天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

ひこばえ句会のネット化を考えています

2020-03-31 07:26:58 | 俳句


新型コロナウイルス騒動で外出の自粛を余儀なくされている現状を鑑み、ひこばえ・いやさか句会を5月から当分の間、インターネット句会に切り替えようかと思い立ちました。
ひこばえ・いやさか句会参加者でパソコンができる(キーワードで俳句、文章を綴ることができる/それを相手に送ることができる)人の数を知りたいと思います。
小生のメールアドレス(youyouhiker@jcom.home.ne.jp)に一報ください。この一報の有無がネット句会に参加できるかどうかの試金石にもなるでしょう。
なお、インターネット句会にした場合、今まで小生の句会へ来ていない未知の方も参加できることになります。
俳句に興味のある方にはどなたでも参加してもらおうかと考えています。
問題は参加費の支払い問題です。
小生がすべての事務(俳句の受け取り、配列、点盛票作成など)と俳句指導を行う手当(1000円)は申し受けるつもりです。が、ネット句会は顔を合すことなく全国津々浦々の方と通じることができることです。日本以外でもニューヨークの方ともサンパウロの方とも句会を楽しめます、感染症にかかる不安もなく。
従来の方々は1年後に顔を合わすことがありそうでそのときまとめてお布施をいただくことが可能ですが遠方の方はそうもいきません。
そのへんの事情がありますが、ひこばえ・いやさかの面々を中心としたネット句会を5月から始めようかと考えています。
その際、毎月10日正午締切、当日18時全句アップ、選句締切を11日18時にいたします。1~8句出しです。
意見をお待ちしています。それを小生のパソコンへお送りください。それでの皆さんのおおよそのIT習熟度を確かめたいと思います。

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本どれも百円の棚あたたかし

2020-03-30 16:04:28 | 身辺雑記


この句はなにかの句会で「本」という題が出てつくった。ちょうと去年の今ごろで鷹主宰選に入って日の目を見た。
題詠だがしかと見ていたことが役に立った。その場所は、「古書まどそら堂」、息子の経営するレストランと同じ国分寺マンションに入っている。
去年は見るだけでまったく買わなかったが今日3冊目を買った。府中市も国分寺市も図書館がずっと閉まっていて読むものに窮しているためである。
100円は安い。

ほかの古書店を見たが文庫本に250円以上の値がついている。まあそれが妥当な金額だとは思うが100円は魅力であり、また、まどそら堂の店頭の本を見に行った。
今日は、山本兼一の『花鳥の夢』(文春文庫)を買った。その前は、貴志祐介の『狐火の家』(角川文庫)、その前は道尾秀介の『龍神の雨』(新潮文庫)を買った。
むろんおもしろそうなものを選んでいるのだが、それがなくなってきている。ここで買うのはあと一冊でそれは佐藤愛子の若いときの作品。
ハヤカワの翻訳のミステリーがあるがどうも食指が動かない。



『龍神の雨』も『狐火の家』もミステリーで小生は本来あまり読まないジャンルである。この2作はよく書けていて読むに耐えられる出来であったが、犯人捜しや密室トリックはよく考えたなあとは思うものの、そのために書いたという不自然さが付きまとう。
ちなみに貴志祐介のイマジネーションと道尾秀介の心理への切りこみは非凡である。道尾は幼少のころ親子関係に瑕瑾があったのではないかと思わせるほど少年少女の身の上をスリリングに書く。

今年は以外に本を読んでいる。
去年の後半を思うと読書量が増えている。それは俳句をしていないからではないか。ひこばえ句会からいやさか句会を分けてやってきて数回やったとき、新型ウイルスが世の中に跋扈してきた。それで句会へ出る人が激減すると、観客のいない球場では力が出にくい選手同様、小生もそう俳句に力が入らないのである。
ゆえに本を楽しむゆとりができたといえる。
嬉しいような悲しいような。まどそら堂で読む本がなくなったら、図書館を探して自転車で東奔西走するのか。
図書館はつくづく文化だと思う今日この頃である。



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ひこばえ句会は4月11日(土)

2020-03-29 06:12:22 | 俳句


空気清浄器2基稼動


【会場】KBJKITCHEN
中央線・国分寺駅南口に出て左へ200mバス停先。通りをはさんで都立殿ヶ谷戸庭園。国分寺市南町2-18-3国分寺マンション102



【時間】12:00~15:30
昼食をとった後、12:45ころ清記してスタート
 
はやく着いた方はどんどん注文して召し上がっていてください

【費用】昼食代+500円

【指導者】天地わたる(鷹同人)

【予想参加人数】7名


ある日のKBJ句会


【宿題】藤田湘子『20週俳句入門』の型・その4
<型・その4典型>
この型は、上五に5音の名詞のみで用言のない季語を置き切れをつくり、中七下五の一続きのフレーズでまとめ、「けり」「なり」「たり」の強い切字で締めるものです。以下のような句があります。
霜柱俳句は切字響きけり 石田波郷
雪催牡丹は木(ぼく)を緊めにけり 藤田湘子
冷奴電気が高くなりにけり 小川軽舟

波郷の霜柱もここに挙げたどの句も季語と以下のフレーズとの間に意味のつながりがありません。作者は意味のつながりを拒否して二物を衝撃させて詩に昇華しています。

<型・その4応用>
上五の季語が用言のない名詞である点で「型・その4典型」と形は同じですが、大きく異なるのは季語に続く文言が季語とおおいに関係することです。季語の説明ではありませんがその季語にまつわることを述べて季語をふくらませている一物仕立てとしています。
ソ七夕竹伐るこゑ丁(ちょう)と発しけり 湘子

ソーダ水方程式を濡らしけり 軽舟
天の川鹿子絞となりにけり  京極杞陽


次は、上五の季語に「てにをは」がついた例。
炎天の船ゐぬ港通りけり 福田甲子雄
狐火を見て命日を遊びけり 黒田杏子
雉子の眸のかうかうとして売られけり 加藤楸邨
ぽつぺんをわが名のごとく吹きにけり 岡田史乃


最後に、下五に「けり」「なり」「たり」を使わずに、動詞の終止形で穏当におさめた句もあります。これもよしとします。
七五三水の桑名の橋わたる 湘子
古扇子家族に会ひに上京す 軽舟


典型、応用をふくめ4月はこの型をものにしようではありませんか。

【出句数】1~8句(上記の宿題1句を含む)

【欠席投句】
1000円にて受け付けます。誰かに託すか小生へお送りください。結果は句稿に若干のコメントを記したものを郵送いたします。


なお、いやさか句会を4月18日、西国分寺に多喜窪公会堂に予約していますが会場封鎖が長引くことが濃厚につき、小生と句会をやりたい方はこの日か、4月22日(水)15時~かどちらかにおいでくださいますように。


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ミセステリーと俳句を考える3月

2020-03-28 01:16:12 | 俳句


先日ニューヨーク在住のテリーさんから以下の近況と俳句15句がやって来た。
「ニューヨークでもコロナ感染が物凄い勢いで広がっています。マスクをかけている人が増えています。私もガーゼのハンカチで作ったマスクで毎日1時間散歩しています。
こちらではNHKのニュース番組を見ていますが、深刻なニュースを深刻な顔で報道しているので、気分転換にアメリカのモーニングショーを見ています。笑顔や笑い声が多いのでホッとします。」
では、俳句の勉強をしましょう。

春雨の滲みる帽子の濃きピンク
文脈ががさつなので「春雨に帽子のピンク濃くなりぬ」みたいにしたらどうでしょう。

爪の色あれこれ試す日永かな
「爪に色あれこれ試す日永かな」のほうがいいでしょう。ただし「試す」で塗る感じが出るかという恨みがあり、「永き日や爪にあれこれ色を塗り」と端的に書くほうがいいかもしれません。

テレワーク膝に陣取る仔猫かな
テレワークという言葉を俳句の中でで機能させるには時期尚早でしょう。「わが膝に仔猫居座るテレワーク」で何人が受け入れるか興味深いところ。「膝に陣取る」はやや大げさなのでね。

花冷えやいつまで続くテレワーク
「いつまで続く」という切り口では詩が生まれにくいので膝に何か置いたみたいな切り口を考えてみては。その点で前の猫はよいポイントになっています。

うららかやカナリア色の学童帽
学童帽が字余りで硬いのですがまあいいでしょう。被っている子をカナリヤみたいに感じるのが魅力です。さて季語の「うららか」は春の気分が出て悪くはないのですが、この子がどこにいるかあいまい。こういうときは季語で指針を示すと厚みが出ます。たとえば「山笑ふカナリア色の学童帽」のように。さらに鳥のイメージが増幅するでしょう。

石鹸のほのかな香り受験生
気持ちのいい出来です。

春の陽にゆっくり廻す万華鏡
物がきちんと描かれていていいです。「春の陽」と凝らずに「春の日」でいいです。季語を「春の日」と置いた場合、季語が動くか検証しましょう。正反対の季語をつけて「秋の日にゆっくり廻す万華鏡」とした場合を考えます。しかし、理屈では説明できないのですが、春の日のほうがいいと思います。この感じ方の背後に「万華鏡」という漢字から来る明るいイメージが影響しているのかもしれません。
ただし現状では、<春の日に向けて万華鏡を回しました>という報告調です。言葉を入れ替えて「万華鏡ゆっくり廻す春日かな」「万華鏡ゆっくり廻す春日向」として主体を下五の季語へもっていくほうが詩情がクリアになるでしょう。

子を叱る妻の声聞く春障子
変だなあと思うのが「妻」という人称。テリーさんは女性で夫のいる身分かもしれない。すると「妻」が出てくる余地がないのでは。
したがって他人事を見ている句でしょうね。すると、人称は「子と母」になるのでないでしょうか。とりあえず、「子を叱る母の声聞く春障子」。しかし「聞く」が不要で、「母が子を叱っている」と書けば声は当然聞こえているわけです。「子が母に叱られてゐる春障子」が考えられますが、すると春障子が効くかという疑念が生じ原句の行方は混沌としてきます。作者はこの混沌へ飛び込んで行って、原形をこなごなにして新たな何かを求めましょう。添削し、改作し、まったく別のものが生まれることがあります。七転八倒して苦しみを楽しむことです。

惜春や吊り革揺るる路線バス
詩のある景色です。特に路線バスである必要はないのでたんにバスとしたいところ。「惜春や吊り革摑み揺れてをり」、もっと踏み込んで「吊り革に縋ってゐたり春惜しむ」などとして乗り物をはっきり言わない手もあります。それがバスでも電車でも詩を醸すという点ではどちらでもいいのです。

エサ箱を覗く仔猫の白きひげ
ひげを見たのはいいですが、この句の場合そう効いていません。

春の空園児のバケツそのまんま
たぶん公園の砂場でしょうが園児を言うよりそれを明示すべき。それにバケツの主が園児であるという断定はできないでしょう、いないわけですから。「春の砂」ならその事情はわかりますがこういう季語の作り方は安易。「春の昼砂場にバケツ転がつて」とか「公園にバケツ転がる春の昼」とかいったふうにしては。

チューリップ待合室の人まばら
嫌味なく言いたいことは伝わります。深みという点ではこれからという感じ。

距離あけて並ぶスーパー春の風
今のウイルス禍に挑戦したのはいいですが1年後にこの句が何のことかわかるかどうか。俳句は30年、人の一代はもって欲しいという気がします。不易流行というように時事性は大事な要素ですが、どこかに普遍的な要素があるか考える冷静さは必要でしょう。

春空にオレンジ色のコロナ菌
これはダメ。だってウイルスが見えないからみなさんが恐怖でびくびくしているのですから。

春の丘切り捨てないで端数以下
端数は半端な数のことですが何の端数かがわかりません。こういう場合は、「小数点以下切り捨てず」とかすべき。これで何か割り算をしている事情を読み手に伝えることができます。「春の丘」はまるで唐突ゆえ、「小数点以下切り捨てずシクラメン」とかしてみたらいかが。これでもわかりにくい内容ですが…。

テリーさん、ウイルス騒動にめげずに前向きに俳句をやりましょう。



撮影地:ニューヨーク、撮影者:テリー・サイト―
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鷹4月号月光集作品を読む

2020-03-27 00:40:54 | 俳句


鷹4月号の小川軽舟鷹主宰の発表作品はすべて月刊『俳句』3月号へ発表したもの転載である。それは当ブログですでに合評しているので今月は趣向を変えて、主宰に次ぐ地位の実力者5名の作品を抜粋して、山野月読と読むことにする。
山野が○、天地が●。

祈りもて見上ぐる甥の梯子乗  布施伊夜子
●「祈りもて」の内容は「落ちませんように」だと思う。勇敢な甥っ子を心配している。
○事実はそうなんでしょうが「甥」という具体化は句として甘い気がします。
●そうなんだよ。「甥」は「孫」よりましだが甘くなっちゃうね。
○甘くなっても書きたい句はあるということなんでしょうね。

目も耳も脚もまあまあ年酒受く 伊夜子
○「まあまあ」という曖昧さが、老いることとの折り合いのつけ方として飲めますね。
●そう、この日本語のあいまいさがいい味を出しています。

神の名のをはりは尊水草生ふ 伊夜子
●すぐ思い出すのが「日本武尊(やまとたけるのみこと)」。言葉遊びで悠久の時間を楽しんでいるね。季語の付け方も。
○季語の斡旋ひとつで、ここまで豊かな句になるものなんですね。「尊」「水草」の頭韻も水温むように気持ちよい感じ。



燃えるゴミだす男に十二月八日 細谷ふみを
●リズムはよくないが内容はおもしろい。ゴミはいま燃えていないのだが戦火を感じさせる。
○措辞と季語との出会いの面白さですね。また、ゴミを出す行為は、社会的に決められたルールに従うことであり、個人的な領域と社会的領域が出会う行為でもあるのかな。
●さりげなくこってりしているんだよね。

蒲団から頭出てゐて眼が動く ふみを
○どうしたらこんな句を思い付くのかな? 他人事っぽい客観性の面白さ。
●言われてみればその通りなんだがおもしろい。これぞふみをワールドです。

カステラの金紙を裂き女正月 ふみを
●この季語に対して「金紙を裂き」が効いているね。
○金紙に包まれたカステラというと文明堂ですかね。「裂き」というバイオレンスなイメージが作者の女性観の大きな要素のように思えます。
●そう女性に対してある種の警戒感みたいな心理を思いますね。


久女忌や足袋きつくはき情ころす 岩永佐保
○足袋を履き慣れた人でないと出てこない素材、発想ですね。凄い句だな。
●「足袋きつくはき情ころす」が凄いね。季語とべた付きの感じですがそれがかえって迫力を生んでいます。

達磨入道はぜて火となる浜どんど 佐保
●ただの達磨じゃなくて達磨入道まで言ってあの大仰な顔が浮かんでおもしろくなった。
○そのとおりですね。達磨だけだと赤のイメージが強いのですが、入道を付して、太い眉と髭の黒の要素が加わり、リアリティを増してます。

待春の雨だれ弾きのピアノかな 佐保
●「雨だれ弾き」は雰囲気のある言葉だが、さて、どんな弾き方か、音楽にまるで疎いのだよ。
○右に同様ですが、これはそうした弾き方があるのではなく、ショパンの「雨だれ」を弾いているということなのでは?「雨だれ弾き」ですから、正確にはその弾き手を指しているかな。
●ショパンのそれだったら「雨だれを弾く」と表現すると思う。やはりベートーベンの熱情みたいな叩くような弾き方が対極にあるんじゃないかなあ。
○なるほど、そうなのかな。


膵臓の行ひ知らず木の芽雨 山本良明
●そういえばこの臓器の働きは胃や肺ほど知られていない。ゆえにこの文脈で物を言う。
○「行ひ知らず」という言い回しも味がありますね。健診で血糖値でも指摘されたんですかね。
●年を取った男の鬱屈を孕んでいて身にしみます。

ストリートピアノ春立つ駅の角 良明
○「駅の角」なる場所指定が結構曖昧ですよね、どこを指しているのか。「ストリートピアノ」で切れると思いますが、「駅の角」に置かれているのでしょう。今、弾き手がいるのか定かではありませんが、非日常的な景に春の到来を感じるというのはいいですね。
●「駅の角」は曖昧といえば曖昧だがまあわかります。ぼくはここにピアノを見たことがないので君のいうように非日常的な春を感じます。

ピアニシモ耳遠ければ木の芽雨 良明
●妙な句だなあ。まずピアニシモはどう機能しているのか。耳が遠いので木の芽に降る雨がかそけく聞こえるという内容でいいのか。
○私もそのように理解しました。つまり、結果としての「ビアニシモ」として。もうひとつの可能性としては、原因としての「ビアニシモ」で、ピアノ演奏か何かを聴いて木の芽雨に思いを馳せている。


凍つるなり宇宙の闇が窓にまで 奥坂まや
●確かに言われてみれば闇が窓に来ている、それも氷りそうな闇が。「宇宙の闇」とはよく言ったものだよ。
○「宇宙の闇」という表現自体は目新しくはないと思いますが、それが「窓にまで」接しているのだという把握の新鮮さこそがこの句の面白さでは?
●奥坂まやならではの世界です。

江に眠る鴨にんげんは寄辺なし まや
○難しいな。これはどこで切れますか?「鴨」の前?後?
後で切れる方に3千点賭けたいのですが(笑)
●「江に眠る鴨」「にんげんは寄辺なし」でしょう。これは明白。鴨と人間との対比。「寄辺なし」は観念的というか甘さを感じます。ぼくは「凍つるなり」の方が好み。
○「にんげん」がかな表記なのは、「鴨」との言葉の連なりを絶っているのですかね。
●漢字が三つ続くと煩わしいせいでしょう。

落葉踏む音かろやかにしてうつろ まや
●「かろやかにしてうつろ」の切り返しはみごと。
○私なんかだと「かろやか」だけで言い切ったつもりになるところですね。ところで、「落葉踏む」のはやはり作者ですか? 他者だと「うつろ」の捉え方がまた違ってきますが。
●作者が落葉を踏んでいる感覚でしょう。「うつろ」まで言えるのは自分でしょう。落葉の一物として秀逸と思います。


撮影地:埼玉県板倉町
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