ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

冬のある日の続き

2019年12月31日 11時12分41秒 | Weblog
ひとまず年内にトイレと洗面所を掃除できたので、これで憂いなく
新年を迎えられる。そして、その新年を友人宅で迎えるべく、そろそろ
支度をせねばならない。

思えば、学生時代や20代のころは適当に友人宅に転がり込んで、その夜は
飲み明かして、グダグダやりながら次の日の午後くらいにようやく動き出す、
というようなことをよくやっていたが、皆結婚したり子供が生まれたりで、
そのようなことはもはやできなくなってしまった。

今回お世話になるのは同じ独身貴族の友人なので、比較的そこのところが
気安い感じで、家に行くだけでちょっとした同窓会の心地である。
皆が身を固めた状況なればこそ、こういう場所は貴重と感じるので
こちらとしても、いつだれが来ても一宿一飯を提供できるようにはしておきたいと
思う次第である。それにしては年に数回程度しか水回りを掃除しないという
適当さ加減ではある。(来ることが一日前以上に分かっていれば頑張って掃除する)

色々とやり残したことはあるが、どれも今更というものばかりでもあるので
来年に持ち越すことにする。
それでは皆様、よいお年を。
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刈る

2019年12月29日 23時39分41秒 | Weblog
いい加減に髪が伸びてきたので、寒くはあるが散髪を敢行する。
もう20年以上床屋に行ったことが無く、髪は全て自前で切って(刈って)いる
が、毎度襟足や耳の上などの刈り残しが少なからず生じ、その度にやはり
床屋でも行けばよかったのかと逡巡する。

そしてバリカン歴ももう10年を軽く超える所まで来たが、ここにきてようやく
ヒゲを適度な長さに揃えるのにも使えるという事に気が付く。
あまり日常的に使うと刃を傷めそうなので、散髪のついでにやる程度に止めて
おこうとは思うが、なぜ今まで気が付かなかったのか。

そんなバリカンも相当に年季が入り、元々充電式だったものが、今では充電
状態では数分程度しか動かせず、基本的には直結状態で運用せざるを得ない
状態になっている。刃の切れ味も落ちていそうであるが、差が分かり辛いのと
研ぎ直しの方法も分からないので、ひとまずは現状維持である。
思えば、洗濯機並みに長いこと使ってきているが、特に故障や不具合もなく
やって来れているのは地味にすごいことだと思う。

一つで襟足や耳の上まできれいに刈れるような、劇的に便利なものが新たに
生まれてこない限りは当分買い替えをすることもなかろう。

あと、とてもどうでも良いことであるが、散髪の際にゴミ袋を割いて、床に広げて
その上で行うのであるが、今回はとてもきれいにゴミ袋が展開できたので、
とても満足。あとは刈った後の自身の髪の毛の塊をアレコレ弄ぶのもささやかな
楽しみの一つと言えよう。白髪が随分増えたが、あまり気にしない。
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大体いつもの

2019年12月26日 23時42分09秒 | Weblog
仕事納めで久し振りにいつもより早く帰宅したが、結局疲労のあまり
仮眠と称してすぐに寝る。帰り際には少し寄り道して買い物したりする
気力があったが、これでしばらく休みと思って気が抜けたようだ。

少し落ち着いたら自宅の大掃除をいつやるかの算段を立てたり、買い忘れた
品があれば足したりと、この休暇を謳歌したい。

とりあえず、モンハンでもやるか…。
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平常こそ祝日

2019年12月24日 23時32分03秒 | Weblog
年々クリスマスに対しての特別感が薄れてきており、個人的な格付けでは
もはや節分と大差ない所まで来ている今日この頃。子供の頃の、あの高揚して、
いてもたってもいられなかったクリスマスイブはもはや完全に死に絶えたのだ。
少し前の、賞与支給日の方が余程ウキウキした気分であった。

せめて周りの人が狂ったようにハッピーな気持ちをまき散らしていれば、
それを目にすることで些かのお祭り感を得られたかも知れないが、近年その
ようなバカ騒ぎを辺り構わず行うような風潮は鳴りを潜め、事実今年もいやに
静かなクリスマスイブであるため、まるでただの平日と変わらない始末。

あまりにも普段と変わらないので、軽く一杯飲むかという気すら失せ、粛々と
残り僅かな今日を過ごし、明日を待つ。そんな一日。
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迫る年末

2019年12月22日 23時42分36秒 | Weblog
年末の人混みを避け、買い物はamazonを頼りに家に引きこもっているつもりで
あったが、結局足を使った方が早かろうという事で、リスクを覚悟で梅田に出向く。

現地は案の定といった混み具合で、いかにもクリスマス直前の風情を醸していた。
自宅では感じられない雰囲気を味わいつつ、目的のものも概ね首尾よく手に入れ、
懸念していた風邪を貰うこともなくひとまずの作戦を完了する。
それにしても世間はクリスマス。そして間もなく年末から年始という流れで、
目が回るような速度で時間が過ぎていっている。

そしてそんな中にあって、休日はどうにも布団から出るのが億劫で、とにかく
一アクション終える度にやってくる眠気と戦いながら過ごす状態。
だからと言ってモンハン等の神経を削るゲームを長時間やっていると、今度は
気が昂って眠れなくなるという悪循環。
年末年始の休みの時にはそんな具合に昼夜逆転しないように気をつけねばならぬ。
ついでに年末年始の計画もそろそろ立てねばならぬ。
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有限の悲しみ

2019年12月19日 23時29分10秒 | Weblog
休日に衝動買いした、ちょっと上等な酒を結局飲むタイミングを逃して
未開封(箱から出して冷蔵庫で冷やした状態)のまま今に至る。

思えばプラモとかも買って一度開封するまでは良いが、いざ制作を開始
するとなると途端に尻込みしてしまうという体たらくで、消費することに
恐怖を抱いているのではないかと我ながら思うほどである。
さらには、何とか制作にこぎ着けても完成の一歩手前で政策を放棄して
しまうという悪癖まであるから、消費への恐怖は案外その通りなのかも知れない。
思い切りが悪い、という事もあるが、いずれにしても何かを始めるにあたり
もの凄くエンジンのかかりが悪い。
いつから、何が原因でこうなってしまっているのか。

巷で度々例え話として持ち出される『エリクサー使えない人』は、主に
・勿体なくて使えない
・いつか役に立つだろうと思って使わない
・いざという時が来るまで使わない
これらの考えや感情が根っこにあると思われる。個人的にものを消費出来ない
理由も、これらのどれかであったり複数が絡んでいると予想される。

ただ、解決にあたり、どのような手を打てばよいのかが分からない。
ゲームではエリクサーを死蔵させないために、実質無限に手に入るように設定
したり、定期的に補充される(そして一定時間が経つと消える)ようにしたり
しているが、現実世界のものはどうあがいても有限なので、このままこの通り
やればうまく行くという訳にはいかない。

単純な金銭価値に置き換えてものを見る、という手を使えば数の問題には
多少余裕が出るが、ものに対する気持ちが薄くなってしまう。

『他人を巻き込む』というのは思いつく限りかなり有効な手であるが、
巻き込める他人が近くにいないという悲しさ。
どうすれば良いのやら。
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平らで滑らかはつまらない

2019年12月17日 23時37分43秒 | Weblog
近所の行きつけのコンビニが近日閉店するという報を受け、悲しみに暮れる。
以前にも書いたように、個人的にローカルコンビニがとても好きだ。
セブンやファミマ、ローソンといった大手コンビニはどこにでもあるという
安心感は得られるものの、どこまで行っても同じというマンネリ感の方が
勝り、何と言うか面白味があまりない。特にファミマは店舗ごとの個性が
殊更に薄く、新しい何かを求めて店に入るという事が全くない状態である。

ただ単にマイナー贔屓と言えばそれまでであるが、ローカル、またはマイナー
コンビニにたまにある"こんなものもあるのか…"というようなアイテムが
魅力的で、洗練され切っていない粗削りさが刺激的ですらあった。

なので、仮に大手コンビニに統一化が図られたとしても、店舗ごとの個性や
品揃えに個性や尖がったものを感じられるものであれば良いと思う。
例えば中華料理チェーンの『餃子の王将』のような自由さである。

個人的には毎日同じものを買っても、微妙に味や量が異なっているくらいが
丁度良く、その方が飽きがこなくて良いと考える。
件のローカルコンビニで毎日のように買っている塩昆布おにぎりも、
今は随分安定化してきているが、それでも毎日味と量が微妙に異なり、たまに
田舎の母親級の圧力で拵えたかのような密度のものに遭遇したりすることも
あるから、やめられなくなる。次はどんな味だろうという楽しみになる。

大手コンビニにしても『これはダメだろう』というようなものが出てこない
安心感を保証すれば十分で、後はもっと自由にやればよいのに、と
思えてならない。
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不毛の地を避ける不毛

2019年12月15日 23時45分46秒 | Weblog
金曜の夜くらいに上がったテンションが土曜朝にはきれいさっぱり消えていて、
続く休日を半ば惰性で過ごしてしまうという事を、もうかれこれ半年は続けている
今日この頃。何かをしようとしていても、いざ休日になると全くその気が無くなり、
外出すら億劫になる体たらく。
飲食物が尽きかけるとさすがに買い物へ出向くが、それも徒歩で行ける範囲に
限定され、ものすごく頑張っても電車で二駅程度が関の山。

梅田や日本橋などの繁華街へ出向くのは余程欲しいものがはっきりとある時か、
気力が余っている時だけで、大体はAmazonとかで良かろうという環境もあり、
勤め先の会社よりも遠くへ行くことは数か月に一度という状況。

ゲームも折り紙も最近はほぼ手を付けておらず、もっぱらお絵描き三昧であるが、
ずっと描いている訳ではない上に、こねくり回す時間が長いので時間を無駄に
している感が否めない。

しかし考えてみると、折り紙は変にこねくり回す所が無く、やればそのうち完成し、
失敗しても物は残るという、趣味として非常に理想的な面を多く持っている。
今現在のようなグダグダの時にこそ、かつての趣味に立ち返るのも良いかも知れない。

なお、ゲーム(モンハン)は久し振りに再開したが、結局導きの地でモノ拾いを
している代わり映えのなさに我に返って、すぐにやめてしまった。

実りばかりを求めて却って不毛になっている感が否めない。そんな生活。
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泥を塗る勿れ

2019年12月12日 23時26分52秒 | Weblog
少年漫画でもやれ設定だ整合性だととかく突っ込まれる昨今で、そのようなものと
無縁であったころを懐かしむ声も所々にあるが、個人的には時代によるもの以外にも
何かしら要因があるのではなかろうかと考える。

例えば、昔の作品である『聖闘士星矢』であるが、真面目に読んでみると驚くほど
設定や話の流れが適当で、今連載されていたのならツッコミの嵐間違いなしと
思われるかも知れない。が、個人的にはそこまでツッコミの嵐は起きないのでは
ないかと考える。
この作品を支えるのは、"ノリと勢い"で、それはおそらく連載していた当初から
変わらない要素であっただろう。そして、それを為すために、ノイズとなるような
要素を既に極力排した作りになっていることに気付く。
そのノイズとなるものは何なのか。答えは『生活感』ではなかろうか。

件の作品の中で活躍する主人公たちは、とにかくカッコいい所しか見せず、食べたり
寝たりするのにも素のままの姿を見せることはない。それどころか、普段どんな所で
寝泊まりしているのかすら分からないし、そもそも休息とも無縁に思える。
恋愛らしい恋愛もせず、物欲やお金などまるで無いかのように振舞い、実際に
彼らの居る世界においてお金も政治も宗教も、ひどく漠然として大体何となくある程度だ。
もちろんトイレにも行かないし、見苦しい汚れや臭さとも無縁である。

詰まる所、雲の上の天人の如き存在であることが、無用のツッコミを避ける手法なの
ではないかと考える。
キャラクターに厚みを待たせたり、同じ目線に据えて共感を得るために、生活であるとか、
内面的なものをつぶさに描くとか、家族や交友関係を明らかにしていくというのも
漫画の面白みの一つではあるが、出来る限りそういう所はファンに任せて、公式では
避けていった方が作品の寿命の面から見ても良いのではなかろうか。

昨今のキーワードとして『共感』というものがあり、それ自体は重要な感覚であるが、
多くの人が長く楽しみ得る作品を泥に塗れさせる事を以て共感と呼ぶのはあまり正しい
とは思えない。
著名人の醜聞をわざわざ暴き立てて、それを見て笑うかのような行為にも近い。
ヒーローはただ、行動と理念で共感し得る存在であれば良い。
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ずれて進む

2019年12月10日 23時33分01秒 | Weblog
寒気がするのか、実際に寒いのか良く分からない今日この頃。
ひとまず体調不良は御免被りたいので、寝る時に葛根湯でも飲んでおくことにする。
そして当分の間は人の多い所をなるべく避けて生活していこうと思う。
ボーナスなどで纏まったお金が入ったり、年末商戦などで欲しいものが沢山出て
くるであろうが、多くの人にとってもそれは同じと思われるので、買い物に行くに
しても回数を絞り、ネットの買い物もなるべく絞り、基本近所からあまり
離れずにこの年末を過ごしていきたい。

というか、もう年末というのがちょっと信じられない。個人的な時間の感覚では
まだ10月の末くらいで、寒さだけが辛うじてもう冬なのかもという実感を
もたらしているような、そんな状態。
その上に来年からは神羅万象という、自分にとっての時間的なマイルストーンが
失われた状態のため、まるで地図のない海原へ向かうような心地でもある。
己の感覚と、時間を結び付けるものがあるのならば、早くそれを見つけたい。
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