天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

広島にアメリカの政治家を招くべし

2015-07-31 05:06:45 | 政治
  
左から国務長官ジョン・ケリー、駐日米国大使キャロライン・ケネディ、東アジア・太平洋担当国務次官補ダニエル・ラッセル

毎日新聞は、きのう英国の伝説的ロックバンド「レッド・ツェッペリン」のリーダーでギタリストのジミー・ペイジさん(71)が30日、44年ぶりに広島市中区の平和記念公園を訪れ、原爆慰霊碑に献花した、と報じた。ペイジさんは、80年に解散した同バンドのCDの発売プロモーションのため来日。被爆70年の節目として再訪を希望した、とのことである。

ところで原爆を投下した張本人のアメリカ人の政治家はなにをしているのだろう。
無辜の市民を相手に世界最悪兵器でもって無差別殺戮をおこなったアメリカ政府の要人たちはいま広島、長崎をどう考えているのか。
われわれは原爆の日をわれわれ日本人のみで集まって感傷にふけっているように思えてならない。
いま原爆の日はなんら政治的メッセージを世界に発信していないのではないか。

日本政府はアメリカの大物を原爆の日に呼んでスピーチさせるべきではないか。
戦後70年のスピーチで日本の首相は悩んでいるようだが、そんなものはしなくたっていい。しなければ前のものがそのまま生き続ける。そんなものに悩む安倍首相は政治が下手である。
第二次世界大戦で中国が先進国に領土分割をされなかったのは大アジア主義を唱えた日本の介入によってあの地域がようやく国家としてまとまったからである。
中国は日本に恩義があるのではないか。日本は中国への詫びはほどほどにしてむしろアメリカの罪悪を糾弾し続けるべきだろう。
被爆国はわが国しかないのだから日本人はこの政治カードを永遠に使わなくてどうする。

原爆の日の式典を国内の人でしめやかにやるのはいいとして、オバマ大統領を招くくらいの発想を持ってみたらどうか。
大統領がだめなら国務長官ジョン・ケリー、それが無理なら東アジア・太平洋担当国務次官補ダニエル・ラッセルとか、首に縄をつける人材を考えるのが政治である。そうそう花のあるキャロライン・ケネディ駐日米国大使でもいい。

核廃絶を骨子とした平和主義は被害をうけた日本が相手国を巻き込んで情報発信してこそ意味があろう。
日本人はもっと政治的でなくてはならない。
反日でしかまとまることのできない中国にいたずらにぺこぺこしたり、尾を踏まれてキャンともいわぬアメリカの犬であり続けるのはおかしくないか。
日本は自信をもって太平洋も東シナ海、南シナ海も王道を行くべきだろう。
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新サラ・コナーは超美人とか

2015-07-30 06:16:14 | 映画

エミリア・クラーク

またサラ・コナーが出るというので「ターミネーター:新起動/ジェニシス」を見た。
「ターミネーター1,2」のサラ・コナー役リンダ・キャロル・ハミルトンの哀愁の影を帯びた目の色はいまも記憶に焼き付いている。

初代サラをある映画サイトは、「超いもっぽいです。超低予算映画として作られただけあって、女優も美人とは言えず…。しかし、執拗なターミネーターの攻撃から必死に逃げのびる姿は、観る人の心に深く刻み込まれました。」と酷評している。
いもっぽくていいのだ、あの哀愁こそコナーの味わいなのだとぼくは弁護したい。
そのサイトは「今度のサラ・コナー=エミリア・クラークは超美人。世界で最も美しい顔100人に3年連続でのトップ10に入りするほどの美貌の持ち主」と持ち上げる。


映画のエミリア・クラークはとにかく目が大きく飲み込まれそう。こういう女とつきあったら目玉に疲れてしまうだろう思う。30分ほど撮影をするのにいい美女というタイプだ。

別のサイトが「リンダ・ハミルトンも凄いハマり役でしたが、エミリアも負けていません。非常に美しい顔ですが、本質は非常にタフな精神をもった女優さんです。芯が通った女性。」と評価しているのが妥当であろう。
その勝気な美女のお守りをするのが好々爺になったシュワちゃん。コナーが「おじさん」と呼ぶところにこのシリーズの長い年月を感じた。

1984年『ターミネーター』でリンダ・ハミルトンがサラ・コナーを演じたのが28歳のとき。あれから30年経った。
映画館に来る前、府中市の定期検診でJタワークリニックへ行った。そこに50年配の看護婦さんがいる。髪に白いものがちらほらする小柄の女性で目に親しみとなつかしさがあり横顔に哀愁を感じる。若くてきれいな看護婦さんもいいが、存在自体が癒してくれる女性もいい。
超美人と絶賛する女優を冷静に眺めて分析するなどぼくは年を取ったのだなあ。



初代サラ・コナー役リンダ・キャロル・ハミルトン(現在58歳)
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自分の俳句を書こう

2015-07-29 05:17:40 | 俳句


鷹8月号でとある人の句をみてぼくはまずいことをしたと感じた。
Gちゃんの3句はぼくが直し過ぎている、明らかに。
Gちゃんはよろこんでいるのだがもはや添削を越えて改作をしている。ここ半年ぼくがみてから主宰が採るのが毎月1句ずつ増えている。

でもこの喜びはここいらで打ち切ろう。
ぼくが直接Gちゃんの句に手をくださず、直すべき指針を与え、書き直すようにしていこうと思う。
俳句はけっきょく自分でやらないとなんにもならぬ。
俳句は生みの苦しみを全身全霊でよろこぶものである。苦しみをよろこぶとことがこころの襞に陰影を与え豊かにするだろう。

添削できる句はある水準に達している句である。
鷹中央例会でたまに主宰が手を入れるあれが添削であり、そういう句はもう原型がしっかりしている直す価値がある句なのだ。
Gちゃんだけでなくぼくのみる年間約1500句のうち添削できるのは50句ほどだろう。100句ほど手を入れないでいい句があるがこれは低いレベルでできている句である。
よって添削教室と銘打っていても改作教室である。

ある商業的システムの中で添削という名で改作をするのはやむをえない事情があるが、Kちゃんのように個人的つきあいでは俳句の本道を進もうと思い直した。
これをやるには時間と忍耐力が要る。
我慢はぼくのほうにより必要であり続けられるかわからないが労苦を引き受けることにした。

俳人の実力と人間性は対面句会をしたときの句でわかる。
いつか鷹誌でずっと3句をキープしている人が対面句会にやってきた。
そうとういい句が出るだろうと期待したがぼくは彼女の句を一句も採らなかった。採れなかった。
鷹誌3句級の力と現実のギャップに驚いて彼女に事情を聞くと正直に語ってくれた。
ぼくの句会のほかD先生、М先生のところへ通っていてそこで添削ないし改作してもらったものを6句鷹誌へ投句しているのだそうだ。それで納得した。
活字になっているものには裏がある。

俳句のよろこびは七転八倒するあがきの中にあることをGちゃんに指導していこうと思う。茨の道を覚悟せよ。
コメント (1)
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五族協和の大相撲

2015-07-27 15:20:34 | 政治


大相撲名古屋場所は白鵬の35度目の優勝で終わった。
初日、2日目の白鵬の長い相撲をみて舞の海が白鵬の衰えを指摘した。ぼくもそう感じたが、13日目から千秋楽にかけての鋭さはけた外れであり、白鵬強しを印象づけた。

いつも感じることであるが今の大相撲の上位を占めているモンゴル人たちにぼくはなんの違和感も持っていない。
日本の国技であるから日本人の活躍を、という願いは理解できるが、ぼくは相撲がおもしろければそれでいい。
人種的にモンゴルの諸君は日本人に近い気がする。

日本大相撲協会はいろいろな不祥事を起こしたが、世界中の人材を発掘して大相撲に溶けこませて調和させて興業を打っているのは評価している。
世界からさまざま素材に来てもらい人種差別もなく、ちょんまげを結い、ふんどし姿になって、ぶつかりあうのは日本主催のインターナショナルの手本であろう。

これだけモンゴル人が活躍しているのだからウランバートル場所を打ったらどうか。
力士の輸送がたいへんなら白鵬、鶴竜、照ノ富士あたりを里帰りさせて巡業を打ってはどうか。
モンゴル相撲の力士たちに日本相撲をレクチャーするのはおもしろい。
さらに発展させて旧満州の首都・長春(かつての新京)で大相撲興業を打ってみたらどうか。きわめて政治的であり硬直した共産党政権を刺激するかもしれないが、今の大相撲の精神は「五族協和」である。インターナショナル・フレンドシップを実行しているのである。

本題からそれるが、太田尚樹著『満州裏史』を読んでいて、満州建国に関与した板垣征四郎と石原莞爾から一字ずつ名前をもらったのが指揮者・小沢征爾と知って驚いた。
征爾の父・小沢開作は歯医者で満州事変の立役者であった板垣征四郎と石原完爾とは同志であった。その縁で息子の名前をつけたのであった。
太田尚樹は、小沢開作が「五族協和」「王道楽土」なるコピーを考案したとしている。
「五族協和」はそれ自体はすばらしい精神である。
満州国は日本がアメリカ戦をはじめたことで瓦解したが当初の理念は否定されなくていいだろう。

「五族協和」は漢民族絶対の中国にはあり得ない考えであるし、アメリカにしても人種差別の根は深く民族協和の道は遠い。
日本大相撲協会にはかつて小沢らが夢想した民族協和の精神を濃厚に感じる。

仮に長春で、日本人、モンゴル人、中国人、朝鮮人、ロシア人が入り混じった大相撲を開催できたら日本流の平和を具体的に世界にアピールできるのではないか。いま足りない人材は朝鮮だけである。朝鮮人をスカウトしてほしい。
大相撲協会は文部科学省、外務省と図って世界の平和に貢献できるのではないか。平和、平和と叫ぶだけでプランがないと逆に戦争が侵入してくる。平和のために具体的な企画を考え実行していくことが大事であろう。
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俳句を読まず詠んでいる

2015-07-26 13:16:24 | 俳句

伊那から見た中央アルプス


「鷹」8月号俳句時評で黒澤あき緒が「読みを鍛える」という一文を書いている。黒澤は、昨年11月現代俳句協会青年部の行ったシンポジウムに興味をもったという。
その呼びかけは、
「みんな『読む』ではなく『詠む』のに夢中。自分の作品が読まれることには興味があるけれど、誰かの俳句を読むということ、最近、していますか」
ということだったらしい。

先々月参加した龍ヶ崎句会のことを思い出した。ここで

戦火なき七十年や蜷の道


という句を出したところ1点が入った。1点と零点では雲泥の差。採ったHさんに意見をうかがった。
「戦火なき七十年」はテレビが言っていたことでなにもぼくが苦労していない。こういう句の成否は季語の選択にかかっている。ぼくはこの季語でひとまずできていると思ったが採った人の季語に対する見解を聞きたかった。
それでHさんにしつこく聞いたようだ。
あとで参加者から「せっかく採ってくれた人を責めているようだった」と言われ驚いた。
責めたのではなくて採った真意を聞きたかったのである。
Hさんが積極的な理由を述べてくれないので刑事の尋問のようになっていたようである。

これを機に句評が話題になった。
みなさん鷹中央例会で奥坂まやさんに採ってもらうと気持ちがいいという。
ぼくも採ってもらったらまやさんみたいな明解な句評を聞きたい。ぼく自身もまやさんみたいに人を感動させるコメント、明解な意見を述べたいと思っている。
たとえば、
「戦火なき七十年はテレビを見れば誰でもいえる借り物のフレーズですが、蜷の道はよかったです。蜷が泥の中をのたくっているさまは平和を維持する困難さを暗示しているのではないでしょうか」
といったようなコメントを聞くことができたら万々歳だったのである。

このくらいの句評、べつにまやさんでなくてもできるでしょう。
ということになったが、みなさん、宙を見て「それができないんですよ」という顔をしている。「“これ好きなんです”になっちゃうんです」。
俳句は好き嫌いでなくまず文脈を冷徹に読まねばならぬ。思い込みや期待を持たずたんたんと書かれていることを読み取る。
読みの想像力というのは文脈から離れてはいけない。勝手に自分の事情を注ぎ込んで読むと作品を損ねてしまう。
“これ好きなんです”はほんとうに困るのである。

ちなみに現代俳句協会青年部の方々の作品を読む執念はすごい。
ぼくは「鷹」に入るまえ3年ほど「草苑」にいた。そのころ「草苑」は現代俳句協会に属していて、ぼくも現代俳句協会青年部に出向き人の作品を読む会に参加したことがある。
ひとつの句を何人もが長い時間読むことをする。
ぼくにとってたいした価値がないと思われる出来損ないの句に対してもきちんと読もうとしていた。
「読めるレベルにして出し直すべき」と言いだせないような気が満ちていた。
ぼくはそれが嫌で一度だけでそこへ出るのはやめた。

いま思うとあれだけ人の句を読んでやるという執念はすごいと思う。人の句をきちんと読むことにより自分の間口は確実に広がる。
俳句を好き嫌いで見ていたら何の進歩もないだろう。
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