2013年8月29日(木)
前日8月28日(水)、松江駅から特急に飛び乗り出雲市へ。
行った所は、島根県立古代出雲歴史博物館。
「ホテルに御迎えに行くのは11時から11時半頃になります・・」との電話を聞いた私は、急に「出雲の歴史博物館に行け!」と言われたようで、瞬間移動的に博物館へと飛んで行っていました。
目的は・・ 荒神谷遺跡から出土した大量の銅剣や、賀茂岩倉遺跡から出土した銅鐸や鏡などを見ることでした。
常設展示場の銅鐸のコーナーで、「沢山の銅鐸に共通するものは何ですか!?」と問われたようで、「んん・・、穴が同じ場所に2個と2個で4個ですね」
「その穴は何のためにあるの!?あなたなら分かるでしょう!?」
・・と言われたようで、
銅鐸の細い方から両眼で穴を見て、反対側の穴を見通すとどうでしょう・・!!
焦点が暗い中に一点に奇麗に映し出されました。
「分かりましたね!」
「ハイ、分かりました! 測量機械ですね」と、私。
「そうです、測量機械です。・・では、銅剣は??」
「そうですかぁ、測量につきものの、その観測点を示す位置決めの目印の為のものですか!」
「そうですね。・・では、鏡は何ですか?」
「鏡は、水平器と方角を教える分度儀ですね」
「そうですね。・・・全て我が国土を理想国家として造り上げる為の測量機械とその機器でした」
この重大な気付きは、「倉吉に来て下さい!」と倉吉生まれの山下さんと、そのお友達の皆様と、出雲の国は松江に居られる㈲山陰ネッカリッチの白根さんのお導きによるものでした。
みなさんありがとうございました。 深く心より感謝申し上げます
大国主の命が我が国土の民に乞われて、モーシェの律法を第一とする邪馬壹国という理想国家を出雲の地からスタートさせた、歴史的証拠の数々の様に思えて仕方ありません。
大国主の命=イエス・キリスト=神武天皇ですから、武力で王権を手にしたという武勇伝なる神武東征(じんむとうせい)は創作されたもののようです。
天孫族(帰化したユダヤの10士族)に乞われて、イエス・キリストが神武天皇として我が国に命を捧げたという歴史認識を共有する時代に入って来たようです。
それにしても太古の昔から、我が国に精密な測量技術を持ち得ていた優秀なご先祖様達が居たという事実に、驚かされるばかりです。