天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

鷹俳句会のおもしろい名前たち

2024-03-01 17:02:16 | 俳句



日々の茶めし(吹田)歳晩や朝から匂う漂白剤
あちこちで人が死ぬ。知り合いの句友が元気か鷹3月号の全ページを眺めた。そうするうちに会ったことのない人でえらくおもしろい名前に遭遇した。その代表がこの人である。お笑いを本業とする芸能人を思ってしまった。それにしてもユーモアとウイットが光る。
この人のほかにもおもしろい俳号を探してページを繰った。名前の後、お住まいと1句を紹介する。

千布夢愁(豊中)焼芋の掌に温かき師走かな
漢字は表意文字であると痛感する。春、たくさんの布にくるまって夢を見て愁いに身をやつしている、と読める俳号。ファンタジーをめざして俳句を書く人なのか。

來本野の(彦根)群青の母なる伊吹眠る山
名前全体のたたずまいに興がある。「野良」だと犬を思ってしまうが「野の」はそこはとなく抒情がある。女性と思うがさてどんな人なのか。

一木刻刀(高山)くそたれと戦場の夜やクリスマス
「いちぎ・こくとう」さんか。円空仏ではないが彫刻刀でひたすら何かを彫っているイメージ。おまけに在所が高山とくれば木工以外のイメージが立ってこない。句を彫琢していそう。

二宮夢駝(愛知)冬萌やアプリに習ふ外国語
「夢駝」は「無駄」から来たのであろうか。駱駝に揺られて転寝しているイメージである。

一百 凪(沼津)笠雲の富士を遥かに雪蛍
視覚的に切れ抜群の立ち姿。さて「一百」をどう読むのか、わからない。本人かどなたかに教えてもらいたい。

棚網 鮎(狭山)鈴一個猫がじやれ合ふクリスマス
字づらから電車の網棚に鮎が載っているイメージ。やや場違いのところにあるだけにおもしろい。着いたらすぐ焼こうという作者を感じる。

大木端山(横浜)山茶花や眼白ぼ次は四十雀
意味性が濃い俳号。大木が山の麓に立っているという内容である。「深山」でないところがおもしろい。

松岡雲辺(東京)白菊を剝けば老友恙なし
鷹ではそうとう古い人にてお名前はよく知っている。中央例会で名乗りを聞くたびに、「うんぺん」という音感と雲の辺というイメージを心地よく感じたものである。雲海を雲の汀ととらえた句があるように雲辺という言葉は彼の世へ誘う。

木村みん・りー(東京)スキップにお下げ髪はね冬麗
どこまでが姓か、まず考える。日本人の名前の構成要素は姓と名の二つだが欧米人のそれはクリスチャンネームだかが入り混じって煩雑。そのテーストがこの名前にある。欧米の文化に憧れている人か。

奥山真猿(東京)鬼ごつこ逃げ切つた子や空つ風
「おくやま・まさる」と読むか。意味性が濃い。「真猿」は正真正銘の猿である。そこまで自嘲するか。おまけに在所は首都東京。山といっても高尾山くらいで奥山などない。皮肉に徹しているこの人に会ってみたい。

折勝家鴨(東京)肩尖り革ジャンパーの喧嘩果つ
鷹俳句賞受賞者にして事業部部長。鷹において知名度抜群。この名前を中央例会で聞いたとき、小生は俳句を舐めているんじゃないかと疑ったが本人はまじめであった。「家鴨」はわかるが「折勝(おりかつ)」をどういうきっかけで思いついたのか、謎である。姓名すべて戸籍名ではない。

河原 鶸(東京)命日やショートブーツは可燃塵
イメージ鮮明な命名。「かわはら・ひわ」と読むか。「かわら・ひわ」では字足らずの感じがする・少女漫画に出るヒロインを思う。よもや80歳ということはないだろうな。

内田凸歩(国立)ギター弾く斜に被りて冬帽子
この名前を見てすぐ「佐藤B作」を思った。「凸」の突出感が「B」に相当するのである。1字に違和を感じさせるのは巧い。その違和が全体をいきいきさせる。大股で野山を闊歩する感じがしていい。

六花六兎(川越)提灯にキャバクラの名や酉の市
「六花」は「りっか」で雪のことだろう。すると「六兎」は「りっと」と読んで欲しいのか。「りっか・りっと」、あるいは「りっか・りくと」しまいは落ち着かせるか。斬新だが句会で聞かないと俳号とは思えない響きである。

砂金祐年(水戸)熱燗やかつて屋台を引きし腕
鷹同人住所録に「いさご・ゆうねん」と総ルビで紹介されている。書いてなければ「さきん」と読むだろう。彼とは句座と共にしていて「砂金」を見るたびに裕福になった錯覚に陥る。

安方墨子(ひたちなか)初日見む三半規管ままならず
「墨子」は中国の春秋戦国時代の思想家である。彼とは句座と共にしていて掘り下げた考え方によく遭遇する。いわば人間探求派であるが「ぼくし」は「牧師」を連想し親しみも覚える。この句のように悪しき体調の中で頑張っている。

筑紫太郎(福津)まんじゆさげ映し火となる遠賀川
この名前を一読したとき九州の筑後川をすっかり頂いてしまっていて、ふてえ野郎だと思った。けれど筑後川は「筑紫次郎」である。太郎は利根川の「坂東太郎」である。九州と坂東のいいところを併せた命名。ずるいぞ、と思うほど豪華な俳号である。「天地わたる」も負けそう。

神馬しんめ(弘前)大鋸屑を車海老跳ぶ師走かな
姓も名も馬がらみである。さてどう読むのか。神馬は「しんめ」とも読むから「しんめ・しんめ」であろうか。このリフレインはうるさいので姓は「しんば」と読ませたいのか。「しんば・しんめ」のほうがリズム感はあるがこれは小生が押し付けることではない。名乗りを聞いてみたい。

禪寶居士(札幌)公園の朝の静けさ池氷る
「居士」は戒名の末尾に使われて親しい。これはいいが姓の「禪」は何と読むのか。「ぜん」あついは「せん」、意味は天子が位を譲ること、あるいは天子が祭を行う。「寶」は「宝」で「ほう」か。「ぜんほう・こじ」あるいは「ぜんぽう・こじ」というのであろうか。戒名を思ってしまうと感じたらこの人に失礼なのか。うーむ。

竹原櫨於(札幌)凍雲の樺太からも続くらむ
姓は読める。「櫨」は木の名前で「はぜ」であり「於」は「お」と読めばいいだろう。よって「たけはら・はぜお」と読んでみる。

辞書を引いた。俳句を読むときより辞書の世話になった。
取り上げた俳号の読みについては自分なりに調べたが推量するしかない要素が多々あった。間違って読んだら当人に礼を欠く。この記事を読んだ方で本人、あるいは事情に詳しい人がいたら間違い等知らせていただきたい。名前を読むことのむつかしさを痛感している。
6月29日鷹60周年記念大会の新宿でここに掲げたお名前の何人が参加するか。胸の名札を見るのが楽しみである。来たれ、新宿へ。
コメント (1)
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