天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

足がつかないから海は自由なのだ

2016-07-31 08:32:55 | 身辺雑記
栄松海水浴場

先日、呼子で泳いだ。
その時ぼくの泳ぐさまを撮ってくれたKさんからメールが来た。
Kさんはぼくより五六歳若く、健康のためプールでそうとう泳いでいる。実はKさんも泳ごうとしたが、ぼくが岩で膝を擦りむいたり、自身も足をつく海底が不安だったりして怖くなりすぐ上ってしまった。
しかし後から悔しさが湧いてきたらしく盛んに海で泳ぐにはどうしたらいいか聞いてくる。

どうしたらいいかと言われてもただ泳げばいい。プールで1000m泳げればどこだって泳げるはずだ。
海を怖いと思わなくなることに尽きる。
怖いという最大理由は足がつかないことだろう。
ここにぼくとKさんの海に対する意識の天と地ほどの差がある。
ぼくは足がつかないから自由と思いKさんは足がつかないから不安と感じている。

ぼくは足がつかない自由を求めて、25歳のときから10年ほど毎夏、栄松海水浴場(宮崎県日南市南郷町中村乙4178-1)で自分なりの水泳訓練を積み重ねた。
日南市は妻の故郷。結婚して毎夏、義父母への挨拶かたがた訪問し、ひたすら海で泳いだ。
テーマ曲は「我は海の子白波の…」である。
実際は山国生れで水泳は小学校にプールができた3年生のときに習った。
クロールと平泳ぎ。
背泳とバタフライを指導できる教師がおらずいまだにバタフライはできない。
背泳は見よう見まねで覚え海でものにした。

そして学校で習わなかった忍者泳法の横泳ぎ(伸し)が海を泳ぐのに最適と知った。
海では疲れる泳ぎはだめ。海面に手を出す泳ぎは疲れる。
平泳ぎは首が疲れるし胸に波を受けるのが負担で横泳ぎに至った。
これを右でも左でも(右体側下でも左体側下でも)自在にできるように泳ぎ込んだ。

栄松海水浴場は海水浴場を謳っているが当時は管理が甘かった。
指定水泳領域のブイを越えて泳ぎ出しても誰も何も言わなかった。管理人がいなかったのではないか。すべて自己責任だったように思う。この杜撰さが南国らしくてよかった。
それでいつもブイを越えて向こうの島まで泳いでは戻ったりした。
往復で約500m。水深は5mほど。
海がプールみたいになって飽きてきたので島の横を抜けて大海へ出ようとした。
そこは大波が来る。
怖いので巌に寄ろうとしてざっくり手足を切ったことがある。
フジツボが最大の敵であることを知った瞬間であった。
磯泳ぎでは巌に寄ってはならぬ。海のなかほど安全な場所はないとわが身に叩き込んだ。

あとは足がつりそうになったときどうするか。
まず足がつらないように激しいキックをせずゆったり泳ぐことだが(そのためにも横泳ぎがいい)、足の筋肉がかたまりそうで危ないと感じたら手で撫でることを覚えた。
仮につったとしても浮力を保っていれば死なない。バタバタしないことである。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
この格言は人生の処し方を説くものと思っていたが遠泳にこそ覚えていてほしい。
人間の水死のほとんどは息をしようとして頭を上げようとするからだ。
頭を上げれば体が沈みやがて水にすべて没して息ができなくなる。
野球でもなんでもヘッドアップがいちばんいけない。
頭を水から上げないこと。頭を水につけていれば体全体は浮いてしまう。海水なら必ず浮く。浮けば息はできる。頭をひねってクロールのように息をすること。クロールの頭も水面を離れてはだめ。
身を捨てる、つまり体を水平に保つことなのだ。
足がつって「くの字」になった体は横にすると水平になって浮くことができる。

海は怖さも自由さも、息をすることも生きのびることもいろいろ教えてくれる道場である。
怖さを知ったうえで自由を謳歌しよう。
ぼくは山の子だが泳ぐときは「我は海の子白波の…」を歌うのである。


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三代寿美代の演歌俳句

2016-07-29 01:03:45 | 俳句

三代寿美代句集『縁』(ふらんす堂)が来てびっくりした。
彼女の身の上の事情はだいたい知っている。ぼくよりビンボーなことも知っている。よく句集上梓に資金を回せたものだ……、晴れやかな気持の裏で彼女のふところ具合の心配をしてしまった。

三代とはじめて対面したのは、2006年5月13日、小田原市中央公民館で開催された「鷹創刊五百号記念俳句大会」の懇親会であった。
ぼくと目が合うとニコニコして向こうから来て名乗った、まるでミラーボールのように光を散乱させて。
俳句の会といえばおばさんとおじさん、ないしおばあさん、おじいさんというのが相場だ。そこに原宿の路上に立ち歌って喝采を浴びるのが似合う<女の子>がいた。
目立つこと。



おじいさん、おばあさんは別世界のキャピキャピギャルには近づかない。
「あなた俳句を書く人?」というのがぼくの一声だったか。
会場を間違えて来てしまったのではないか……わきに旧知の加儀真理子がいて「妹です」という。<女の子>が実は46歳と知って眩暈がした。

見かけとは違うわたくしちんちろりん

自分が他人にどう見られているかはわかっている。

三代の風貌にぎょっとしたのだがしばらくして三代は再びぼくを驚かせた。
ぼくに俳句を見てください、と言って来たのだ。
そのときぼくは同人にはなっていたが、鷹誌の成績は2句3句2句3句……であり4句欄に1、2度行くかどうかという状態であった。人を指導できる身の上ではない。
「なんで俺なんだ、俺は23にいさんだぜ」というと「私は万年2句です」という。
私よりすこしうまい天地さんでいいんです、という匂いを言外に感じた。

ぶらんこを漕ぐ実直に大胆に

えらく大胆だと思ったが実直さのほうは疑った。

一応コーチを引き受けたのだが戸惑った。
三代は写生に興味がない。自分の気持ちを書きたい心象派。おまけに男と女の情念を書きたいのだ。「写生しろ」と言ってもムダなので言わず、心象で使えそうな語彙や方向性を褒め、観念のお化けは排斥した。
心象を詠むなら季語は形ある物でおさえることなど物化することをうながし続けた。

火取虫勘がいいのは昔から

具体的なことは何もできなかったが三代は変身し始めた。よい資質が潜在していたのだろう。

湯ざめする女の身にもなつてみよ
「この啖呵の小気味よさ。………思えばこれがこの句集全体の放射するテーマなのである」と鷹主宰が激賞する代表句である。
主宰は三代が長年の停滞を打ち破って開花した平成19年をしかと指摘する。大飛躍の原因を湘子死去に求めているが、ぼくは三代が母の目や世間体を慮っていやいや続けてきた結婚を解消したことによるのではと思う。

立春や空に太陽われに歌
三代のことをひそかに「出雲の歌姫」と呼んでいる。歌唱力は玄人はだし。NHKののど自慢番組でキンコンカンキンコンカンと鳴らしたし、地元のさまざまな施設を訪問しては歌をうたってボランティア活動をしている。
彼女の十八番に門倉有希の「ノラ」がある。その歌詞に
誰となく 惚れてないと
駄目な 駄目な ひとなの
…好きよ…好きよ…好き
愛はひとり芝居

というのがある。

三代俳句は演歌の歌詞に通底するとみている。そしてこの詞に表現されている恋愛体質が三代の本質なのだろう。
誰となく 惚れてないと
駄目な 駄目な ひとなの
は自分のことでありノラは三代自身なのだ。この歌をうたうとき三代は自分で自分に恋をする。
恋に恋をする資質はひとり芝居であり結婚という建設的営みにはむしろ災いすることがなかったであろうか。そこに夫との齟齬があったか。

春昼をしつかり者の姉が来る
姉はたぶん意見をしに来るのだろう。嫁ぎ先での心得などを説くのかもしれぬ。心配でならぬ困った妹。直情径行型で恋愛感情に流されがちな妹を見ておれぬのだろう。
これにたいして妹は、

妹は姉より素直ねこじやらし

などと書いて平然としている。わたし思ったまま生きるわと突っ走る。「あんたねえ…いいかげんにしないと」という姉の小言が聞こえるようだ。

白靴や初めはみんないい男

こういう句を見せられては堅実な主婦の姉は天を仰いで匙を投げるしかないだろう。

三代は恋愛体質で甘くなるところに主宰の指摘した啖呵口調を取り入れて自分の文体を確立した。
これで飛躍した。

百合手向け事もあらうに嫉妬心
ソーダ水赤の他人になりませう
夏痩せて他の誰にもなりたくなし
未明まで男泣きとは黴臭し
かなかなや何もなかつたかのやうに
蠓蠛に試されてゐる突き進む


ぼくは三代俳句の本質を演歌とみた。その通俗性に啖呵を加味し、切れ、間合いなど俳句の技法を鮮やかに駆使したことで痛快なものにしたことを指摘した。

しかしこの句は優れた写生である。まいった。これを読むと写生派の天地わたるが嫉妬してしまうでなないか。いつこんな外界への目を養ったのか。
鶏頭の手荒く抜いてありにけり

頂点は一人背高泡立草
この句は写生とは反対の象徴性をもつ。たとえば「頂点は一人」にかの毛沢東を置いてみよう。すると背高泡立草はいつ粛清されるかわからぬかりそめの人民の命ということになるだろう。世の中はすべからくピラミッド的な支配、非支配構造になっていることを暗示する。
芸域の広がりに驚嘆する。

わが心人参色に欺けり
いちばんわからなかった句である。
「わが心が」と読むと目的語を求めてしまい面食らう。「わが心を」と読むと主語は自分自身ということで流れが生じる。恋に落ちやすい心象を人参色に托したのか。
素直に自分の心のままに動く三代を思う。妙な文体だが言葉が立っていてすっと覚えてしまう。
「俳句ってそれでいいでしょ、天地兄さま」という作者の得意顔が見えるようだ。
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呼子でイカを食って泳ぐ

2016-07-28 06:16:34 | アート


7月26日~27日佐賀県呼子町を旅した。
有志がイカを食って俳句を書こうといいそれに応じたのだ。しかしぼくはイカは食いたいが俳句はどうでもよく、泳ぎたかった。よって彼らがイカ+俳句を意図するのに対してぼくはイカ+水泳が狙いであった。
俳句書きは吟行をかっこいいと思っているのか。あちこちに同じように手帳とペンを持つ者が散って陰気な表情でなにやら書き込む。他人が見たらそうとう異様と思わないのか。吟行などと得意がらずに人の見ていないところで足掻くのが俳人の美意識と思いたい。かの飯島晴子のように。



定宿の海望む部屋イカを食ふ
旅館「清力」が好きだ。二三年前一度来て気に入ってまた来た。窓際へ波が寄せて来るのがたまらなくいい。
水槽にイカをたくさん飼っている。客に食わせるためのものである。





進軍ラッパ鳴らせ食わるるヤリイカに
イカは白っぽく透明感のある体だが脅威を与えるとさっと赤くなる。食う人がながめていて恐怖を感じているのか。


イカに問ふなどちらが前か後かと
彼らは20センチほど前進するとまた戻る。それを繰り返していて神経質な感じがする。イカはどちらが前だろうか。前後なる概念はヒトに必要であってもイカにはまったく関係ないだろう。

水槽で泳いでいたのの一つが皿に乗ってきた。足に混じる吸盤がいっぱいのところが生殖器だという。これを食うと口の粘膜にくっついた。ヒトの生殖器より吸引力があって尊敬する。ただしどのような性行為をいたすかは知らない。



イカの目のしたたるほどにみづみづし

ヤリイカを食ふしこしことこりこりと

イカの大き目は何だったのか口に消ゆ

イカの全体の色味のなかで黒い大きな目がアクセント。鯛の目は白い塊だがイカのそれは口に入ると跡形もなく溶けてしまう感じ。

透けてをり翅のやうなるイカの骨

げそを天ぷらにと考えていたが足も生で食べてしまった。残ったのは昆虫翅のような一片。向こうが見えるような透明感。食べようとしたら仲居さんがそれはおいしくありませんよと言うのでやめた。





海水浴は夕方と朝二回した。どちらも海水浴場ではない。
初日の浜は岩ごつごつで藻が繁茂していて有志一人は怖がって水に入らなかった。ぼくは泳いで岩に膝をこすって擦過傷を負った。血が出たが潮が殺菌してくれた。

船虫の一気に散つて踏鞴踏む

吉か凶か船虫踏みさうで踏まず

海月見る旅の身空の橋の上



翌日宿の前から泳ぐことにした。ここはすぐ深くなるから足を何かが擦らなくていい。朝の海水はひんやりして粘着性が減って快適。水を軽く感じる。それに浮くわが身も。



叱る人なき海原を泳ぐなり
多摩川で泳いできたが網膜剥離を起こしてから妻ほか医者などから禁止されている。うるさいこと。

夏潮の深ければ身のよく浮いて

ゆまりして水泳パンツパンパンに

おしっこが出るんです。パンツは体に密着しているのでこの時の処理がやっかい。女性はどうしているのかなあ。他人事だが気になる。



海原をあち見こち見の裸かな

泳いではならぬ夏潮なすままに

これは太平洋の真ん中で沈没しそうな船から海へ飛び込む際の教訓。呼子の海は穏やかゆえ泳いでもいいが太平洋に放り出されて泳いではいけない。死ぬ。ひたすら浮いて救助を待つべし。

横波を食らいて泳者腹減りぬ
船が通ると横波が来る。うねりの中で体が上下する急に空腹を感じてしまう。ゆるい動きだがずっと手足を動かし続けるのは案外腹が減るものである。

光る海月追うてこの世を出で行くか


45分どこへも立ち寄らず泳いだ。
上って一日が終ったような気がした。ずっと日暮れまでとろとろ居眠りをしていた。なんとか俳句もどきを書いた。
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反写生・言葉派の句集

2016-07-27 22:00:29 | 俳句
鷹の月光集同人、岸孝信から句集『ジタン・カポラル』(ふらんす堂)をいただいた。
正直いって鷹の偉い人のなかで岸さんはぼくからもっとも肌合いの違う人であった。


新墓にジタン・カポラル冬木の芽

この句は句集の題名としている代表句である。鷹俳句賞か何か取ったときのウイニングショットと記憶するがそのときぼくの胸にそう響かなかった。
まずキーワードのジタン・カポラルを知らなかったのであり、フランスのたばこの銘柄と知らされてもたばこを吸わないぼくは、ピースでも新生でもいいじゃないかという気分だったのである。

ジタン・カポラル

岸さんの句について小川軽舟が句集の冒頭でみごとな解説をしている。それを引く。

俳句の作り方に写生と反写生があると考えてみよう。
写生はものを見て作る。ものを見ただけでは俳句にならないから、見たものに言葉を引き寄せる。うまく言葉を引き寄せられれば、その言葉を通して読者もものを見ることができる。そうして写生は成就するのである。
反写生はものではなく言葉から俳句を作る。言葉の組み合わせによって読者に何かを見せる。俳句の言葉を通してものを見せるという点では写生も反写生も同じだが、俳句になるまでの経路が違う。
岸さんの俳句の本質は、ここで言うところの反写生だと私は思っている。


ぼくが岸さんを肌合いの違う人と感じた理由を鷹主宰がきちんと分析している。軽舟さんの快刀乱麻の一文を読むと句作に対して評論の必要性をつくづく感じる。
本質に迫る解説により遠いと思っていた作家や句をにわかに近づけてくれる。
軽舟さんはぼくが通りすぎてしまいそうなこの句も言葉派の傑作と位置付けている。

ねんねこや鈍間色なる佐渡の海
鈍間色(のろまいろ)とはなんぞや…調べるのが面倒で通過したのだが、これは江戸の寛文年間に野呂松勘兵衛が使いはじめた鈍間人形というのがあって、その顔にべったりと塗られていた青黒さのことだという。

鈍間人形

その鈍間色を作者は佐渡の冬の海の色と見定めたことで、民衆の歴史を負った風土の厚みまで映像化したという。

コルベ忌や涼蔭に置く麺麭と水
この句をはじめて読んだときもコルベさんは何した人かわからず素通りした。
ウィキペディアを調べて、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で餓死刑に選ばれた男性の身代わりとなったことで知られ、「アウシュビッツの聖者」と呼ばれるポーランドのカトリック司祭であることがわかった。カトリック教会の聖人で記念日は8月14日とか。
それがわかると中七下五もすんなり身にしみてくる。
コルベ神父は知っていたほうがいい人だろうが、ジタン・カポラルや鈍間色まで知っていなければならぬとすれば俳句は博識の人だけが楽しむものになってしまう。
それでは宮廷文化である和歌に対抗して発足させた芭蕉翁の道から逸れるのではないか。そんな反発があるにはあった。
コルベ神父


けれど岸さんの発想力はずば抜けている。認めざるを得ない博識なのだ。

虹消えて音楽室のデスマスク
虹、音楽室、デスマスクという三つの要素が簡単な組み合わせでリアルな絵を描く。

苦参(くらら)咲く磧に雨や晴子の忌
主宰が「秀句の風景」で褒めたときぴんと来なかったのだが今読むと、苦参(くらら)を持ってきたひらめきに感嘆する。
クララ(眩草、苦参)はマメ亜科の多年草で。根を噛むとクラクラするほど苦いことから、眩草(くららぐさ)と呼ばれるそうだ。
苦いといえば、甘さを許さずわが道を突き進んだ飯島晴子を象徴しているではないか
苦参

岸さんの使う言葉はどこかがむつかしく辞書の世話になることが多い。またどこか屈折した味わいの語彙を手際よく使う。

ゆらゆらと手房(たぶさ)白しや磯嘆き
手房が手首のことだがこう言うことでいかにも年増の懶惰な肉付きを想像させる。磯嘆きは海女さんが海面に浮上したとき息を強く発すること、声を上げることである。

谺して開手たぬしや山始
開手(ひらて)は柏手。「たぬし」は「たのし」。あわせて古風を演出して山始なるゆゆしい季語を称える。

湯玉咲くざこ場の釜や虎落笛
ざこ場は雑魚場で魚市場のこと。江戸時代の呼び方で今も広辞苑にある。「湯玉咲くざこ場の釜」は奥行のある景である。

風紋をなのめに掠め夜這星
風紋は砂丘だろう。夜這星、すなわち流星が砂丘を横切るように流れた景である。言葉派らしい凝った表現がおもしろい。
岸さんの言葉にメジャーの投手の「動くボール」を連想する。
メジャーの投手は直球を投げても打者の手元で不思議な、予測できない小さな変化をするという。それを「動くボール」といい日本の実直な打者が打ちあぐむらしい。
メジャーの投手のようなしたたかさを岸さんの句はおおむね持つ。

そんな中で、辞書に頼らずすぐわかる以下のような俳句は素っ気なく味気なく感じてしまいそう。

町果てに海低くあり梅雨の月
鱈船に海盛りあがる日の出かな
凡凡と母屋の時計飯饐ゆる
棒鱈の棚に雪舞ふ若狭かな
バス発ちててすぐ島風やきりぎりす
猪撃や日輪鈍き奥三河
目貼して枕時計の針の音
戸袋に鳥の和毛や春の雨
夜桜や家路に辿る夕明り

こういう句は天地わたるのような写生派がすんなりのめる句であり、俺だって頑張ればこれくらいは書けるぞと思う句群であろう。
句作の動機は嘱目にのように思える。
冒頭、鷹主宰は岸さんの俳句を「反写生だと私は思っている」とおっしゃったのであるが、
一方で「俳句の作り方に写生と反写生があると考えてみよう」と婉曲な断りを入れている。これは、できてしまった俳句を写生が先か言葉から考案したかを仔細に分析できないし、そんな詮索は意味も益もないということの含みなのだ。

言葉派の岸さんが写生の目を働かせた句も高い水準にあるのである。
句集を読んで今まで対岸で背中を見せていた人が橋を渡ってにこにこして近づいてくる感じがした

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筒香に対する菅野の気分

2016-07-24 05:23:35 | 俳句

DeNA対巨人第15回戦における菅野と筒香

プロ野球はおもしろいが中でもDeNA筒香と巨人菅野の対決はいつもスリリングである。7月22日は筒香が菅野を打ってホームランを含む2打点。菅野をを打ち砕いて勝利に導いた。菅野は前の試合はノーヒットに押えていえるのだが打たれている印象のほうが強い。
二人の対決にぼくは自分と鷹主宰の対決をいつも重ねている。

きのう鷹中央例会があった。ぼくは以下の2句を出していた。

汗のシャツ脱がせてくれる女なり
右の手を引かれて右へ星祭


主宰が採るとしたら右の手であろうと予測したが、なんと主宰は汗のシャツを採った。
どんな句評をいうか期待したところ、
「奥さんは汗のシャツなど脱がせてくれないでしょう。どこの女でしょうかね」とはぐらかした。
もう少し踏み込んだコメントを期待したのだがよくぞ採ってくれた。
菅野は曲がりの大きいカーブを投げて筒香のバットを動かさずにワンストライク取ったというイメージである。内角をえぐる150キロのストレートではない。

中央例会や月々の鷹への投句の際、いつも菅野対筒香をイメージしている。
鷹への投句6句は最終候補十数句から吟味する。
鷹主宰の高いハードルを越えてストライクを取るのは至難なのだ。
甘いボールはみな弾かれてしまうし、精度の悪いボールも通じない。
ぼくの持ち球でいちばん切れるのはストレートだと自負しているが150キロをコースぎりぎりへ毎度投げられるわけではない。
少しでも中へ入ると持って行かれるのは菅野を見ていてよくわかる。
筒香の安定した構えを見てどこへどんなボールを投じるかを菅野と一緒にいつも考えている。

鷹へ6句投句して4句以上活字にできたら筒香を打ち取ったというイメージなのだがなかなかそうはいかない。
なぜ3句も落とせるのかという苦い思いをしばしば味わう。
筒香に立ち向かう菅野には親近感がある。自分を大投手菅野とダブらせることがおこがましいのだが許されよ。こうして投句の気分を盛り上げているのである。
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