天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

胡桃を求めて入間川徘徊

2019-12-30 16:23:06 | 身辺雑記


きのうは小春日、入間川を歩きたくなった。
胡桃探しに高尾山山麓の川へ車に乗せてもらって二度繰り出し、その後徒歩で一度行って探索したが収穫がなかった。それで諦めるわけにはいかない。関東にはまだ川がある。西がだめなら北がある。

西武新宿線で北上して入間川へ行くことはたやすい。入間川は入間市駅下車10分ほど。
自宅から1時間以内で到達でき往復の旅費が600円未満。ずうっと行きたいと思っていた。
取り付いた右岸にすぐ10本ほどの胡桃の木があるが実は1個もない。河川敷に台風の洪水の跡と思われる亀裂や土砂崩れがある。しばらく歩いてまた胡桃の木の群生。多摩川よりあるかもしれない。
ここで2個胡桃が落ちていてうきうきする。
胡桃2個は希望である。あるとないとでは雲泥の差。来年が楽しみと思って歩き続ける。


胡桃の木は太くて立派、多摩川より勢いがいい


広瀬橋約210mを渡って左岸へ。そこをくだると新富士橋、昭代橋と過ぎここから狭山大橋までが長い。広瀬橋から狭山大橋まで約3km。
入間川も洪水であったが多摩川より水が少なかった模様。多摩川は森林がほぼ消滅して景色が砂漠のように淡泊になってしまったがここには森林と藪と草が頑張っている。




狭山大橋を渡ってまた右岸。引き返すとkろに「上奥富運動公園」という立派な運動場がある。幅は200m近くあり多摩川より広々として風格がある。台風19号の浸水がなかったらしくどこも傷んでいない。
運動場の横、河川のほぼ中央に立派な道路があり車が走る。これも多摩川にはない光景。つまり河川敷が広いのである。
藪の中に畝をつくって蔬菜をつくっている畑がある。多摩川より開拓魂の持ち主が多い。似たような川でも所が違えば様相も変わる。


名前は知らぬが実がなる木、鳥がたくさん来て啄む


巨大な桑の木、これは多摩川のほうが断然多い

藪の中に粗大ゴミが散乱しているところがあった。
誰かの敷地のような風情だが私有地であるはずがない。人がおらず屋根に太った猫がいる。毀れた家電製品やらタイヤやら椅子やら使えそうもないガラクタの集積。
わきに、なんと、多量の胡桃が集められている。
浅川と同じ風景である。




ここの森男さんはどういう人なのだろう。ここに住んでおらずたまに来ると見た。ガラクタは彼が集めたのかほかの大勢が不法投棄しているのか。廃品回収業には見えない。
浅川の胡桃収集の彼女はボランティアで森林掃除をしている。そのついでに胡桃を拾って所定の場所に持ってくる。殻を割るのが面倒なのか食べることに興味がない。
そのように彼女の人格は大づかみできるが、ここの森男さんが世のために清掃をしているとは思えない。ガラクタと胡桃を一緒に扱っていることも不可思議。
とにかく放置してある胡桃はいただいた。リュックいっぱいで袋もいっぱいでやっと2km歩いて駅に着いた。
浅川にも入間川にも奇特な人がいてぼくを支えてくれる。胡桃はボーナスと思った。

来年は入間川もぼくのテリトリーになるだろう。



水中にキリスト教を感じるシルエット
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東京都区現代俳句協会に珠を拾う=その2

2019-12-29 18:27:56 | 俳句

『東京都区現代俳句協会35周年記念句集』
編集人:佐怒賀正美、発行人:松澤雅世
平成30年3月1日発行 頒価2000円


この句集は187人が12句ずつ載せているから合計2244句を収録。読みごたえがある。小生がおもしろいと思った句にコメントをつける。

草踏んで夏のはじめが柔かい 白石みずき
初夏の草を踏んで柔かく感じたのであるが、そのように通り一篇に書かなかったことで風合を得た。この技を極端につかうと嫌味が出るがこの句は節度がある。

寂光の寺の雀と福寿草 進藤清能
「寂光」なる歯の浮きそうな語彙を絶好の場面で使った。雀と福寿草の取り合せがいいことが危ない言葉を生かした。

蒲の穂の圧倒的な現実よ すずき小柚子
「蒲の穂」はフランクフルトソーセージのような形で熟すとぼろぼろ崩れる。羽毛というか種が飛び立つ。飛ばないものは崩れて綿と見紛うほど散乱する。「圧倒的な現実」という措辞はこの不可思議な物ゆえ決まっている。この措辞が俳句で可能とはこの句を見るまで考えもしなかった。

あちらからも霧で見えぬかもしれぬ すずき小柚子
飯島晴子の「さつきから夕立の端にいるらしき」を思った。両者とも霧を大きな塊のように見ていることがおもしろい。この作者の感性には脱帽。

冬仕度庭先の椅子折りたたむ 鈴木淳一
庭に芝がありそこに出ていた椅子か。そこに注目したことで向こうに広がる野ないし森の蕭条としたさまを感じる。凝らずに滋味を出している。

蝶に鱗粉セシウムに着る防護服 鈴木光子
蝶の鱗粉は手に白く残るし匂いもあるが、セシウムは見えないし匂いもなく怖い。蝶が鱗粉を持つのは必須であるが防護服はセシウムを撥ね付ける意図。これぞ二句一章の妙味。

着ぶくれてマンハッタンの灯に噎ぶ 鈴木光子
「灯に噎ぶ」はオーバーな表現なのだがこの文脈の中でそう突出しているように思えない。それはマンハッタンという語感のリズムと季語の効き目ゆえか。

跳び箱を跳ぶ夏山を越えて跳ぶ 関戸信治
子供が跳び箱を跳ぶさまをローアングルで撮影している感じ。「跳ぶ」が3回に「越え」があり子供の活力をいきいきと出した。読んでうきうきする。

鉛筆を置けば木の音山眠る 関根瑶華
置いたとことも木の机か。山は木々の生えているところであり鉛筆の出どころ、郷愁が背後にある。

朝寒や猫背で降りる螺旋階 曽我部東子
実際は猫背でなく自嘲かもしれぬがいかにも階段を下りるさま。「朝寒」ゆえ「猫背」が見えるのである。

冬蝶の裂けたる羽の吹かれをり 高橋透水
羽が吹かれているだけなら凡百の句に紛れるところを「裂けたる羽」と言ったことで抜きん出た句になった。踏み込んで見ることで自分の世界を獲得した好例。

外人墓地石の聖書に蜥蜴這ふ 髙原信子
前の句もそうだが一句の要は中七にあることが多い。「石の聖書」ゆえ「蜥蜴」が見えるのである。ただし「石の聖書を蜥蜴這ふ」のほうがいいと思うが。

木の実降るシベリア俘虜記書棚から 竹内實昭
本棚からシベリア俘虜記を手に取った。戸外は木の実が降っている。当地の木の実もこんなものだったか、いや、違うだろう、もっと凄まじいだろうと思いを馳せている。

棚田ただ風の穭となりしまま 田中靖人
稲がなくなってしまった棚田はさびしい。平地の田んぼよりわびしい。それをうまく言葉にした。

島小春プレス一瞬たこせんべい 近田吉幸
「プレス一瞬たこせんべい」には手を打った。簡潔にあれができるさまを活写している。「島小春」は季語を説明しすぎている。もっとゆっくり季語を配すればさらにいい。

産声や桜の幹に噴く一花 次山和子
上五を季語以外の物のや切れで作るのは至難だがこの「産声や」は大胆にしてところを得ている。「桜の幹に噴く一花」の精度のよさによる。桜の精気を得て産まれた子である。

生涯を群れず泰山木の花 次山和子
独りで吟行に行くという作者なのだろう。飯島晴子を彷彿とさせる。この季語に対して「生涯を群れず」はユニーク。泰山木の花は大きくて桜と違って孤高なたたずまい。

白服の胸を開いて干されけり 対馬康子
この白服は海軍軍人のものではないかと思うとぞくぞくする。肉体のない衣服の胸に着目するのは恋情であり方恋の雰囲気も濃厚で胸を締め付けられる。

菜畑の奥に廃業ラブホテル 土屋秀夫
菜の花に飛ぶ蝶のように男女が睦んだ施設が廃墟。性は命を謳歌することであるがこちらの菜の花はいきいきとしている。対比の妙。

なんだ坂こんな坂神楽坂秋 角田晴俊
坂がそう急でない神楽坂ゆえおもしろい。したがって言葉遊びと思った「なんだ坂こんな坂」がしっくり来る。地元を愛する気分をよく出している。

父と子と無口な酒やだだ茶豆 寺内由美
上五中七はよく書かれるところかもしれないが季語の「だだ茶豆」が秀逸。これは枝豆用の大豆のことだがこの音感ゆえに俄然華やぐ。

神仏混然とあり田水沸く 寺町志津子
たとえば埼玉県飯能市の「竹寺」は鳥居や注連縄があり神仏習合。このように日本各地に神仏分離を免れた寺(神社)が存在する。寺と神社を当然のように使い分けるわれらの心性の曖昧さを絶妙の季語で浮彫にした。

男坂下り夜店に紛れけり 戸田徳子
下ったのが作者でなく異性と読んでおもしろい内容。作者が女坂をゆっくり下っていて見逃してしまった。せっかくもっと仲良くなれるチャンスだったのに。

大阿蘇の闇の底なる草泊り 戸田徳子
いま「草泊り」が行われているかどうか、懐かしい習わしである。阿蘇ゆえに「闇の底なる」を実感する。

川下りしてもう一度花の中 富田敏子
花見の句としてユニーク。舟に乗る前地上で桜を見たのだろう。舟で下って行くと両岸に桜がせり出すようなところを通る。豪華である。

綿虫の体温が集まっている 富田敏子
綿虫が集まっているのを「体温が」と言った。一匹一匹の熱量がさほどとは思わないがこう書くことで一匹一匹のはかない命が見えるのである。綿虫の一物俳句として出色。

夕焼やばあば出来たよ二十跳 長尾幸子
俳句で孫を書くのは御法度だがこれは孫という言葉を使わずに書いて成功。子供の言葉としたのは巧い。

きんつば十個箱にぴったり昭和の日 中内火星
まずこの季語に「きんつば」はぴったり。おまけに箱に「ぴったり」入っている。過不足ない出来。

白靴やジャズの流れる港町 中川枕流
横浜か神戸か、函館か。ジャズという軽快な音楽にこの季語はどんぴしゃ。うまいハーモニーである。

降る雪も障りもかすか湯を沸かす 長久保通繒
人により閉経の歳はさまざまであろうが「障りもかすか」で五十を越えている感じ。若干の寂しさにかすかな雪が降る。うまく心境を出している。「湯を沸かす」も巧い。
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鷹1月号小川軽舟を読む

2019-12-28 06:38:19 | 俳句



鷹主宰、小川軽舟が「下界」なる題で発表した12句を合評します。○が杉村有紀、●が天地わたる

山荘のフランス窓に焚火映ゆ
○基本的に詠まれているものそのままを読みたいですが、この句は読んだ直後、大聖堂の火事を思い出してしまいました。それを忘れれば、洋風の山荘と焚火が相まって、静かながら華やかな感じが出ていると思います。
●フランス窓は床面まである両開きのガラス窓で出入りができます。大きな窓と焚火との豪華な取り合せです。いまどき東京では焚火なんかできませんからね。

トランプで遊ぶ手が見え山眠る
●前の句の山荘で住人がトランプに興じているのだろうね。窓が大きいから人の営みが見える。トランプという小さなものとその色、それを受けて鈍色となった山との対比が見ものです。
○対比という意味では、人の手の動きや笑い声などと山の落ち着きや静けさとの、動きや音の対比を感じました。
●飯田龍太の「手が見えて父が落葉の山歩く」を彷彿とさせます。これが下敷きでしょうか。龍太句は手を野外で見せたのだけれど軽舟句は屋内の手、しかもトランプを持つ手を扱って先行句と色合いを変えています。
○作者には龍太句は浮かんでなかったようにわたしは思うんですが、人々がせわしくなる時期に山は静かに力をためる感じ。読むごとに味わいが出てきました。

隼や飛行機雲と斜交ひに
○空の気持ちよさはありますが、うーん、普通かな(笑)。作者の中ではこころ動かされた景だったのだろうと考えますが。隼の「は」飛行機雲の「ひ」斜交ひの「は」と、音の響きの作りは好みです。
●そうですね。主宰クラスの力量であればもっと凝ったところを見せてもらっていいのだけれどね。見たまんまですね。偉い人でこういう平明さが評価されるのは死ぬ直前で、主宰はまだ早すぎる。
○主宰たる方でもまんまを記したくなると考えると、我が身が慰められます(笑)


蕎麦刈やソーラーパネル越しに富士
○素材が多い気がします。蕎麦刈にまず目がいってから出来た句でしょうが、ソーラーパネルと富士、両方印象の強いものなので、蕎麦刈が「や」で詠嘆されているにもかかわらず弱い感じがしてしまいます。
中七から下五にかけては現代の景としてよいと思うのですが。
●嘱目でしょうか。おっしゃる通り素材が多いです。蕎麦、ソーラーパネル、富士の3点セット。蕎麦刈でなくてもいいように思いますがまあまとまっています。

灯台に海平らなり神の旅
●上五、中七は力が入っておらず素のものを生かした感じですね。海面の水平と、書いてないけれど灯台の垂直でシンプルな絵にしている。
○力が入ってないとおっしゃいましたが、「灯台に」の「に」がなかなかすごいと感じましたよ。海が灯台に従ってる感じ。神が旅をするのだ、海よ平らかにしたまえよ、と灯台が指示しているような。晴れやかで平らかな海を神が気持ちよく渡っていきます。
●ここで神の旅はなかなかつけられない。季語の斡旋はみごとだと思います。
○はい。今回の中では一番心惹かれました。

真向かへば凩に耳引つぱらる
●正確に言えば耳を「持って行かれる」……「ちぎられる」という感じなんだけどね。
○上五「真向かへば」がポイントでした。横から凩が来れば引っぱられる感じにはならないし。凩を擬人化的にしたのは個人的には好みです、他の風とは違う感じが出ていると思いますし。藤田湘子に「木枯に貌ありとせば三角か」がありますが、そのこがらしが耳を引っぱってるのかもしれませんよ(笑)
●この作者の本質は擬人化だと再確認しました。凡手がこれをやると品がなくなるので湘子は我々に禁止しましたが鷹の二代目は先代をうならせると思います。

ぬくさうに下界ありけり冬安居
●たとえば比叡山に籠って修行している僧を思いました。境内から京都の明かりが見えます。紅灯の下で俗人は飲んでるわけです。
○そうですね。その距離感が下界という割りと強めの言葉に出ていると思います。
●「ぬくさうに下界ありけり」はうまい措辞だと思います。ある程度標高の高いところの寺から町を見下ろしている感じ。「ぬくさう」は家族団欒を象徴している。一方、廊下の雑巾がけやら早朝の勤行やら山の上は寒いわけ。「冬安居」の句として秀逸で歳時記に入れてもいい出来です。今月の12句に「下界」という題をつけた意気込みがわかります。

隙間風嫌がつてをり座敷犬
●犬が寒い風を嫌がる、そりゃそうだろうと思います。被災地の仮住まいの方ならあり得るかもしれませんが主宰が実際に隙間風を経験しているのか。主宰はなぜ隙間風2句を発表したのか考えてしまいました。
○作者は今まで気付かなかったのかもしれない。そうか犬も寒いのだ!と、驚き、それを記しておきたかったのかもしれません。あと、座敷犬ですから、外飼いの犬とは違うわけです。いつもぬくぬく温かい部屋にいる犬は耐性が低くなって隙間風に反応しちゃうわけですよ。

湯上がりの素つ首白し隙間風
○前句は犬でしたが、こちらは人間。でも、表されているものは隙間風。なぜ隙間風が2句か? 隙間風を感じるような心境、精神状態にあったからでしょうか。人は見たいものを見る、感じたものが目の前に現れる、と思うので。
●「湯上がりの素つ首白し」に「隙間風」は付き過ぎじゃないかなあ。別の季語のほうがいいように思いました。
○感じたままを詠んだのじゃないでしょうか。首という体の一部と隙間風という風の一部との出会い(衝突)が作者にはビビッドだったのでは? 白しと書いたことで読者にもビビッドに伝わってきます。

浅漬の昆布のぬめりに箸あそぶ
○浅漬というと野菜が浮かびますが、漬ける時に小さく切った昆布を味付けの一つとして使ったりします。その名脇役にスポットを当てたのがなかなか心にくい。しかも、その小さな昆布までちゃんと食べようとしている(と思う)。漬物をつくる側としては嬉しい食べ手ですね。
●にこっとする句です。昆布は美味そうだし作者の茶目っ気もあっていい。
○はい、場面は小さいんですが、目に鮮やかに浮かぶ句でした。

すき焼の菜箸仲居まかせなり
●わかりますねえ。誰かにやってもらって自分は食べるために箸を動かしたい。原日出子みたいな仲居さんに何もかもやってもらいたい心境(笑)
○すき焼って鍋より作り方とか食べるタイミングが微妙に大切だと思うので、仲居さんまかせは正解と思うんですが、句として面白いかはわたしには微妙です(笑)
●句として面白いです。野球でいうと強打者の真ん中にスローカーブを投げ込んだような。「そういえばそういうことあるなあ」というのはやっちゃった者の勝ち、早い者勝ち。主宰は勝負勘抜群です。
○確かに類想感はなかったです。早い者勝ち、なるほど一つ覚えておきます(笑)

狸らも肘張りて唄へや寮歌
○うーん、これ、わかりません。音読した時のリズムも変わっていて。かなりの挑戦句でしょうか?
●寮歌は近代日本の貢献者を輩出した旧制高等学校。旧制一校は(現在の東京教養学部)だから東大法学部出身の主宰にとって身近な素材でしょう。彼らはコンパというのをやって肩を組んで体を揺すって寮歌を高らかに歌ったものですよ。一校寮歌は「ああ玉杯に花うけて」。ぼくだってこの歌は歌えます。狸も出て歌おうという気分はわかります。
○ああ、なるほど、謎が解けました。同窓会でもあったのでしょうか。
わたるさん世代には通じても、ちょっと一般的ではないですが、どうしても詠みたかった感じなんだろうと説明を聞いて思いました。
●そこにいない狸という季題をなつかしい寮歌で描くというのはずば抜けたセンス。脱帽しました。



撮影地:埼玉県秩父市大滝三十槌(みそつち)
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東京都区現代俳句協会に珠を拾う=その1

2019-12-27 06:04:55 | 俳句


先日、荻窪の大田黒公園で吟行したとき磯部薫子から分厚い『東京都区現代俳句協会35周年記念句集』(編集人:佐怒賀正美、発行人:松澤雅世)をいただいた。暮の掃除を終え、それをぱらぱら見ていたら気に入った句に出会った。ここに紹介する。

炎天のもう妻でなく草田男忌 赤澤敬子
中村草田男といえば「妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る」「虹に謝す妻よりほかに女知らず」といった妻恋俳句がある。これを下敷きに作者は自分の境遇と草田男忌を巧みに重ねた。

読初のパウロローマにやつと着く 穴澤篤子
パウロの伝道の旅といはいい視点。「やつと着く」には「やつと読み終えた」もあり、この季語の句として金字塔。

石投げて川濁りたる桜桃忌 有馬英子
石を投げるという屈託と女と入水自殺した太宰治と引き合う。

春雷の遠近何れとも和さず 石井長子
夏の雷と違って春のそれは華々しくない。よって「何れとも和さず」はとても巧い。

熊笹の中に音あり雪解川 石川登志子
熊笹は丈があるので川をすっかり隠す。しかし音高く雪解川が響く。実直でけれんのない句。

緑蔭に捨て印のごと男いる 石口 榮
年配の男は一人でいるだけで哀れ。それが緑の濃い場所だとなおさら。まさに「捨て印」。

幼な児の立った歩いた金魚草 磯部薫子
上五中七の手拍子を打つ感じはみどりごへの期待と喜び。これを支える季語もいい。

枯尾花呼ばれぬ人も振り向けり 一井魁仙
松田さーんと読んだら村山さんも振り向いたという内容。複数の人の吟行かもしれない。よくあることでちょっとさみしい味わい。

それからの女狐話薬掘る 今野龍二
女狐はほんとうの狐かもしれないし女に騙されたことかもしれないが面白い。季語がさらに引き立てる。

六区には何でもあるぞサングラス 今村たかし
浅草六区である。見せ物なら何でもある。人も色彩も豊か。地位ある人は人目を忍んで遊ぶ。

象の鼻ゆっくりあがる初日の出 大平星雲
それだけのことだが俳句になっている。なんとも優雅な取り合せ。

相づちを打つだけのケア花八手 大山実知子
そうとう惚けていて昔話をするだけの人かもしれない。うんうんと頷いていればいいのは楽だがさみしい。

人混みを一直線に夏帽子 圍 喜江
繁華街を急いで行く夏帽子の人。それが落ちそうでおさえたりして。雑踏も夏帽子も元気な夏である。

蝌蚪群るる微熱の渦となりにけり 上村ツネ子
あれが群れているところに手を入れるとぞくぞくする。「微熱の渦」という感覚を肯う。

歩かねば歩けなくなる初詣 亀井孝始
めでたいはずの初詣を切実に読んで迫力がある。老齢者の意地と決意である。

番台も富士も煙りて大晦日 加茂達彌
豪華な銭湯である。湯気が濛濛としている。番台まで煙るかなと思うが大晦日だからいい。

かく赤き野分の空に目覚めしか 菊池ひろこ
天地騒ぐときはときに空が異様な色になる。野分の句としてユニーク。

若冲に楯突いている羽抜鶏 北迫正男
若冲の作品をくまなく知らない。ぼくの見た若冲に羽抜鶏はない。優雅な奴ばかり描くなよという視点がおもしろい。

日本橋日本晴れの梯子乗り 木村順子
日本のリフレインはめでたくまさに日本の正月。おまけに梯子乗りとは言うことなし。

片方の手袋安否問うように 倉本 岬
落ちている手袋。たいてい落ちているのは一つ。「安否問うように」は言い得て妙。

汗しとど讃岐極太うどんかな 栗田希代子
汗しとどの効き目はこれ以上ない状況。暑くて美味くて汗かいて、豊かな時間。

名月や二軒向こうの咳払い 栗原かつ代
名月に対して「二軒向こうの咳払い」という下世話なもの。まさに取り合せの妙である。

水を買うほおずき市のうら通り 栗原節子
表通りはほおずきに満ちそれにかける水も散っていて涼しそうだが飲む水がない。裏へ回て水を買って飲む。このアイロニーのおもしろさ。

ねこじゃらし直ぐにおいでと言われても 鍬守裕子
ねこじゃらしはおいでおいでと言うようにそよぐ。この句では好きな人に呼ばれたのだろうが女は身支度が要るのよ。綺麗に見せたいから。

対岸のさくら何度でもありがとう 小髙沙羅
対岸の火事は無責任でいいが桜はもっといい。「何度でもありがとう」が胸に落ちる。こちら側でないところが味噌。

江ノ電の女子高生や更衣 小林和子
海が見える江ノ電ゆえ夏を感じる。おまけに女子高生の白い制服。

日の沈む処見ている二日かな 小林幹彦
どうということのない内容だが不思議な味がある。元日でないところに隠れた技がある。

大柄な桐を咲かせて武者屋敷 佐々木いつき
武士と桐の花は合う。それが大柄だとさらに風情がある。行ってみたいような屋敷。

噴水は噴水として雨の中 佐藤洋子
噴水は水を吹き上げる仕掛け。雨は天から落ちる。アンニュイを絵に描いたような一句。

おにぎりの三角山は五月晴 椎野恵子
たぶんおにぎり屋の店頭であろう。さておにぎりを買ってピクニックへ行こうという場面。天気もよい。気持ちも晴れ晴れとしている。

煮炊きする艀に鴨の鳴く薄暮 柴田喬子
マレーシア近海にはボートピープルと呼ばれる人々がいて小さな舟で生活する。艀で寝起きはしないだろうと思うのだがうらぶれた景である。しかし人の生存する原点をしかと感じさせる。

うつぶせに流れて母は椿なり 渋川京子
水を流れる椿に死んだ母を見た。娘から見た母は憧れの対称だったのであろう。「椿なり」と言う断定が冴えた情念の濃い逸品。

アマリリスあしたあたしは雨でも行く 池田澄子
あ音を4回使って読むほどに気持ちがよくなる。俳句は意味ではなくリズムであるのだがこの句は恋の気分が満ちている。



撮影地:甲州街道 高尾山口駅から大垂水峠へ行く途中
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クリスマス句会盛り上がる

2019-12-26 03:41:32 | 俳句


きのうのKBJKITCHENでのクリスマス句会、5名と予想したのが8名に増えた。またニューヨークのテリーさんが欠席投句してきた。
テリーさんのニューヨーク句会では獲得点数を競うという。ちかごろ弘子さんが「総得点で私が17点、先生が15点で私の勝ち」と言って喜ぶのが微笑ましかった。それで今回、2点以上の句を誰が採ったか表記してみる。
()内が作者、その後が採った人、★は特選句。なお、小生のコメントを小さい字で添える。



【5点句】
手品師の作り笑ひや金屏風(わたる)☆正成☆治子☆いさむ★史朗☆まさ子
   互助会センターでマジックショーを見た即興。よもやこんなに点が入るとは。

【3点句】
庭掃けば箒にすがり冬の蜂(弘子)★治子☆いさむ☆わたる
   すがり」と言ったことで哀感がリアルに出た。
風邪声の女禰宜来て地鎮祭(郁)★正成☆治子★いさむ
    「女禰宜」に性差別的なものを感じる。「めかんなぎ」という由緒ある言葉もある。
少しだけこの世を離れ日向ぼこ(弘子)☆正成☆郁☆治子
    初心者はこれでいいが類想は多多ある。

【2点句】
しめ縄や口も姿勢も一直線(いさむ)☆史朗☆治子
    新年への決意が見て取れる。
社会鍋皆通り過ぎ聖夜かな(治子)☆弘子☆史朗
    社会鍋の方々が主語と錯覚するので「社会鍋のかたへを過る」とかしたい。
ゆく年や押すこともなき車椅子(テリー)☆正成☆治子
    まだるぬるい。「乗る人のなき車椅子」と意味をはっきりさせてはどうか。
日脚伸ぶパンカフェで読む古今集(正成)☆まさ子☆いさむ
    新旧の取合せにこの季語は面白い。
燦と羽根散散と血や雪の上(わたる)★まさ子☆郁
白山の雪吹きすさぶ朝日かな(わたる)☆史朗☆いさむ

    こういう自然詠を読める人がこの句会にいることが嬉しい。
笑ふたびセーターの子のまるくなる(わたる)☆弘子☆治子
初恋はマント丸帽朴歯下駄(郁)☆弘子☆まさ子
    雰囲気はあるが回想は弱い。今の恋を書いて欲しい。
飛行機に乗りて公認サンタ来る(郁)☆史朗☆いさむ
    「公認サンタ」なんて面白いのかなあ?
武蔵野のはけとはここら烏瓜(まさ子)☆弘子☆わたる
     熟練の技を感じる。
神留守の告げ口をする女の子(まさ子)☆郁☆正成
     俗っぽい。告げ口の内容は何?
掃納消しゴムつきのボールペン(正成)☆郁☆まさ子
     ベテラン二人が採ったがまるでわからない。


次回は2020年1月22日(水)15:00~。

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