ヘボのアルバム (続編)

四季折々の戯言を・・・
そこから何が読めて来るか?

     『 三九郎・・・ 』

2017-01-08 21:51:50 | 日記

             


この地では七草粥ときたら次は「三九郎」!!!というシナリオだ!
毎晩床に就くのが2時前後!!! 早いと眠れないので宵っ張りとなる!
当然朝寝坊で8時過ぎてモジモジし出す!!!

遅い朝範を食べ終わると三九郎出回って来る子供達お迎えの準備をしなければならない!
お小遣いは婆が用意してある!
その昔は子供達も多く外で三九郎の唄を歌いながら回って来たのでお迎えの体制作りもし易かったが昨今は唄もないのでチンコンカンのベルが鳴らないと判らない。
9時を過ぎチンコンカンのベルが鳴る!!!
「そ~~ら、来たァ~~~!!!」
婆と二人で出迎え・・・
来た子供達は、たったの3人!!!
???????ウウ~~~~ン? 
聞いてはいたがこの地域も高齢化が進み子供達を探すのが困難!!! 依って、何処の子供達か?さっぱり判らない!
玄関に入るなり三九郎の唄を歌い出した!
「道祖神、道祖神、行くも帰るも道祖神、お家繁盛巣っるように蔵の3つも建たるように・・・」もう何十年と聞き慣れた三九郎唄である。
玄関先には男と女のシンボルをデンと置いてある!!!




子孫繁栄を願ってのシンボルなんだろう?
唄い終わると3人共じっとしてる・・・お賽銭をくれるのを待っているのだ!
婆が賽銭袋に入れた袋を出すとさっと手が出る!!!
それにしてもこの地域子供達が激減した!!! 何となく寂しい思いに。。。。。。。。
聞いて見ると三九郎焼きは2時からだという・・・

この地では三九郎と言うが多くに地域では「ドンドン焼き」とか「どんと焼き」等呼び方はマチマチだ!!!
今日の市民タイムスを読んでいると「三九郎」問うう呼び方は長野県、信州でも松本を中心とする中信地域だけで峠を越えた諏訪や長野の方に行くと「どんと焼き」とか「ドンドン焼き」と言っているらしい・・・
何故三九郎と言われるようになったのか諸説紛々だが松本藩主初代石川教正、明科町宗林寺の供養塔があり、この寺を中興した石川三九郎:玄蕃頭康長だと伝わる・・・教正は徳川家康の家臣だったという。
こんな言い伝えから取られたとも伝えられているが定かではない!しかし、この地方だけが三九郎と読んでいるのはこうした地域領主の存在が欠かせられない。 松本を中心とするほんの一寸した地域だけの呼び方で諏訪や佐久、長野等に行くとどんと焼き等になるから不思議だ!!!

丁度三九郎焼きが終わる直後から雪になり出した・・・
グッとタイミングで行事が行われたのかも知れない・・・
yら子供の頃の「ドンドン焼き」に比べると規模も小さく迫力に掛けるがこの地方の行事をカメラに収めようと毎年出掛けている・・・
子供達凡そ150人くらい集まっただろうか?
その光景は









何しろ見ていて迫力に欠け見応えが無い!!!
この辺の櫓は皆こんな程度かこれ以下だ!!!  実にセコクて、ショボイ!!! 
館がぼ~~~っと燃えたかと思ったら消防士が長いヤットコで櫓を倒し、藁や角松をシコシコ燃やすという毎年のパターンだ!
シコシコ燃やし、藁の熾きが出来ると子供達がワット寄ってお丸焼をするというパターンで一寸可哀そうだと思った!!!
yが悪餓鬼だった国民学校1~2年時は櫓の高さ20~30m、これに門松や山から採って来た松、檜、杉等の針葉樹の枝を絡め、これに青竹をクベルからこれが爆発してそれはそれは迫力があった!!!
竹がバァ~~ンばぁ~~~~んと爆発し針葉樹の葉は狂ったように燃え上がるから迫力があった。そして、何より櫓が20~30mと法外に高いから見栄えがあり子供は勿論大人まで来ていた! 村中挙げてのドンドン焼きで賑わったものだった!!!
そして、高等科の先輩達は隣村の櫓に潜んで火を付けるという戦争ゴッコ見たいな風習がありミニ戦争の端くれ祭りだった。
厄年の人達は大きな蜜柑箱を抱え、これを振る舞い、当然お菓子の袋やお賽銭まで撒かれた!!!
今でも記憶に残るのは高等科の先輩達が隣村の櫓の火を点け喧嘩ごしの戦いをして来た報告が新鮮で魅力的だった。この先輩は卒業後海軍の予科練に入り随分とこっ酷く上司達にブン殴られた!と、帰郷時我々幼子達にお土産話で話してくれていた事を思い出す・・・
こういう時代のドンドン焼きは平時のチンタラ三九郎等と比べ迫力満点だった!
時代は進んでいるがこいう面では後退もイイ所情けないその場凌ぎの世相その物である!!!   
人生80年も生きていると昔のイイ時代も思い出され今日のチマチマした時代、生き様、世相に棹差したくなる・・・短くてもドンと太っ腹な生き様に魅力を感じる・・・ 

夕方から雪になった!!!
もう20cmいや30cm近く積もっている・・・
昨年、サテアンの上に実ったマルメロが落下、サテアンの屋根、ガラス屋根が割れてしまった!!!
暮れから業者に頼んでいるが一向に埒が開かない!!! 居留守ばかり使い来る気が無い!!!
昨夜、ネットで調べると大仙の支店がある事が判った・・・
電話するモノの小正月休みで出ない。 が、今朝方電話があり、近々来てくれるという・・・
今日の雪には間に合わなかったが、実はホッとした!!!
夕方、暫定の並板を載せておいたので急場は凌げるか?

人生いろいろ、生き様色々、親切色々!!!!!、この世を渡って行くのも容易ではない!
今年はどんな年になるのだろうか?と、考え出したこの頃である・・・   

三九郎の画像、一寸待ってねぇ~~~!!!  遣ることだらけで手が回らん!!!  ししか 
コメント (2)
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