやっている
人はどれくらいいるのだろうか。

フリーランスの場合はその辺をほぼ一人でやりくりするのが
当たり前のような風潮が以前はあったが、今はさすがに少しは
変わっていると思いたい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

噂の三作目

2016年07月21日 23時33分06秒 | Weblog
かの有名ゲームタイトルの三作目ということで、『妖怪ウォッチ』
ではなく今更『ウィッチャー3』を購入する。
思えばこれまでPS4のスペックをフル活用したようなゲームをまだ
プレイしたことがなく、『ギルティギア』とどちらにしようか
悩んだ末に決めたのがこちら。

これまでこの手のゲームとして『skyrim』や『red dead redemption』
をプレイしてきたが、いずれもクリアに至れず(寄り道ばかりして
時間ばかり費やし、その内に他の新作が出てやらなくなる)、今回も
すぐ近くに『世界樹の迷宮』の新作が控えているため、その結末が
非常に濃厚である。
上記のゲームもそうであったが、この手のゲームはリアル時間が
笑えてくる速さで削られてゆくため、気が付けば4~5時間経っていた
というようなことがザラであり、さりとて時間を制限してプレイすると
遅々として進まないという状態のため、未だに序盤である。

そう言えば、続き物のタイトルで過去作を飛び越していきなり最新作を
プレイするというのは、案外久し振りである。
思えば特定のタイトルばかりをずっと買ってきていた。
件の作品は一応3からプレイしても問題ないという触れ込みであったが、
やはり良く分からない部分も多く、さりとて旧作をプレイする気にも
なれず、ややすっきりしない所もあるが、何とかウェブの情報などで
補完しつつ楽しんでいけたらと思う。(とりあえず8月までは)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仮面がずれる時

2016年07月19日 23時27分49秒 | Weblog
突然ながら、くしゃみという行動にはその人の"素"が出る
ように思えた。ただ、くしゃみと言っても前振りを置いた、
出るまでに猶予のあるものではなく、ほぼ瞬間的に出る
突発的なもの、つまりくしゃみが出るに当たって"構える"
猶予の無いものに限られる。

大きく、爆発的にかつやや上向きにかます人もいれば、
下向きに、出来る限りコンパクトにまとめてかます人もおり、
そもそも音や体の振りが他と違っていて、咳払いとあまり
見分けが付かないような人すらいる。
また、くしゃみの終わり際に余勢とばかりに呪文を唱える
(何を言っているのか分からない)人や、リフレインを
行う人など、アウトロ的な部分も実に個性的であると言える。

その他、身近な人から伝染したとか、そういう可能性もある。
鼻炎持ちであるとか、そういう肉体的な要因も見逃せない
など、様々な要素が絡まり合っているため、簡単には行か
なさそうではあるが、やはり個々人の個性は大きな要素を
成しているという確信めいた予感がある。

折しも夏休みの時期であるから、夏休みの宿題のテーマなど
として、どなたか取り組んでみては如何だろうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暗号解読

2016年07月17日 23時22分40秒 | Weblog
絵を描く上で、実際に描く(出力する)までの考え方として
いくつかのやり方があると考える。
例えば人の顔を描く際に、顔の輪郭や目、鼻、口などのパーツを
頭の中に蓄えたストックから適宜選択し、配置していくというやり方。
もう一つはなるべく細かく、対象を立体として、面や塊の組み合わせと
して、いったん頭の中に展開して、それをなぞるやり方。

まだ他にもいろいろあるとは思うが、上手い人でも芸術家でも
いずれかの方法に属しているものであり、また、場所や場合によって
使い分けていたりもするので、どれが正しいとか、そういう話ではない
ことを、まずはご理解いただきたい。

こういった『福笑い的再構築型(仮称)』と『粘土遊び的虚構型(仮称)』
の考えは、絵を描く際だけでなく、言葉の領域にも関わってきているの
ではなかろうかと、不意に思い立つ。

普段使っている日本語は何となく前者の福笑い的な所があって、ある程度の
法則性はあるかも知れないが、結局は"こういう時にはこういう言い回しで
表現する"というような、膨大な慣用句の集合体のような処理を行っている
ように思える。人によってそこは様々であろうが、少なくとも個人的には
そうである。
反してまだ全く拙いものの、英語を解釈する際は一旦頭の中に仮想空間を
作って、"モノ同士のかかわり合いがどうなっているのか"を探るとうまく行く
ように思える。これもまた個人的なアレではあるが、言語を意味に置き
換える、解釈という分解方法がものによって異なる、というのは恐らく
確かで、それは絵などを初めとしたおおよその表現に対して当てはまるの
ではなかろうかと、ここまで考えて少し気が遠くなる。

意味や原義を文字や絵に変換するのは、一種の"圧縮"であって、例えば
zipかlzhかのような話と言え、つまりはそれを紐解く、理解する、解凍する
には専用の解凍ツール、即ちそれに照応した理解のための手順や方法が
必要になるのではなかろうかというような、ざっくり言うとそんな話である。

これからは多様性の時代と言われてきているが、こういった解釈の方法も
数多取り揃えておかねばならないかも知れない。これは中々大変だ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皮算用

2016年07月14日 23時22分33秒 | Weblog
そろそろ『世界樹の迷宮5』の発売を見越して、New3DSの購入を検討中。
言うほど安い買い物でもないので、諸々調べてから買おうとは思うが、
多分その時が来たら適当に購入して、不明点や疑問点は後から洗っていく
ということにはなりそうである。今までも大体そうであった。

そうして周りを見渡してみると、そろそろ買い替え時というものが
思いの外あることに気付く。結構高いものから安いものまで、様々である。

結構高いとは言っても、経済状況的に厳しいというほどの買い物には
ならない程度のものではあるので、そこは問題ないが、実行する"機"に
乗れるか否かが真に重大な問題である。
今までも、結局その機を逃し続けてダラダラとここまでやってきて、
それがつまり、今のこの体たらくという始末である。

そしてそのまたとない"機"が次の連休と見ている。
休みの日はひたすら脱力する習慣が付いてしまっているが、その負の連鎖を
良い意味で断ち切れるのが連休の存在で、平日のやる気と休日の自由時間
が同時に存在し得る、上記の行動を実行に移すには絶好の機である。

先の五月の連休は諸般の事情で無に帰していたので、尚のことである。
六月は祝日がないので、こんなにも祝日が恋しいのは久し振り。
気力を振り絞って何とか活動するぞ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

精神的防犯術

2016年07月12日 23時24分27秒 | Weblog
"ブックカース"というものがある。印刷技術が発達していなかった
頃、本は大変な貴重品であり、いきおい盗難も相次いだため、
鎖などで繋がれていたりもしたが、これは文字で『盗んだ者に
災いあれ』と記すことによる(精神的な)防犯の術である。

まず本が読め、しかも『地獄に落ちろ』とか『神に見放されろ』と
いう文言が真に通じるような相手は、それなりに信仰心のある者に
限られるので、これがどれほどの効果を発揮したのかは分からないが、
存外知識のある者こそ、魔が差して本の盗難などをはたらくのかも
知れないし、犯罪を犯す手合いに限って妙に信仰心が篤かったりも
する場合もあるから、地味に効き目があったのかも知れない。

さておき、このブックカース的なものは、今でも、あるいは今だから
こそ有効に使えるように思える。
例えば無断アップロードされる多くの著作物に対して、タダ見する
奴は××だというような、ブックカース的なものを仕込んで、精神的
抑止力とする手である。
他にも盗まれやすい傘や自転車に対しても応用が効くと思われる。
傘や自転車は物質で、肌に直接触れるものでもあるために、特に
効果覿面と思われる。例えば傘のグリップや自転車のシートに
『触るな病原』とか『うんこ』とか書かれたステッカー、もしくは
単にそれっぽい御札を仕込んでおくだけでも、相手を嫌な気持ちに
させ、盗む気を萎えさせ得るかも知れない。
盗まれた側をしても、ささやかながらではあるが溜飲を下げる
効果もあろう。

先の著作物は往々にして電子データなので、まず仕込むのが難しく、
そのくせ除去、無効化される可能性が高く、ついでに精神的に与える
ダメージも安定した成果を狙いづらいという問題がある。
CMなどで、『それ、犯罪です』というような警告を投げかけて、
道徳的にそっちへ傾かないように働きかけてはいるものの、まだ
生温いと感じる。

違法にアップされた著作物をタダ見すると、そのPCに貞子のような
強烈な呪いをかける存在がやってくるヨ…。という感じの脅しでも
良いかも知れない。
ブックカースでは、犯罪者に対し意外と宗教道徳的な脅しが効く
(現代ではちょっとあやしいが)という例を示しているが、
それと同じで、意外な所を攻めるのが効く可能性もある。
パッと例が出てこないが。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の壁

2016年07月10日 23時43分47秒 | Weblog
連日の暑さに対して、クーラーをフル稼働させることで
対処していたが、早くも体が音を上げたようで、腹が下り
ろくに活動することが出来なかった。

しばらくトイレに籠った後も、気を抜くと腹痛に襲われたり、
ちょっとした咳払いでも尻が緩みそうになるという、予断を
許さない状況に陥ったが、しばらく使ってなかった腹巻の
存在を思い出し、現在はそれを着用することで落ち着いている。

クーラーを切った状態でしばらくぐったりしていても、
数時間経って部屋が暑くなり始めると、それはそれで体力を
消耗するようになり、中々快適ということにはいかず、
体調の管理が難しくなってきていると感じる今日この頃である。

少し早いとも感じるが、夏バテ対策を施さなくてはならぬ。
少し早いと言えば、今年はセミの出現が早かった。あまり関係ないが。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする