梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

健康とストレス(その2)

2019年09月07日 09時47分24秒 | Weblog
平時は快適な大和の艦内も、一旦戦時になると急変し、兵員は強いストレスを受けることになります。「その表れが虫垂炎だった」と、“戦艦大和 男たちの健康”の番組に出てきた元軍医の証言です。つまり盲腸であり、頻繁に盲腸の手術をしていたとその軍医は語りました。強いストレスを長く受けると、大腸の一部である虫垂に炎症が生じ、硬い便の詰まりやウイルス性の感染症などで、虫垂炎になると言われます。

話は変わりますが、前回私は30代の頃長期に亘りストレスを受けて健康を害したとお伝えしました。その症状とは、喉の痛み(喉の詰まりによる)です。そのストレスの原因は、当時携わっていた仕事によるものでした。

45年前私は梶哲商店に入社して、2年後に現場で怪我をして、手術とリハビリで1年半を費やしましたが後遺症が残って、先代は現場がつきものの鉄鋼業へは、私の復帰は暫く無理だと判断し、そして興したのが運送取り扱い業の会社でした。関東地域に主に東北地方から上ってくるトラックに、帰り便としてその地方へ発送する荷物を斡旋する仕事です。つまり青ナンバーの自社便を持たずに、首都圏の荷主と地方の運送会社を仲介させる、電話だけでやり取り出来る情報産業でした。

私はその運送取り扱い業の会社の社長となりましたが、先代の描いたビジネスであり、当初は先代の指示のまま運営していましたので、実質は先代の会社。私の感覚ではその仕事の責任者でした。またそれに当時の私は特別な抵抗もありませんでした。

一見電話で簡単な商売にみられますが、問題は、地方の運送会社が順調に上り荷を降ろし空車になって、私達の斡旋した荷主の会社に無事に積み込みに入るかでした。天候異変や道路事情やトラックの故障や事故、起こり得るトラブルは種々ありました。

それを回避する為に、前日までに地方の運送会社には仕事の内容は連絡しますが、当日運転手さんからも必ず昼の12時まで、わが社に電話連絡をすることを徹底していました。仕事を受けておいて、欠車(荷物を積みに入れない)は、取扱い業者であっても信用を失います。しかし初期の頃、私の判断の甘さで何回か欠車を出してしまいました。

そこで先代の下した判断は、地方の運送会社でも状況が分からず、午後3時までに直接運転手から電話が無ければ、梶哲商店の自家用トラックを何とか手配するので、その緊急依頼をするようにとのことでした。梶哲のトラックが荷主から荷物を引き取って来て、わが社で積み替えて、その地方のトラックに積ませたことも度々ありました。

しかしそれが私にとってみると親会社に負担を掛けてしまうと、無意識の内に、いつしか大きなプレッシャーとなっていたのです。手配した地方の運送会社の運転手から連絡が無いままに、午後の3時が刻々と迫って来る。そのような事が重なり、トラブルが無くても、喉が詰まった感覚が常態化し痛みが取れなくなりました。

一時は癌を疑い、有名ながん研病院まで行き精密検査を受けますが、悪性でも何でもないとのこと。それでも痛みが取れずに、数週間会社を休んだこともありました。結果としては、先代の言っている信用問題を十分理解してからか、いつしか痛みは消えました。

私の仕事上のストレスによる体の異変など、戦時中での生死に関わる兵員からすれば、比較にはなりません。しかし自分で解消出来ない限り、ストレスは厄介なものとなります。今回の番組を観ていて、ストレスを受けた自分の過去のことを思い出しました。

先代が急逝して、当時37歳の私は社長を引き継ぎました。それからしばらく経って、十二指腸潰瘍を患いました。その重責のストレスを受けたのです。平静を装ってみても、体は正直だとも言えます。前回も書きましたが、生きている以上人間はストレスを無くすことは不可能です。ストレスを感じている自分を、もう一人の第三者的な自分から観察すれば、ストレスは意外と軽減されると現在の私はそう考えています。
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