梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

社長交代(その2)

2019年09月21日 05時27分44秒 | Weblog
私は社長になってからの30年間で、会社を二度引越ししています。先代が江戸川区葛西に建てた社屋を解体して浦安に新たに営業拠点を移したものの、しばらくは同じ葛西で、賃貸の事務所を借りて本社及び総務経理部門を残し、そこに私は居ました。その葛西の事務所も閉鎖して、そして浦安に全てを集約することになりました。

従いまして、葛西から葛西で一回目、葛西から浦安で二回目の引越しです。今回は同じ浦安の建屋内での移動ですが、私にとっては引越しに匹敵します。二回の引越しで、その都度荷物を半分くらい整理・処分しても、その後また物が溜まってしまいます。

社長室から移った部屋は、以前は社員の休憩の場ないしタバコ部屋として、現在は第二応接室として利用していました。スペースは社長室の約半分です。当然物を置く場所も十分ではありませんし、保管していた物も改めて見ると不要な物があり、今回思い切って処分しました。

処分と残った物の移動、そして社長室の明け渡し。その間10日ほどでしたが、ホコリにまみれ、えもいわれぬ疲れを感じました。資料などを見ながら、整理処分していると、社長であった30年間とあたかも対峙しているかのようでした。

先代の相続、過去の決算書、不良債権、その訴訟、社員採用、人事評価、社員旅行、経営方針、鉄鋼メーカー折衝、輸入材買い付け、扱い商品の変遷、企画・投資稟議書、土地移転、浦安新社屋建築、企業統合(溶断会社を吸収)、創立60周年式典、業界紙記事、業界団体、勉強会関係、など等が保管資料でした。

わが社は45年程前、それまでの製鉄原料関係の事業から、鋼板販売の事業に転換していきました。その業態変化は、先代の夢であり執念でもありました。昭和40年代や50年代は東京江東地区には多くの中小の溶断業者が存在し、そこへ安価な発生品の鋼板を在庫販売したわが社は重宝がられました。

わが社の扱う鋼板も、国内電炉メーカーや外国から輸入した製品にシフトしていき、扱い量も増加していきます。当時高炉メーカーは市中の溶断業者に材料を供給する責務が無かったので、時代の流れが追い風となったのかもしれません。しかしそこに大きな落とし穴がありました。それは販売先から代金回収が出来なくなる、不良債権の発生です。

製鉄原料の事業をしている限り、仕入れも販売も締切日や入金日は設定しますが、現金決済です。鋼板販売の事業となると、販売先は現金では買ってくれず、大方手形決済となってしまいます。鋼板の仕入れも手形決済で買えましたが、業態変化は手形商売への移行を意味しました。

現金決済とは違って、手形のサイトの分だけ債権額は膨らみます。鋼板素材販売ではわが社は後発で、売りたい販売量を上げたいとの一心で、与信管理の甘さが露呈します。先代からバトンタッチして10年から20年の間は、その不良債権が多発しました。

そのような不良債権先の個々克明な経過や、中には訴訟を起こした記録などが、資料として大量にあります。今回保管しあった資料はある程度処分したとしても、起こしてしまった過ちは繰り返してはなりません。

他にも会社の危機はありましたが、社員の協力によって、外部で関わった皆様によって、苦境や困難を乗越えることが出来て、今日のわが社があります。どれも私一人の力では解決できないことでした。

処分した後は、気持ちもすっきりしています。今後私の保管する物は、恐らく減ることはあっても増えることはないでしょう。社長室の明け渡しは、自分や会社を見つめる絶好のチャンスになりました。  ~次回に続く~
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