天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

竹岡一郎句集『けものの苗』

2018-10-31 06:41:25 | 俳句


武岡一郎句集『けものの苗』(本体価格2300円/ふらんす堂)。

若芝に亀歩ましむ帰還兵
この句は鷹に発表したときから疑問を持っていた。そのことをまず本人に告げた。
この句がひこばえ句会へ出たら小生は採る。特選で採りたいほど精度がいい。戦争から引き揚げてきた男が「若芝に亀歩ましむ」は景とてフレッシュ。しかし彼の内奥のすさみはいかばかりか。ちょっと見ののどかさの背後のすさまじさをなんとうまく一句に閉じ込めたものか。
ひこばえ句会は80歳台の人がいる。その人は幼少のころ帰還兵を見ている。それを回想して書いたのならぼくは納得する。
けれど竹岡は昭和38年生まれ。戦争を知らないぼくより12歳も若い。まったく戦争を知らない人間がさも戦争を見たかのように嘱目吟としていいのか。それはまっとうではないのでは、と本人に伝えたのである。
戦争を知らない人間がそれを書いてむろんいいのだが、それにはそれなりの書き方があり、たとえば<蝶墜ちて大音響の結氷期 富沢赤黄男>のように虚(ファンタジー)へもっと添った表現にしてほしいのである。

雀の子風俗嬢が米をやる
嘱目ふうに書くのならこのような書き方がいい。これは作者が見ているとしていい内容である。雀の子に風俗嬢をからめたのは巧妙である。作者の想像力はすごいといつも感嘆している。

廃校が音喰ふ昼を春の下駄
「廃校が音喰ふ昼」は竹岡しかなしえない表現、そこに「春の下駄」で景色の中に自分をしかと置き廃校を堪能している手腕は並ではない。えらく気に入った句であり本人の思惑は知らねど彼の代表句であろう。

赤剝けの兄へ集へり瑠璃蜥蜴
「赤剝けの兄」なる意地悪さ、そこへもってくる「瑠璃蜥蜴」の色合。作者の悪魔的美意識が映える。
遠浅や水母と赤子なであへる
これも同様な気持悪さがあり作者らしい。

透(とほ)る素足よ欄干を歩くなよ
エロティシズム系の句も見るべきものがある。「透(とほ)る素足よ」には女好きの作者を思う。かわいい娘を欄干に乗せて生と死の際を楽しむ悪い作者である。
蒼白の股が挾める金魚鉢
読んだ瞬間目に入る色合、それも劣情を駆り立てるテクニックの冴えを見よ。
兄棄ててあたしの髪に涼んでよ
男と女の遊びはタネがよくあるなあと思うほどで才能を感じざるを得ない。

苺挽くミキサー少女猛りけり
これなどは少女を官能的でなくとらえた句であり、良妻賢母のご婦人の点が入るかもしれない健康感がある。


竹岡の前の句集をぼくは批判した。それは太平洋戦争と黄泉という2本の柱に拠って書いている句があまりにも目立ったからである。戦争で同工異曲の句を5句も見せられてはかなわないと思った。死後の世界というのも観念的になってしまう。
今回は素材の幅が広がった。動物がたくさん出てきてファンタジーがのびのびしてきたように感じた。


はんざきが食むもののふの噛み応へ
もののふ(武士)を噛むとは奇想天外。

豊満の土偶ほどけよ蛇となれ
神話的なおおらかな味わい。そういえば土偶の模様に盛り上がった感じの蛇がいたか。

満幅のいそぎんちやくは七色に
だいたい竹岡の句はどこかに皮肉があるのだがこれは健康。七色は豊か。

役(えき)として凍土を細る丸太かな
この千年いくたび戦死して氷りし

竹岡の本質は恥じらいであろう。まっすぐ表現できない性状にぼくは彼の複雑な胸中を思う。それが表現の綾に通じ作品をおもしろくしている。そのおもしろさの背後のえらくまともなものがあり、それが戦争への拘泥であったとみている。戦争の上にぼくらは生きているという彼のせつせつたる思いである。
この2句も民族としての戦争への思いを一身に感じている気配がある。

割腹のあとのうつろを夕焼くる
うまい句である。伝統的な日本人の美意識を作者なりに展開している。

鷹においても主宰はじめおおかたの句は現実のモノからそう離れない。ところが竹岡は現実を簡単に離れて虚で遊ぶ。これは危ないことでもあるが才能のある人は開拓してほしい境地である。
竹岡にそれを期待する。
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女城主と羚羊の角の話

2018-10-30 05:17:36 | 


中島京子『かたづの!』(2014/集英社)は、女城主と羚羊の角の話である。

女城主といえば、2017年1月8日から同年12月17日まで放送されたNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』が記憶に新しいが、こちらのヒロイン八戸南部氏21代当主袮々(ねね)も波乱万丈の身過ぎ世過ぎがすさまじい。

彼女の生涯を羚羊が、死んだあとはその角が語るというファンタスティックな体裁の物語。
西洋の物語によく登場する一角獣(ユニコーン)。そのほとんどが、ライオンの尾、牡ヤギの顎鬚というふうにさまざまな動物の合体した姿で描かれた想像の動物である。本書に登場する羚羊が角を1本しか持たない。それで「かたづの」なのである。

慶長五年(1600年)、角が1本の羚羊が、八戸南部氏20代当主で ある直政の妻・袮々と出会う。羚羊は彼女に惹かれ、両者は友情を育む。やがて羚羊は寿命で息を引き取ったものの意識は残りその霊力で祢々を手助けする一本の角――南部 の秘宝・片角となる。
平穏な生活を襲った、城主である夫と幼い嫡男の不審死。その影には、叔父である 南部藩主・利直の謀略が絡んでいた。 東北の地で女性ながら領主となった彼女は、数々の困難立ち向かう。 けっして「戦」をせずに家臣と領民を守り抜く。

ここからは少しネタバレになるが見せ場をふたつ。
ひとつは叔父の利直が八戸併合をたくらみ、ある武将を婿として袮々に送り込む。これを角が事前に察知して袮々に知らせると袮々はすかさず髪を下ろして尼(清心)となって回避する。そして女城主となる。
袮々(清心尼)は徹底した不戦論者。利直が八戸一族を遠野へ所替えさせようとして大勢が決戦となったとき、角が彼女に憑依して説得に成功する。清心尼の額に1本角が生えた弁舌の凄みを味わうべきだろう。
このときの彼女の偉容が「異貌清公」という奇異な戒名となって文献に残っている。

作者もこれにはおおいに心揺さぶられこのようなスリリングな物語となったのであろう。
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奥坂まや「故郷アフリカ」を読む

2018-10-28 17:14:59 | 俳句


奥坂まやは「鷹」11月号に「故郷アフリカ」と題する6句を発表した。空想で句を詠まない人ゆえこの夏、ケニアを旅したものと思われる。

灼熱の大地を呼吸するケニア
おもしろい文脈である。「呼吸するケニア」はケニアを擬人化しているし、「大地を呼吸する」という言い回しに若干の違和感(隙間感)がある。この大地をわれわれは「ケニア」呼ぶのであるがこの文脈では「大地」と「ケニア」との間に隙間がある。隙間を読み手に意識させることにより、ここはたまたま「ケニア」であり名称は大地にとって軽いものであるという作者の意識を感じてならぬ。
政治情勢が変わり国境なる線引きが変わればケニアでなくなることもあり得るわけだが、灼熱の大地であることは不変である、という作者の思いが込められている。


獅子の眼の飢にかがやき草灼くる
「飢にかがやき」がこの句の眼目。たしかにたらふく食って寝そべっているライオンはどろんとした眼をしているだろう。


日盛や全き拒否として黒犀
小生は奥坂の句のファンである。彼女の句はモノへの執着がしつこくモノの輪郭や性状を際立たせようとする。それが奥坂の魅力のすべてといってもいい。「全き拒否」ということで黒犀を凝視している。


朝涼し跳ねてカゼルは風の精
図鑑によるとガゼルはウシ科ブラックバック亜科ブラックバック族ブラックバック亜族の3属があるという。見たこともないがガゼルという音感は風の精を呼ぶにふさわしい。


トムソンガゼル



サバンナ夕焼大祖(おほおや)が鬨挙ぐるごと
現生人類の起源と分散を説明する理論は二つあるようで、一つはアフリカ単一起源説、もう一つは多地域起源説であるという。どちらの説も十分に遡れば人類の起源はアフリカであることに同意しており、大きな違いはいつ我々の祖先がアフリカを出発したかである。DNA分析によれば、全人類の共通祖先は遠くとも25万年前には存在していたとされる。
たぶん奥坂の旅の大きな目的のひとつに人類発生の地アフリカを見ることがあったのであろう。「大祖(おほおや)が鬨挙ぐるごと」は作者の人類讃歌であり、自分自身の遺伝子のルーツの土地に立った感慨が色濃い。

出アフリカ以来われらの日焼かな
人類の「出アフリカ」を大きく二つあり、一つは約180万年前にホモ・エレクトスがアフリカを出たこと、もうひとつは約10万年前にホモ・サピエンスがアフリカを出たことであるといわれる。
当地にとどまった種族は灼熱に対抗するため肌にメラニンを蓄えた。出て行った種族は、白色人種、黄色人種、赤色人種、褐色人種と住む場所の気候に応じて肌の色を変えていったのか。日差しの強い赤道直下の人種の肌は先天的に黒く、高緯度になるほど薄くなっていくという。
この句の「日焼」にはそこはかとなくユーモアがただよう。

多作多捨の奥坂のことゆえほかに100句はアフリカを書いていることだろう。デッサンも含めてすべて手持ちの句を見せてもらいたくなった。


写真:ウィキペディア「サバンナ」「サバナ」より拝借
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25年前の香茸を探しに

2018-10-27 05:21:11 | 自然


25年前ほど前だったか、中学生の二男と飛龍山を経て甲武信ヶ岳へいたる縦走を企てたことがある。お祭というバス停で降りて、天平(でんでいろ)尾根に取り付いた。平たい尾根道に香茸がたくさんあった。二人で採れるだけ採りリュックの上に積み上げて運んだ。登山しつつ茸を運ぶのは大変で二男は帰宅して首が回らなくて痛いと言った。


香茸。この写真は借り物

それをまざまざと思い出してきのう香茸を探しに当地へ行った。お祭は東京都ではなく山梨県丹波山村である。バス停の上に「お祭荘」という宿がある。雨の降り出しそうな雲行でそのときは庇を借りようと行ってみると廃業していた。



主留守剥製の猪玄関に




丹波と奥多摩駅をつなぐだけのほとんどの人が通り過ぎる道の一角でよく宿泊業をやっていたものだ。奥の丹波なら旅館業ができるがここの廃業は納得できるのだ。




天平尾根は厄介なところである。尾根といっても尖っていず茫洋と広い。尖っていればそこが道となるがそうでない地形はどこでも歩ける。それが怖いのである。25年前はもっと高い飛龍山をめざしたので道を外しても上へ上へと歩けばよかった。
今回は来た道を戻る。そのときどこでも歩けると予期せぬ沢に入ってしまうことになる。沢ならいいが滝に遭遇して立ち往生することもある。どこでも歩けそうな下りが怖いのである。
おまけにこのルートは歩く人が減り道が雨で流れて滑落危険個所が随所にある。下山は足がすくんだ。

2時間ほど探したが香茸は影も形もなかった。香茸はやはり幻の茸である。息子と採った大収穫を再び思い出した。

静かであった。この静けさは久々のものであり町では絶対ありえないものである。静けさは怖さでもある。ときどき叫んで獣に自分の存在を知らせた。

静かなりうしろに熊が来てゐぬか

あちこちに木の葉散りをりときに音

木の葉散る近くのものは音のして

踏む音も杖つく音も落葉なり

フラットの尾根に至る道路からの道が悪路。上から石が落ちるので見ると猿が数匹群れて走っている。結構のスピードで石が落ちるので怖い。上を見たり危険な足元を見たりで鼓動が上がる。

猿あまた我を見下ろす秋の暮

向こうは俺たちの国へなぜ人間が入ってくるのかと思ったかもしれない。




丹波川。流れ行く先に奥多摩湖がある。
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フリースクールで句会

2018-10-25 04:29:37 | 俳句


きのう、フリースクールゆうび小さな学園(千葉県柏市豊四季360-2)へ俳句の話をしに訪れた。今年、当園は園長が内堀輝夫から植田誠に交替した。88歳になった内堀があとを植田に託した。
その植田が学園生にパソコンから離れた遊びを開拓したいという。それには俳句がうってつけではないかと思い、夏ごろ小生は若者に受けそうな俳句をいくつか書いて当園に送っていた。それを見た学園生やその父母は俳句に興味を持ったらしく、一度、小生の俳句講話を聴きたいということになったのである。

集まったのは内堀、植田らスタッフを含む9名。内堀のほか全員小生より若く、15歳が2人、22歳が1人、あとは30代、40代の学園生の母という陣容であった。
内堀がインタビューアーとして小生に俳句のあれこれを質問するという時間を持った。
ここで小生は、句会において自分の句について説明するのはナンセンスということを強調した。自分は出す一行にすべてをかけるべきで、それを喋って説明したら出した一行は死ぬ、それは母親の子殺しに等しいという話をした。
これに新園長の植田が「ほおー」と声をあげ、おもしろく新鮮という輝きが表情に出た。

フリースクールは不登校をはじめさまざまな問題を抱えている子が(子にかぎらない)来ている。
すると自分を語ってわかってもらう、自分をしゃべることで解放するということにスタッフは腐心していることだろう。自分を語ることはいいことなのである。
しかし句会において自句を語ることはご法度。しゃべりたいなら他人の句をじっくり鑑賞してそれに言葉を費やすこと、他人の句のよさ、あるいは問題点をしっかり語ってあげること。そういったことで言葉の新しい交流がある、それが毅然とした言葉の世界であり、それが自分や他人を生かす新たな道である……。
ぼくの考えていることを俳句を知らない植田が瞬時に理解したのであった。内堀は不世出の教育者と崇めるのだが、彼の後継者も抜群の感受性を持っていると感じた。

ぼくの出した俳句についてどれが好きか挙げて感想を述べ合うくらいがせいぜいと思っていたが、内堀が「では俳句を書いて句会をしよう」という。
15分くらいで全員が1句書いた。なかには3句書いた子もいて驚いた。全17句で3句選であったが選句がはやいのも驚いた。

外に出てとんぼに心おどりだす
という句に3点入った。「心おどりだす」はまさに初心者なのだが悪いとは言わなかった。ここが欠点というのはまだ先のことだ。
うたたねのきみのむこうのくりばやし ベイカー
ベイカーと愛称される15歳男子の句この句を見たときぼくは驚いた。なんという妙なる取り合わせ、本日の特選。
この子に季語意識が根ざしたら、下五を「栗の花」「栗笑ふ」などとして一句をもっと鮮明にするだろう。教え甲斐がある。どのようにしてできたか聞きたいほどであった。この句に小生のほか5点入り最高得点になった。これも驚きであった。ここに集まった諸君は俳句を見る目がある。

帰りがけ中学生の母のみちるさんが「俳句ってもっとむずかしいものかと思っていましたが、生活の中でできるんですね」とにこにこしていた。
ああいい日であったと思った。


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