天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

湘子は10月下旬どう詠んだか

2023-10-31 13:38:38 | 俳句



藤田湘子が60歳のとき(1986年)上梓した句集『去來の花』。「一日十句」を継続していた時期にして発表句にすべて日にちが記されている。それをよすがに湘子の10月下旬の作品を鑑賞する。

10月21日 下町めぐり吟行会
往き戻りほとりほとりと菊見かな
眼目は「ほとりほとり」なる擬態語。小生はよくわからない。
波郷無き砂町も過ぎ葭の花
愛媛県出身の石田波郷は33歳のとき江東区北砂町に転居した。ここに石田波郷記念館がある。よって砂町というと波郷なのであり俳人は砂町-波郷をドッキングして考えるが、小生はこれにとんと興味がない。俳句に即していえば、下五の「葭の花」はちょっとした驚きがあってよい。
紙芝居始まつてゐる欅散る
欅の木の下で紙芝居をしている。レトロな光景。

10月22日
鴨行けば水はへこみて従へり
主観的な句である。「水はへこみて従へり」は見て書いているのか疑問。「へこみ」はあるかもしれないが「従へり」は情念が出過ぎでは。
腰かけて落葉焚して身養生
身にしみる内容。「腰かけて」が効いて「身養生」を納得する。

10月23日
大いなる刈田の日ぐれ人容れず
要するに稲を刈った田んぼの人がおらず夕日が差しているのだが、「人容れず」と言った。やや大げさに思う。森や林なら「人容れず」がはまる場合があるが風が行き来する田んぼでは大勢が納得する感性なのか。

10月24日
泥中は悔の曼荼羅蓮枯るゝ
最近、「蜘蛛の巣の露曼荼羅や蜘蛛の留守 小川軽舟」を読んだばかりにて、この句の「悔の曼荼羅」も興味を持って読んだ。が、「悔の曼荼羅」は観念的過ぎないか。弟子の「露曼荼羅」のほうがモノとしてこなれている。
相州の善人面や刈田道
相州 (そうしゅう)は神奈川県の大部分。ここの人が善人面だという。横浜に比べて田舎なので理解できる。季語の押さえも効いている。
愛とふ語明るくはなし草紅葉
愛という言葉の感じが明るいか暗いか考えたことがなく、そう言われてもピンとこない。今回えらく観念的な気がして賛成できない。

10月25日 住斗南子
秋嶺のひかりますぐに鼻柱
住斗南子は飛騨高山の同人。向こうの高峰を見た顔の日が来た。顔は斗南子さんか。日は鼻にいちばん当たっている気がした、という内容。
柞原笛携ふる旅もして
「柞」は小楢、大楢、椚などの総称。「柞紅葉」と使われることが多いがここでは原っぱ。斗南子さんさんが笛を吹くようだ。

10月26日
ジヤケツ著るたびにうするゝ山河あり
ジャケットを着ることと山河が薄くなることとどう結びつくのか。寒くなっていくとき風景が薄くなると感じるのか。微妙な感覚である。
黄落や馬の疾駆を追ふテレビ
競馬中継であろう。天皇賞秋か。
滞る雲より朴の落葉かな
朴の葉は大きくて硬い。落ちると音がする。それが雲から降ってきた。「滞る雲」と置いたことで風格のある句になった。

10月27日
鵯よむかし自転車乙女戀せしが
鵯に作者が呼びかけている。俺はなあ、むかし、自転車に乗ったあの娘が好きだったんだ、と。「鵯よむかし」という展開に妙味がある。
見てゐたるまなこの力秋の暮
何を見ていたかは書いてない。しかし秋の暮ということで凝視が効いている。たしかに見ることを意識する時間である。

10月28日
残菊にかがやきし風もうあらず
3時ころには日があって風に吹かれる菊が輝いていた。5時になって暗くなったのである。
おでん酒競馬がへりとぶつかりぬ
競馬帰りの人は金を使い過ぎたことを話題にしているかもしれない。中七下五の言い回しが巧い。
秋の暮うしろに月の昇りけり
意外にはやい月の出を驚いている。

10月29日
頭から洗つて全肢風邪癒ゆる
「頭から洗つて全肢」、実感がある。風邪が癒えた句として出色。
血の滲むタオルが水に猟期くる
自分がけがをしたタオルを濯いでいるのではなかろう。どういうことがギョッとするが、季語とは合っている。

10月30日
風邪に寝て三日失せたる芒かな
「失せたる」は「芒」の前で切れているとみる。三日無為に過ごしてしまったなあ、という感慨である。
朴落葉燃えがたくして朝な朝な
「朝な朝な」は毎朝ということ。朴落葉は乾いていても燃えにくい。松葉でなくてこれを燃やすとは酔狂も極まっている。

10月31日
竹切ればしぶきの如く倒れけり
「しぶきの如く」は的確な比喩ではっとする。観念的な句が多かったがこれは感覚に訴えてくる佳句。
秋惜しむとて屑屋が來竿屋が來
たんに「秋惜しむ」ではなくて「秋惜しむとて」と屈折を見せている。これに対して「屑屋が來竿屋が來」なる並列は当を得ていて巧い。
螢光燈紐長く秋惜しみけり
寝ていてつけたり消したりしたいので紐を長くしてある。この光景を見ている人は多いだろう。秋惜しむの句としてわかりやすくて親しみのある内容。


コメント (1)
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石を投げに多摩川へ

2023-10-30 05:10:09 | 身辺雑記



きのう結を多摩川へ連れて行った。
二三の公園とプレイステーションとの組み合わせで2時間ほど子守をしてきたが最近奴は飽きてきたようだ。小生も飽きてきた。それで自転車を使わず電車に乗って多摩川へ繰り出した。東京行き中央線に乗ってからの問題は四つ目の武蔵境駅で乗り換えをしぶりさらに乗るとだだをこねることだが、昨日はすんなりと西武多摩川線に乗り換えた。外国人向けアナウンスの「セイブ・タマガワ・ライン」というのが気に入ったようだ。




「くさくさ」と声をあげたのが水辺へ行く道の途中。穂があるもの、実のついているもの、セイタカアワダチソウの黄色、芒の白とさまざまな草が繁茂。結は埋もれてしまいそう。やはり公園にはない野趣がここにある。
飛蝗が飛び出した。結ははじめてで「ばったばった」とよろこぶ。





石を水溜りへ投げる。大人から見ればばかばかしい行為だが結は大好き。街中の川でこれは十分できない。川辺の石はすべて投げてしまっている。多摩川はつくづく石だと思う。いくら投げても投げ切れない石の数。石という素材は人間の文明を支えている。
肩が痛くて平べったい石を投げて水を切るのを見せてやれなかったが、いずれ水切りは教えよう。



水とともに砂も結の好きな素材。橋の下に乾いた粉のような砂があり、結はすかさずそれを足で擦って煙を立てて歩く。公園でもこれが好きだがこんなに多量の細かい砂がない。子供は遊びを見つけられる。羨ましいくらい。川にはいろいろ楽しい素材がある。





大学生ほどの年齢の女子が二十数名昼飯を食っている。ここ是政橋の下へ何度も来たが大勢が集う場面にはじめて遭遇した。「秋興」という季語があるが歳時記で例句をほとんど見ない。これに該当する。この季語で俳句を作ってみようかと思い立った。
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南アフリカ優勝

2023-10-29 07:01:37 | スポーツ

終始圧力が凄かった南アフリカ(緑)

ワールドカップフランス大会は、南アフリカがニュージーランドを12-11で下して優勝した。全得点を10番ポラードのPG4本で上げた。ニュージーランドは両チーム唯一のトライをあげたが2本のキックミスが効いて負けたといえる。
一つ目のミスキックは57分に15番ボーデン・バレットがあげたトライ後のコンバージョンを10番リッチー・モウンガが外したこと。これを決めていれば13-12と逆転していた。もう一つは73分相手反則で得たPGをジョディー・ボーデンが外したこと。二つとも外したことが敗因である。角度といい距離といい楽な仕事ではなかったが、ポラードならたぶんどちらも外さないし、ジョージ・フォードも松田力也もたぶん決めているだろう。こいう大試合はキックがえらく大事でこれをミスしていたら勝てない。



多くのイエローカードが出た激戦


前半が終わって南アフリカが12-6とリードしたとき、ニュージーランドに勝機はないだろうと思った。
主将にレッドカードが出て退場。以後14名で戦わなければならない。日本相手なら14名でもしのげるかもしれぬが南アフリカに対して1名欠けるのは致命傷に思えた。しかしニュージーランドは後半よく盛り返してトライを一つ奪った。
その主将退場となった反則だが、レッドカードまでいくのは行き過ぎではないのかと今でも思う。確かに突っ立って相手にぶち当たっているが頭突きをかましたのでも肘打ちを見舞ったのでもない。イエローカードが妥当ではなかった。
以後、南アフリカにも同様の反則が出てイエローカードが出たがレッドにはならなかった。ニュージーランドとの罪の重さの違いが理解できない。反則に対するイエローとレッドの差、これには審判の主観がそうとう入っていてときに面食らう。もう少し誰にも納得できる基準が欲しい。顎を頭で突いたとかいうような。ラグビーは相手の突進を止めるのが信条ゆえ当たるのは当然のこと。明らかに腕が首にかかっているというのならわかるがそうでないケースに主観が入りすぎているのではないか。


穴を探しそこに走り込むセンス抜群の10番リッチー・モウンガ。華のある選手

その前に反則があってトライとならなかったが、ニュージーランドは見せてくれた。
10番リッチー・モウンガがサイドを抜けて走り、9番アーロン・スミスにパスしたケース。モウンガはキックの精度がやや低いが戦況を読んで攻撃を組み立てる能力はずば抜けている。相手をかわして場所を見つけて走り抜けるセンスは、攻撃において防御においてすばらしい。モウンガが走ってスミスにつないだシーンはこの試合のハイライトであった、幻の……。
これ以外に走り抜けるという鮮やかシーンはなかった。双方の防御が固いのである。勝敗はプレースキックの差であった。
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鷹11月小川軽舟を読む

2023-10-28 15:48:26 | 俳句



小川軽舟鷹主宰がその雑誌鷹11月号に「はたき」と題して発表した12句。これを天地わたると山野月読が合評する。天地が●、山野が〇。

きれ赤き母のはたきや今朝の秋
●「きれ」という言葉に懐かしさを感じました。「切れ」「布」「裂」などの漢字がこれを表現しますが、やはり「きれ」という表記が音感ともに物をしかと見せてくれます。 
〇「きれ」ということで、「母」の手作りの「はたき」とわかりますね。こうした「きれ」を活用した手作りの「はたき」そのものが懐かしい気がします。「きれ」に続く「赤き」「はたき」「秋」の「Ki」音の脚韻も効果的です。明示はされていませんが、この「はたき」で手際よく掃除している感じが、この脚韻によって表わされているように思えました。 

みぞおちの仰臥にへこむ残暑かな 
〇本来あるべき肉体の姿ですね、メタボではなく。
●「みぞおちの仰臥にへこむ」言い得て妙。肋骨から崖のように落ちて臍というのが見えます。そうですね、メタボ体型ですとこの崖はできませんね。 

迎え火にあつまる亡者隔てなし
〇ご先祖さまだけではなく、無縁の者も含めて「隔てなし」の「迎え火」のよさ。
●「隔てなし」というと今様の話題ですと人種差別問題をすぐ思います。しかし生きている人でなく「亡者」ですから笑いました。おもしろいです。

新涼の笊より水のちぎれ落つ 
●笊の水で新涼を詠めと言われれば小生は悩みます。あまりに近いですから。この難題を乗り越えたのが下五の「ちぎれ落つ」。これぞ写生だと思いました。 
〇本当にこの「ちぎれ落つ」は抜群です。「笊」の目の粗さ、そこを抜ける「水」の量、勢いが想像できます。
●何でもないこと、無理と思えることでも切り口や捉え方によって詩が出来するといことを見せてくれました。 

絹染むる草や木肌や涼新た 
〇「絹」「草」「木肌」と「k」音で畳みかけた後に「涼新た」と転じて実感があります。
●麻や木綿でなく「絹染むる」がよかったです。

爽やかに白波走る汽水かな 
●「汽水」は塩水と淡水の混じったので島根県の中海がこれです。 
〇浜名湖もそうですね。浜名湖だとモーターボートも見かけますが、この「白波」は汽水域ならではの潮流ゆえのものと想像しました。
●小生もモーターボートのような乗り物ではなくて自然にできる海の表情と思いました。 

陶土搗く唐臼響き天の川 
●「唐臼響き」が効いています。「唐臼」はシーソーみたいにかなり長い道具ですからたぶん屋外にあります。 
〇前にテレビで見た「唐臼」は水を動力源にしていました。山深い陶芸の里でしょうか。 

蜘蛛の巣の露曼荼羅や蜘蛛の留守 
〇「露曼荼羅」という表現はみたことがあり、大抵は葉に付いた「露」だったように思うのですが、「蜘蛛の糸」の方が俄然「露曼荼羅」の語のイメージに近い気がしました。
●小生も「曼荼羅」を本来の意味から外して句を作りたいとずっと思ってきたので、蜘蛛の巣に「露曼荼羅」をあてがったセンスに脱帽です。 
〇「蜘蛛の留守」としたセンスも見逃せません。 

秋の蟬日の傾けば焦慮濃し 
●「焦慮濃し」が大胆だと思います。情緒が濃くて浮つきそうな危ない言葉ですよ。それがこの場合、きっちりはまっています。 
〇この「焦慮」は作者自身のですよね?
●まずは「秋の蟬焦慮を言っていますがだんだんこれは作者自身の感慨ではなかろうか、というふうにスライドしてきますね。

鳴き切りし骸軽しよ法師蟬 
●「鳴き切りし骸軽しよ」気負いなく蟬の本質を描いた一物です。 
〇一物の傑作じゃないですか。「鳴ききりし」は言えそうで言えません。 

螇蚚跳ねパワーショベルが路面剥ぐ 
〇 「螇蚚」と「パワーショベル」、「跳ね」と「剥ぐ」の対構造が音感的にも見事です。
●大きいものの前の小さいもの。強いものとはかないもの。コントラストの妙もあります。 

糊刷毛の腰たのもしき夜なべかな 
●障子張りをしているのでしょうか。とにかく中七が効いています。「腰」というのがね。 
〇なるほど、障子貼りか、なにやら大量に糊を使っているのはわかったのですが、何だろうと思いました。「腰たのもしき」という感覚が、滅多に機会のないであろう障子貼りなら、よくわかる気がします。
●作者は一語の斡旋がずば抜けています。一句は一語で浮上したり沈没したりしますから・
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成金に付きまとう誤植

2023-10-27 05:11:50 | 俳句



鷹11月号が来て、小生は久々に月光集入りした。5句欄に入った。
今月はここへ来られると思っていてそうなったのでブラボーなのだが、1句が
「踏ん付けし号外捨ふ西日かな」
となっている。俺は
踏ん付けし号外拾ふ西日かな」と書いたはず、と控えの手帳をみると間違えていない。髙柳編集長に咎めだてしない口調の文面で知らせたところ、ごめんなさい、けれど訂正記事は出さない主義、との返信が来た。
それでいい。時間が経ってから一句の一字の誤植の訂正をしたとて何の意味もない。世界はあちこちで戦争があって今日を生きられない被災者が大勢いる。趣味の俳句をやっていられるだけで桃源郷といっていい。
蝌蚪ほどの誤植と笑ひとばしけり 能村登四郎
という気持ちで行こう。
ふと、「成金の誤植」という言葉が浮かんでおかしくなった。将棋で歩が敵陣の1段目から3段目に入ると金の働きができるようになる。このことから急に金持ちになることを「成金」といい、揶揄して使われることが多い。成金には誤植がついて回る。
ほかの4句が以下のとおり。
八月が鎖引き摺るやうにゆく
生徒居ぬ校庭白し終戦日
羽抜鶏物価ぐんぐん騰るなり
乳遣りつ女まどろむ日向水

来月は2句欄に落ちるかもしれぬ身の上。成金なのである。
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