天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

父を思い出す花

2024-03-19 12:02:32 | 自然



国分寺市西恋ヶ窪、姿見の池付近の農家。ここは裏の畑で作った「こくベジ」野菜を10時から売り出す。ここの庭木の木瓜が今年も豪勢に花をつけた。
木瓜の花を見ると死んだ父を思い出す。平成19年2月7日が命日(享年92)ゆえもう15年も経つ。
父は健康であったが眼に色覚異常があった。色弱に多い、赤と緑の区別がつかないのであった。あるとき木瓜の花を見て「あれは赤か」と訊かれたことがる。

色弱の父が色訊く木瓜の花 わたる

父は赤と緑がよくわからないと言った。そのときへーっと思っただけだが、では、赤と緑はどのように見えていたのか。無彩色なのか……色の世界が微妙であると今にして思う。
小生がいま俳句で物にこだわる基礎にこの父に田や山へ連れられてさまざまな物に接した経験がものを言っているような気がする。
百姓は手を使う仕事ばかりで父の手は絶えず荒れていた。冬、囲炉裏端で手の皸によく軟膏を擦り込んでいた。百姓の倅は父を見て手を動かして働いた。物は手で摑み実感した。無機質の物だけでなく、有機質にも当然触れた。
冷たくてくねくねする蚕、絞った山羊の乳房、手掴みにした池の鯉、小川の泥鰌、父が空気銃で撃ち落とした雀のまだ温かいやつ……いま東京では経験できない有機質に触って育った。

汚いと思った最たる物は牛小屋から出す敷き藁であった。それは糞尿をたっぷり含んでいた。けれどそれを田んぼに堆肥として積み3ヵ月ほどして腐った物は汚いと思わなかった。糞尿は発酵して別の物に化学変化するのである。ねちねちした堆肥を素手で田に撒き終えるころ、なんと手はすべすべになった。市販のどのクリームを塗るより手が潤った。コペルニクス的転回と思った。
いまでも手にさまざまな物の感触がある。
堆肥も結局好ましい物であったが、どうしても嫌なものもあった、それは蚕を踏むことであった。家の中、人が寝る場所以外のスペースで蚕を飼った。すると彼らのねぐらから必ず這い出る蚕がいて、たまに素足で踏んでしまうのである。その気持ち悪さは筆舌に尽くしがたい。懺悔したくなった。
長野県伊那市富県(とみがた)村があり、父母がいて物が散乱していた。いま思えば豊かであった。父は「秋の田」という俳号を持ち俳句を書いた。

てんとむし登りつめたる葉より飛ぶ 秋の田
手袋に右左なし農の日々 秋の田




コメント
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