答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

えーっと

2024年04月02日 | ちょっと考えたこと

 「えーっと」もしくはその亜種としての「えーと」「えとー」。
 それが長いにせよ短いにせよ、何かの言葉を発するときの前置きとして、そう発語する人がいる。同様なものとして、「えー」や「あー」があるが、それらも含めると、むしろそう言わない人の方が少数派なのではないかとも思えるほど、それは多い。

 そして、いかにも日本人っぽいなという雰囲気を醸し出すそれらは、何も日本語特有のものではなくさまざまな人種、いろいろな言語で使われているらしい。たとえばそれが英語なら「um」とか「uh」とか。
 そういえばたしかにそうだ。よくよく思い起こしていると英語話者はよくそれらを間に挟むし、いかにも英語っぽくするには、むしろ「um」とか「uh」とかを入れた方がそれらしく聞こえたりする。

 それら会話やスピーチに頻繁に登場する無意味な言葉のことをフィラーと呼ぶ。といってもそれは、まったく意味のないものかというとそうでもなく、たとえば、次の言葉を選ぶ時間稼ぎのためや、また、話の途中で一時的に発言を止めてフィラーを挟むことでまだ話が継続するのだと暗示する意味もある。つまりそれは、使い方によっては、コミュニケーションの流れを維持するために有用なものでもある。

 だが、フィラー全般について言えばそうかもしれないが、「えー」や「あー」はまだしも、「えーっと」はよくない。そこにつきまとう幼児性ゆえに、あまりにもマイナスイメージが強いからだ。
 多くの場合それは、無意識のうちに口をついて出ているはずだ。その心理は、たとえば次のようなものだろう。
 まず、選択肢が過剰にあって脳内でその判断を整理しているとき。次に、会話の相手や場面の重要性によって、緊張や不安を感じたりしてストレスがかかっているということも考えられる。3つ目に、そもそも言語を処理するスピードに自信がなく、会話が苦手な人である場合もそうなることが考えられる。原因をざっと考えただけでも、それらが思い浮かんだのだ、まだまだあるにちがいないが、それについての深堀りはしないでおく。

 いずれにしても、それらの要因のどれかによって「えーっと」が生まれるというのを、人は経験的また感覚的によく承知している。その結果、「えーっと」は相手にもまた不安感や不信感を生じさせてしまい、それが頻繁に登場する人との会話は、得てして上手くいかないことが多くなる。相手がいったんそれを気になりだすと、さらにそのマイナスイメージは増幅され、取り返しようがなくなってしまうのもよくあることだ。

 先日、そんな「えーっと」を極端に使う例があった。その人については今にはじまったことではなく、前からもその傾向があり、再三にわたり指摘はしていたが、いっこうに直る気配はない。それがさらに極端にあらわれたということは、過度な緊張状態におちいってしまったのだろう。目に見えてそれがわかったのだから、わかりやすいといえばわかりやすい。

 すると、その日からそれほど時が経ってはいないとき、これまたぼくが以前から認識していた「えーっと」話者が乱発した。
 そうなるとこれがまたよくないことに、ぼくの「えーっと」センサーが過敏に反応しはじめた。
 それからまた数日後、ぼくがノーマークだった人が、「えーっと」を使用することに気づいたのである。それもかなりの頻度で。

 これはよくないことだ。といっても、ただヤメろと言うだけでは能がない。なんとか改善したい。どうやって指摘しようか。上手な導き方を考えたあげく、その解が見つからないうちに、ある日の朝会の席上で衝撃的な事実に気づいた。
 こともあろうか自分自身の口をついてその言葉が出たのである。
 
 じつはぼくには自信があった。時をさかのぼること十数年前。他人さまの前でスピーチをする機会が徐々に増えていったあるとき妻に、次の2点を釘刺された。いわく、「早口でしゃべらない」「”えー”を入れない」。特にフィラーは、聴いてて不愉快になるという理由で、断固とした使用禁止命令が出た。
 持つべきものはなんとやらだ。いかにもと得心したぼくは、その翌日行われたけっこう大きな大会での事例発表で、できるだろうか?という若干の不安をかかえながらさっそくそれを実践した。すると、案ずるより生むが易し、思いがけず首尾が上々だったのに気をよくし、以後、あまり使わずに今に至っている(もちろんゼロではない)。
 だからぼくには自信があった。自分自身にはフィラーがないと。それなのに・・・あろうことか、まぎれもない自分の口から「えーっと」が飛び出したのである。

 そんなこともあるのか。
 驚きはあったが、イレギュラーなものだろうと高をくくっていた。
 ところがぼくの内に芽生えてしまった「えーっと警察」は見逃さない。
 なんとしたことだろう。意外にもぼくは、けっこうな頻度で「えーっと」を使用しているのである。自己分析では、選択を整理している場合に使うパターンのようだが、たとえそうだとしても許されるものではない。即刻直さなければと決意した。

 さて、またひとつ課題ができたが、首尾や如何、乞うご期待(と自分で自分に言って聞かせてみる)。

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