天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

塩見の記憶に残る大失策

2022-10-31 06:50:19 | 野球

写真:サンケイスポーツ


日本シリーズはきのうオリックスがヤクルトをくだして4勝2敗1分で優勝した。
ポイントは5回表の攻防にあった。
吉田正の押し出し死球で2点差とされ、なおも続いた2死満塁のピンチで杉本が打ち上げた打球にいったんは追い付いたが目測を誤り、まさかの後逸。走者一掃となり、5点差に突き放されたのだ。
テレビを見ていて塩見は捕球したものと確信した。なのにオリックスの走者がどんどんホームを駆け抜け、オリックスベンチもやんやの喝采……バカみたいと思った。実はボールが地面を転がっていたのである。プロの外野手が飛球のところへ行っていてそれを取れないなんて……思いもしなかった。このときフジテレビのアナウンサーも解説も何も言わなかったのではないか。だからテレビを見ていて事情がわからなかった。塩見の顔が映って元気がないのでやっと失策したのだとわかった。
野球のおもしろさは、球にグラブが触れていないと失策と判定されることが少ないこと。塩見のプレーもいったんは杉本の三塁打となったもののあまり守備がお粗末ゆえに「失策」に変更されたようだ。
この回グラブに球が触れない安打と記録されたミスはほかに二つ。
無死一塁からオリックス宮城のバントが、前進守備の村上三塁手と投手サイスニードの間を抜けて遊撃内野安打に。続く太田の三塁線へのバントも、村上が処理をサイスニードに任せてベースに戻ると、サイスニードが処理できずに無死満塁となった。
サイスニードはゴロをグラブに入れることができないが球は吉田正にぶつけている。満塁で打者にぶつけてどうする…考えられないアホであった。

ところで、塩見の大失策は記憶に残るであろうか。
失策で記憶にあるのが中日宇野選手の落球である。ウキィペディアで調べると「宇野ヘディング事件」として調べられるほどの有名な失策になってしまっている。1981年8月26日に後楽園球場で巨人山本のポップフライを取り損ね右側頭部に当ててしまった失策である。このとき中日は勝ったのでこのエラーそのもののマイナスはさほどでもなかった。ただしサッカーのように球が跳ねて派手な失策事件となってしまったのである。
塩見の失策は派手ではない。けれど被害としては甚大であった。野球に「たられば」はないが捕球していればまだ0-2であった。
グラブに球が触れないという失策はポイントがないので忘れられるかもしれない。「塩見スルー事件」は「宇野ヘディング事件」より言葉としてのインパクトが少ない。けれど失策としては考えられないほど大きなものであった。
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負けないように闘ったオールブラックス

2022-10-30 07:36:30 | スポーツ


きのう国立競技場に65188名を容れて行われたラグビー日本代表VSニュージーランド代表のテストマッチ。31-38で日本が負けた。7点差はニュージーランド戦史上最少得点差と各メディアが称える。
称えられていいがニュージーランドが史上最強という感じはしなかった。ニュージーランドがめちゃくちゃ強かったころ、60分過ぎたころから日本は「持って行かれた」。日本選手が止ったようになりその間を黒いユニフォームが駆け抜けて30点くらい取られていた。
それはなくなった。
けれど世界ランキング4位:ニュージーランドと10位:日本の差を三つのシーンに感じた。
ひとつは26分。オフロードパスを3連発して防御を突破したシーン。オフロードパスは、相手のタックルを受けながらつなぐパス。日本人もたまにやるが3人が続けてやるのを初めて見た。これができるのは3人が固まって走っているからである。個人の強さと集団の意思が結集しないとできないパフォーマンスである。
二つめは、ニュージーランドのスローイン。ふつう並んでいる選手の誰かに合せるのだがはるかに遠くへ投げた。そこへ選手が走ってきて捕球した。芸術的な感じさえした。
三つめは、タックルをすり抜けた11番ケイレブ・クラークの走り。3人のタックルを簡単にいなすようにかわすなどまだ日本人にできないと思った。
ニュージーランドは66分に一人退場した。ジャッカルに行った姫野に頭から飛び込んだ4番レタリックが危険行為とみなされたのだ。
以後14分1人足りないのに日本チームを自陣に入れず押し込んで反則を誘ったのは底力というべきだろう。
ニュージーランドは日本相手に負けない戦いをする余裕がまだあったように思う。

姫野とレタリックの戦い。レタリックが反則退場となったシーン

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俳句つくりの原点を考える7

2022-10-29 06:33:36 | 俳句
  


10月28日の当ブログで「鷹11月号小川軽舟を読む」を掲載した。その中で相方の山野月読が違和感を持ったのが以下の句である。

歯磨きに庭ながめやる子規忌かな 軽舟

○歯磨きに庭ながめやる子規忌かなちょっと違和感も感じました。これは「歯磨き」をしながらということでしょうが、それを「歯磨きに」と言えるのですかね。例えば、着替えをしながらの場合、それを「着替えに」と言って、しながらの意味になるのかな?
 そうではなくて、これは「しながら」が略されているのではなく「歯磨きの時に」であって「時に」が略されているのかな。

ブログには出さなかったが月読はメールで小生の転記ミスではないかとまで疑った。
ベッドの中でふと思ったのですが、「歯磨きに」ではなく、「歯磨くに」ではないですよね。 これだと違和感がないのですが。
小生は原句を確かめて「歯磨きに」を確かめたのであった。
さらに月読からメールが来た。
「歯磨きに燕飛び行く」とか「歯磨きに祭囃子が聞こえる」だと違和感を持たないことに気づいた。何が違うのか。「歯磨きに庭ながめやる」の場合、「歯磨き」の主体と「庭ながめやる」の主体が同じであるのに対して、上記例ではその主体が異なる。だから、「歯を磨いていると(ふと)燕が飛んでいくのが見えた」「歯を磨いていると(ふと)祭の囃子が聞こえてきた」という風に読めるが、主体が同じだとそうはいかない。
どうも違和感の本質はここにありそう。

小生はなるほどと思った。主体が同一ゆえ違和感を持った、というところまで掘り下げた月読のしつこい探究心に感心したのである。
それはさておき、この句は俳句の一行はどこもかしこも同質じ密度でないほうがいいとと示唆しているのではないか。
月読が違和感を持たない「歯磨くに」は動詞だからであるが「歯磨きに」は名詞である、動名詞である。見えかたは動詞の連用形だが本質は名詞となっていて石のように密度が濃くなる。この密度の濃さが月読の違和感となったかもしれない。これに対して「庭ながめやる」はゆったり流れる。動詞がここに二つもある。
「歯を磨きつつ庭を見る」だと上五中七の密度は均衡になって違和感がなくなるが緊張感がなくなる。
俳句の言葉は圧縮できることろは圧縮し、ゆるくするところはゆるめる、という落差によって味が出ることを鷹主宰はやって見せたような気がする。

写真:ヒュッテ千畳敷
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鷹11月号小川軽舟を読む

2022-10-28 06:05:03 | 俳句



小川軽舟鷹主宰が鷹11月号に「畳縁」と題して発表した12句。これを山野月読と合評する。山野が○、天地が●。

秋立つや養鰻場のさざなみに
●作者はたまたま養鰻場(ようまんじょう)を見て秋を感じたのでしょうか。鰻の立てるさざなみはほかの魚と違うのでしょうか。
○鯨だと海面にリングができるとかは聞いたことがありますが、「鰻」だとどんな「さざなみ」なんでしょうね。波長が長そうな「さざなみ」を想像しますが、それがどんな「さざなみ」かは実はあまり関係ないのでは? どんなものであれ「秋」を感じる必然性はなさそうで、その日その時の巡り合わせ、ひいては配合の妙を楽しむ句なのかも。
●さざなみに秋を感じるというのはそう新鮮な発想と思わなかったので……。
○「養鰻場のさざなみ」ってどんなのだろう、と読み手に思わせることができれば作者の勝ちみたいな(笑)。

バス停ににじり寄るバス盆帰省
○「帰省」客を乗せるバスが後も切らず並んでいるような情景を思い浮かべました、バスターミナルのような。
●大きな質量のものが近寄ってくる気配をうまくとらえています。さすがは擬人表現の名手という出来です。

氷ごとひと笊掬ふ鰯かな
●どういうこともない描写ですが巧さで見せましたね。
○鮮度維持の「氷」ですね。釣りから持ち帰ったクーラーボックスとも思えますが、「笊」とあるので料理屋の調理場なのかな。「鰯」と一緒に「掬」われる「氷」のサイズまで見えることで、臨場感が醸し出されます。

初秋の小間の栗茶の畳縁
●小間は茶室でしょうか。栗の色の茶色が作者にとっての秋とリズミカルに言っています。
○「初秋」という漠としたものから、凛とした「畳縁」までの畳み掛けるようなフォーカス。

電気柵めぐらし僧都鳴らしけり
●「僧都(そうず)」は「添水」ですね。竹を割って半分にしてシーソー風しつらえ、一方に水が落ちて溜まると音を立てて一気に流れる仕掛けです。音がするので「ばつたんこ」とも言います。「電気柵めぐらし」がメインで「僧都」は遊びみたいに思います。
○この句の「電気柵」は、いわゆる害獣対策ですよね。「僧都」=添水も本来そうした機能を持つ装置ですので、「念には念を」的な面白さの句ですかね。だとしたら、添水よりも鹿威しと呼ばれるべき装置ではないのかな、と思いますがどうなんでしょう。
●鹿威しになっていると思います。「僧都」には僧正に次ぐ僧官といった偉い坊さんの意味があり誤解する人がいるかもしれません。たとえば「足の裏見えて僧都の昼寝かな 芥川龍之介」は坊さん、「仏師住む庵あり僧都鳴つており 富田潮児」は添水。季語は「添水」と表記しても良かったんじゃないでしょうか。
○この句の舞台が寺だとしたら、庭に設えられた装置を鹿威しではなく添水と呼ぶことも、また、それを「僧都」と洒落ることも納得がいきます。そして、こうした設えの舞台が寺であることの面白さへの着目は凄く納得できます。
●富田潮児の句はあなたの指摘したおもしろさを意図しました。鷹主宰も同じ意図だったと推察します。

電柱に烏とまれり秋出水
○辺り一帯が冠水して、存在感の増した「電柱」。その存在感を感じとるのが、人間だけではなく「烏」もまたそうであるという面白さ。
●なんということもないんですが、わかりやすくて巧いです。烏が出水を見ているような感じですね。

真葛原火勢のごとく風走る
●「火勢のごとく」は音でしょうね。燃える音と風が吹く音の類似性に作者は注目したのでしょうね。
○音ですか。そうなのかも知れませんが、それは思わなかったです。「風」そのものは見えないので、視認可能な事象によってそれを認識するわけですが、この句では「真葛原」の「火勢のごと」き動きによって「風」を捉えています。「風」によって、「真葛原」がある一点から扇状に揺れ倒れいく様とその速さを捉えた句として味わいました。この比喩は、音としてよりも動きとして捉えた方がリアリティがあるように思えます。
●音と動き、両方でしょう。

ひと雨に痩せし更地や秋燕
○とても思い付かないレベルの表現ですが、言われると状況は想像できます。きっと郊外の傾斜地に新たに開発された、盛土的な土地なんじゃないのかな。だからというわけではないけれど、「燕」も去っていくような。
●更地といっても重機が去った直後、地表はごつごつしています。それが雨で綺麗に平たくなったのでしょう。それが作者にとって「痩せし」だったと思います。この一語、非常に効いています。
○そうですかね?「痩せし」からは、わたるさんの言葉を借りれば、重機でなんとなく平たくなっていた土地が雨で水溜まり、窪地とかができてしまった土地をイメージしました。

枝豆や人手に渡り店残る
●「枝豆」ですからこの店は前も飲食店でいまも飲食店なんでしょう。店の名前は変ったものの似たようなものを出してくれる。
○経営者は代わったけれど、「店」そのものは残ったという状況ですね。わたるさんの読みは、経営者の代わったその「店」で「枝豆」を摘まんでいる景として捉えており、確かにそうとも読めるのですが、「人手に渡り」という表現に当事者性を感じてしまうんですよね。つまり、自分の「店」を手放してしまった本人が、そのことを思いながら「枝豆」を摘まんでいるような。
●どっちだろうな。自分の店をなくした人がどこかで枝豆を食べている、ということかもしれません。その方が妥当な読みかなあ。

歯磨きに庭ながめやる子規忌かな
●正岡子規の亡くなったのは1902年(明治35年)9月19日、享年34。「歯磨きに庭ながめやる」がいいです。割とみんながやっていて言われてみてなるほどという措辞です。作者はそういうものを探し出すのに長けています。
○全くそのとおりだと思いますが、ちょっと違和感も感じました。これは「歯磨き」をしながらということでしょうが、それを「歯磨きに」と言えるのですかね。例えば、着替えをしながらの場合、それを「着替えに」と言って、しながらの意味になるのかな?
●「歯磨きに」だから、それをしつつ、の意味が生じます。「着替えに」はちょっと無理かなあ。日本語ならではの微妙なところです。
○この句で「子規忌」が効果的になるのは、句中主体が寝巻き、パジャマ姿で「歯磨き」をしている情景かと。
●季語のよさは説明しにくい最たるものですが「子規忌」で決まったなあと思います。

早稲刈りし夕空高く晴れにけり
●百姓の倅なんですが早稲(わせ)を作ったことがなくいつ刈るかよく知らないのですが、たぶん9月中旬でしょうね。残暑きびしいころです。暑いけれど晴れて夕方は気持ちよさそうです。
○機械を使った稲刈りではなく、腰を屈めながらの稲刈りを思わせる「夕空高く」じゃないでしょうか。

早稲ささげ白木の鳥居くぐりけり
●「白木の鳥居」が無気味なほど効いています。「早稲ささげ」は精米してない稲穂だと解釈すると「白木の鳥居」ががぜん生きます。
○伊勢神宮の鳥居も朱塗りではなく、「白木」ですし、まさに神道や信仰を感じさせます。「早稲」に対しての「白木の鳥居」が本当に効いています。
●神事の「早稲ささげ」ですね。


撮影地:多摩川、むこうは京王線鉄橋

 
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11月4日KBJ句会

2022-10-27 06:14:35 | 俳句


寒くなりました。秋冷を経て初冬になろうとしています。高尾山では紅葉の盛りを迎えますが信州の奥地では「枯といふ絶対を待つ雑木山 藤田湘子」という雰囲気ではないでしょうか。現実からトリップして俳句を楽しみましょう。初めての方も歓迎します。

【日時】11月4日(金)14:00~16:00
昼食を当店でとらない人はぎりぎりに来てください。それまでの時間、通常の客で込み合いますから。
店のスタッフの休憩時間に句会をやります。

【会場】KBJKITCHEN
国分寺市南町2-18-3国分寺マンション102
中央線・国分寺駅を南口に出て左へ200mバス停先。通りをはさんで都立殿ヶ谷戸庭園。
                     


【参加費】1000円+飲み物代

【出句数】1~8句(以下の兼題1句を含む当季雑詠)

【季題】「秋冷」で1句

【指導】天地わたる(鷹同人)
全句講評いたします

【参加を希望する方】
句会へ参加したい方は、ブログへ書き込みをするか、youyouhiker@jcom.home.ne.jpへ一報を。
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