きのう私は、「暗黙知」を「形式知(のようなもの)」にするのが私に課せられた大きな宿題だ、と書いた。
しかし(というか、やはり)、そう言いながら私は、いつまでたっても根本が、
「目で見て盗め」であったり、
「男は背中で仕事する」であったり、
「俺の目を見ろ何にも言うな」(※)
の人だったりする。
そんな私が、
「形式知」化うんぬんを言うのは、「なんだかな」と思わぬでもないが、
言葉や文章や画像や映像で表すということ、または、今という時代の土木技術者にとっての「伝える技術」というものを考えた場合に、
暗黙知を暗黙のまま閉じ込めておくのは、やはり自己満足にしか過ぎないし、
情理を尽くして語る姿勢をとらずに、「俺の目を見ろ何にも言うな」(だけ)に戻ってしまっては、
今までやってきたことは、水泡に帰してしまうのだな。
※俺の目を見ろ何にも言うな
北島三郎「兄弟仁義」