天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

鷹8月号日光集月光集を読む

2018-07-31 04:14:55 | 俳句
【日光集】

二夜続けて湘子が夢に暑をきざす  星野石雀
草田男に<妻二タ夜あらず二タ夜の天の川>なる信じがたい妻恋の句があるが、登場人物が湘子とは…笑ってしまった。そりゃ暑いだろう。諧謔味満点。


藤田湘子


香水や二人切の昇降機  山本良明
書いてないが香水の主は美人だろうかと考える。美醜はともかく女と二人だけで狭い空間にいる心地悪さをうまく言い止めている。


青蜥蜴一身岩に迸る  奥坂まや
「一身岩に迸る」、写生である。下五「ほとばしる」にこの作者ならではの視線の強さがある。原義は「勢いよく飛び散る」ということで水に多く使われる。それを生物への転用した。対象が青蜥蜴ゆえ色と動きと併せてみごとに決まった。


川照りに剪りつつ散らす花いばら  布施伊夜子
川の岸にある茨を刈り取っている。「剪りつつ散らす」であるから雑草として処理しているのであろう。けれど一瞬の美しさをしかと受け止めている。川面に散ってゆく花も見える。



山を背に農家片寄る田植かな  細谷ふみを
山の多い日本の農村の典型的な景色を手堅くまとめている。「田植」という季語もこの風景の核として働いている。



【月光集】

葉桜や鳥屋に転がるアルミ鍋  岸 孝信
鳥小屋の地面はわりと凸凹がある。それは鳥はかなり足で地面を掻くからである。抜け落ちた羽毛も浮遊する。そこにあるアルミ鍋も凸凹だろう。哀れさと切なさがないまぜになったやるせなさが一句にただよう。季語「葉桜」を明るく配したのが救い。


山開手斧磨いて翳しけり  竹岡一郎
手斧(ちょうな)は登山関係者がふつう使う道具ではない。樵とか山村の人が使う。「手斧磨いて翳しけり」は高山に関与する山村の人を指している。請われて道の補修とかに駆り出されるのであろう。そこにこの句のユニークな視点がある。



森閑と星の声降る氷河かな  桐山太志
一読してスイス旅行で見たユングフラウの氷河を思った。しかし「氷河」は季語なのか。ほかに季語に匹敵するのは「星の声降る」でこれが「星降る」のバリエーションというのは無理。無季とみる。けれど「氷河」の言葉としての重さは季語に匹敵する。下五で季語的に句を締め、天地を謳歌している。



焼きそばの鉄板広し夏の海  髙柳克弘
リアルでいい。ジュンジュン音を立てている鉄板の向こうは海。作者は鉄板という平たさと海という平らとの間に類似性を感じている。それが一句の広がりとなっていておおらかさを演出する。


夏立つやバケツの水に雲動く  辻内京子
バケツの小さな水面の白雲が印象的。バケツのブリキの輝きも見える。手近な素材で夏をいきいきと詠んだのがいい。


更衣槻朗々と風放つ  佐竹まあ子
槻(つき)は欅の古名。「槻朗々と風放つ」が味わい深い練りの効いた表現。季語の離れ具合も文句なし。


錆腐れして炎天の鉄条網  黒澤あき緒
俳句は出だしですべてが決まることがありこの句の「錆腐れして」がそれ。この言葉を見い出したことであとは流れるように言葉が出たのであろう。即物的でいい。


葦切の莫連鳴をな咎めそ  山地春眠子
この句を読んで日野草城の<春暁や人こそ知らね木々の雨>を思い出した。草城句を読んで「かかり結び」を俳句に持ち込むとはすごい才能と感嘆した。春眠子さんは言葉遊びに関して鷹の第一人者。莫連(ばくれん)は悪賢いの意、これから「莫連鳴」を考案し、さらに「な…そ」の形で、どうか…しないでくださいの意を古典文法から引っ張り出したことに平伏した。言葉の芸はできるほうがいい。


竹植ゑて理由はあとで考へる  横沢哲彦
季語「竹植う」は陰暦5月13日に竹を移植すると枯れないという俗信に基づく。梅雨時ゆえ根付くというのだろう。この句で作者があとで考える理由は竹を植えたことではない。書いてないが、あいつを嫌いになった理由とかであろう。書いてないあれこれを想像して楽しい句である。


草いきれ考へ方が酸性に  加藤静夫
酸性というと酸っぱいという連想がはたらく。草いきれと直接関係ないがどこかで引き合うことが句をおもしろくしている。


青岬まで老鶯の声とどく  小浜杜子男
「青岬まで」で作者は岬の突端まで来ているのがわかるしまわりに海の色も感じられるのがいい。鶯の声が空の青、海の青と調和する。


酒置きて蛇に遭ひたる話など  今野福子
酒がそうとう入って酔ったが、蛇の話になって、これは飲みながらさっとはできないと気を入れた。その風情が見えておもしろい。


緑陰や嫉妬のこころ弄ぶ  中山玄彦
緑陰でくつろいだとき俺は嫉妬しているなあと感じたのがまず興味深い。しかし身をよじるような懊悩はすでになく楽しんでいる。作者の年の功というのを感じる。


金亀子兄の怒りし声知らず  大石香代子
兄思いの妹なのだろう。優しかった。いじめから守ってくれた。金亀子(こがねむし)を配したことで幼少を振り返るとともに、強い男の子(兄)を象徴化させている。


燕の子押されてふいと巣立ちけり  岩永佐保
衒いや作りのない見たままの句である。巣立ちというと人間だと儀式があったりするが自然界はこんなものだろう。このあっけなさの発見が写生である。


修司忌や線路伝ひの安酒場  宮本素子
昭和58年5月4日寺山修司死去。享年47。脚本を書き演出をし劇団を率い、短歌・詩を書き、俳句まで書いた。競馬もやっり酒を呷った。マルチの才能を振りまいて短い人生を駆け抜けた。彼には「線路伝ひの安酒場」がよく似合う。


寺山修司



銀座薄暑中国人の声大き  志賀佳世子
中国人の「爆買い」でひところ銀座は景気がよみがえった。いまは衰えたようだがそれでも中国人観光客はいいお客さんである。彼らは世界のどこでも大騒ぎしてわれわれから見れば品がないが、そういう国民性なのだ。


孟宗竹の光と暗の鬩ぐ夏  榊原伊美
竹林、特に孟宗竹のそれは明るさと暗さのコントラストを感じる。夏はコントラストが涼しさを感じさせてくれる。朴訥な句である。


照葉の森夏潮と押合へる  岡本雅光
「照葉の森」とは椎、橅、樫、樟といった広葉樹。海の波が寄せて来るのを森のほうも押し返していると把握して、強い生命力謳歌の一句としている。


郭公や硫酸銅の青き沼  志田千惠
「硫酸銅の青き沼」が単刀直入で強い。かろやかに鳴く郭公を配して運命的な沼への意識の呪縛をいくぶんやわらげている。


米どころいちめん水や鯉のぼり  南 十二国
5月に「いちめん水」は田植え前を感じるので北国新潟を思った。水面に映る鯉幟も青空のそれも爽快。米も豊かに実りそうな水である。


いちにちが過ぐ烈風の夏柳  永島靖子
「烈風の夏柳」で「いちにちが烈風のように過ぐ」と作者は言いたいのではないか。年を取ると時間の経過を若いときより速く感じる、それはときめきが減ったせいと「ためしてガッテン」というNHKの番組がやっていた。こういう句が書けることは、ときめきがあることの証左である。


蝶の昼卓のミシンの音静か  荒木かず枝
たまに手を止めて庭に来ている蝶を見る。足踏みミシンのような気がする。平和で満ち足りた時間である。


万緑に佇つや地底は滾ちをり  景山而遊
地表の万緑のなかで地中を思う。緑の濃いときはそういう感性がはたらきやすい。滾つは、水が激しくわきかえることだが、水のみならずもろもろを感じている気がする。


溯るごと筍を掘りにけり  有澤榠樝
小生も最近<筍を掘るといふのか抉りだす>と書いたせいか「溯るごと」がよくわかる。筍は掘っても掘っても根が(根といっていいのか知らぬが)深くて、どこで切るか迷う。その辺の事情がよく出ている。


噴水の頂に玉未来都市  龍野よし絵
玉は水玉である。噴水の上の部分の水のありようは玉である。ここまではそう発見があるわけではないが、下五に「未来都市」が来て驚いた。SF映画のようにビルとビルの間をクルマが飛び交うような街を夢想したのか。


蟇歩む金色堂の夜の雨  土門緋沙子
グロテスクといっていい小動物が「金色堂の夜の雨」により荘厳される。幸せな蟇に化けた。


サイダーに子役の休み時間かな  佐竹三佳
現代的な題材である。ちょんまげの子がサイダーをストローで飲んでいるという景色がおもしろい。


ジャグジーに脛ゆらぎをり山笑ふ  草彅 玲
ジャグジーは泡を噴射する風呂の装置である。足を打たせながら外の春の山を見ている。家が山の近くにあるというより行楽で風呂を楽しんでいる気配がする。


校庭に明日の白線夏の月  高橋久美子
明日、陸上競技大会があるのだ。今、運動会を初夏にする学校が増えたから運動会かもしれない。「明日の白線」と言ったことで臨場感を得た。
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台風の置きみやげ

2018-07-30 11:00:32 | 身辺雑記


台風後の月曜日、アパートになにか異変がないかと行ってみる、6時10分到着。
内部への雨の侵入(水たまり)はそうなかったが、桑の枝がばらんと道路側へ垂れている。これを切ってふたたび桑の葉茶の生産にかかる。ここに桑の木が生えていなかったらそんな衝動は起こらない。桑の葉を求めてわざわざ炎天下、自転車を漕がないだろう。ありがたい桑の木と思うべし。
この枝垂れている桑の葉でざっと5リットルのお茶ができる。
たくさんあるように見えているが葉を天日干しにするとガリガリに乾いて縮む。

すでに乾いている葉を鍋に入れて煮出しながら掃除する。
なんとゴミボックスの外にビニールにきれいに包まれた固形の物が落ちている。中から箱に入ったラーメン詰め合わせが出来した。
包装が新しい。賞味期限が8月3日。賞味期限がひと月越してもどうということはないが完全にセーフ。これは世の中からのいただきもの。僧が喜捨されるようなもの。
桑の葉は天からのいただきもの。
今日の昼飯はこのラーメン。いんげんを畑いじりの好きな義姉からいただいている。やや硬いが文句は言わない。ラーメンの具にしよう。
ラーメンを食って冷たい桑の葉茶を飲む。

いろいろなみやげで生きている。


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都立殿ヶ谷戸庭園+KBJキッチンで吟行句会を

2018-07-29 13:37:21 | 身辺雑記

都立殿ヶ谷戸庭園


KBJ KITCHEN


JR中央線国分寺駅南口下車220mに位置するレストラン「KBJ KITCHEN」。
通りをはさんで都立殿ヶ谷戸庭園と向かいあっています。殿ヶ谷戸庭園(午前9時~午後5時。入場料一般150円、65歳以上70円)はちょっとした吟行地。

小生はこの庭園を5月に散策して竹林(孟宗竹)を見て<筍を掘るといふのか抉りだす>を、6月に<五月闇金色の鯉浮びたる>を、7月池近辺で<落ちる水湧き出る水や青嵐><天つ日ににこにこ応へ泉なる>を得ることができました。あまり広くなく集中できる場所です。
午前9時~午後5時。入場料一般150円、65歳以上70円。

殿ヶ谷戸庭園とKBJ KITCHENで吟行句会が簡単にできます。幹事さん、ぜひ念頭に。KBJ KITCHENでは、紅茶(コーヒー)+ケーキセットを780円で提供しています。外の庭園の緑の木々が見える落ち着く句会場となるでしょう。





----閑話休題----------------------―-------------------―------------
「MY TOWN CAP KOKUBUNJI」僕らの街のエンブレムはKBJ!ということで国分寺キャップ再生産しました!KBJ KITCHEN にて4000円税込で販売しております! 
カチッとした仕立ての帽子です。国分寺から文化を発信します。(米倉八潮)


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島本理生『ファーストラブ』

2018-07-28 03:15:24 | 

晴れて直木賞を受賞した


父親を刺殺したとして逮捕された女子大生・聖山環菜。「動機は自分でもわからないくらいですから見つけてほしいくらいです」と警察で打ち明ける。
臨床心理士の真壁由紀はこの事件を題材としたノンフィクションの執筆を依頼されて、彼女の周辺の人々や成育歴など背後を調べて行く。
一方、環菜の国選弁護人となった迦葉(かしょう)も家族関係における疑問を感じ深く入り込んで行く。

本書は娘の父親殺しの闇というふうに興味を煽るように見せていて、、実は違う。
女性の受ける意識にのぼらない「性暴力」がテーマである。
環菜という可愛いだけで中身が成熟していない女子大生をモデルにして作者は、幼少のころから気づかずに被ってきた性的被害の実態を玉葱の皮を一枚ずつ剥いで行くように点検していく。
環菜は母が別の男との間に作った子で、父親は義父である。彼からなにかにつけ「籍を抜くぞ」と脅されて育つ。
義父は画家であり、可愛い環菜は幼少のころからモデルをさせられ、多くの男たちの視線を浴びて育つ。裸にはならぬが裸の男にくっつくようなポーズを取ったりして嫌な思いを数多く経験する。また男たちから関係を迫られたりする。
そういうこと積み重ねを性暴力と作者は見る。

環菜は長じて複数の男に簡単に体を許すといった印象だが、好きで異姓を受け入れてのかどうかという臨床心理士のしつこい問いかけに、だんだん本当の自分の気持ちが見えて行く。この臨床心理士には作者がそうとう乗り移っている感じ。
女性は男性と違い、暴力がないよう(和姦)に見えても、深いところで嫌われたくないとか、事を荒立てたくないとか、自分がもとでまわりを混乱させたくない、といった心理が暗黙のうちに働いて男性を受け入れてしまっている。それが世間や男性を大いに誤解させている、との認識を作者はつよく持っている。これが作者が書きたかった核心であろう。

ぼくは島本理生のよい読者ではないだろう。
彼女の作品をいくつか読み繊細さが魅力だが力強さに欠けるという印象であった。しかし、この作品は事実の積み重ねが重厚で手堅い。情に流れないのもいい。
情けないほど自分の薄弱であった環菜が公判では堂々と事情を検察や裁判官に対して主張できるほど成長した姿を見せる。
これは作者の成長のように感じて好感を持った。

帯文が謳うほどドラマティックな展開はなく落ち着いたストーリーが好ましい。
その中で白眉は、自傷行為(リストカット)は自分の異変に気づいてもらいたくてするのみならず、自分が見られること(絵のモデル)から逃げるためにしていたという指摘である。
このへんの鋭さと繊細さは島本の持つ非常に優れたものだと感じた。

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鷹8月号小川軽舟を読む

2018-07-27 05:36:37 | 俳句


若葉して時計の時間みづみづし
この時計は直立する鉄棒の先についているものであろう。時計に触れるように若葉が茂っている。小生が老人ホーム句会のために降りる玉川上水駅の前にもこういう時計がある。それを見て少し急ごうかと思ったりする。若葉が瑞々しいことを時計に転化したのがこの句の味噌。またこの瑞々しさはそれを見る人間たちの営為にも通じる。このテクニックは作者の得意なところである。


赤松の林あかるき鹿の子かな
赤松に射す光は明るく赤みを感じる。春だと神秘的な風合さえ醸す。そこにいる鹿の子は神がもたらしたものだと感じられたのだろう。


駅ごとに駅前はあり風薫る
人はそれぞれ気に入った物や言葉があり作者のそれは駅である。駅前は特に作者の好きな場所で、たとえば<駅前の夜風に葡萄買ひにけり>もある。この句、一駅一駅下車してセールスをする営業マンのような視点があっておもしろい。


紫陽花に栖むとも見えぬ雨戸かな
雨戸が閉まっていてそこに紫陽花が迫る勢いである。日中も雨戸が空いていないので「栖むとも見えぬ」と感じたのである。瑞々しい紫陽花と古びた雨戸の取合せがいい。


突掛けに出て紫陽花に猫探す
「突掛を履いて」といわないのが韻文をめざす俳人ならではの資質。同様に「紫陽花に猫探す」も韻文のエッセンスが凝縮されている。この表現だからむくむく繁茂する紫陽花の奥行が見える。そしてテンポのよさで情趣がすっと読み手の胸に落ちる。


五月雨や抽斗引けば母にほふ
母の匂いといえば蒲団の中で添い寝したときのことを思う。まあ体臭をもとにしたイメージであるが、作者は抽斗の中に母を感じている。この大胆な「にほふ」は匂いそのものではなくかなり観念化された母の存在感であろう。意外性がある。


ヒュッテより神官と巫女山開
ヒュッテはまあ山小屋なのだが片仮名だとホテルに近いデラックスなものを感じるから不思議である。したがってそこから出てきた神官と巫女に意外性を感じる。作者はあからさまな技巧を用いない。野球にたとえると、メジャーの投手が投げる「動くボール」と似通う。スライダー、ナックルといった明らかな変化球ではなく直球に見えて手元で球をわずかに動かすような情趣を出すことに秀でている。


仏法僧高野聖に谷深く
高野山へ登る僧侶が仏法僧を聞きながら谷を見ながら歩いている。解説もなにも必要のない見たままの句である。したがっておおらかで高野山の定番となるような句。観光俳句とぎりぎりの仕立てであるが、このおおらかさは作者の心のゆとりがなせるものである。


駆落ちの次の場面の蚊遣かな
今月の鷹主宰の句はどれもわかりやすく鑑賞文を書く必要もないほどだが、この句の蚊遣はどこにあるかしばらく考えた。芝居を見ている場面と考え、客席の蚊遣を思ったが釈然としない。それで舞台の上で蚊遣は小道具としてある景を想像した。歌舞伎なら演目は「曽根崎心中」。お初と徳兵衛の道行などを思った


西日中刑事が裏を取りに来し
鷹主宰のところに刑事が事情を聴きに来たと思いにくい。そこは事実でも嘘でもいい。この季語で裏を取りに刑事が来たことへ想像力が発展することがすばらしい。西日と裏はドラマチックではらはらする。


合併に社名変りし団扇かな
企業の離合集散が日常茶飯事である。そのことを知らせる団扇である。骨がプラスチックの安っぽいやつ。また会社の名前が変わるかもしれないなと煽いでいる作者の醒めた表情が見える。


風鈴やレシピ材料二人分
自炊を厭わない作者である。この句もこれから何かを作ろうとしている。「二人分」と言っているが作者の横にもう一人いる気配がしないと見たのは読み手が作者の単身赴任を知ってしまっているせいか。作者の生活の事情を知っていることが俳句を読むことにとっていいか悪いか。
先入観を捨てて作者は自分ともう一人の親しい人のために料理をしようとしている、と読むことにする。なにせ季語が風鈴なのだから。
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