天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

野草の油煮になってしまった

2021-03-31 04:35:41 | 身辺雑記


クコの芽を中心に「掻揚げ」にしようと写真の食材を揃えた。前回よりころもを濃くしたが食材間のまとまりを欠き、天ぷらというより油煮になってしまった。
掻揚げの食材は、サクラエビ、貝柱、イカなどと辞書にあり葉物は邪道であったと悟った。
油の摂取過多が気になるので天ぷら狂いは考え直す。
天ぷらに凝った日々、ご飯の量を減らして体重をコントロールした。

油と付き合ってみて天ぷらは食文化の柱であると思った。
かの太平洋戦争で野天生活を余儀なくされた場合、兵士は野草を食べるしかない。このとき油はなかっただろう。油があればアクのある野草を簡単に食べることができた。あのなめらかな液体は高度な工業でできる。油は成人病関係で最近悪者扱いされることが多いが食材の幅を大きく広げる優れものであることは間違いない。

さてできた天ぷら(油煮)であるが捨てるのは勿体ないので湯で油を落として味噌汁の具にしようと思う。さてどんな味噌汁になるか楽しみである。

天ぷらから煮物に転じよう。そのメインはフキ。先日34本採って煮た。美味であった。茹でて食えるのはカラシナ。去年付き合った連中がまたやって来る。



3月のフキはやわらかくて美味
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩佐なを詩集『ゆめみる手控』

2021-03-30 04:55:19 | 文芸


岩佐なをさんから詩集が届いた。ぼくより4歳下の66歳だから早稲田図書館勤務は終わっているかなあ、とまず思った。
なをさんはWikipediaが人物紹介をするほど知名度のある方で、ざっと以下のように紹介されている。
銅版画で蔵書票(エクスリブリス)を多数創作。小川洋子の『完璧な病室』(福武書店、1989年)の装幀、装画をはじめほかの装幀、装画も多数。
1995年、詩集『霊岸』で、第45回H氏賞を受賞。
2013年、詩集『海町』で、第24回富田砕花賞を受賞。
2016年、銅版画家・詩人としての全業績に対して第54回藤村記念歴程賞を授賞される。
一方ではプロボクシングおよび競艇ファンとしても知られ、詩人仲間の渡邊十絲子と共に競艇同人誌『確定!!』(1-19号, 1997-2003)を作っていたこともある。
(Wikipediaから抜粋、要約した)
知名度のある詩人とぼくがなぜ知り合いなのかおぼろだが、たぶん文化出版局にぼくが勤めていたとき『銀花』が銅版画の特集を組んだことに関係するのではないか。
詩についてはちんぷんかんぷん。だから、なをさんから詩集をいただくと嬉しい反面おおいに困った。
褒めようにもよく内容がつかめないのである。藤村、中也、犀星くらいは親近感があったが最近の詩人の作品には呆然とすることが多かった。俳句、短歌、川柳なら何か言うことができるが詩についてはよさも悪さも書くのが至難なのだ。でも今回の詩集はいままで頂いた中ではいちばん感想を伝えやすかった。
次のようなことを書いた。
**********************************************************************

なをさん、ご無沙汰しています。
詩集が来て、ああ、なをさんは生きていたんだと思いました。
今回の詩集は一つずつがどれも前のものより短く、だいたい同じ分量で、俳句と近い感じで親しめました。
ベスト5は、
粘土
てん
お昼
夜も
喫茶
です。
**********************************************************************

粘土

粘土を手にして
お題が「自由」となれば
だれしもがうんちをつくる
テクあるものはちんぽをつくる
はずかしくないあたりまえのことぞ
粘土はもまれて心底よろこんでいます
きゃうきゃう

すかっと心浮く文言が満ちています。飄逸です。「テクあるものはちんぽをつくる」「粘土はもまれて心底よろこんでいます」とかいったことや、ほかの文言も意表をついて楽しいです。「きゃうきゃう」なんてよく出てきたなあ、と感激しました。俳句でも擬態語は効果があるのですが難しいのです。


**********************************************************************
てん

てんてん付
てんてん付
剃りあげられた陰毛の丘に
付箋を重ねる
ここで起きた謀反を
歴史に訴えますね

「剃りあげられた陰毛の丘に」から「付箋を重ねる」のワープが冴えました。まるで映画「Back to the Future」で車が時空を超えるような感じでした。謀反を歴史に訴える、なんて体操のウルトラFの着地ではありませんか。


**********************************************************************
お昼

お昼寝をするときは
なるべく死んだときの表情を心がけています
ですますくといってもいいよふうに
邯鄲の夢
覚めるけれど
しゃっくりがでる
ためいきでとめる
息の根

「ためいきでとめる」「息の根」にぼくはむかし作った川柳を思ってニンマリしました。すなわち「心臓を止めるが死だよナイフ刺す」というの、脳死が話題になったころの時事川柳です。今、○○の根というのにずうっと凝っていて、「岩根(いわがね)」で一句つくりたいと願望が下敷きにあり反応しました。


**********************************************************************
夜も

夜もふけて
明朝のおかずを調えようと
重い甕を台所で開けば
粗塩にぎっしり蒼い髪が漬けられている
残してくれて捨てられぬもの
神女の簪のほのかなゆらぎを光であらわして

最後の「神女の簪のほのかなゆらぎを光であらわして」は冗漫に思えましたが、「粗塩にぎっしり蒼い髪が…」の発想が良かったです。
**********************************************************************
喫茶

喫茶店にて
カヘオレというと
アイスですかホットですか
おっと
なんとなくでもカフェオレのホットが出る
運のいい一日だった
ざっといきていきたい

なんといっても「ざっといきていきたい」は座右に置きたい名言と思いました。詩でも俳句でも人生訓みたいなことを言うと鼻持ちならぬのですが、これには身震いいたしました。

************************************************************
なをさんから返信が来た。
「親の面倒などなど私事が煩雑でなかなか時間が自由になりません。で、家事などをしながらパッ思いついたらちょろっと書けるのは短詩だったわけです。ちょろっと書いて後で幾分かは考えるわけではありますが。」
ああ、そういう事情であったか。



なをさんから頂いた銅版画(一部)


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラグビーの報道が少くてよかった

2021-03-29 06:35:12 | スポーツ

敵陣深く攻め込むサントリー(黄色)



きのう7時からトップリーグ第5節、サントリー対トヨタ自動車を見ることができた。この試合は27日に行われたものの再放送である。トップリーグは野球のセ・リーグ、パ・リーグのように2ブロックに分かれていて、この2チームはレッドカンファレンス(赤組)に属しここまで4連勝。レッドカンファレンスの頂上決戦のおもむきがあった。
けれどその日の午後、句会になってしまっていた。自分にクローンがいたらそれを句会かラグビー観戦にあてたいと思ったほどである。
ニュースはすばやく流れる。パソコンでInternet Explorerをひらくとおおかたのスポーツの結果が出ている。スポーツ観戦のおもしろさは次になにが起きるかわからないことを見ることであり、どちらが勝つか分らないから見る興奮があるのである。
ぼくの友人のラグビーファンは見逃した試合の再放送を見るとき、それまでテレビもパソコンの開かずあらゆるニュースを遮断し続ける、と言った。よくわかるがぼくはそこまでできる意思がない。Internet Explorerをひらいたが、サントリー対トヨタ自動車のことをはじめラグビーのことが何も報道されていない。
始まったプロ野球とたけなわの大相撲がスポーツ報道のメインであった。それで翌日までサントリー対トヨタ自動車については何も知らなかった。報道が偏っていると思ったがこのさいこの偏りがうれしかった。さらのままその試合を楽しんだ。

この試合、どちらが勝っても点数の差は10点以内で、30―20ほどのスコアを予想した。
前半終了時、26-12とトヨタ自動車がリードしたときサントリーは負けそうな気がした。
スタンドオフを比べるとトヨタのライオネル・クロニエのほうがサントリーのボーデン・バレットより精度のいいキックを蹴っていた。バレットは6本のプレースキックを蹴って3本を外し出来がよくなかった。
後半、サントリーはボールをキープし続けること、フェイズ(相手とぶつかってできる拠点)の回数を多くつくる作戦を徹底して盛り返した。
予想以上に点数が入り、79分時、スコアは36-36の同点。そこでトヨタ自動車は痛恨の反則を犯した。
サントリーのPKであり蹴るのはバレット。そうキックの精度がよくない。ゴールまでの距離が約40mと長い。これがこの試合最後のプレーである。入ればサントリーの勝利、外せばドロー。
バレットの蹴ったボールが右側のゴールポストに当たり内側に落ちて入った。
39-36でサントリーが勝った瞬間であった。不調のキッカーが最後に輝いた。まさに千両役者、スーパースターにはこういう巡り合せがあるのである。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久々のKBJ句会

2021-03-28 04:46:16 | 俳句


きのう国分寺のKBJKITCHENで句会をした。8名集まった。
先日御嶽神社から郵送されてきた色紙、捨てようとしていたらブログを見た人が句会の景品にしたらという、ああ、それがいい。最高得点者とぼくの特選の人に。
最高得点者がまさ子さんと弘子さんであったがまさ子さんは要らないというので弘子さんにあげた。ぼくの特選は治子さんであった。二人とも色紙を喜んだ。色紙そのものを喜んだというより顕彰されたことを喜んだのであろう。このくらいの規模の集まりで目立つ、褒められるというくらいで人は案外満足して生きていると感じた。

陽炎や郵便受になにもなし 藤田まさ子
最上川小舟の艪にも春立ちぬ 木村弘子
墓守に梅の名前を聞きにけり 大槻昌成
わがくさめ天まで届け杉の花 塩山五百石
書きたてのインクまぶしき朝桜 内田創太
病癒え髪掻き上げし沈丁花 坪山治子
朝靄に心許なき初音かな 飯嶋玲人
犬ころに石ころに日のあたたかし 天地わたる



先日、山野月読と合評をしたとき、「アップルハウス」を知らないのは小生のみだと彼に言われた。ほんとうかと皆さんに聞くと知らない人ばかりであった。比較的若い創太さんも知らなくてホッとした。
このような情報交換もたやすくできる対面句会はよかった。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鷹4月号小川軽舟を読む

2021-03-27 03:40:51 | 俳句


小川軽舟鷹主宰がその4月号に「両翼」と題した12句。これを山野月読と天地わたるが合評する。山野が○、天地が●。

パイプオルガン両翼ひろぐ雪の朝
●この楽器は大きくて左右対称です。その豪華絢爛を「両翼ひろぐ」と形容しました。割と平凡な見立てで季語で持っている句だと思いました。
○この見立ては私にはかなり新鮮です。「両翼ひろぐ」という動きを伴う見立てが、演奏の始まりや音の広がりを感じさせますね。斡旋された季語については、この措辞を手にすれば様々な可能性がありそうに思えるのですが、「雪の朝」としたことで「両翼」が白鳥とも鶴とも重なってきて豊かです。
●ええっ、新鮮ですか。パイプオルガンではない物で見た記憶があります。
○もっともっと俳句を見ないとダメですね。

群鶏の目のきろきろと雪の庭
○古くは「きょろきょろ」とは言わず「きろきろ」だったんですね。辞書的解釈ではなく個人的感覚ですが、「きょろきょろ」だと首も動く感じなのに対して、「きろきろ」は目・視線が忙しく動いているように感じられます。
●辞書に載っている擬態語ですが新鮮でした。伊勢神宮の鶏を思いました。

寒鯉の暮光の深く沈みたる
○「深く」は副詞として「沈みたる」を修飾しているように感じさせる一方で、実は「暮光」の及ぶ周縁としての「深」みを言っています。情景的にはシンプルなのですが、言葉扱いの巧みさで深みのある景になっているように感じます。
●そうとう気に入った句ですが一つ残念なのが「暮光の深く」なんです。なぜ「暮光を深く」としなかったのか……理解に苦しみます。現状では意味がおぼろで光景が判然としません。
○私もそれは思いましたが、「暮光を深く」だと、明確な「暮光」の中の景になるのに対し、「暮光の深く」の場合には、「暮光」の弱まりのような気配を感じさせる分、景の暗みが増して、私にはそれがよく思えます。

桶の水揺さぶり洗ふ冬菜かな
●今月の作品はどれも平凡といっていいほどわかりやすいです。
○「かな」俳句なので一連の流れで読むわけですが、そうすると「揺さぶ」られているのは「桶の水」であり、「冬菜」ではない。そこの感覚的な逆転が面白いですし、そうすることで「冬菜」を大切に洗っている感じですね。
●冬菜で水を揺さぶった、というわけですね。
○そうかも知れませんし、掌で揺さぶる水で「冬菜」を洗っているとも。

橋渡るごとくとんとん大根切る
●時代劇に使うような木の橋を思いました。板敷で一枚一枚が音を立てます。
○何ということないようで、これも面白い見立てですね。「とんとん」は擬音語、擬態語のどちらとして働くことを期待されているんですかね。単純には音の形容にも思えるし、調子よく「橋渡る」様の形容とも解釈できそう。いずれにしても、句には出てきませんが、使われているまな板を包丁が(右利きなら)右から左に移動していく様であり、まな板こそが「橋」として見立てられた句ですね。
●はい、ぼくもおもしろい比喩だと思いました。

肘見せて鮨屋の女将海苔あぶる
●色白の細い肘を感じました。色気のある女将でしょうね。
○「海苔あぶる」からこそ「肘見せ」ることになるという状況から、和装の「女将」や、もう片手では袖口を押さえているのかなとか、想像が膨らみます。

アップルストア出て早春の御堂筋
●「アップルストア」って林檎専門店ですか。アップルパイ、アップルタルト、アップルスムージーなど売る女性の喜びそうな……「フルーツパーラー」ならわかるのですが。
○いやいや、冗談ですよね(笑)。アップル社のiPhoneとかを扱っている店ですよ。買い換えか何かで訪れたのでしょうね。「ドコモショップ」でも「道頓堀」でもなく、「アップルストア」であり「御堂筋」であることの差異、これらのブランドの与える効果を活用した句じゃないでしょうか。
●ええっ、アップル社ですか、知りませんでした。これは知らないのは恥ずかしいことなんですか。野や川は得意フィールドですが街はからしき不案内にて。都市型の君がいて助かりましたよ。アップルストアってみんな知っていることですか。
○このブログの読者で知らないのはわたるさんだけだと確信します(笑)
●いやはや浦島太郎の気分ですが「早春の御堂筋」は軽くつけてほどよい情感です。

心安き都会の孤独水温む
○確かに地方で近隣住人への関心と監視の中での「孤独」に比べると、「都会の孤独」は気楽な側面があります。
●「心安き都会の孤独」という措辞、素直で万人がわかります。都会って横の人のこと知りませんからかえって心静かにいられたりします。田舎は何から何まで知られている人間関係でそれが背景にありますね。あるいは職場における面倒な人間関係が。

(つむじかぜ)二月の光ざらつける
○何月であろうが「光」を「ざらつける」と把握するのは普通ではありません(笑)。この「光」への粒子的把握が飲めるかどうかですが、そうした視点に立つと「飆(つむじかぜ)」の斡旋は絶妙なんですよねぇ。
●この感覚、飲めます。光は粒子であり波である、というようなことで言ってるのではなく感覚的なものですが。
○そう、飲めますよね。季語の威力は凄いです。

ミモザ咲きミモザ色なる夜明かな
○「夜明け」を「ミモザ色」とはよく言いましたね。空の色でも昇る太陽そのものでもなく、夜が明けて「ミモザ」に差し始める光を捉えた表現かなと思います。
●このリフレインで夜明けのミモザをビビッドに感じます。

春めくやベンチに払ふ雨の粒
○「ベンチに払ふ雨の粒」、こうした本当に何でもない所作、シーンを掬い上げて言葉化できるところに憧れます。
この措辞だけで、雨上がりであること、既に光が指し始めていそうなこと、これからベンチに座ろうとしていることなど、情報満載ですからね。
●俳句でなければ「ベンチの雨の粒を払ふ」という文脈になって当然なんですが、「ベンチに払ふ雨の粒」で詩が立ち上りました。ベンチはペンキが分厚く塗られていて雨粒が見えるようです。
○最後、下五に「雨の粒」で終えるところがミソですね。これで「雨の粒」を通してベンチ等の周囲の様子が窺えるようです、雨粒に周囲の景色が映っているかのように。

神宮の森しめやかに雉あゆむ
●この句も平凡といっていいほど落ち着いていて破綻がありません。興味深かったのはあそこに雉がいたのか、ということです。
○その興味の持ち様は如何にもわたるさんらしいですね。句中では単に「神宮」なのですが、わたるさんが「あそこ」と言ってイメージしたように明治神宮ですかね。「しめやかに雉あゆむ」と言われると、この古代より日本的イメージの「雉」の姿が宮司にも禰宜にも思えてきます。



写真:龍門山高安寺(府中市)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする