早大出のインテリ力士笠置山(元関脇)が
秀の山理事になって角界近代化にも尽力。
そのひとつに、決り手の“制限”がある。
「寄出し」・「押切り」・「突放し」等
を削除したのは、当時の春日野取締(元横綱
栃木山)も訝しく感じたらしい。
でも、むかしの方が杜撰だった側面が
ないわけではない。
拙稿「全勝力士が消えた星━昭和二十年代篇」
では、該当取組24番すべてに決り手を付記。
そのなかで、昭和二十六年秋場所十一日目の
大関●鏡里─東冨士(横綱)と、同二十九年夏場所
十一日目の大関●栃錦─朝潮(小結)のそれが
何れも「出投げ」となっている。
前者は、『相撲』誌の昭和三十年…に渡辺
港太郎〔本名渡邊光太郎〕氏の「戦後相撲十年史」
に拠って…、後者は『大相撲』創刊2号の秋場所
特輯記事に拠って、いずれも「上手出投げ」が
正確だと判明した。
著者進呈の『…なんでも七傑事典』に拠れば、
一時期を除いて、「上手出投げ」の方が「下手…」
よりもずっと多く発生している。
秀の山理事になって角界近代化にも尽力。
そのひとつに、決り手の“制限”がある。
「寄出し」・「押切り」・「突放し」等
を削除したのは、当時の春日野取締(元横綱
栃木山)も訝しく感じたらしい。
でも、むかしの方が杜撰だった側面が
ないわけではない。
拙稿「全勝力士が消えた星━昭和二十年代篇」
では、該当取組24番すべてに決り手を付記。
そのなかで、昭和二十六年秋場所十一日目の
大関●鏡里─東冨士(横綱)と、同二十九年夏場所
十一日目の大関●栃錦─朝潮(小結)のそれが
何れも「出投げ」となっている。
前者は、『相撲』誌の昭和三十年…に渡辺
港太郎〔本名渡邊光太郎〕氏の「戦後相撲十年史」
に拠って…、後者は『大相撲』創刊2号の秋場所
特輯記事に拠って、いずれも「上手出投げ」が
正確だと判明した。
著者進呈の『…なんでも七傑事典』に拠れば、
一時期を除いて、「上手出投げ」の方が「下手…」
よりもずっと多く発生している。