天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

氷山を運ぶ話

2015-01-31 05:34:15 | 

池澤夏樹『氷山の南』(2012/文藝春秋)は、南極の氷山をラッピングしてタグボートでオーストラリアへ曳航するのがテーマである。

1億トンの氷山。船のように細長く長さ1キロ水深500mもあるようなものを包むシートを考えただけで途方もなくイメージが広がる。これはカーボン・ナノチューブを密に織り込んだ継ぎ目も縫い目もないものを使われる。
目的地の岸に着いたらシートの中に溶けている水を汲みあげて灌漑用水にする。
壮大な計画である。

アイヌの血を引くカイザワ・ジン18歳は、氷山曳航の調べをするため南極海へ出発するシンディバード号に密航。
見つかって料理人としてまた船内新聞の記者としてはたらく。
彼を中心に親友となるアボリジニの絵描ジンら多彩な人間たちとの交流が描かれる。

多彩の中に「アイシスト」がいる。
直訳すると氷崇拝主義者であるが氷を象徴として自然を大切にしようとするグループで、この氷山運搬計画に反対している。
彼らをして著者は行きすぎた進歩史観ないし過剰な資本主義による貨幣の暴走等に異を唱える。人間の欲望を抑えて小さな生活で満足して生きていけばいいという考えの集団でありここに池澤の主張が垣間見える。
池澤がアイヌ、アボリジニといった原住民に光を当てるのもその一端であろう。

曳航する氷山はアイシストたちの見えぬ攻撃を受けるがそれはシーシェパードのように暴力的ではない。計画は七分失敗、三部成功のようにまとめるのも温厚、篤実。
池澤夏樹は反対するにしても声を荒げない作家である。それはアイヌを扱った『静かな大地』でも見られる。
静かに書くことで氷山の水面下の容量を想像させるように深く訴えてくる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関門海峡を眺める

2015-01-29 20:40:29 | 旅行
長州の仲間に誘われて関門海峡を見に行った。
ここは博多の連衆と吟行をしたことがあり九州と本州が一衣帯水で向かい合う。
北九州空港から小倉、門司港を経て海峡を船にて下関にわたり、翌日、下関から海峡を潜って門司へ帰った。


門司港から見る火の山



火の山(標高268m)からの俯瞰する海峡



海峡のへりにある大砲(長州砲)



マリンランドからの海峡



門司と下関をつなぐ海底人道トンネル 約800m 行ったり来たり速足トレーニングの人をかなり見かける



門司城跡(標高175m)から関門海峡大橋を見下ろす

海峡をはさんでもこもこした小山を登り降りして冬ながらかなり汗をかいた。
俳句はさっぱりできず。そのうち日の目を見ることありや。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHK全国俳句大会に呼ばれる

2015-01-26 11:36:14 | 俳句


きのうNHK全国俳句大会に主席した。主催:NHK・NHK学園。NHK学園の俳句添削講師には招待状が来て席が指定される。

俳句添削講師のわれわれも起立して会場の方々の拍手をいただいたが、あとは受賞者たちに拍手を送る立場。次第に面倒になりやがて拍手を止めた。
壇上の稲畑汀子氏、金子兜太氏、鷹羽狩行氏ら15名の方々は誰でも知る大先生だがわれわれもいちおうセンセイ。
壇上の15名の方々が富士山頂上から九合目に位置する先生なら、われわれは五合目あたりのセンセイ。
会場に来ていらっしゃる方々が河口湖あたりから富士山を仰いでいるという構図。
ぼくらも河口湖からは仰がれる身の上だが上には大先生がいて中途半端な立場である。

中途半端な立場でありこの大会へ投句するのはさすがに憚られる。
先日「NHK俳句」の櫂未知子選へ投句したら入選せず佳作あたりで小さな活字になってしまった。
それを俳句専任講師(いわば上司)に見咎められた。
すなわち、もう君は先生なんだからちょろちょろするな、その権威が傷つく、ということらしい。
懇親会で小澤實先生に会った。
顔を見るなり「最近(NHK俳句)へ投句していないじゃないか」「俺、天地の句好きなんだよ、物で押してくるから」と乱暴に親愛の情を示してくれた。
いやもう富士五合目の身ゆえ投句できない旨を伝えると「せせこましいな」と笑った。

おもしろいことは二つあった。
一つは坊城俊樹先生が夏井いつき先生に喧嘩を売ったこと。
特選で採った「静電気帯び逆光の枯野人 龍太一」を評した坊城さんが、
「こういう句は夏木さんにはわからないでしょうね」とおっしゃるではないか。これにすかさず夏木さんが「あなたとは一度さしでやりたいですね」と応じた。
すわキューバ危機という感じだったがさすがにそこで二人とも矛をおさめた。坊城さんはこれが放映されないだろうという読みで発言したのだろうが、会場の何千人かは目撃した。
坊城さんと夏木さんは不倶戴天の敵みたいでおもしろかった。
以前、稲畑さんと金子さんが犬猿の仲を憚らず公衆にさらしたが、いまお二人は年を取り、バトルは若い二人に代った感じ。

おもしろかった二つ目は、選者が採った作品をさらによい方向で読み間違えたこと。
鷹羽狩行特選の「一山は闇のかたまり薬喰 小畑晴子」を披講のアナウンサー鈴木桂一郎さんは「ひとやま」と読んだ。作者がそのように読んで欲しかったようだ。その瞬間となりの添削講師がぼくに「いちざんですよね」と耳打ちしぼくも「絶対」と答えた。
すると講評の際、鷹羽さんが「これはいちざんと読んでほしい」と披講者に注文をつけた。それを繰り返すうち「いちざん」が「ぜんざん」に変ってしまった。
狩行さんはこの句を「全山は闇のかたまり薬喰」と思いこんでいた。ぼくも全山のほうがいいと感じた。

もう一つ読みに関して、金子兜太先生は慧眼であった。
彼の特選句「馬鈴薯を煮て航空母艦のやうな母 田中彬」に対して披講者が「いもをにて…」と読んだ。
兜太さんは「ばれいしょにて(馬鈴薯煮て)」として季語をはっきりさせるほうがいいと指摘した。
そのとおりである。
一山にしろ馬鈴薯にせよ特選なのだからできればここに来るまでに作者と選者、そして披講者の間できちっとした調整をしていいのではないか。
ぼくが主宰者ならば絶対そうしている。

大NHKの大行事にしては準備不足の感じがしたが、このホールへきた方々はかえって一句の詰めの部分の勉強をリアルに体験したように思う。これ、怪我の功名。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ローストビーブ失敗談

2015-01-25 08:07:25 | 身辺雑記
きのうの鷹新年例会はローストビーフで失敗した。
以前このブログで鷹新年例会主席者の心得として、パーティ開始20分は談笑せずひたすら食べること、第一に求めるのは東京會舘名物のローストビーフである、と書いた。

自分が書いたとおりにローストビーブの台に並んだ。一番乗り。
ここまでは成功と思ったのだが、肝心のローストビーフが到着していない。
シェフがやおらオムレツを出しはじめた。ぼくのあとの人でそれをもらっていく人が続出した。
ぼくはこらえた。あくまでも本命のローストビーフなのだ。
しかしここの判断は間違った。
ローストビーフが出るのに5分以上かかりそれをゲットして、一般料理テーブルからふた皿ほどなにか得ようとしたとき、そこには何もなかった。

ぼくのテーブルにまやさんがいて歓談していた。
まやさんの前にほとんど料理がなく、まやさんはその人と十分お話になってから、
「私もローストビーフ食べようかな」といって取りに行った。持ち帰った彼女の皿の上ローストビーフはぼくより多かった。なんたること。
料理のないぼくは孝子さんから料理の一部を恵んでもらうほかなかった。

なんというていたらく。
今年はローストビーフにこだわるあまりローストビーフに負けてしまった。

東京會舘は今年壊して立て直すとか。
東京會舘のローストビーフ騒動はこれでしばらく終る。千秋楽に負けて負け越したような感じだ。
来年、鷹の新年例会は如水会館。
さてどんな闘いが待っているのやら。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鷹中央例会新年句会

2015-01-25 03:06:59 | 俳句

あいさつする小川軽舟鷹主宰

きのう東京會舘で鷹中央例会新年句会が行われた。司会者によると出席者333名という。ぼくの2句はあえなくボツ。

【特選句】
狼の声を閉ぢ込め滝凍てぬ  荒木かず枝

浦をゆく百船千船初恵美須  濱田ふゆ


二人ともかなり親しいのでボツの身はただただ悔しい。

【俳句と暮らす】
この題で主宰は中公新書を書くことになったという。
たとえば、ある日街にぽっかりさら地ができたとき、人ははてそこに、いままで何があったか思い出せなくなっている。
日記をつけている人が三日ほどためてしまうと三日前のその日に何があったか思い出せなくなってしまう。
俳句はそこに何があったか思いださせてくれる言葉ではないか。
たとえばさら地に槿が咲いていたことがきっかけになってその一日を思い出すことができる。
日常は平凡のようでいて無限である。日常を掘り下げて俳句にしていきたい。
季題趣味、非日常的詩的世界もむろん好きであるが日常から詩をすくい上げていきたい。
おおむね主宰はこのように俳句に取り組んでいきたい、ということである。

【ブラウスとスカート】

新同人、中田芙美さんをいろんな人に引き合わすべくとあるテーブルに座るとそこに奥坂まやさんがいた。
彼女の話し相手は近藤洋太さんであった。3年前に鷹に入ったこの方がウィキペディアに記載のある高名な詩人であることを彼がお帰りになったあと知った。

まやさんと久しぶりに旧交をあたためる。
詩はなんでもできるから、俳人からみると自由過ぎて逆に何もできなくなってしまう、現代詩っていいかどうかわからなくて困る、という点で一致。
まやさんは草田男の「妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る」を「妻抱かな春昼の砂利鳴らし帰る」と思い込んでいたようだ。
この句と同じく草田男の「虹に謝す妻よりほかに女知らず」と星野石雀の「春寒料峭曖昧宿の置き薬」がぼくがまやさんとくつろぐときの3点セット。
変だなあ。以前まやさんとこの句について話したときは正確に覚えていたが。
「だって<妻抱かな>までいうと<鳴らし帰る>まで言わないともたないかと思って」
「草田男を添削するわけ? いくら草田男が熱情の人でも<鳴らし>まで言わないでしょ」
まやさんが小澤實の「人抱けば人ひびきける霜夜かな」を引き合いに出したときぼくもこの句の<ひびきける>があってまやさんが<鳴らし帰る>と誤って覚え込んだかもしれぬと思っていた。まやさんの内面はガラスのように透けて見える。

まやさんから二物衝撃を教えるときのたとえとして、ブラウスとスカートを出すとわかってもらえることが多いとアドバイスを受ける。
たしかにブラストとスカートを合わせる感覚は二物衝撃そのものである。まやさんには俳句を厳しく仕込まれた。今また指導法も具体的にアドバイスしてくれる。
いつまでたっても頭が上がらないアマゾネスである。


あいさつする奥坂まや同人会長


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする