中小企業のための「社員が辞めない」会社作り

社員99人以下の会社の人材育成に役立つ情報を発信しています。

AppleとSONY、それぞれの神

2014年09月28日 | コンサルティング

先日、新聞で「ソニー初の無配、最終赤字2,300億円 1,000人削減へ」という記事を目にしました。無配とは株主に配当しないことです。前期までは配当があったのに、今期は無配になってしまうことを「無配転落」と言います。赤字額の大きさといい、削減人数の多さといい、まさに「転落」というイメージです。

さて、1999年、カリフォルニア州Cupertinoで行われたApple Special Event の冒頭で、スティーブ・ジョブズ氏はRemembering Akio Morita(その年の10月に亡くなったソニーの創業者の盛田昭夫を偲んで)という話をしました。ジョブズ氏は「私に、そしてアップルの仲間たちに偉大なインスピレーションを与えてくれた」、「ソニーは素晴らしい製品をたくさん生み出し、コンシューマ・エレクトロニクス・マーケット全体を創った」と盛田氏を讃えました。

その後、ソニーはコンシューマ・エレクトロニクス・マーケットの王座から滑り落ち、今やAppleがそこに座っています。

ソニーの凋落(しゅうらく)に対しては多くの専門家が様々な意見を述べています。大企業病、幹部の官僚化、社員の保守化、大量生産へのこだわり・・・。どれも間違ってはいないと思います。まして私が言えることなど何もありません。

よく引き合いに出される言葉に「成功神話の崩壊」というのがあります。ソニーは大成功したがゆえに、その成功パターンが神話(絶対的に正しい物語)と化してしまった。神話にしがみついたソニーは、神話とともに崩壊していった。というものです。

盛田昭夫氏はかつて次のように語っています。

「私たちが会社を始めたとき、うちの会社をどうしてやっていくべきか、教えてくれた人は全然いなかった。私たち一人一人が毎日毎日、我々の会社をどうやっていくか、必死になって考えてきた。いまも私たちに、この会社の今後はこうあるべきだ、こういうものを作りなさいと教えてくれる人は誰もいない。」

Appleとソニーは魅力ある製品を作り出すという点で似ています。とはいえ、Appleはジョブス氏という「一神教」の会社なのかもしれません。ジョブズ氏が「こういうものを作りなさいと!」という神託のもとに発展した会社のように見えます。

一方、ソニーの「神様」であった盛田氏は「こういうものを作りなさいと教えてくれる人は誰もいない」と言い切っています。神様自身が「神はいない」と言っているようなものです。

「誰も教えてくれない」ことを全社員が本当に理解するところからソニーの再生が始まるような気がします。

(人材育成社)

https://www.youtube.com/watch?v=ngW5qCBRwxk


気にしない、気にしない

2014年09月24日 | コンサルティング

研修中に「何か質問はありますか?」と聞いても、「・・・」という答えしか返ってこないのに、「それでは、ここから10分間休憩にします」と休憩をとった途端、「あのー、質問よろしいですか?」と言ってくる受講者がいらっしゃいます。

そういう時には、内心「たった今質問はありますか?と尋ねたのに・・・」と思いますし、「ここに疑問に思った人が一人いるということは、他にも同じように思っている人がいる可能性が高く、それは全体で共有した方が良いから、個別の質問でない方がよいのに・・」とも思います。

質問をしたいと思っていても、大勢の前では気後れしてしまうのか、このように休憩時間や研修終了後に質問を受けることが多々あります。そして、その傾向は受講人数が多い時ほど顕著だと感じています。

もちろん、大勢の前で質問することを「恥ずかしい」と感じることや、「こんなことを聞いて周りの人に笑われないかな」と心配する気持ちは理解できますし、私自身もそのような気持ちがないわけではありません。

しかし、ここ最近はこの傾向が強くなったように感じます。では、この現象はどうしておきるのでしょうか?

それを考える時に浮かんでくる言葉が、「自意識」です。

自意識とは、自分自身についての意識で、「自分自身がどうであるか、どう思われているか」についての意識です。こうした自意識は、自分を客観的に見る上でとても大切なものだとは思いますが、この意識が強くなり過ぎてしまった状態、つまり自意識過剰になると、先の例のようになってしまい、言いたいことが言えなくなったり、行動をセーブしてしまい窮屈になってしまいかねません。

こうした自意識とはどうして起きるのだろう?と改めて考えると、他者との相対であり、他者からの承認欲求の裏返しなのだと思います。

自分は他者からどのように評価されているのか、他者と比べて自分はどうなのかが気になるのですが、これが過剰になると周囲の目や周囲の評価ばかりが気になってしまって、がんじがらめになってしまいます。

人は誰しも何らかの集団や組織の中で生きている以上、周囲との関係や周囲の目を気にすること自体を否定するものではないのですが、大切なのは他人からの評価や他人との相対評価にとらわれるのではなく、自己尊重や自己信頼感を重視することだと思うのです。

そのためには、そうした技術や能力を習得することによって、他を気にすることなく自らを律していくことが必要なのですが、これはなかなか簡単ではなさそうです。

そう考えると、まずは手始めに他人のことを「あまり気にしない」ことから始めてみるといいのではないでしょうか。

「でも、それがなかなか難しいんだよ」という方は、先日このブログでご紹介したNHK Eテレでウィークデーの朝6時55分から放送されている 0655という番組をご覧になってみてください。

今週から番組の中で「気にしないの助 音頭」という曲が流れており、その「気にしない~、気にしない~」というゆるいフレーズがここ数日、すっかり私の口癖になってしまいました。

他人のことが気になりそうな時は、こっそりこのフレーズを口ずさんでみてはいかがでしょうか。

(人材育成社)


影響力

2014年09月21日 | コンサルティング

「楽譜を写していた姿がとても印象に残ってる」「音楽のテストの時に琴を奏でた姿から影響を受けて・・・」「いつも歌を口ずさんでいたよね」

これらは、昨夜行われた私の高校時代のクラス会で交わされた会話です。

高校を卒業して早30年もの月日が経過しての再会。お互い体型の変化は否めないものの、顔はあの10代の頃とほぼ同じ?で、あらかじめ準備をしていた名札を付けるには及びませんでした。

会のはじめに、卒業後の約30年という長い時間の中で、それぞれどのような人生を歩んできたのか自己紹介をしたのですが、あらためて人のキャリアにはいろいろな形があって、それは他の誰も真似のできないオリジナルものであり、そこには優劣はないと感じたのでした。

そういう時間の中で私が最も強く感じたのは、当時のそれぞれの姿が少なからず今の状況に影響を及ぼしているということです。

冒頭の会話は、当時ブラスバンド部に入っていた友だちが暇さえあれば楽譜を写していた(当時コピーは高価だった)姿がとても印象に残っていて、やがて自分の子どもに楽器を習わせることになり、今ではオーケストラに入っている。

また、音楽のテストの時に友だちが琴を奏でた姿をとても素敵だと感じていて、自分も大人になってから琴を習い始めた。さらに、傍らでいつも歌を口ずさんでいた友人にいつの間にか影響を受けていたようで、自分も15年前に合唱団に入り、今では全国大会にまで出るほどの実力になった、などなどです。

当時は自分が影響を与えている、もしくは影響を受けているとは双方とも認識していなかったのに、それが後々にはっきりとした形となって顕在化する。本人が「やりたい」「やってみたい」ことが、実はあの時の影響によるものであったことに、何年もたってから気が付くことがあるのだということです。

「影響力」というものはすぐに及ぶことばかりでなく、このように何十年もたってからでも力を発揮することもあるということでしょう。

話は変わりますが、組織においては、リーダーはつい即効性のある影響力を部下に及ぼしたいと考えがちです。しかし必ずしもすぐに発揮されるものばかりではなく、部下が将来管理職になってから「あの時の指導がとても良かったから、自分も部下に同じような指導をしよう」とロールモデルにすることもあるのですから、焦ってはいけないということです。

ところで、紹介した事例は音楽に関するものばかりなのですが、それは私たちのクラスが音楽クラス(音楽、美術、書道の中から選択)だったからなのです。

残念ながら音楽的なセンスがほとんどなかった私は、音楽についての影響は受けることも与えることもできなかったわけですが、それ以外ではどういう影響があったのか、なかったのか・・・友人との会話の中で確認できて、おかしいやら、恥ずかしいやらのひと時でした。

さて、こらから先の私たちはそれぞれどんなキャリアを築くのでしょうか。「神のみぞ知る」ですね。

(人材育成社)


今日の選択は私をどこへ連れて行く?

2014年09月17日 | コンサルティング

「今日のお昼は焼き魚定食にするか、フライ定食にするか・・・う~ん、どっちにしようかな?」 ランチメニューを前にして、しばし悩む時があります。

些細なことかもしれませんが、二つのメニューからどちらかを選ぶこと、これもまさに「選択」なのです。

最終的に、どちらか一方を選択することになるのですが、仮に焼き魚定食を選んだとして夕方の早い時間にお腹が空くと、「やっぱり、腹持ちのするフライにすればよかったかな」と、ちょっとだけ後悔することもあります。

思えば、このように私たちは毎日実にたくさんの選択をしています。先の例のように小さい事柄であれば、どちらを選択したとしても結果にはそれほど大きな差はないでしょうが、これが人生の選択となると、事が事だけに大いに迷うことになります。

例えば、進学、就職、結婚などの人生の大きな節目における選択は、実に悩ましいものです。明らかにどちらか一方に軍配が上げられるのであれば迷う余地はないでしょうが、普通はどちらの選択肢にも一長一短があるわけで、天秤にかけても簡単には判断がつかないことは多々あります。

しかし、いつまでも悩んでいるわけにもいかないので、最終的には良かれと思う一方を選択するわけです。

私たちの人生とは、日々こうした選択の連続であり、その選択の結果がこれまでの人生そのものだとも言えると思います。

悩んだ挙句選んだ道が、必ずしも良い結果をもたらすとは限りませんが、自分で選んだ結果ですから、これは他の誰でもない自分の責任です。

本当に人生とは選択の連続だとあらためて思います。

これまでに幾度となくそういうことを考えてきましたが、最近朝よく耳にする曲がまさにこの点を表現しているのです。

「どっちにしよう今日の朝ごはん(ごはん/パン)

どっちにしよう今日の洋服(ふだん着/ちょっとおしゃれ着)

どっちにしよう今日のお供は(カフカ/太宰)

今日はどっちの道から行こう(左/右)

今日の選択は私をどこへ連れて行く?

今日の選択は私をどこへ連れて行く?

もしもあの時あっちにしたら

今頃どうなっていたんだろう?

今日の選択は私をどこへ連れて行く?

今日の選択は私をどこへ連れて行く?」

これは、NHK Eテレで月曜日から金曜日の朝6時55分から7時まで放送している0655という番組の中で流れている9月の新曲「今日の選択」で、歌はHARCOさん、出演はピースの又吉さんです。

朝から晩まで選択を重ねて一日は成り立ち、その一日の連続が人生だということをあらためて認識させてくれる曲です。まだご覧になっていない方は、ぜひ一度いかかですか。

さて、今夜の私は昭和の香りが残る洋食屋で夕食をとりました。そこで私は、ビーフシチューかチーズハンバークかどちらを食べようか?と、また小さな選択をしました。

しばし迷った結果、私はチーズハンバーグを選んだのですが、はたして運ばれてきたチーズハンバーグはあつあつでとろけるような味でした。今夜の私の選択は当たったようです。

いつもいつも、このように満足できる選択ばかりではないですが、どちらに転んでもその結果に責任をとれる自分でありたい、そんなことをハンバーグをほおばりながら考えたのでした。

(人材育成社)


東洋哲学と経営者の言葉

2014年09月14日 | コンサルティング

「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち 」飲茶 (著)、 板垣恵介(イラスト)、2012年、SUN MAGAZINE MOOKを、表紙に惹かれて読んでみました。大変面白い本なのでお勧めです。特に「まえがき」は一読の価値があります。

「まえがき」では、いきなり西洋哲学と東洋哲学の違いについて触れています。著者によれば、西洋哲学と東洋哲学は真理に対するアプローチが真逆だというのです。

西洋哲学は、論理(ロジック)を積み重ねることで「一歩一歩階段を登るように」神の真理に近づいていきます。一方、東洋哲学では神の真理は最初から分かっていて、それを人間の言葉に落とし込むときの解釈の違いがあるだけだというのです。

それを私なりに(勝手に)表現をするなら、西洋哲学は「下から」アプローチ、東洋哲学は「上から」アプローチということになります。そういえば、西洋の哲学者たちは皆が悩めるおじさんのような表情をしているし、東洋の哲学者たちは誰もが悟りきったおじいさんのような表情しているように見えます。

私たちが仕事をするときの「ビジネス・ルール」は西洋で生まれたものです。したがって、ビジネスの骨格には西洋哲学があります。私は、欧米の会社の人たちと仕事をすると、自分の考えがあいまいだったり論理的でなかったりすることに気付かされることがあります。

一方、これは私の思い込みかもしれませんが、日本の優良企業の経営者の発する言葉の多くは「東洋哲学的」だと思います「上から目線」とは、人を見下すことを意味していますが、優秀な経営者の発言や態度の多くは人を見下すものではありません。

優れた言葉に触れた時に「なにを偉そうに!」とか「上から目線で・・・」と思ってしまうのは、受け取る側の心が狭いからです。相手が「偉そう」なのではなく、聞く方が「幼稚」なだけなのです。

今までに一流の経営者の書いた本をたくさん読んできましたが、東洋哲学のアプローチを軸にしてもう一度読み返してみる価値がありそうです。

(人材育成社)

 

 


第一印象だけでは決められない

2014年09月10日 | コンサルティング

「○○さん、この点についてはどのように考えますか?」

「・・・・・」

研修の時に、受講者に考えや感想を尋ねる場面が多々あります。そのような時に、間髪入れずに理路整然と自分の考えや感想を言う受講者がいる一方で、瞬時には答えない受講者もいます。

しばらく待っても発言が出てこない時には、「考えがまとまっていないのかな、もしくは大勢の前で発言するのが嫌なのかな」と思って、内心、「話したいと思うことがないようであればいいですよ」と別の人を指名しようかなと考え始める頃になって、ようやくゆっくり話し始める受講者もいます。

そうして、とても丁寧な感想やしっかり考えた発言を聴くことができると、「さきほどの沈黙は考えをまとめていたんだな、急かしたり別の人を指名したりしなくて良かった」と心から思うのです。

このことを自分自身に置きかえてみると、常日頃考えている内容についての質問であれば即答できますが、そうでなければ、しばしの間沈黙し、考えを整理してから答えることはよくあります。

自分が質問などをした際、即答することが必ずしも良いことではないと分かっていても、つい答えを急かしてしまうことは誰にでもあると思います。

瞬時に発言するのがいいのか、ゆっくり考えてから発言するのがいいのか、時と場合によって変わるものだと思いますが、では採用試験の場合はどうなるのでしょうか。

採用側からすると、大勢の志願者から限られた人数を選考していく過程で、例えば個人面接や集団面接の中では、早く返答することが尊ばれるということは結構多いのではないでしょうか。

限定された時間の中で良い人材を、と考えるあまり、早く簡潔に答える人の方が第一印象が良くなることは否めないところだろうと思います。

しかし、そうなると熟考型の人にとっては不利になります。

先の例の受講者のように、質問に答えるまでに時間がかかると、採用側からすると「答えられないんだな」と判断されてしまうかもしれません。限られた時間の中では、それはそれで致し方がない部分もあるとは思いますが、一方では結果として大切なものを見落としてしまうことになっていないかとも思います。

かつて、私が就職試験に臨んだ頃は、大学に求人が来ているところにのみ採用試験に応募していたのに比べ、現在の方式では誰でもエントリーをすることができますから、大手の有名企業であればあるほど大勢の志願者が集まることになります。

そういう状況では、採用にスピードが求められるのはわかりますが、もしかしたら、じっくり考えて大きな成果を生み出す可能性を持った金の卵を逃しているのかもしれないと考えると、何となく腑に落ちないと感じるのも事実です。特に「人」に関しては第一印象だけでは決められないとあらためて感じています。

(人材育成社)


知的財産権:特許は1人じゃ生きていけない

2014年09月07日 | コンサルティング

前回に続き特許をめぐる話題を取り上げます。特許の帰属がすべて企業になってしまうと、発明者である会社員のモチベーションは下がるとします。ならば、その逆を考えてみましょう。

会社員が業務として開発した発明を「すべて会社員の権利にする」とします。この場合、発明に使われた労働時間と設備機材、消耗品、電気・ガス・水道代、さらに出願に関わる費用も会社が全額負担することは合理的でしょうか(会計上、給与扱いになるかもしれません)。もしかすると、上記のような費用一切合財を、会社が社員個人に請求するかもしれません。

「いや、業務で行った発明だから会社が負担するべきでしょう!」という意見もあると思います。しかし、会社が社員個人の(知的)財産の取得にかかる費用を全額無償で提供することはあり得ません(株主が許さないでしょう)。「では、半々で」とか「お互い話し合ってパーセンテージを決めればよい」ということになります。

その際、まったく活用されずに権利期間が過ぎてしまった特許はどうなるのでしょう。会社員は、特許取得にかかった費用のいくらかを負担したあげく、特許による収入が全く得られないことになります。

どれほど革新的な特許であっても、ユーザーのニーズを満たさないものは活用されずにその寿命(20年)を終えることになります。知的財産基本法にもあるように、「産業上の利用可能性があるもの」が価値のある特許です。

さらに肝心なことは「特許は、一人ではいきていけない」 ということです。

特許は企業にとって知的財産権のひとつです。知的財産とは「発明、考案、意匠、著作物など、創造的活動により生み出されるもの、商標、商号その他事業活動に用いられる商品、営業秘密他、事業活動に有用な技術上又は営業上の情報(一部省略)」です。

たとえばスマートフォンひとつをとっても、いくつかの知的財産から成り立っているのが分かります。

特許庁ホームページ※「知的財産権制度の概要」”産業財産権”より


 こうした製品は、発明によって生み出された新しい技術が中核になっていることは間違いありません。しかし、「商品」としてユーザーが選択する際に、商標や意匠が決定的な役割を果たすことも少なくありません。

たとえば、デザイナーは意匠という価値を生み出しています。スマートフォンの例に限らず、様々な知的財産が周囲をがっちり固める、いわば「知財チーム」があってはじめて特許が生きてきます。

また、発明を形にする製造部門、製品のイメージを作り出すマーケティング部門、それを売る営業部門など、多くの人の手を経て「商品」となってユーザのもとに届きます。特許によって生み出された「発明」がユーザの「価値」になるまでの道のりは、このようにとても長いのです。

今回の「職務発明の帰属」をめぐる新聞報道は、私にとってあらためて「会社というチーム」の存在をじっくり考えさせてくれる機会となりました。

※ http://www.jpo.go.jp/seido/s_gaiyou/chizai02.htm

(人材育成社)

 

 

 

 

 


特許をめぐる話題:「職務発明」の帰属は企業に

2014年09月03日 | コンサルティング

新聞によると、政府は会社員が業務として開発した「職務発明」の特許を企業が持つように法改正する検討に入ったそうです。

特許については、ほとんどの人は「なんとなく」知っている程度だと思います。一方、大手のメーカに勤務している技術者の中には「ちょっと面倒くさい書類」を思い浮かべる人もいることでしょう。

実際に、理工系の大学からメーカに入るとすぐに特許明細書の書き方を仕込まれます。明細書とは特許の内容を説明する書類です。ルールが厳密で、曖昧さが許されない、結構手間のかかる書類です。

もう30年も前になりますが、私の友人の家電メーカの技術者が「上司がいつも特許を書け、書けって、うるさくてさ。先日も特許合宿とかで2泊3日、研修所に閉じ込められていたよ。」と愚痴っていたのを思い出します。

さて、「特許の帰属が企業に」という今回の話題は、一見技術者のモチベーションを下げてしまうように思えるかもしれません。もちろん、多少はそういう部分もあるでしょう。

しかし、企業に勤める技術者が「仕事の一環で」特許を書いているという当たり前の事実を忘れてはなりません。

給料をもらって、会社の高価な設備を使い、仕事として特許を生み出しているのです。しかも、特許申請にかかる費用は国内だけで1件数十万円、海外特許ともなれば百万円以上かかります。来年から「特許異議の申立て制度」が復活しますし、自社特許が侵害された時、相手を訴えても「無効の抗弁」で返り討ちにされてしまうかもしれません。

企業としては、かなりのコストとリスクを負担していることがお分かり頂けると思います。その部分を法改正によってはっきりさせておこう、というのが今回の狙いなのではないでしょうか。

さらに、多くの会社には特許に対して報奨金制度もあります。従って、ほとんどの技術者にとっては、今回の法改正は何の変化ももたらさないでしょう。

最後に、大きな変化が起こる可能性についてひと言。

「青色発光ダイオード」や「人工甘味料アスパルテームの製造法」など、桁違いの利益を生み出す可能性を秘めた特許を書く自信のある人にとっては、まさに絶好のチャンス到来です。

法改正によって不満を感じる技術者たちに目をつけて、報奨金をうんとはずんでくれる会社が間違いなく現れるでしょう。特許1つで数億円を手にするチャンスが、今よりもずっと増えてくると思います。

自信と度胸のある技術者の方は、挑戦してみてはいかがでしょうか。

 ※ 図はキルビー特許に示された「半導体チップ」

(人材育成社)