かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

善光寺の善光は、中臣鎌足(藤原鎌足)の名前である

2022-04-15 05:44:28 | かごめかごめの真実とは

2022年4月15日(金)

乙巳の変の謎を追いかけて10年を過ぎたであろうか・・。

前触れもなく突然、蘇我入鹿(皇極天皇)に切りつけた中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)の出自がつかめなかった。

それが昨日、百済の最後の王ウィジャ(義慈王)とその息子、孝、泰、隆、演、豊(豊璋)、勇(百済王善光)の6人の王子の名を見ていて・・!

勇(百済王善光)の善光の文字が妙に気にかかった。 どこかで聞き覚えのあるよな・・・と。

私に浮かんできたのは善光寺の善光であった。それで地理院地図を開いて『善光寺』にポイントを打った。

そして私に浮かんできた名前は、なぜか「藤原鎌足」であった。 それで、鎌足公古廟から藤原直系である第50代桓武天皇が移し替えたと教えられた藤原鎌足のお墓にポイントを打って、タレスの定理で浮かび上がった駿府城にポイントを打って出来上がった図形を見ると、辺の長さが3:4:5の直角三角形『大矩になっていることが分かった。以前から私の謎の一つに、「どうして家康は、秀忠に江戸城を譲ったあとに駿府城に固執したのか」が謎だった。

その謎が一気に解けたようだった。

そしてまた、藤原鎌足(614-669)の伝記をまとめた多武峯談山神社の縁起絵巻のデジタルデータの最初に『鹿島』の文字も出てくるのですが、出自をあいまいな言い回しで書いているのもスッキリしない部分でした。それで、それから鹿島神宮にポイントを打ってみると、鹿島神宮から善光寺までと駿府城までが同距離で二等辺三角形を描くのです。偶然でしょうか・・。いえいえこれは偶然ではありませんよ。間違いなく藤原鎌足の出自は、百済の31代、最後の王、ウィジャ(義慈王)であり、その子である豊(豊璋)の弟、勇(百済王善光 くだらのこにきしぜんこう)であると教えています。

・・ということは、中大兄皇子(天智天皇)が鎌足の兄、豊(豊璋)と響いてきました。 これが真実だということのようです。中大兄皇子と鎌足は兄弟でしたね。 謎が解けました!!このことを証明する空海コードはもう書き終わっています。

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