風の子広場

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竜馬の人脈(20)後藤象二郎

2005-02-21 21:44:13 | Weblog
後藤象二郎は竜馬より3歳年下で、参政吉田東洋の義弟
である。義兄吉田東洋は土佐勤王党に暗殺された。竜馬は
暗殺には加担していないが、土佐勤王党に加わっていて、
暗殺の嫌疑をかけられている。暗殺の嫌疑をかけられた
ことに、竜馬は非常に憤慨している。

また、盟友武市半平太は、事実上、後藤象二郎によって切
腹させられている。お互いに相手をカタキと考えている。
こんな二人が、手を結ぶとは、幕末でなければなかった。
「双方、下心があってのことさ。」と竜馬は言っている。

お互いカタキ同士が、必要が生じて手を結ぶ。時運がそうさ
せると竜馬は考えていた。時運をいち早く洞察して、それを
動かそうと考えていたのだろう。竜馬は時運の来るのを待っ
ていた。

事実、この時期の亀山社中は破産状態であった。
「ヘンペンたるわれら郷士の感情は、新しい日本の築きあげ
のために捨てねばならぬ。」と誇張して言っている。このよ
うな大局的な判断はなかなかできない。

亀山社中は薩長によって、成り立っている。それに土佐を加
え、薩長土三藩による結束によって、幕府を倒すことも可能
になる。亀山社中は土佐藩の参加により、発展的に解消し、
海援隊と名前を変えることになる。

海援隊とは「海から日本を助ける」、「海から土佐藩を助け
る」と言うような意味だろうが、竜馬はおりょうとの新婚旅
行中にこの名前を考えている。海運業を推し進めることは、
竜馬のゆめでもあった。

300年近く続いた鎖国政策は、幕府によって、限定的に
開国となっている。鎖国政策は事実上、維持できなくなって
しまっている。攘夷思想そのものが成り立たなくなってしま
った。

後藤象二郎は「乱世の雄」、「穴の開いた大風呂敷」とも
言われ、「後藤は大きすぎる。シナの皇帝にでも生まれてい
れば、よかった」と勝海舟らも言っている。

次回予告 中岡慎太郎