草も人も名を得て帰化す姫女苑 軽舟
鷹8月号に発表されたこの句はぼくにいろいろなことを考えさせた。
まず「姫女苑」も帰化植物であること。北アメリカ原産のこの植物は日本には1865年頃に観葉植物として導入されたとのこと。
セイタカアワダチソウは帰化植物と知っていたが姫女苑は漢字のイメージ、花の姿から日本原産のものと思っていた。セイタカアワダチソウも背高泡立草の字を当てればかなり身近になる。
こうなると日本を代表する花のベスト5の、桜、菊、梅、椿、藤は日本原産なのか、ということで調べると、ソメイヨシノは日本で開発したらしいが桜そのものはよその国にもありcherry blossomsという。
菊と梅は中国から来た。椿と藤は日本原産だそうだが同種のものは外国にもありそう。人はよそのものを品種改良して自国の美意識にふさわしくして取り込み手なずけてきた。
アネモネやマーガレットは菊や梅に比べると軽い季語だと思っていたがそう思う根拠が揺さぶられた。
「広辞苑」は「帰化」を以下のように解説する。
①ア:君主の徳化に帰服すること。イ:他の地方の人がその土地に移って来て定着すること。
②ア:志望して他の国籍を取得し、その国民となること。イ:人間の媒介で渡来した生物が、その土地の気候・風土に適応し、自生・繁殖するようになること。
②を問題にしているのだが、英語は「帰化」を「naturalization」というらしい。「naturalになること」という内容に驚いた。英語文化圏では人や植物、動物の移動がふつうのことでありそれを肯定する考えが根底にある。
ここが島国暮しのわれわれと根本的に違う心性であると再認識した。
地球環境保全の立場から外来種が固有種を駆逐するということが望ましくないという論議は日本のみならず全世界で興っているようだが、naturalizationなる考えは北半球の文明国には根付いていて他国から人が来ること(移民)にヨーロッパ、アメリカは寛容であった。(最近経済の悪化などから保守的になっているが)
最初にそこに住みついた人が後から来た人をよく思わないというのはどこでもあり、パレスチナ問題がその最たるものだが、わが国でも6世紀ころ、ネイティヴの物部守屋と新参者の蘇我が闘った。渡来人が先住民が駆逐するのは大昔から人や動植物で当然のようになされている。
カエサルがガリア(今のフランス)に遠征して土地の英雄、ウェルキンゲトリクスを葬った。ネイティヴ論争をすれば物部守屋とウェルキンゲトリクスが優勢だが現実は、蘇我とカエサルのほうが歴史に名前を残し後世への影響力も強い。
nativeネイティヴとはなんぞや、という問題に常に突き当たる。そういう難解な問題を突き詰めたくないので「諸行無常」などという便利な言葉に逃げるのだがこれも外来の仏教用語である。
新型コロナウイルスの原産地は中国の武漢で元は蝙蝠なのか。世界は入り組んでいて複雑怪奇。ネイティヴ、オリジナルは言葉という観念の中にしかないのではないか。