人材育成社のブログ

 人粒を実らす人材育成の日々
(一粒=ひとつぶ)

社内コミュニケーションは活性化できない

2014年08月31日 | コンサルティング

あなたの会社では社内のコミュニケーションは十分取れているでしょうか。

少し古いデータになりますが、「企業内コミュニケーションの実態に関する調査(NTTレゾナント、三菱総合研究所:2006年10月)」によれば、社内コミュニケーションは十分取れているかという質問に対して、「どちらともいえない」27.5%、「取れていない」26.6%という結果が出ています。

この調査では、コミュニケーション不足を感じているのは、「経営層と一般社員とのコミュニケーション」63.8%、「部署を超えた社員同士のコミュニケーション」65.3%、となっています。社内の「縦・横」との意思疎通が上手くできていないようです。

しかし、考えてみればこれは至極当然のことです。

なぜなら、「経営層と一般社員」あるいは「部署を超えた社員同士」は、日常的に異なる言葉を使って仕事をしているからです。

エクリチュール(écriture)という概念があります。「書かれたもの」とか「書かれた言語」という意味ですが、哲学者のロラン・バルトは「自然と決められた語り口や語法」といった意味で使っています。

エクリチュールについては「街場の文体論」(内田樹・著、 ミシマ社、2012年)にわかりやすい(独自の?)解説がありますので、以下に引用いたします。

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(エクリチュール)は「社会的に規定された言葉の使い方」である。
ある社会的立場にある人間は、それに相応しい言葉の使い方をしなければならない。
発声法も語彙もイントネーションもピッチも音量も制式化される。
さらに言語運用に準じて、表情、感情表現、服装、髪型、身のこなし、生活習慣、さらには政治イデオロギー、信教、死生観、宇宙観にいたるまでが影響される。
中学生2年生が「やんきいのエクリチュール」を選択した場合、彼は語彙や発声法のみならず、表情も、服装も、社会観もそっくり「パッケージ」で「やんきい」的に入れ替えることを求められる。
「やんきい」だけれど、日曜日には教会に通っているとか、「やんきい」だけれど、マルクス主義者であるとか、「やんきい」だけれど白川静を愛読しているとかいうことはない。
そのような選択は個人の恣意によって決することはできないからである。
エクリチュールと生き方は「セット」になっているからである。
バルトが言うように、私たちは「どのエクリチュールを選択するか」という最初の選択においては自由である。けれども、一度エクリチュールを選択したら、もう自由はない。
私たちは「自分が選択したエクリチュール」の虜囚となるのである。
つまり、私たちの自由に委ねられているのは「どの監獄に入るか」の選択だけなのである。

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私は哲学者でも評論家でもないので、エクリチュールとはなにかを十分理解しているわけではありませんが、社内」には立場や仕事によってエクリチュールのようなものがあると思います。

もちろん本当の意味のエクリチュールは、社会階層と表裏一体になっているものですから、「社会」を「社内」に置き換えることはその概念の矮小化に他なりません。

それでも、「経営層と一般社員」や「部署を超えた社員同士」はエクリチュールが異なっていると考えた方が合理的であるような気がします。

異なるエクリチュールを選択した(させられた)ことは、小さいながらも特定の発声法、語彙、イントネーション、ピッチなどを受け入れることになります。平社員であれば、たとえ社長より年上であっても、社長と同じような発声法、語彙、イントネーションで話すことはないでしょう。

会社という運命共同体に同居しているにもかかわらず、社内の「縦・横」のコミュニケーションが上手く行かないのは、エクリチュールが異なっているからです。

そう考えると、「社内コミュニケーションが取れていない」のは当たり前なのです。ですから、そのことを前提に仕事を進めればよいのです。

極端に言ってしまえば、会社の上層部や他部署を「よそ者」として認識し、多少面倒でも、こちらの意思を伝えるためにはどういう話し方や言葉を使えば良いのかをきちんと考え、実行することです。

「よそ者だなんて、そんな考え方をしたら会社がバラバラになってしまう!」と思われた方もいらっしゃるでしょう。

だからこそ、経営理念や社是といった「大きくて丈夫な容器」が必要なのです。

(人材育成社)

 

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謝罪の気持ちをどう伝えるか

2014年08月27日 | コンサルティング

「謝れよ」「そっちこそ謝れよ」

時々、電車の中で双方がヒートアップした言い争いを見かけることがあります。事の発端は一方の体が触れたとか、触れていないなど些細なことだったはずなのに、丁々発止となり、挙句の果てに手を上げる事態にまで発展してしまうこともあります。

謝らなかった方が悪いのか、もしくは必要以上に反応してしまう方が悪いのか、一部始終を見ているわけではないのでよくわかりませんが、見ていて決して気持ちの良いものではなく、正直「やれやれ」と思います。

先日このような場面に遭遇した私の友人は、いつまでたってもやりとりが終わらないので、思い余って「やめてください」と声を発したと言っていました。

ところで、今朝のNHKの「あさイチ」では「謝罪」を取り上げていました。興味のあるテーマでしたので、録画予約をしてから出勤し先ほど帰宅してから内容を見たのですが、それによると現代では謝罪の気持ちはあっても伝え方がわからないという人が増えているそうで、何と謝れない人に代わって謝る、謝罪の代行ビジネスでまであるのだそうです。 

個人的には当人ではなく代理人に謝罪をされても、まず謝罪の気持ちが伝わらないのではないかと思いますが、ビジネスとして成立しているわけですから、それなりに需要があるということなのでしょう。

番組では謝罪のハウツー、例えば謝罪時に持参する菓子折りの金額は平均(5千円から1万円程度)より少し上にするとよいなどの方法も、いくつか紹介されていました。

そうした中で最も興味深かったのは、謝罪を受け入れてもらうためには、相手の姿勢が前のめりになっている時よりも、仰向けの時の方がよいというものです。

その理由は、仰向けの方がリラックスしているので攻撃性が弱まり、脳が謝罪を受け入れやすいということなのだそうです。相手の姿勢によって謝罪の受け入れ具合が異なるというのは、これまでの経験でも何となくわかるような気がします。

他には、あまりに「すみません」を連発すると、謝罪というよりはむしろ馬鹿にされているような気持ちがするという視聴者からの体験談も紹介されていました。

これらの話を見聞きして、謝罪する場合は結局のところ、相手の不快感や怒りの気持ちをきちんと理解していますというメッセージを伝え、心から「申し訳ない」と思っていることを素直に伝えるしかないのだと、当たり前のようではありますが、あらためて感じました。

ところで、冒頭で紹介した電車の中で言い争いを続けている人たちに「やめてください」と言った友人の話は、その一言が効いたのか言い争いはそこで終り、一方が下車する時に友人に「すみませんでした」と謝罪をしていったそうです。

多分、友人の上から目線ではない落ち着いた言い方で発した「やめてください」が彼らの心に届いたのだと思います。

謝罪はやはりテクニックではなく、気持ちなのだと思います。

(人材育成社)

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文章の雑味

2014年08月24日 | コンサルティング

仕事柄、文章を書く機会が多いので、いろいろな本やテキストの文章が気になって仕方がないことがあります。当たり前かもしれませんが、一番気になるのはやはり自分が書いた文章です。

私たちが行うセミナーや研修では、ほとんどの場合、私たち自身が作成したテキストを使います。テキストは、誤字・脱字がないかを徹底的にチェックします。それでも、セミナーで話している最中に間違いを発見することがあります。私が文章を書くときに使っているWordには、「スペルチェックと文章校正」という機能がありますが、残念ながら実用レベルにはほど遠いといったところです。

誤字・脱字は、時間をかけて丁寧に読み込めば、完璧とは言えないまでも、かなり排除することはできます。やっかいなのは文体、あるいは文章の個性です。

人の話し方には、早口/ゆっくり、あっさり/くどい、長い/短い、など個性がはっきりと表れます。それに比べて文章では、そこまで個性が表れることはありません。特にビジネス文書においては、あからさまに個性を出すことはむしろ避けるべきことです。

仕事で文章を書くときは、頭の中に流れて行くまとまりのない思考をいったんせき止めて、余計なものを取り除き、文字に置き換え、コンパクトに(1文50字以内に)詰め込んだものを作ります。そうすることで「わかりやすく、正確に伝える」という使命を果たすことができます。

しかし、ときどきこのやり方が少し堅苦しいと感じることがあります。テンプレートとまでは言いませんが、言いたいことを型に押し込めながら書いているような気持ちになります。まあ、実際そのとおりなのですが。

正直に言うと、私は自分が書く文章に関しては、だらだらとしたあいまいなものの方が好きです。考えていることや思っていることを、あまり手を加えずに書き出してみると、ほとんど切れ目のない、まとまっていない思考や感情の流れが文字になって出てきます。それが文章の味(というより雑味)を生み出します。文章を読んだときに感じる個性とはそうした雑味なのでしょう。
 
辞書によれば、雑味とは「飲食物のなかに入りまじって、本来の味を損なう味」だそうです。確かに、仕事で使う文書にとって個性とは「本来の味を損なう」ものでしょう。

このブログは会社の名前で書いているので、ビジネス文書の一種ではありますが、自由で私的な発信というブログ本来の趣旨に沿って、なるべく雑味を混入させながら書くことを意識しています。

このブログの、2人の書き手それぞれの個性が少しでも出ていれば、ビジネス文書としては不合格でも、ブログとしては上手く行っているのではないかと思っています。

(人材育成社)

 

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天然氷のかき氷

2014年08月20日 | コンサルティング

ここ数日、表現する言葉が見つからないくらいの猛暑が続いていますね。既に8月も下旬なのですが、厳しい残暑の日々に閉口しています。皆さんは夏バテなどしていませんか?

この季節、冷たいアイスクリームは欠かすことができないものの一つだと思いますが、皆さんはこの夏いくつくらい召し上がりましたか?

ここ数年猛暑の夏が続いているからか、日本アイスクリーム協会によるとアイスクリームの売り上げは右肩上がりで、2013年のアイスクリーム類及び氷菓販売金額は過去最高の4330億円だったそうです。はたして、今夏の売り上げがこれを上回るかどうかが楽しみなところです。

ところで、このアイスクリーム、日本における発祥の地は横浜の馬車道で、1869年(明治2年)に町田房造という方が馬車道にお店を出してあいすくりんを販売したのが最初です。ちなみに、日本で初めて氷水をはじめたのもこの店だそうです。

さて、私は先日涼を求めて日光に行ってきたのですが、なぜ日光かというと天然氷のかき氷を食べることができるお店があるからなのです。このお店では冬場に作った天然の氷を氷室(ひむろ)に貯蔵し、夏を待ってかき氷にしています。氷室は昭和初期には全国に100軒ほどあったそうですが、現在残るのは5軒で、そのうち3軒が日光市にあるそうです。

今回、タイミングよくそのうちの1軒で食べることができたのですが、これが想像以上においしかったです。

ここのかき氷の特徴ですが、日光の湧水で手間暇かけて作られた天然氷を使っているため、普通の氷より固くて溶けにくく、しかし削ってかき氷にするとふわりと溶ける食感で、何とも言えず舌触りがよかったです。

このふわりとした食感の秘密は、冷蔵庫で急速に作られる氷と違い時間をかけて少しずつ凍る天然氷ならではのものだそうで、やはり簡単に作れるものではないのだと思いました。

の意味で、氷の製造も人の育成と同様に育てるには手間暇をかける必要がある、簡単には良い氷を作ることは出来ないということで、氷のおいしさと人材育成には共通点があるといえるのではないでしょうか。

ところで、この「かき氷」、わが国ではいつ頃から食べられていたかご存じですか?

実は、その歴史は古く平安時代にさかのぼり、清少納言の「枕草子」の「あてなるもの(上品なもの、よいもの)」の段に「かき氷」が登場します。

冷凍庫で簡単に氷が作れる現代と違い、平安の世には氷はとても貴重なものだったでしょうから、平安貴族の夏の贅沢な楽しみだったのでしょうね。

さて、日光で食べた氷の味が忘れられず、私は本日も仕事帰りにかき氷をいただきました。

天然の氷ではなかったのですが、それでも一瞬暑さを忘れることができました。

ところでこの暑さ、はたしてあとどれくらい続くのでしょうか?明日も今日と同じくらいの暑さになるようですから、皆さんもかき氷を食べてひと時の涼を味わってはいかがでしょうか。

(人材育成社)

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オルセー美術館展の印象派

2014年08月17日 | コンサルティング

国立新美術館(東京・六本木)で「オルセー美術館展 印象派の誕生 ―描くことの自由―」が開催されています。印象派の画家といえば、モネ、ドガ、ルノワール、セザンヌなど日本でもかなり人気のある名前がすぐに思い浮かびます。

印象派は19世紀後半のフランスで生まれました。色をあまり混ぜない明るい画面、大胆な構図、粗い筆使いなど当時の絵画の常識からかなり外れていた為か、画壇からは相手にされていなかったようです。

印象派という呼び名も、モネの「印象、日の出」を見た新聞記者が揶揄すなわち、からかうためにつけた名前です。

日本人は、世界の中でも特に印象派絵画が好きな国民と言われています。以前、イギリスの工芸作家に好きな画家は誰かを聞いてみたところ、10人ほど名前の挙がった中に一人も印象派はいませんでした。彼によれば「イギリスでは、印象派は特にファンが多いというわけでもない」とのことでした。それに比べると私たち日本人は、西洋絵画=印象派と言って良いくらい好きな人が多いと思います。

ところで、「印象」という言葉からあいまいな、感覚的なイメージを受けるかもしれません。しかし、印象派は光と色彩の関係をきわめて理論的に捉えていました。後期の印象派(あるいは新印象派)のスーラは、光の捉え方を理論化し、1つ1つの色を分割する点描法でそのことを証明しました。

さて、研修の場で若い人たちの発言を聞いていると「あいまいで、直感的」だという印象を受けることが多々あります。彼らなりの根拠があっての発言かもしれませんが、残念ながら絵画の印象派のようなしっかりとした理論があるようには思えません。

理論の裏付けのある「印象」というのは、とても凄いことなのだと「オルセー美術館展」を観て改めて感じました。

※画像は「印象、日の出」クロード・モネ(Wikipedia パブリックドメインより)

(人材育成社)

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That is his problem.

2014年08月13日 | コンサルティング

毎日、猛暑が続いていますね。こんなにも暑い日が続くと、ついイライラしてしまうことが多くなるという人もいると思います。

ところで、皆さんがイライラする時はどういう時が多いでしょうか?人によって答えはいろいろだと思います。例えば、来るはずの電車がなかなか来ないなどは日常的ですし、今の季節ならではのものとしては蚊に刺されて痒いなどがあげられるでしょうか。

しかし、イライラの原因で最も多いのは、やはり職場や家庭で起こる人間関係のちょっとした行き違いによるものではないでしょうか。

イライラしても、その気持ちを自分の中で消化できるのならば別段問題はないと思いますが、感情を爆発させて他者にその気持ちが向かってしまうと、人間関係に弊害が生じてしまいかねません。

言った方は気持ちを爆発させたことですっきりできるかもしれませんが、言われた方はたまったものではありません。自分に非があるならばそれを甘んじて受け入れもしますが、納得がいかないことで一方的に怒りをぶつけられたならば、それは耐え難いですし、あとあとしこりが残ります。

先日も電話応対を中心にした業務を行っている企業の担当者から、顧客からネガティブな感情をぶつけられたり、マイナスの発言をされることで、仕事が終わってもなかなか気持ちを切り変えることができず、自宅に帰ってからも沈んだ気持ちを引きずってしまう社員がいるという話を聞きました。あまりにもショックが大きいと、夢にまで出てきてうなされてしまうこともあるとのことでした。

理不尽なことで怒られた場合、相手がお客様でなければ言い返すこともできるのでしょうが、お客様であればそうはいきません。一方的に言われ続けることに耐えなければならず、何とも理不尽だと感じるケースが多いようです。

では、怒りとは一体何でしょうか?

あらためて辞書を引いてみると、「尊厳や権利が不当に侵害されたときなどに起きる感情」とされています。

怒りの感情そのものは否定されるものではないとは思いますが、その怒りの感情が他者にむけられると人間関係を壊すことにもなりかねませんから、注意が必要です。

さて、冒頭の「That is his problem」ですが、これは、先日140万部のベストセラーになった「置かれた場所で咲きなさい」の著者の渡辺和子さんが、あるテレビ番組の中でおっしゃっていた言葉です。

視聴者からの「他者からマイナスの行為や感情を受けた時に、どうすれば気持ちの切り替えができますか?」という質問に対して渡辺さんがおっしゃった言葉です。「自分ではコントロールすることができない他者のことはどうすることもできない」、「人は人として割り切ることしかできない」というような意味だと思います。

渡辺さんは、幼い時に二・二六事件で父親が目の前で撃たれるところを見る経験をしたり、36歳という異例の若さで岡山県のノートルダム清心女子大学の学長に就任され、その後うつ病になったりと数々の苦難を乗り越えられた方です。

そのような経験を経て、86歳の今もノートルダム清心学園の理事長としてご活躍の方の言葉ですから、重みのある言葉だと思います。

他人から理不尽な怒りをぶつけられた時、すぐには渡辺さんのように考えられないかもしれませんが、他者に翻弄されるのではなく、「That is his problem」といきたいものです。

 (人材育成社)

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「片付ければ仕事の効率は上がる」という都市伝説

2014年08月10日 | コンサルティング

ビジネスにおける「都市伝説」はいくつかありますが、その中でも比較的多くの支持(?)を集めているのが、「職場を片付ければ仕事の効率はアップする」というものです。「仕事 効率化 片付け」で検索すると30万件以上がヒットすることから、どうやら多くの人がこれを「真実」として受け入れているようです。

確かに、机の上が片付いていると少しの間仕事が順調に進みます。広々とした机に書類を広げて仕事をすれば、精神衛生上良い効果をもたらすでしょう。また、探し物が大幅に減ることで時間の無駄もなくなります。

しかし、しばらくするとまた元の混沌とした机に戻ってしまいます。よく「リバウンド」などと言いますが、実はそうではありません。仕事の現場においては、単なる「片付け」は船底に穴の開いたボートから洗面器で水をかき出すのと同じことです。

少し考えてみれば誰にでも分かることですが、仕事という目に見えないものが「実体」で、机の上の状態はその「影」に過ぎません。

仕事の効率を低下させている真の原因は「散らかった机」ではなく仕事の渋滞」です。

したがって、仕事の効率化を図る唯一の方法は、仕事の流れをスムーズにすることです。

家の中の片付けは、散らかす原因を作っている本人が直接行うことですから、上手く行くこともあるでしょう。しかし、ビジネスの現場においては、仕事というとても大きな実体がスムーズに動かない限り、単なる片付けは対症療法にしかなりません。「転んだときにばんそうこうをどうやって貼るのか」も無意味ではありませんが、転ばないようにするための対策をしっかりと立てることが先です。

書店には「簡単、楽々、魔法のような」片付け本がたくさんありますが、「結果」にばかり目が行ってしまい本当の「原因」である仕事の渋滞がまったく解消されないとすれば、そうした書籍は罪深いとさえ言えるのではないでしょうか。

また、似たような”ビジネス都市伝説”で「毎日毎日トイレ掃除を一所懸命やったら会社が儲かるようになった」という話も聞きます。もちろん、毎日掃除をするという前向きな習慣が仕事にもプラスの影響を与えたことは確かだと思いますが、仕事もせずに1日中トイレを磨いていたから業績が上向いたわけではないでしょう。

もっとも「トイレ清掃ビジネス」でも始めたのなら別ですが。

(人材育成社)

 

 

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句読点を打つ

2014年08月06日 | コンサルティング

このブログをはじめとして、ここ3年間ほど文章を書く機会が格段に増えています。昔から文章を書くことは難しいと感じていましたが、それは今でも変わっていません。

このブログも、毎週の更新の前には一所懸命内容を考え、頭の中できちんと整理をしてから書いているつもりなのですが、書き終わった後であらためて読み返してみると、自分で書いた文章ながら「一体何が言いたいの?」と自分で突っ込みを入れたくなる時もあります。

論文ほどにはきちんとした論理性を問われないにしても、なぜか明らかに論点がずれてしまっているような時もありますし、もっと初歩的なところで言うと句読点が適切に打てていない、一つの文節が長すぎるなどの問題があると感じることもあります。

ブログを読んでくださる方に、伝えたいことを正確に理解していただける文章を書けるようになるのは、一体いつのことになるのだろうかと思っていますが、これは今後も果てしなく続く課題だと考えています。

さて、話は変わりますが、先日あるテレビ番組で向田邦子さんのことを取り上げていました。向田邦子さんはテレビドラマ脚本家、エッセイスト、そして直木賞を受賞した小説家でしたが、1981年、51歳の時に旅行で訪れた台湾で飛行機事故で亡くなられています。

「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」など、数々の印象に残るドラマがヒットしましたが、ご記憶にある方は私と同年代の方でしょうか?

その向田さんの生き方は、とても句読点を大切にしたものだったそうです。句読点と言えば、小学生の時に習った記憶では音読をする時に、句読点では必ず息継ぎをすること、「、」は一拍、「。」は、二拍、段落は、三拍だったと覚えています。

向田さんは筆が進まなくなると旅行や遊びを取り入れて、つまり日常の生活の中でうまく句読点を打つことで息継ぎをして、英気を養っていたそうです。

仕事と遊びのバランスを上手にとって、向田さん流のワークライフバランスをとることで、数々の人気ドラマが生まれたのだと思います。

さて、来週はいよいよお盆ですね。お盆をはさんで夏季休暇という会社も多いと思いますが、皆さんのお休みは何日でしょうか?今年の夏季休暇の平均は4.4日とのことですが、企業規模や業種によっても大きく異なると思います。

わが人材育成社はたった2名の零細企業ですので、絶えず貧乏暇なし?状態で今年の夏季休暇はありません。ありがたいことに、お盆のピークである8月14、15日も研修の仕事をいただいています。

しかし、句読点がなければ文章が読みにくいのと同じように、バランスを考えるならば適切な休暇も必要でしょうから、少し涼しくなってから数日は休みをとりたいと考えています。しかし一方で会社を興してから4年目の今の私のワークライフバランスは、ワークに重きを置くことによって、調和が保てているとも感じます。さて、いつか私にもライフに重点を置くことで調和がとれる日が来るのか、来ないのか・・・私にもわかりません。

(人材育成社)

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高速道路の渋滞、その原因と対策

2014年08月03日 | コンサルティング

NEXCO、日本道路交通情報センターによると、今年のお盆の渋滞は8月13日から16日に渋滞が集中し、ピークは下り線が13日、上り線が16日と予測しています。

渋滞学でお馴染みの東京大学の西成教授※によれば、渋滞の原因には外的要因と内的要因があるそうです。外的要因とは料金所や合流点など「モノ」による原因を、内的要因とは十分に車間距離を取らないことなど「ヒト」よる原因を指します。

現在は、ETCの普及などにより外的要因は大幅に減っていますから、渋滞を起こす主な原因は運転の仕方(つまり人間)によるものです。

では、どのような運転を行えば渋滞は無くなるのでしょう。

車が好きでよくドライブを楽しむ友人は、「道路上の全部の車が、列車が連結されているみたいに同時に動いていれば渋滞しない」と言っていました。それを聞いたとき、さすがはエンジニア!(彼は工学部出身で大手建設会社の技術部門に勤務しています)と思ったものです。

しかし、西成教授によれば、それは「メタ安定型の渋滞」の原因になるそうです。メタ安定とは、一見安定しているように見えて、ちょっとしたきっかけでひどく不安定になる状態を言います。

首都高を運転したことのある方は、ご存知だと思いますが、あの狭くて曲がりくねった道路をものすごいスピードで車が走っています。しかも、ほとんど車間を取らずに!(ちょっとでも開けようものならすぐに割り込んできます)。

私は年に1、2回首都高を走りますが、非常に緊張します。まさに「連結された状態で飛ばしている」感覚にとらわれます。誰かがちょっとでも強くブレーキを踏んだら、あっという間に大渋滞が起こります。まさに「メタ安定」状態です。

さて、仕事が忙しい職場も、首都高と同じように多くの仕事が「車間を取らずに」走っているメタ安定状態であると言えます。

そんな時に、何か突発的な仕事が飛び込んで来たら、あっという間にメタ安定から不安定な状態へ転落し、仕事の大渋滞が発生します。

そうならないために、仕事と仕事の間には十分な「車間距離」を取っておきたいものです。

これをお読みの、全ての「上司」の皆さま、部下を首都高の車のように走らせてはいけません!仕事と仕事の間には十分休憩を入れて、ラジオ体操をしたり、コーヒーを飲んでちょっと息抜きをさせてあげてください。

え?「そんなことできるか!」ですって? やればできます。まずは率先垂範でお願いします。

(人材育成社)

※ 渋滞学について動画などで面白く解説してあります。

   マナーを学ぼう MUJICOLOGY!研究所 | 三井ダイレクト損保

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