天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

湘子『黑』3月上旬の句を読む

2024-03-09 07:57:47 | 俳句



藤田湘子が61歳のとき(1987年)上梓した第8句集『黑』。荒行「一日十句」を継続していた時期であり発表句にすべて日にちが記されている。それをよすがに湘子の3月上旬の作品を鑑賞する。

3月1日
就中(なかんづく)藁家の椿旺(さか)んなり
藁家のあるようなところは植物がいっぱいあるだろう。椿も点在する。けれど藁家の庭の椿がことのほか豪華なのである。「就中」の効かせ方が巧い。
冷たき手垂れ春園にまぎるゝか
不思議なテイストの句である。春先に手の冷たさはよく意識する。それを逃さず句にした。「春園にまぎるゝか」という屈折も含めてすべて湘子らしい。

3月2日
きさらぎの顱頂帽子に委ねけり
ふつうは「顱頂に帽子を委ねけり」であろう。それを「顱頂(を)帽子に」という文脈にしている。この逆転がのめるように仕立てた転換の1句である。
鳴くことを知らぬ田螺の申し條
「申し條」の「條」がわからなくて長い時間考えた。ここは「申し条」と同じで言い分ということだろう。「田螺鳴く」という季語を斜に見て諧謔に転じたファンタジー。
上を見る雛(ひひな)は無けれ夕燈
そりゃあまあそうであるがこの見方にはっとする。すかさずこれに「夕燈」を付ける。手練れの一句である。

3月3日
和服著て三月三日たゞ眠し
和服着て何をしていたのであろうか。転寝していてもいいようなことか。「三月三日たゞ眠し」がふるっている。
野や磯に遊ばず汽車に乗りてをり
さきほど「田螺鳴く」を分解した句があったがこれも季語の分解である。ここには「野遊び」と「磯遊び」が隠れている。両方ともせずにいま汽車に乗っているという内容。自在に句を書いている。

3月4日
青踏や北へ向かへばすぐ丘に
ほとんど何も考えずに句を書いている。めざましい詩があるわけではないがこれで俳句である。凝り固まるよりこのように軽いほうが俳句はいい。
沈丁に往きては戻り夕ごころ
これも軽いけれど情感がある。「沈丁」のせいである。しまいに「夕ごころ」を置いたのも適切。

3月5日
町へ出て飯食ふ僧におぼろかな
「町へ出て飯食ふ僧」という切り口がおもしろい。見る角度の大切さをこの句で思う。「僧におぼろかな」という言い方も珍しい。
壺焼を喰ひたる殻の巍々(ぎぎ)とあり
たしかにあの殻は「巍々(ぎぎ)とあり」である。文字面からもそれが見えて楽しい。
太陽を知り蝌蚪泳ぐことを知り
「蝌蚪泳ぐことを知り」は誰でも言えるが、「太陽を知り」を言うには詩心の充実が必要。先生まいりました、という気分。

3月6日
クレソンに奥嶺の水のかよひそめ
クレソンの生えるところは清水である。奥嶺の水は美味そう、クレソンも巧そう。「かよひそめ」は雪解けのことだろう。

3月7日
啓蟄やよき事言へば佳きこと來
日本人特有の言霊信仰を思う。受験子の前で「すべる」と言うなというあれである。「よき事言へば佳きこと來」の内容はおぼろだが季語で決まっている。
春暁を母とし檜苗そだつ
眼前に少し伸びた檜苗がある。それだけのことを俳句にするに「春暁を母とし」を引っ張り出したのである。「春暁を母とし」などどうやって思いつくのか。詩嚢の深さを思う。

3月8日
梅咲くやいくさを知らぬ牛のこゑ
梅に鶯は付き過ぎの最たるものであるが、梅に牛など誰が考えるのか。それも「いくさを知らぬ牛のこゑ」である。豊かでありいい配合である。
松風や日蔭出てきし田螺取
川の土手が高いのか、山際なのか、川が低い感じがする。そこから田螺を採って誰か出てきた。冒頭の「松風」を祝意のように感じる。
しゆくしゆくと焼けて蠑螺(さざえ)の猥らなる
蠑螺の身を引っ張り出すときまさしく猥らなのだが焼いているときからそれは感じる。この句の通りである。

3月9日
啓蟄のすぐに返事の電話かな
何かお願いの電話をした、「考えてみてください」というような。すると5分後に折り返し電話が来た。たぶん色よい返事だったと思われる。
雁ゆくとこぼしし雨に濡れにけり
初期の「雁ゆきてまた夕空をしたたらす」よりは抒情が控え目で即物的であるが雁の行くはかなさが出ている。

3月10日
一心の雨垂経や鴨毟(むし)
「雨垂経」とは何ぞや。「維摩経」のようなしかとした経典ではなく、雨垂の音を経と感じているのではないか。樋の屋根、茅葺のような屋根から雨が落ちている。それを聞きながら鴨の羽根を毟っている、と読んだ。
なにゆゑに五加(うこぎ)飯など届きしか
五加飯は珍しい。「なにゆゑに」と言うのもわかる。五加飯の一物俳句として決まっている。
(こころざし)低きにあれば春蚊出づ
ああ、もう蚊が出たか、やれやれ。俺の志が低いせいか。自嘲の句だが心憎い作り方である。
コメント
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