美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(七十九)

2017年03月08日 | 偽書物の話

   なるべくしてなった流路を無理に付け替えたり曲げたりしても、結句、災厄を大きく広げることになるし、今さら流れの中でみっともなく立ち竦むのは問題外です。わずかなりと流れる先が望めるところに中洲があれば、一旦そこに上がって足元を乾かすのも、案外、一貫作業の途次で省いてならない工程であったりする。念のため付け加えると、前方に陸地を予報する標識杭なぞ立ててありませんから、中洲がどこいら辺で流れを分けて現われるにしろ、最初に流れへ足を浸した者は常に不意を突かれることになります。
   私の描く書物像を無碍に飲み込まれず、怪訝に感じられる節もあるとお聞きしたのはいい潮時です。心許ない運びの足を流れから一回抜いて、休憩かたがた、と言っては失礼ですが、あなたが瞥見した中洲へ上がってみることにしますか。」
   水鶏氏の口調に、決意のほどをうかがわせる風勢は、そよともない。中洲に上がるのは、自省を挟む頃合いと見ての、諧謔めかした喩えと取れる。また、息を整えて心中へ滲み出た潜熱を冷やすための間合いと取れなくもない。腑に落ちない片々の想いは当然水鶏氏に響いているが、幾分か不意打ちを受けた波紋は消えないのだろう。事前に考え抜いてお膳立てされた話し振りではなく、追々考えながら接ぎ穂を探る語り様になっていた。
   「個的経験をとば口にして自在な思議を開こうとする以上は、第三者の眼に代わる客観のカメラを思考過程の辻々に配備し、単に思い込みの勢いに駆られて言葉を滑らしていないか、検知を怠ってはならないと痛感しました。そうでないと、黄昏どきにちらついた幻影を寂しく回顧する炉辺談話と大差ない、駄弁の披露で終わってしまいます。あなたの控えめな質問は、客観の視点をぞんざいに扱っていたきらいがあることを私に教えてくれました。

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