「萌え絵」称される絵
小川軽舟鷹主宰が鷹鷹4月号に「萌え絵」と題して発表した12句。これを山野月読と合評する。山野が〇、天地が●。
寒がってゐる行列や秋葉原
●電気製品の街秋葉原。何かの新機種が発売されそれを待つ大勢の人を思いました。「秋葉原」と置いたことで道に人があふれている感じです。
〇この「行列」がどのような「行列」かを示すヒントとして下五「秋葉原」が機能することが期待されているわけですね。「秋葉原」と言えば、昔はラジオセンターに代表されるイメージでしたが、今はアニメ系を含め、萌え系産業のメッカですから、その線で考えると句中の「行列」はアングラアイドルとかのサイン会、フィギュア系のイベントなどではないかと思います。 また、「寒がってゐる」のは本当は「行列」そのものではなく「行列」を成している一人ひとりですよね。それを「寒がってゐる行列」と表現するのは、「行列」を成している一人ひとりに「寒がってゐる」だけではない類似性があり、そのことによって「行列」をひとつの集団として捉え直しているからではないでしょうか。 だとすれば、その類似性とは、大きくはオタク・ファッションではないか。そして「寒がってゐる」なら、この「行列」は皆一様にミニスカート系のコスプレをした女の子の「行列」なんじゃないでしょうか。
●月読さん、えらく秋葉原、詳しいですね。
萌え絵の壁聳え仰ぎぬ冬晴に
●萌え絵(もええ)を知らなくてWikipediaを調べました。それによると、 萌え絵は、日本の漫画やアニメ、ゲームなどに特有の絵のこと。「見る者に『萌え』を感じさせる絵」などと説明される。描写対象となるのは、おおよそ10代の少女であり、特徴としては、顔の大きさに対して眼が大きい・鼻がほとんど描かれていない・口が小さいこと、顔は平面だが体つきが肉感的であることが挙げられる、 のだそうです。知ってました?
〇「萌え絵」という言葉は知りませんでした。説明を訊けば、それが何を示しているのかは理解しました。前句繋がりになりますが、秋葉原であれば、そうした「萌え絵」がビルの壁等に大きく描かれているのも珍しくはないですから、景としては目に浮かびますし、原色系の色遣いの「萌え絵」は「冬晴」の空に映えるでしょう。
●あの絵は冬晴に映えるのでしょうが、小生はこの句の中七に動詞二つは要らないと感じました。「壁聳えたり」と簡潔にすべきではないかと。こう表現することで仰ぐは言えていると思います。
〇確かに、「聳え仰ぎぬ」の動詞ふたつは情報過多かも知れませんね。しかし、本句は、「壁」までを含めた上七の句ですよね。「壁聳えたり」とすると、上四若しくは中五になってしまいます。作者は「聳えてをりぬ」とかにする緩さを嫌ったのでしょうか。
●ああ、そうか。「聳えてをりぬ」は考えていい措辞でしょう。
寒疣の少女は我を客と見ず
●作者が客として入った店は何を売る店なのか。少女の肌が鳥肌になっているのは露出箇所が多いせいか。何の店なんでしょうかねえ。
〇そもそも「寒疣の少女」が店側の人なのか、客側の人なのかによって、「我を客と見ず」ことによって何が起きたのかが異なってきそうです。前者であれば、例えば何かの営業目的での訪問者と間違われたとか、後者であれば店員と間違われたとか。いずれにしても、「寒疣の少女」はコスプレ的かどうかはともかくミニスカートを履いていそうですね。
●少女が店側の人なのか、客側の人なのかは考えましたが、この句はいまいち少女の生態がはっきりしません。スカートが短い感じはしますが……。
〇いずれにしても、きっとスーツ姿であろう作者を「客と見ず」ですから、そうしたサラリーマン風の格好の客は滅多に来ないような店なんだなとは思います。
萌え絵もて窓目潰しの街寒し
●萌え絵のもう1句より出来がいいと思いました。「窓目潰しの街寒し」は作者の主張です。物をきちんと見せていて浮ついていません。
〇作者はこのビルの外にいて、これを見ているのだと思いますが、「窓目潰し」だとわかるということは、ビルの一面のすべてを「潰し」ているのではなく、一部の窓は見えていて、「萌え絵」看板の下にも「窓」があるはずだと認識したのでしょうね。句の良し悪しは別にして、先の「冬晴」の句の方が私には感覚的に理解しやすいです。
●句としての精度の問題です。前の句は小生の指摘したように推敲不足を感じます。
砕氷船太陽低くあかあかと
〇「砕氷船」と言えば、国内なら網走とか知床とかでしょうか。夕景でしょうが、「氷」と「太陽」はインパクトのある配合ですね。
●「太陽低くあかあかと」は冬の海なら見る機会は多いでしょう。上五に置いた「砕氷船」が効いています。
氷割る世界が嘘になる前に
〇地球温暖化をモチーフとしているのですかね。前句の「砕氷船」がなければ、「氷割る世界」でカクテルを作るバーテンダーとかをイメージしたかも知れません。
●地球温暖化ですか。思い付きませんでした。すると、「世界が嘘になる前に」というのは世界が消滅することを意識しているのでしょうか。小生は付いていけませんでした。
〇いわゆる主義主張ではないメッセージ性のある句として、洒落ていると思います。
パイプ椅子開いては足し金屏風
●金屏風の前が主賓席。講演会でも催すのか今観客の席をつくっている場面です。
〇「金屏風」という豪華なイメージに「パイプ椅子」という大量生産的なモノを合わせた面白みでしょうか。
●そんな理屈より人が動く忙しさ、できていく風景の楽しさを書き止めたかったのだと思います。
〇なるほど、そうか。「金屏風何とすばやくたたむこと 飯島晴子」的な面白さですね。
鳩発たす今朝の世界や風光る
●今月の作者の用語はいつもと違って、大げさというのか思いがあふれています。この「今朝の世界」もそうです。
〇「鳩発たす」というのは、イベントとかのいわゆる放鳩のことですよね。「鳩発たす今朝の世界」と言われると、作者にとって関わりや思い入れの強いイベントなんだろうとは思いますね。例えば、娘さんの結婚式とかでしょうか。
●「今朝の世界」は人を迷わせます。結婚式ならそう書けばいいのす。そうであるかどうかわかりませんが。
映画見て桜木町の春浅し
●前の句のようにどこも気張っていません。
〇確かに気張ってなくて、それがとてもいいですね。予定を組んで見に来た「映画」というより、ぷらっと入った「映画」館のような感じ。うまく説明できないのですが、これは「春深し」ではなく絶対に「春浅し」の雰囲気。
●肩が凝らずにすっと立っているよさはありますがどこかで見たなあ、という印象も付きまといます。それが作者の心理に根差していて前の句の「今朝の世界」といった独自の踏み込みをしたくなるのは理解できます。
雛菊や明治の近き港町
●「明治の近き」は明治の雰囲気がある、ということでしょう。
〇この「近き」は、意味的には「近しい」ことを言っているのかなと思いますが、「近しい」の連体形は「近しき」ですよね。「明治」情緒の残っている「港町」なのかなと思いますが、横浜とか函館とかですかね。
●まあそういった場所を詠んだのでしょう。
〇どうして「明治近しき」としなかったのですかね。
●それは個人個人の言葉に対する感覚に帰するでしょう。
しばらくは湯に立つパスタ桜草
●上五中七はいいとして、桜草はどこにあるのでしょうか。窓辺にあってその手前に調理台やバーナーがあると読みました。
〇「桜草」はキッチンか食卓なんかが考えられますが、措辞を踏まえると、キッチンの出窓とか、そこから見える庭先とかと読むべきでしょうね。まだ「パスタ」を茹でている途中なのですが、「桜草」から想像するのは、クリーム系ではなく、ペペロンチーノとかのオイル系の「パスタ」かな。
土筆どち見物人のやうに立つ
〇面白い見立てですね。いくつもの大小様々な「土筆」が見えます。「土筆」を「見物人」として見立てると同時に、この「見物人」が見ているモノが「土筆」という面白さであって、それを可能にしている上五「土筆どち」という表現かと。
●おもしろい比喩で決まった一物俳句です。しかし月読さんのいうように、「見物人」が見ているモノが「土筆」というのは変でしょう。土筆は立っているだけでしょう。
〇そうなのか。それはともかく、「土筆どち」という捉えに「土筆」への親しみが感じられていいですね。