Good News Ministry

聖書的観点から見た世界の社会的、政治的、文化的、地域的現実を捉え、祈り備える。

人々は、あなたによって祝福される

2012年09月01日 | 家の教会
1).あなたは神に問われています。

誰も健全な教えを聞こうとしない時が来ます。その時、人々は自分の都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方に反れて行くようになります。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。(Ⅱテモテ4:3-5)

 世の中は、弱肉強食の競争社会にヒューマニズムという偽善のオブラートで包まれています。その結果、人々は物事の軽重が判断できず、些細なことに必要以上の力を置き、本質的なことから目が離れてしまっています。目先にある現象ばかりに時間と労力をかけ過ぎ、真に大切なことをするためのエネルギーが残らないのです。

 自分の視線がこの世のことだけに固定され、周囲のごく狭い世界しか見ていないと、おのずと人の考えや言動は、自己中心になります。クリスチャンでさえ、キリストの証人になって誤解され、苦しんだりするよりも、自分の身を守ることを考えるようになるのです。しかし、人は自分の保身を考えている時、物事に対する判断を誤ります。

 多くの教会が、自分たちの信仰を守ることだけで手一杯で、時流に翻弄され、誤解を恐れ、キリストの証人として立つことをしていません。しかし、私たちは、時の権力や常識、流行や先入観等に囚われることなく、この世を動かしている闇の力を洞察し、時代の波に奔走されることなく、キリストの証人として生きることが要求されています。


2).あなたは聖霊の力を受けなさい。

神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、その時には、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では、天に不思議な業を、下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。(使徒2:17-21/ヨエル3:1-5)

 イスラエルの気候は、4月と10月の滝のようなどしゃ降りの雨季と、5月中旬から10月中旬の、ほとんど雨が降らない乾期の二つに分かれています。種蒔き時に土地を柔らかくし、発芽させるために降る雨を『前の雨』と言い、豊かに実を結ばせるために降る収穫の雨を、『後の雨』と言います。

 このイスラエルの気候に喩えられたヨエル書の預言は、今から2千年前に起きたペンテコステにおける聖霊降誕(前の雨)と、現代における最終的な世界リバイバル(後の雨)のことを指しています。今、私たちは、今迄限られた人物にしか与えられなかった霊の賜物が、求める者全てに与えられる時代に生きているのです。

 イエスが十字架に架けられた時、イエスを置いて逃げ去り、部屋に閉じ篭って震えていた弟子たちが、突如として180度違う人間へと変えられました。この劇的な変化は、彼らが聖霊の力を受けたからに他なりません。この体験を経なければ、私たちも教会の中に閉じ篭ったままのクリスチャンで終わってしまうのです。


3).あなたはキリストに会う準備をしなさい。

あなたは自分が抱いている確信を、神の御前で心の内に持っていなさい。自分の決心にやましさを感じない人は幸いです。(ローマ14:22)

 もし、あなたにとってイエス・キリストが、聖書の中だけの存在、自分の頭の中だけの存在、また、自分が死んだ後に会う存在であると考えているのなら、それは大きな誤解を犯しています。あなたにとってイエス・キリストは100%、しかも、それほど遠くない将来、必ず会うことになる存在なのです。

 初代教会と、現代の教会の力の差は何処にあるのでしょう? 初代教会の信徒たちにとって、イエスは死後に会う存在などではなく、またこの地上に来られ、再び自分たちの目の前に現れる存在でした。この燃えるような再臨への熱い思いが、初代教会の原動力だったのです。初代教会にとっての『終末』は、論議の対象などではなく、信仰生活の指針そのものでした。

 今、GNSメンバー一人一人に霊的覚醒が求められています。以上のことを総括し、今年GNSに与えられた御言葉は、創世記22章18節です。

地上、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。



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