県外のとある施工業者さんからメールが届く。
長らくこのブログを贔屓にしてくれている人である。
返信をしたあと、ふと、前回はいつごろだったっけと調べてみると、昨年の11月だった。
それぐらいの頻度でしかやり取りがないのだが、折に触れて私に刺激を与えてくれる人なのである。
じつは、完成検査プレゼンテーションについてしたためたそのメール、自分自身が書いたものにもかかわらず、久しぶりに聞いた意見のような気がして我ながら新鮮だったのだが、
そう感じるということは、我が社にとっての「完成検査プレゼンテーションという行為」が、マンネリ化しているということの裏返しに他ならない。
取り組んで5年が過ぎた未だに、発注者側の誰から頼まれることもなく、どころか時には(そんな余計なことをと)疎まれさえする行為を、敢えて私(たち)はつづけているのだ。
私自身に改めて言い聞かすと同時に、備忘録的な意味も込めて、抜粋のうえ加筆修正して紹介する。
○○さま
いつもお世話になっております。
礒部組宮内です。
完成検査プレゼンテーションをすることで何が得られるか。
「工事評定点アップのためにやる」などというのは愚の骨頂です。
(少なくとも当地では、逆効果の場合だってあり得る)
自分のやった現場を「伝える」。そのためには、自分自身の行為と向き合わなければなりません。
そしてそこから、言葉、写真、それらをつなぎ合わせたもの、あるいはそれらをどうやってつなぎ合わせることが相手に届くか、を考えて形にする作業を行います。
じつは見落とされがちですが(というかこんなこと言うやつ、ほとんどいない)、ここまでの作業が、完成検査プレゼンテーションにおいて重要なのです。
そしてそれを、自分の言葉で伝える。
「自分の言葉」で「伝える」からこそ、(重要な)前段が意味を持ちます。
なぜならそれは、「恥をかく」という行為だからです。
そんなものやってもやらなくても、現場の出来には何の関係もない(余計な)ことを、恥ずかしいけれど敢えてやる。
結果、「恥をかく」。
この繰り返しが、経験を自分の血肉としていくのです。
「伝えるチカラ」を磨くこと。
私はこれが、「今という時代」の土木技術者のスキルとして、もっとも重要な部分の一つだと考えています。
(後略)
どうだろう。
「私自身に言い聞かす」ということは、
当然のことながら、「君もアナタも」含めた「私と私の環境」としての「私自身に」である。