梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

やらない・やれない理由(その1)

2018年09月01日 10時03分13秒 | Weblog
今年の5月このブログ上で、“運動は脳によい!?” とのタイトルで、頭脳と運動との関係を明確に示した本のことをお伝えしました。記憶力を増し集中力を高めるなど、脳にとって運動がとても良いとの内容で、その最適な運動である散歩やジョギングをすることを私は始めました。

3カ月を過ぎ続けています。しかしジョギングは、通っている療法院の院長に止められました。私の足は40年前の手術で左足の長さが短く、筋肉も十分付いてなく、この状態でのジョギングは下半身が硬直し、身体のバランスを崩すとの理由でした。

その散歩で気付いたことがあります。早朝、犬の散歩や自身の散歩そしてジョギングしている人達に多く出会います。しかし雨が降っている朝は、ぱったりとその人達に出会わなくなります。私はといえば、暴風雨でもない限り傘を差して散歩しています。

このように多くの人はやらない理由があると、普段やることを、やらないようになります。仕事においてはどうでしょうか。やらない(やれない)理由があると、やることを諦めてしまうことはないでしょうか。そこのところを、私なりに考えてみました。

人間の根底には、楽と得を求める性癖や、何事も面倒くさいという性質が、どうもありそうです。この考えに立つと、むしろやらない理由を無意識に探しているかもしれません。これは、ごく普通の人が持っているごく普通の性癖や性質と捉えた方が、分かりやすいと私は考えています。

傘を差して散歩をする私は、やらないと気持が悪い自分と、楽をしたい自分との葛藤でもあります。しかし、やってしまえば後には爽快感が残ります。もっとも最近、老人は無理をするな、健康を害する、との諸説が多くあります。どちらかというと、私は頑なな人種かもしれません。

わが社で先般このようなことがありました。毎月10日前後に、わが社では先月の月次業績がまとまり、社員に発表しています。新しい期に入った最初の7月の月次は、本来の結果が出ませんでした。前年度に比べ、経費増(人員増・設備投資)はありました。

「この結果は、幹部がいいと思ったから(容認したから)、悪い結果となった」。この言葉は、その月次を発表した幹部による発言です。一見自ら非を認めて、潔くとられるかもしれません。しかし本当にそうなのか、言葉に隠されている何かを探ってみました。

7月の月初から、この結果でいいと思ったのでしょうか。悪い結果を予測して、途中から何か策を講じたのでしょうか。やろうとしてやれなかったのか、何もせず過ぎてしまってからの言い訳なのか。発言した本人は、それ程深い意図がなかったかもしれません。

今期の経費増の人員増にしても設備投資にしても、直ぐ効果が表れないことを私は理解しています。たまたま7月お客様からの注文も減ったかもしれません。しかし成果が出なかった理由をそこだけに求めるなら、良い成果は出るはずがありません。

何かを気付いてほしいと、厳しく追い詰めることはしていませんが、「この結果は幹部がいいと思ったから(容認したから) 」は、やらない理由・やれない理由を自ら認めて、やることをやっていなかったと推察しています。 ~次回に続く~
コメント
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