ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

改めて変らざる

2019年04月30日 22時37分20秒 | Weblog
大手家電量販店の液タブコーナーで、『板タブレットで絵を描くとか無理』
という旨の発言をしている人や、スマホに表示したお手本を見つつ絵を描く
人がいて、やっぱり時代は新しくなっているのだと実感する。
確かに板タブレットで描く際の遠隔操縦感は現代的ではないし、そもそも
"板タブレット"とわざわざ呼称しなければ伝わらない状態であり、
むしろ現在における需要がどこにあるのか少々疑問なほどである。

そんな訳で平成最後の日記であるが、この前たまたま自宅本棚で手に取った
本(実家から持ってきた折り紙の本)の奥付が1989年で、ずいぶん遠くまで
来たものだと感慨にふける。平成に変わってから少しの間は天皇崩御に
伴うアレコレで、何かしら少しでも浮かれた空気を出すと、たちどころに
"不謹慎"の逆風にさらされ、子供心に何だかおかしな世の中だと思ったもので
あったが、今回は誰も亡くなっておらず、終始お祝いムードで和やかに
改元が行われて、これぞ平和よと思わずにはいられない。

そしてふと思ったのが、年をまたぐ際の挨拶に『良いお年を』というのが
あるが、これは元号をまたぐ際にも適用されないのであろうか。
暦上の年と元号は、意味するところも目的もまるで違うものであるが、
新たなスタートという意味ではある程度共通であるし、残り僅かな
平成という年をつつがなく過ごしてほしいという願いもそう変わるものでは
あるまい。

しかし、ここまで書いて、普通は改元は急に行われるものであるし、多くは
天皇崩御を伴うものであるために慶事ではないから、挨拶などないのが
普通なのだろうと考えるに至る。ただ、今回のような生前退位が比較的
一般なものになるのであれば、挨拶が生まれる可能性はあるかも知れない。
とりあえず、先の元号の事を考えるのは縁起でもないので、ここまでに
しておきつつ、新しい元号の元、生活を続けていくのみである。
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旨辛

2019年04月28日 23時33分46秒 | Weblog
初めは指の筋力保持と、手慰みにと始めた折り紙であったが、
今では机の上が乱雑になる程度にはハマっている。

以前に比べると指の筋力もかなりついてきたと感じるが、結局
絵を描く時に線が震える頻度は変わらないので、歩く筋肉と自転車を
漕ぐ筋肉が違うように、別物なのだと今更気が付く。
とは言え、特に弊害がある訳でもないので良しとする。

そんな折り紙であるが、毎度完成にまでこぎ着けられるものではなく、
度々失敗もする。
折り紙と言えば、折り図に沿って進めていくだけの、完全に一本道
RPGのようなものと思われるが、実際には数多の試練が待ち受けている。

まず、用紙の大きさ、厚みが適切でない場合。これが頓挫する最大の
要因であるが、どんなに力を込めても折れない、と言うか折れる前に
割けるといった、物理的な障壁である。

次が、折り図が難解、もしくは不親切で進めないパターン。
折り紙作品は折り図までを含めて扱われると言われており、実際
確かにかなりの差がある。作業そのものは難しいが、無駄なく進められる
ものもあれば、用紙を酷使するような工程が大量にあり、しかもそれが
時に無駄になるような、頭を抱えたくなるものまで様々である。

折り紙の作品を一つ折り上げるのに、大体2時間強かかるが、失敗した
場合文字通りの紙屑となる。金銭的なロスは殆ど無いのが救いではあるが、
ゲームの2時間分をリセットで持ってかれたような喪失感は変わらない。
しかし、上に述べたうちの物理的要因で失敗した場合はまたやるかという
気持ちが湧いてくるのに対して、不親切が元で失敗した場合は
もう二度とやるかという気持ちにさせられる。

人に何かを挑戦させるにあたり、適度な難易度を設定するのは良いが、
そこに無駄があったり、不親切さ(往々にして制作者が難易度と意地悪さを
はき違えている場合がある)が感じられると、躓いた際に一気にやる気が
損なわれる。これはおそらくゲームでも同じであろう。

意地悪と感じるような、必要性に乏しい無駄な難易度は、難しくて辛い
というその辛さを味わう一部の奇特な愛好者が喜ぶものでしかなく、
そのようなコンテンツの行く末は、音ゲーのような超人育成ゲームの
ように、道の途切れた崖である。 気をつけねばなるまい。
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気張らない

2019年04月25日 23時23分07秒 | Weblog
実感が湧かないままに大型連休やら新元号やらに突入しそうな
勢いであるが、元号の件は良いとしても休日中にやることがまだあまり
決まっていないという体たらく。

部屋の掃除したり、大きめの買い物したり、大物の洗濯したり、
とにかくダラダラしたり、今ここで思いつく限りがこの程度。
休みの日だからと言って、色々飛び回って色んなことをとにかくたくさん
やるというような気質でもないし、体力的にもすぐにへばってしまう
ような状態でもあるので、なるがままというよりは、あるがままに
過ごすのが個人的には適正なのだろう。
ひとまず、気の済むまでのんびりする。これに尽きる。
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あるものないもの

2019年04月23日 23時51分13秒 | Weblog
フィギュアの商品予約の価格欄を見ていたら、消費税が10%に
なっているものがあって気が少し遠のく。フィギュア購入はある意味
現実逃避の手段の一つであったはずであるが、なぜリアルな未来を
そこから垣間見せられねばならぬのか。
しかし思えば、フィギュアの予約は大体半年前から始まるのが相場で、
近年は発売延期が当たり前になってきている(手元のメモでは、去年の
11月発売の予定が延期に延期を重ねて今に至るものすらある)ので、
未来から目を逸らしてフィギュア購入は為し得ないのかも知れない。

値段が劇的に上がり始めたころから、フィギュアはかなり厳しめの目で
見て購入するようになったが、いい加減に限界かも知れぬ。
出来合いのものを購入するのではなく、自ら作る方向に舵を切る
良い機会なのかも知れない。さすがに3Dプリンタまでは考えていないが、
デジタル造形を行える環境は既にある。(全然使ってないけど)

現実のモノに対する所有欲を何で満たすかは問題になりそう(神羅万象
も完結するし)であるが、大体その辺りは何とかなるだろうの精神で
少し考えてみたいと思う。
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侮るなかれ

2019年04月21日 23時24分24秒 | Weblog
ノンアルコール飲料というと、どこか中途半端な印象があり、
運転免許等を持っているという訳でもないので、正直な所
格の劣るものとみなしていたが、それが改められることとなった。

何となく『梅ジュース』を飲みたくなり、スーパーで探したが、
果汁5%程度の、薄いものしか見つからずに残念な気持ちになっていた。
思えば梅系の飲み物は酢でブーストしていたりするものの、あまり
パンチの利いたものは少ない印象で、それならばノンアルコールの
梅チューハイを求めた方がマシだと思い、酒コーナーでそれを手に取る。
何気なく手にしたそれには果汁10%の文字。
ここでノンアルコール飲料への偏見が氷解してくる。そこいらの薄い
梅ジュースよりも余程濃いではないか。値段が少し張るが、量を考えれば
そこまで変わるものでもない。実際に飲んでみると炭酸入りということも
あってか、かなりの飲み応え。ノンアルコールと侮るなかれ。

これからの時期、梅のようなさっぱりとした味のものが恋しくなるので、
定期的に買うこととしよう。欲を言えばもう少し酸味をブーストした
ものが欲しい。酢ではなくレモン辺りで強化したやつ。
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春だからで済ます

2019年04月18日 23時07分13秒 | Weblog
毎朝のBGM代わりに垂れ流しているEテレの子供向け番組の、
歌のおねえさんやおにいさんが入れ替わっていたり、犬の相方の
女の子が入れ替わったりしていて、春の到来や時の経過を改めて思い知る。

そして季節柄か、道端に使用済みのゴムが落ちているのを見つけたりも
する。そこらで致すのは結構だが、あの程度のゴミの後始末くらいは
確実に行って欲しいと思ってやまない。しっかり始末したはずが、
猫やカラスにほじくり出されたというのならば仕方がないが、ああいった
ものを鼻をかんだ後のティッシュ程度にしか考えていない人がいるという
ことなのであろうか。個人的にはそうは思いたくないので、無理やり
猫のせいにしておくことにする。

それにしても、桜もかなり散り、気温も随分高くなり、いよいよ春が
深まった感がある。となると、もうじき沸いてくるのがアイツである。
先週の日曜に換気しようと窓を開けたら、カーテンの裏に大きなカメムシが
張り付いていたが、その程度にしておいて欲しい。
いやまあ、カメムシも潜んでいる場所によっては多大な被害をもたらすので、
居るまでは許すが、見える場所限定でお願いしたい。

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小さな携帯の目覚まし時計

2019年04月16日 23時22分05秒 | Weblog
電話としての機能が失われて久しいものの、日々の目覚ましとして
活用していた旧携帯がついに動かなくなった。
動かなくなる数日前くらいから、ボタンを押した時の音が出なくなり、
次いで充電ができなくなった。再起動で直るかと思い、電源ボタンを
押したが、これもまた利かない。
これも天命かと思い、ダメ元でひとまず残された余力で目覚まし設定をして、
予備としてこの前買った卓上時計を据え、朝を迎える。

驚くことに目覚ましは鳴った。最後の力を振り絞って仕事をしたのだという
感動めいたものが湧いてくる。十年近くにわたりお疲れさまでした、と
心の中で呟く。

そしてしめやかにAmazonで二代目の目覚ましを購入し、最後の最後に
とりあえず、出来るはずのない充電をしてみようとしたところ。
普通に充電が開始された。上に書いた先日までのアレは一体何だったのか。

ギャグマンガの最終回のような流れであったが、ひとまずもうしばらくの
間はいつもの目覚ましに頼ることになりそうである。
買ってしまった目覚ましは…腐るものでもなし、どこか適当な場所に
置くことにしようか。(まだ届いていない)
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今更VR

2019年04月14日 23時09分52秒 | Weblog
遅ればせながら、初めてVRを体験した。
イオンモールのアミューズメントコーナーにあるようなもので、
グラフィックや演出面はふた昔前のゲーセンレベルのものであった。
結論としては『こんな程度か』という感想であるが、それがまだまだ
発展途上の分野であることを実感できた。本当にこれからという感じ。

件のVRコンテンツはゲームではなく、決まった物語の一部をなぞって
行くだけのもので、申し訳程度にゲーム的(プレイヤーが介入できる)
要素はあるが、それに対してのリアクションは非常に希薄で、基本
眺めているだけの、遊園地のアトラクションのようなものであった。

この辺りから思ったことであるが、ここ最近のゲームは、双方向性は
もちろんとして駆け引きやリソース管理などの、いわゆるゲーム然と
した面白味を主軸に据えたゲームと、ある世界の中を眺めているだけの
ような、双方向性に乏しいゲームの二つを明確に分けた方が良いのでは
無かろうか。

VRはあくまで手段でしかなく、それ単体ではゲームにはならない。
VRでありながらゲーム的な要素を下手に入れようとすると、大体どちらか
の良さが犠牲になってしまう。VRはゲームの未来を示す、強力なアイテム
ではあるが、VRを生かしたゲームそのものに関してはまだ少し早いような
気がしてならない。

という訳で、まずはVRを日常的な場面で有効活用するような働きかけから
やっていくのが良いと感じる。その日常的な場面のうちには当然のように
エロも含まれるということを強調したい。VRではなくてARでも可。
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まんが人間

2019年04月11日 23時36分47秒 | Weblog
四月は目当ての漫画の単行本が立て続けに出るので、日々の生活の
励みになる。しかし思えば、読んでいるのは数年前からずっと続けて
きているような作品ばかりで、新しい漫画をそろそろ開拓しても
良い時期なのかも知れない。何か暇があれば『野望の王国』を
繰り返し飽きもせず読んでいるような状態だが、かように不毛な
営みはなるべく早めに脱するべきであった。

ちょっとした無聊や好奇心を満たすにあたって、電子書籍のもたらす
手軽さは非常に強力で、思い立ったその時にすぐ手に入ることも含め
恩恵は計り知れない。色々な娯楽の価格やコストが増してきている
昨今、昔よりは高くなったとは言え、漫画のコストパフォーマンスは
(作品にもよるが)相当に高く、お得感もある。

とは言え、以前にも書いたように漫画の作品はきちんと話をまとめて
こそと思っているので、現在連載中のものを追いかけていくのは、
やはりどうしても躊躇する。なので、完結した作品から面白い漫画を
発掘していくのが良いのであろう。昔少し読んでそのままだった
『レッド』の続きを買い求めるか、昔読んで心に残った作品を
買い集めていくか、方々で評価の高い作品に手を出してみるか、
選択肢は無限と言えよう。 ぜいたくな悩みである。
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言葉は生物

2019年04月09日 23時13分22秒 | Weblog
少し前に、国名の表記で『ヴ』表記をやめるという旨があったので、
『ヴ』にまつわる話。と言うか個人的疑問。
今日でこそ様々な場所で、時に半ば格好つけ目的で使われる"ヴ"であるが、
一体いつから使われ始めたのか。そして、最大の疑問である発音に関して、
カタカナで表記される"ヴ"と、ひらがなで表記されるそれで差がある点。

ひらがなの"ヴ"が環境依存文字という時点で概ねお察しであるが、
カタカナでは英語のVの音を表現するのに使う。唇をあまり動かさずに
"ブ"と言う感じに近いが、ひらがなの場合は濁った"う"の表現で、鼻もしく
は喉の奥で"グ"という感じに近い。

後者は漫画において叫び声などに多用され『僕のヒーローアカデミア』や
『るろうに剣心』で良く使用される印象。発音もカタカナの"ヴ"として
読んでしまうと色々と合わないので、濁った"う"の表現として使われて
いると見て差し支えなかろう。
ひらがなの濁点付き"う"を使用する作家はこれの延長線上として、
"あ"や"い"にも濁点をつけることが多い。これのカタカナ版はもはや発音
不可能のレベルであるが、声にならない声の、"分からないけど分かる"
表現として、個人的にはアリだと考えている。
漫画は必ずしも純粋な読み物ではないので、ある種の擬音と捉えれば良いので
ある。実際活字がないので描き文字で表現していることが多いあたり、
その裏付けと言えよう。

ここ最近の文章や文字における表現は、既存のものを奇想天外な発想で
変態チューニングをかける方向に向いていると感じていて、全く訳の
分からない、しかし共感は得られる新しい概念に対して、全く新しい
誰も聞いたことの無いような言葉でそれを表す、というような方向には
あまり向かっていない。
あまり乱立されるのも困りものであるが、新しい文字や言葉は、もう少し
認められていっても良いように感じる。
思うに、元々"ヴ"もそうして生まれた文字だったのかも知れない。
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