まず、ぼくの基本的な考えを表明しておく。
時代の変化とともに言葉は変わる。あえて変える必要はないが、変わったとしても咎めだてをすることはない。
これが言葉の使い方に対するぼくの基本的態度だし、それはこの場でも再三再四あらわしてきた(つもり)。
とはいってもそれは、すべてに対してそうであるわけではなく、「ぜんぜんかまわない」とか「ぜんぜんだいじょーぶ」とかの、いわゆる「全然+肯定語」に対しては違和感が拭いきれず、これまでできるだけ使用しないようにしてきた。
とはいえ、ここで「できるだけ」という曖昧な表現にとどめるのが、ぼくの優柔で煮え切らなさゆえで、周囲がそれを使うのになじんでしまったぼくの脳は、いけないこととは思いながら、ついついそれを口に出してしまったりもする。
そんなものだから、他人がそれを使う分には、毎度耳にするたびに違和感を感じつつも、よほどのことがなければ否定するまではしない。
だが、否定派であることに変わりはない。つまり、「全然+肯定語」を「ぜんぜんかまわない」とか「ぜんぜんだいじょーぶ」と言って肯定することはないのである。
ところが世の中というやつは、ぼくのような浅学非才が預かり知らぬことも多い。今日も今日とてたった今、幼いころより耳になじみ、正しいと思い込んでいるはずのその「全然+否定語」自体が、戦後に定着したものだという見解があること、文化庁国語課国語調査官である武田康宏氏の談で知った(ラジオ関西トピックス『ラジトピ』4月8日8:30配信)。
事実、夏目漱石と太宰治という日本文学史上に燦然と輝くビッグネームが、前者は「全然同格である」(『趣味の遺伝』、1906年)、後者が「全然新しい」(『鷗』、1940年)というように、その「全然+肯定」を自身の作品で大っぴらに使っているというのだから、驚く他はない。
氏によれば、「全然+肯定」の表現は「許されやすかった時期」と「許されにくかった時期」が繰り返されてきたという。
う~ん・・・
またひとつぼくの常識がひっくり返った。
とはいえ「ぜんぜんだいじょーぶ」。驚きはするがショックではない。
どころかむしろ、その論と事実が面白くさえある。
なんとなれば、言葉の使い方に対するぼくの基本的態度は、「時代の変化とともに言葉は変わる」であるからだ。それにしても・・・・・
びっくりしたなぁもう (*_*)
ホントにビックリポン‼️ですネ😲✨✨✨
そちらは地震、大丈夫だったんですか?
「だいじょばない」
コレは明らかに、イレギュラーな言葉ですが、カワイくて憎めない言い方で、ワタクシは多用しております🤭💦
もうひとつ、
「言う」
コレは、お芝居の中でさえも「ゆう」と発音されていることが多く、ゆゆしき事態です😤
「だいじょばない」は全然オッケーなのに、「ゆう」は、全然譲れない‼️
[ユー]は発音した場合なので、ひらがな表記で「ゆう」「そうゆう」などとは書きません。
また、終止形と連体形の場合のみ[ユー]となるので、[ユワナイ][ユエバ][ユッテ]は標準的な発音とは言えません。
以上、NHK放送文化研究所からの受け売り。
そーゆーことです(^o^)