ほかにも、「ブルドーザー」「バズーカ」「ゴジラ」「どんぶり」「仏壇」「ゾウ」「ブリ」はいずれ大きなものを表すが、日本語話者の耳には、いかにも濁音がぴったりと感じられるのではないだろうか。「プルトーサー」「パスーカ」「コシラ」「とんぶり」「ぷつたん」「そう」「ぷり」では、どこか物足りない。(P.24)
ゴキブリはその名のせいで余計に嫌な生き物に見えているかもしれない。
ほかにも、「ブルドーザー」「バズーカ」「ゴジラ」「どんぶり」「仏壇」「ゾウ」「ブリ」はいずれ大きなものを表すが、日本語話者の耳には、いかにも濁音がぴったりと感じられるのではないだろうか。「プルトーサー」「パスーカ」「コシラ」「とんぶり」「ぷつたん」「そう」「ぷり」では、どこか物足りない。(P.24)
ゴキブリはその名のせいで余計に嫌な生き物に見えているかもしれない。
「やれICTだ、やれBIM/CIMだと、そんなことばかり追求していくと、どんどん技術がなくなっていってしまうではないか。これまでの技術を大事にしないと、そのうち何にもできなくなってしまう」
先日、ある業界内の同年輩の方との会話のなかで向こうから出てきた言葉だ。
「そうですよね~それはマチガイナイ」
と答えたぼくの心に嘘偽りはない。たしかにそれはそうだと思うからだ。長く公共土木工事というこの業界にたずさわり、技術や時代の新旧を身をもって経験してきたものならば、その考えに同意する者は多いだろう。と同時に「だがね」とも思う。「今という時代」は皆が総じてそうであり、ぼくたちだけが特別ではないからだ。いや、そういう意味からいえば、ひょっとしたらぼくたちは乗り遅れているのかもしれないとも思う。
ごくごくかんたんな例を挙げると、たとえば雲行きを見て天気を予想する。たとえば地図を見て目的地まで行く。前者は昔と比較すれば格段と精度があがった天気予報をもとにした天気アプリによって(当然そのさらに基には人工衛星とスーパーコンピュータがある)、後者はカーナビゲーションによって(これまたその基には測位衛星とそれを受信するテクノロジーがある)、令和日本を生きる人間のほとんどが失ってしまった能力だ。いつの時代でもどんな仕事でも、そうやってぼくたちはあたらしい技術の恩恵を受けると同時にそれまで大事にしてきたものを意識するとしないとにかかわらず手放してきた。汎く普及した結果、誰もその存在について特別なものを感じないが、ちょっと前からするととんでもないことをフツーだとそれを使っている皆が捉えているという意味で、進化しつづけるスマートフォンなどはその象徴的なものだと言えるだろう。
事ほど左様に、コンピュータやインターネット、あるいは昨今ではAIなどが深く広くぼくたちの生活を変え、現在もそれは急速に進行中だ。繰り返すが、そうやって現代社会は変化してきた。だとすると、それはよくてコレはよくないという理屈は成り立たない。一人ひとりをとってみれば、それに抗うという生き方としては十分成立するにしても、こと仕事、しかもぼくたちがなりわいとする公共土木工事という仕事では成り立たないとぼくは思う。
もちろんそんなぼくとて、れっきとした「古い奴」の一員である以上、だからこそ今それに抗うことが必要なのだという論には、できる限りの理解を示したい。というか、心情としては断然ソッチの方にシンパシーを感じてしまう。だが、すでにターニングポイントは過ぎ去って久しい。残念ながら、それがいつだったかを示すことはできないが、現場におけるテクノロジーの超発達という事実がそれを教えてくれている。つまり、ぼくたちはそういう時代を生きている。しかも、公共土木というぼくたちの仕事は、昔からずっと本質的にはそういうものだった。
ならば否が応でもそこに乗るしかないではないか。それならば、時が熟するのを待つのではなく、まだ何であるかがよくわからないうちから率先して乗った方がよいではないか。なぜならばそこには、ある種の先行者メリットと呼べるものがたしかにあるし、早くスタートを切った分だけ物理的に試行錯誤の時間が増えもする。進化が試行錯誤の産物、つまり失敗や成功にもとづいた取捨選択の繰り返しから起きるものならば、その時間を多くとるかとらないかによって、実行する側の能力の有無とは関係なしに授かることができる恩恵が必ずあるはずだ。
それにどのみち、あるひとつの「わかった」は次の「わからない」のスタートラインにしか過ぎない。であるならば、「わからない」は始めない理由にはならない。どころかむしろそれならば、「わからない」のあとに来る接続詞は「から」の方がふさわしい。もちろん、つづく動詞は「やる」である。
「失われていくもの」があるとしたら、それはまことに残念極まりないことだし、漫然とそれを座視してよいということはないのだけれど、だからといってそこにあたらしいやり方があるにもかかわらず、「古いもの」を必要以上に尊重し、それにしがみつくのは愚かなことだ。いつの時代でも、大切なのは新旧融合と臨機応変。あたらしい手法と古いやり方をハイブリッドさせつつ「今という時代の公共土木」を生きる。それが古い人間に課せられた役割だと、ぼくは心に銘じている。
工事請負金額が一定以上(高知県の場合は500万円)の公共建設工事には、完成後もれなく評定点がついてくる。多くの場合にその優劣の境界は80点である。つまり、いわゆる優良工事であると認めるか認めないかの境は、80.0という数字にある。それを超すか超さないか。いや正確に言えば超さなくても、80.0という数字にたどり着けさえすれば万々歳だ。そういう意味で79.9にとどまるか80.0に到達するか、この差はとてつもなくおおきい。
幸いなことに、今のわが社のふつうは「超える」だが、かつて、それまでの姿勢をあらため貪欲に点数を取ろうとしはじめたころ、具体的にあらわせば15、6年前のこと。大まかに分ければ、全工事のうち超えるのが半数で超えないのが半数、といったころがあった。しかもその「超えない」は、「超える」との差がビミョー、あるいはほんの少ししかないという現場が連続したこともあった。
もっとも僅差は0.1点。つまり79.9だった。それも一度や二度ではない。
繰り返すが、この0.1がとてつもなくおおきい。なぜならば、この0.1は人情だからである。
ジャスト80、あるいは80.1や80.2といったわずかにプラスして大台に乗る工事と、わずかに足らずに大台を逃す工事のどこに差があるのか。今でもわたしは、「評価する者の意思」以外にその適切な理由を見つけることができない。だから当時よくあった「マイナス0.1」には、悔しいという気にはなったが腹は立たなかった。
「オマエ(オレら)がそれに値しないと判断してるから」
「だったらその判断が「プラス0.1」に転じるよう努力すればよいだけのこと」
担当者には繰り返しそう諭したし、自分にもそう言い聞かせた。
いやいや、けっして強がりではない。心底からそう感じていたし、今でもその解釈と判断はまちがっていなかったと思っている。
その「マイナス0.1」がいつのまにかなくなったのは、それからどれぐらい経ってからだったか。調べればすぐわかることだが、あえて調べるほどのこともないだろう。とにもかくにも、あれほど悔しかった僅差で到達しないという事例は、きれいさっぱりなくなって久しい。
昨年度、ジャスト80.0という評価をもらった工事があった。
わたしが小おどりするほど喜んだ理由は、その逆だったからだ。
79.9でとどめるか80.0にするか。この0.1の差は人情だ。
もちろん「マイナス0.1」も「ジャスト」も「プラス0.1」も、あくまでもシステムどおりに加点をした結果であって、最初から決まった点数ありきではないはずだ。しかし、その結果がギリギリとなった場合、そこには人の感情が加わるにちがいない。それは誰あろう、そこに至るまでのプロセスを見てきた人間の感情である。
そんなことを言うと、「だからダメなのだ」と反論する人は多い。だから恣意的なものが入る余地がないシステムにせよと主張する人は多い。ついこの前も、「AIにやらせるのがもっとも公平だ」という御仁がいた。なぜだかその類を主張するのは経営者、しかも年齢が上の人に多い。
だが、仮にそうなったとして、本当にそれでよいのか?とわたしは思ってしまう。
すべての仕事というものは、他者との関係性によって成り立っている。他者との関係がない仕事など厳密には存在しない。だからむずかしいし、おもしろい。人がやるからおもしろい。人対人だからおもしろい。むずかしいけどおもしろい。
もし、恣意や感情の入る余地がない手法やシステムができたとして、そんなものに魅力があるだろうか。少なくともわたしは、あると思うことができない。
とはいえ達成感である。苦労した工事が終わったことで得られる達成感には、得も言われぬものがある。それは事実だ。それに高評価と高い利益がついてきたとなると言うことなし。報われた、そう思うことに誰はばかることがあろうか。
しかし、そこで考えてみてほしい。ただ無事に終わったから。たまさか工事評定点がよかったから。思ったより利益があがったから。その結果だけで「達成感」と呼ぶのなら、まさしくそれは達成ではなく、あくまでも達成「感」でしかない。終わったという事実がもたらす安堵感と開放感、それを達成感と呼ぶのは人それぞれの自由だが、それを土木という仕事の魅力と言い募るのならば、それはチト筋がちがうのではないかとわたしは言いたい。
肝はプロセスだ。計画はどうだったか。実行、検証、修正、また実行というプロセスはどうだったか。リスクを予知できたか。それに対して打つ手は当たったか。予知できなかったことに対応できたか。失敗のケツは上手く拭けたか。それらを検証し、QCDのそれぞれで及第点を与えることができたとき、達成という判定がくだされる。そしてそれは何も、発注者や上司である必要はない。とりあえずは自己評価でも、なんら差し支えはない。というか、そこでもっとも大切なのは自己評価である。
と小難しいことを言ってしまったが、わたしはなにも、それぞれがそれぞれの達成感を味合うことを否定しているわけではない。ただ終わっただけの達成感もまた立派な達成感として認めている。困難なプロジェクトになればなるほど、「終わった」という事実を得るだけで何物にも代えがたい感激が味わえることも、幾度も体験して承知している。
しかし実際のところは、おもしろさも楽しさもプロセスにこそ多くあるはずだ。それに多くの業界人が気づいていないか、それとも気づこうとしていないか。どちらにしても、そこを掘り起こさずして、ただ単純に「終わったあとの達成感」という言葉を口に出しても、この仕事を体験したことがない若者に魅力が伝わるとは思えない。終わったあとの達成感のみを拠りどころにしてする仕事があるとしたら、そういう類の仕事に若者が就こうと考えるとも思えない。だから、月もスッポンも含め味噌もクソもゴチャまぜにしたその「達成感」という言葉を土木という仕事の魅力として喧伝するのは、あまり得策ではないのではないかとわたしは思う。
達成感、実際のところ、たまらんけどね。
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土木というものは本来、人民に幸福を与えるためのものである。土木は他の学問や技術と違って、国家とか行政あるいは社会の中心に座ってしまうので、技術を追求するのみでは現実に生きてこない。社会という人間の体のような組織の中心にあるものだから、環境の問題を考えないと成立しない学問である。人体と同じ生命体である社会の中で外科的な手術を施すものだから、土木をやる人は社会科学とか文学的なデリカシーのある教養の固まりのような人でなければならない。そうでないと社会の味方だったこの学問が、社会の敵となるような非常にきわどい時代に差しかかっている。
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平成6年、土木学会80周年記念式典の特別講演で司馬遼太郎が語ったことばだという。
(出典→http://www.jsce.or.jp/top/news_sorce/ryakushi/25.html)
とはいっても現実のわが業界、特に現場技術者には、「環境の問題を考えないと成立しない」どころか、あえてソッチからは思考を遠ざけたがるひとの方が多いような気がする。
などということを言ってしまうと、昨今流行りのSDGsに関連づけ、「オレら環境を意識してるんだもんね」とことさらに強調する業界人も多いだろうが、あの道理はさておき、ただでさえ眉に唾つけたい現状のアレに、わが同業者たちが臆面もなく同調しているのを見聞きすると、さらに「なんだかな~」と感じてしまうわたしは、そこはちがうのだよなと言い切ってしまう。
では、司馬遼太郎がこの警句を披露してから約30年が経った今、どのようにそれを解釈すればよいのか。
端的に言えばそれは「花」を愛せよ、しかも温室のなかで乳母日傘で育てられたそれではなく、たとえば「路傍の花」を愛せよということなのではないだろうか。
もちろんかの大司馬遼が、そんなことを直接言った事実はないが、少なくともわたしは、「土木をやる人は社会科学とか文学的なデリカシーのある教養の固まりのような人でなければならない」という表現はそういう意味ではないかと解釈している。
たしかにわたしたちの仕事は、往々にしてその「路傍の花」をむしり取ってしまうという行為なしには成り立たないのだけれど、とはいえともあれ、全国の土木屋諸氏には「花」を愛せよとわたしは言いたい。十数年前のわたしが聞いたら、フンと鼻を鳴らして「どの口が言うか」と冷笑するにちがいないが、変節漢であることをあえて承知で、少なくともわたしはそうありたい。
先日、県内のある中学校でのわたしの話に対して、生徒さんたちが感想をつづって届けてくれた。
その一部である。
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・最初は土木とは何かあまり分からなかったけど、「人と人とをつなぎ街と街とをつなぎ過去と未来をつなぐ」、ふつうの暮らしを支える仕事だということも分かったし、東日本大震災などの災害のときに、あまり、テレビとかで流れないけど、土木関係の仕事の人が、がんばってくれていることが分かりました。
・過去と未来をつなぐと聞いて初めははっきりイメージできませんでしたが、震災時の復興を縁の下から支える存在で、ふだんの暮らしを取り戻すことが未来へつないでいくことだと分かりました。
震災で建設業が第一に関わり、とても大切な存在であることを考えたことがありませんでした。しかし、ふだんの生活を支えてくれているとともに、ふだんの生活を取り戻してくれる存在であることを感じました。
・東日本大震災の時に、地震で道路がふさがれてしまった時に、がれき等を除けるのも土木の仕事だと分かりました。
土木の仕事がなかったら今のふつうの生活を保つことができないと分かったし、土木にはふつうの暮らしをとりもどす役割もあると分かりました。
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「土木とはなにか?」をわたしが少年少女に語るとき、東日本大震災の話は必須だ。
そしてそのスライドで使っている写真の大半は、発災直後の岩手県釜石市の様子だ。青木さんにもらったものである。
その彼が所属する岩手県建設業協会青年部連絡協議会が除雪を題材にした動画をつくった。
「冬季における地域の住民生活や経済活動などを守る重要な仕事である道路除雪について多くの方に知っていただくために制作いたしました」のだという。
わたしもまた、これからする拙講の際にはこれをニューコンテンツに加え、及ばずながらそのお手伝いをさせていただきたいと思う今日は11月18日。期せずして土木の日である。
あるSNSで目にした投稿だ。
設計3次元データと出来形3次元データの差が○○ミリだった。
つまり、「この精度すごいだろ」というアピールである。
いや、この方だけではない。ICTで施工精度が上がるのだ、また上げるのだという言説は、実際に身近でわたしも耳にしたことがある。しかもそれは発注者からだった。
それはちがいますよとすぐさま反論し、納得してもらったことももらえなかったこともあるが、断じてそれはまちがいであり向かってはならない危険な方向だと思う。
では訊くが、わたしたちの仕事である公共土木において、つくるモノの精度が低くて問題となっているものが実際にどれほどあるのだろうか。少なくともわたしは、そのような例をすんなりと思い浮かべることができない。ましてや、土工においてなら尚さらだ。あきらかに問題であるならば、それは解決されなければならないし、そのために新技術を用いるのはまことにけっこうで正しい道だろう。しかし、とりたてて問題となっていないのであれば、ことさらに精度をアップさせるべきではない。ましてや、土工においてならなおさらだ。
とはいってもそこは技術屋の性(さが)。より精度を高く、という考えを全否定はしない。事実、評価の尺度のひとつとしてそれがある(たとえば規格値の50%以下でできあがれば評価が高くなるという工事評定点制度)のだから、いくらわたしの主張がそうではなかったのだとしても、そこを目指す人たちは認めざるを得ない。
では考えてほしい。ICT技術は何のために使うか。
生産性向上のためである。
いや、国土交通省がそう言うからといって、けっしてその通りにしなければならないというものではない。「ICT、使い方ぐらい自分で決めようよ」という杜の都の盟友ヒゲブチョーに深く同意するわたしもまた、ツールをどう使うかはそれぞれの環境に応じて決めるものだと信じている。したがって、ICT技術の用途を生産性向上に限る必要はない。
とはいえ、こと出来形管理において、ICTで精度向上を目指すのは、自縄自縛、自分の首を自分で絞める行為だ。たとえ生産性向上を優先しないからといって、今より生産性が落ちてよいというものではない。そういう意味では、機能上それほどの精度が必要ないであろうという部分はスペックダウンしていくべきであって、いたずらに高精度を目指し、そこに手間暇をかけるのは逆行であると言わざるを得ない。
そう批判すれば、次のような反論が予想される。いやICTを用いれば手間暇をかけることなく実現できるからこそ高精度を目指すのだ。そう、問題はまさしくそこにある。であれば、なおさらそこに注力しないことが生産性を上げることにつながるからだ。
いわゆる「面管理」もまた危険である。わたしたちがつくるモノは従来の測点管理で十分にその機能を果たしてきた。そこへ「面管理」を導入したことによって、余計なことを増やし、精度向上という勘違いが生まれた。何をどうすればよいか手探りだったi-Construction初期ならばそれでよい。「こんなんもあるんじゃないか」「あんなんもできるぜ」という議論の中には種々雑多のものがあってしかるべきだからである。
ICT技術で従来より精度の高いモノができる。これは事実だろう。しかし、こと公共土木において、ICT技術は高精度を目指すために用いるべきものではない。生産性向上を金科玉条とするならばなおさらだ。
わたしたちがつくるモノは、社会資本として必要な機能を満たすための精度があればそれでよい。
とはいえ、高精度が高評価であるというのが現実である以上、発注者の高い評価を得ようとすれば、一定以上の精度が求められる。しかしそれは、あくまでも「一定以上」であって飛び抜けたものである必要はない。ましてやそれをICT技術で実現させようとするのは自縄自縛、自分で自分の首を絞める行為であり、将来的によい結果を生み出すものではない。
モネの庭で石を積んでいる。
コンクリートを使わない空石積みだ。
「いいじゃないですか」
出来栄えを褒めてくれるヒゲさんに
「震度5でくずれるけどね」
おどけてそう答えると
「いや、それでいいと思いますよ。こわれたらやり直せばいいだけのこと。だから、こわれた後でつくり直しやすいことを前提としてつくるんです」
そう返され、ナルホドと感心した。
「壊れるのを前提とした構造物」というのもアリなのだ。そう思ったのである。
より厚く、より高く、より強く、より頑丈に。現代日本の土木は、壊れない構造物づくりに邁進し、それは一定の成果をあげてきた。
しかし、その一方で、強くなったそれらの構造物が壊れることで、これまでより大きな災害を引き起こす要因にもなっている。
どうせ壊れてしまうのだから、強さはある程度にしておき、壊れたときの対処を考える。「より強く」「より頑丈に」以前の「土木」は、そういう側面を持っていたはずだ。たとえばそれは霞堤のように、洪水を完全にシャットアウトするのではなく、意図的に堤内地へ水を導入湛水することにより被害を少なくするという発想とおなじだ。そういった例は、古い時代の「土木」にはふつうにある。
とはいえそのような工法が、現代日本の公共事業において採用されるはずがないではないか。
自らの思いつきを自分自身で却下したあと、いやいや、とまた問い返す。
そうだろうか?そうとばかりも言えないんじゃないか?ひょっとしたら、それに気づいている土木屋は少なくないんじゃないのか?
もちろん、すべてにおいてその考え方が正しいとは思わない。そして、「壊れるのが前提なんです」と大っぴらに主張するのが、特に発注者においては甚だしく困難であることも認める。だがしかし・・・そんなモノづくりがあってもよいのではないか。いや、なければいけないのではないかと、小雨そぼ降るモネの庭で考えた。
ドボジョという言葉をはじめて聞いたのがいつだったか、よくは覚えていないが、好ましいと感じなかったのはなんとなく覚えている。
「ドボジョ」という語句で、このブログのバックナンバーを探ってみるとそれがよくわかる。もっとも古いのは2013年10月、『あるドボジョ』と題して、岩手県ではたらくある女性現場技術者について書いた稿だ。
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このドボジョなる呼称、私としてはそんなに好んで使いたいような語感ではなく、だからして、このブログでは一度も使ったことがない(はずだ)。
だが、そうかといって、厳として拒否するほどのこだわりもないので、使ったり使わなかったりは今後の気分しだいである(と思う、たぶん)。
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その意識が変わってきたのは、ドボジョに変わって「ケンセツコマチ」なる言葉を流布させようという企みがあらわれたからだ。
昨年10月にはこんなふうに書いている。
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ドボジョという言葉が盛んに使われはじめたのは2010年ごろだというから、今から10年ほど前。いっとき持てはやされたそのネーミングも、今では濁音が3つも並ぶからよくないとかで、「ケンセツコマチ」などというセンスの欠片もない言葉が主流になっている(というのはわたしの独断的認識)。
そもそも濁音がダメなどという輩は、フランス語や日本国東北方言の鼻濁音の優雅さも感じることができないのだろうなと、わたしなぞはついつい思ってしまうのだが、そこは今日の本題ではない。
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「好んで使いたいというようなものではない」と書いた過去は完全に無視しており、こうなるともう、「わたしドボジョの味方です」である。
そんなわたしが、昨夜、FB友だちの投稿画像からドボジョの由来についての事実を知った。
画像とは、次のような文章が書かれてある、一枚のプレートの写真だ。
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土木系女子学生や土木系女子技術者の愛称「ドボジョ」は1988年、関東学院大学理工学部理工学科土木学系(旧工学部土木工学科)の水理実験準備室(EF107)で誕生した。
1987年工学部土木工学科に全国初の試みとして「女子クラス」が新設された。この年の秋に女子クラスの学生が中心となり『全国土木系女子学生の会』を発足。女子クラスの2期生が入学し女子学生が増えると、全国土木系女子学生の会の事務局専用の部屋が必要になった。このとき事務所兼サロンとして使われたのが水理実験準備室である。この部屋に皆が集まって作業する際に”全国土木系女子学生の会の部屋”と言うのが長く、誰ともなく「ドボジョ部屋」と呼ぶようになった。その後、土木系女子学生の会や土木工学科女子クラスなどをまとめて「ドボジョ」と言った。
全国土木系女子学生の会を通じて「ドボジョ」という呼称は全国に広がり、2010年頃からこの呼び方を真似て「リケジョ」や「ノケジョ」、「歴女(れきじょ)」といった言葉が派生した。
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2年ほど前、ひょんなことから関東学院大学出身の「元祖」ドボジョと知り合い、この経緯を知るところとなったのだが、最後の部分にかぎっては初耳だった。今の今まで、てっきり逆だと思っていた。つまり、○○ジョという呼び方が流行しているのに乗じてドボジョと名づけたと、そう思いこんでいたのである。
しかし事実はさにあらず。
〇〇ジョの原点はドボジョだった。それ以前からあったドボジョというネーミングが他に波及し、〇〇ジョという呼び方が流行したことによって、それが土木へフィードバックされて、一気にドボジョが広まった。そういうプロセスのようだ。
うん。よいではないか。じつによい。ますますドボジョという呼称が好ましくなった。
濁音上等。わたしドボジョの味方です。
「”土木のこころ”を知るために、あなたが薦める本をいくつか紹介してくれないか」という依頼あり。すぐさま、アタマに思い浮かんだ本が数冊。かんたんに推薦理由も、ということなので、あらためて実物を超速で飛ばし読みし、これとこれとこれ・・・あ、もひとつこれもと4冊をピックアップして送ろうとしたが、待てよ、と再考。イノイチバンに思いついたひとつだけに絞ることにした。その一冊とは、『出稼ぎ哀歌~河辺育三写真集~』(ブックショップマイタウン発行)である。
「土木のこころ」と聞いてすぐ思い浮かべるのは、昨年来業界で評判を呼び、わたしもその協力人として巻末に名を連ねさせてもらった復刻版『土木のこころ』(田村喜子、現代書林)。そこに登場する20名の大多数は、明治期から今日までの、わが国を代表する超土木エリートたちだ。
そこで忘れがちなのが、そのエリート技術者たちの想いや考えを形にするのに必要不可欠な無名の労働者たちの存在である。しかし、その無名の者たちに脚光が当たることは、ほとんどない。たとえば「無名性」について語るときも、設計者や施工者の名前を世に出そうとはするが、実際に作業をしている者たちへの考慮は一切といってよいほどない。そりゃそうだ。超のつくエリートでさえ、なぜだか自らの先達について学ぶことがあまりない土木という世界では、知られていない人が少なくない。ましてやそれが一般に、となると推して知るべしだ。そんな現状において、名もない者たちが一顧だにされないのは当然のことである。
しかし、これまた当たり前のことだが、土木とは、それらの人たちも含めたチーム全体でなされる仕事である。超エリートにも、無名の労働者にも、それぞれに役割があって、それぞれがその役割を全うしなければ、目的や目標を達成することができない。そのような構造を有する仕事であるならば、そして、「ふつうの暮らしをささえる」のが土木であるならば、それを底辺で支える者たちのことが語られなくてよいはずがない。
アセヲナガシテ ウタウウタ
ドウロコウジデ ウタウウタ
ドカタガウタウ ツチノウタ
ナイテクレルナ フルサトノコヨ
トウチャンイマニ カエッテクルゾ
ユウヒガシズム コウジゲンバデ
キョウノカセギニ カンパイシヨウ
(書中で紹介されている無名労働者の歌)
現代日本の快適な暮らしを支えてきたのは、こういった人たちの存在があったからこそ。そこに想いを至らせることができないようでは、また、その人たちを大切に思えないようであれば、土木という世界で生きる資格がないと、わたしは思う。